番外編5-2 諦めるな

 強くなると決めてからどれくらい経っただろう。シャニマでの戦争に父様と多くの戦闘員が駆り出されて、結局誰一人帰って来なかった。一気に戦力の落ちたあかつき家は一時、戦闘貴族の称号すら剥奪はくだつされた。


 使用人もいない。戦闘員もいない。身内もほとんどの者が、銀牙ぎんがを嫌って離れてしまった。そんな僕達に手を差し伸べてくれたのは、アウテリート家のリアンだった。リアンは僕達に衣食住と武芸の手ほどきを提供してくれた。


 僕が十五歳、リアンが十七歳の時のことだ。アウテリート家は当時徐々に頭角を現していて、戦闘貴族になったばかり。でも暁家との付き合いはかなり長い。次期当主であるリアンが、僕が強くなるのに手を貸してくれた。


 体力も腕力も弱い。重い武器を扱えない。それでも、やるだけのことはやりたくて。戦闘貴族に復活するには、それだけの実力が必要で。戦闘貴族として戦えることを、示さなければならなかったから。


「正直、金牙きんがは武芸に向いてないじゃん。そんな弱い身体じゃ、一時間もまともに戦えないし。手っ取り早く復活するなら、お前が上に立って策を講じた方が早くね?」

「それは、海亞かいあにもフィールにも言われた。それでも、戦えて損はないだろう?」

「線が細いんだよ、お前。筋肉はあんまないし、痩せ気味だし、食も細いし肉が食えないだろ? 武芸者としてはそれ、致命的なんだよな」


 リアンの言う通りだ。僕は肉を食べることが出来ないベジタリアンというヤツで。肉を食べても身体が受け付けないから吐き出してしまう。それが、僕が弱い理由の一つ。


 それでも強くなりたかった。戦闘貴族に復活するには、戦力を示す必要がある。銀牙が自由に出歩ける世界にするにも力が必要だ。なのに僕には、頭脳しかない。


「銀牙を鍛えるからさ、お前は――」

「ダメだ! それじゃ、ダメなんだ。銀牙の力を、借りるわけには……」

「お前、馬鹿じゃん?」

「筋肉馬鹿のお前には言われたくないな」

「うっせー。この世には適材適所ってのがあんだよ。銀牙は槍の扱いに長けてるから戦力になる。あとはだな、残ってる分家や知り合い筋の武芸者をかき集めろ。復活するために、な。

 お前の夢は知ってるじゃん。だからこそ思うんだよ。無理に武芸やるんじゃなくて、お前はその頭脳を発揮すべきじゃねって。何なら陛下に講義するじゃん。頭脳を見せつけてやるじゃん」


 リアンの言いたいことは理解出来る。でも、銀牙は大切な家族だ。だからこそ、物みたいに扱うのが嫌で、銀牙のために強くなりたいのに力を借りるのは何か違うと思う。武芸者を見つけるにしても銀牙を受け入れてくれる人しか無理だ。何より僕には力がないから、説得力に欠ける。





 迷いに迷って、気がつけば僕は銀牙の元に足を進めていた。あの事件以来、銀牙とまともに話したことは無い。銀牙は僕が話しかけると「殺してください」しか言わなくなってたから。


 どうして死にたがるのかわからない。だけど、もし銀牙が僕に引け目を感じているならそれは間違いだ。僕は銀牙のことを人として尊敬してる。銀牙がいたから、僕は頑張れた。辛い時には銀牙が側にいてくれた。


「銀牙、ちょっといいか?」

「はい」


 アウテリート家の屋敷の一室。そこにいた銀牙は、僕の問いかけに敬語で答える。その敬語が、僕と銀牙の距離を現してるみたいで辛い。少しでも早くどうにかしたくて、乱暴にドアを開けて部屋に入る。


「僕と二人きりの時くらい敬語をやめたらどうだ? 昔は、までは、敬語を使わずに普通に話していたじゃないか」


 扉を開けて最初に切り出したのは銀牙の敬語について。だって、僕が九歳の頃までは普通に家族として話していたんだ。なのにある日から突然敬語になって、殺してくれって言い始めて。


「犯人に何を言われたかは知らん。だがな、僕は、お前が一人で安全に出歩ける世界を作りたいんだ。それは、物心ついた頃からの夢だ。なのにお前がそんなでどうする。

 僕に遠慮するな。僕にはお前が必要だ。僕は頭脳しか取り柄のない、武芸者としては弱すぎる人間だ。それでも今こうしていられるのは、お前がいたからだ。それくらいわかれ」


 言ってるうちに何を言ってるかわからなくなった。恥ずかしくて心が死にそうだった。なのに銀牙は、そんな僕をうつろな目で眺めるだけ。犯人が何かをしたから、銀牙がここまで変わってしまったんだと思う。


 きっとまた「殺してくれ」と言うんだ。「死にたい」と言うんだ。自分を「足手まとい」だと勝手に決めつけるんだ。銀牙がいない方が、僕にとって害なのに。


「僕という存在が金牙の足枷あしかせになるんです。僕がいなくなれば全て解決します。それくらい、理解してくださいよ、金牙様 」

「誰がそんなことを決めた。僕からすれば、お前がいない方が行動に支障が出る。だからお前は死なさない、死なせない、死ぬなんて許さない。

 理想と笑われてもいい。すぐには叶わない夢だとわかってる。それでも! それでも、やってみなければわからないだろう? 何もせずに諦めてずっと我慢している方が、僕は嫌だ」


 卑下ひげするな。僕は、銀牙より優れた武芸者をまだ見たことがない。お前はその武芸で、何度も僕を助けてくれた。だからその、恩返しがしたいんだ。





 人の減った屋敷に敵が忍び込んだ時、戦えない僕に代わって敵と対峙したのは銀牙だった。屋敷から必要な物だけ持ってアウテリート家の屋敷に向かう時、物盗りから僕を護ってくれたのは銀牙だった。


 屋敷に居られなくなった僕達は、屋敷を皇帝に返還し、離れることになった。馬も食料もない。だが体裁のためにアウテリート家が迎えに来るわけにもいかなくて。


 僕の身体が弱いから、長時間連続しては歩けなかった。こまめに休憩を取って、普通に歩いたら三日かかる長い道のりを、その倍以上かけて歩かなきゃいけなかった。


 父様達が帰ってこなかった時、不安だった僕を支えてくれたのも銀牙だった。使用人の代わりに家事や屋敷の守護を全て請け負い、僕が今後の策を練るのに集中できるようにしてくれた。


 そんな銀牙に僕が出来ることは――。


「お前がいなかった時、何があった。お前が自分を卑下して、死にたがるようになったのは事件からだ。犯人に何か言われて脅されたのか?

 お前がそれを気にしてるなら、お前が満足するまで否定し続けてやる。お前のことを否定する奴は、暁家のことも陛下の意志もわかっていないだけだ。

 暁家にも、僕にも、今後の暁家にも。お前は必要だ。お前には僕の側で笑っていて欲しい。お前が笑える世界を作るから、僕を信じてついてこい!」


 柄にもなく熱くなる。荒らげた声が、その声量が、僕の言いたいことを銀牙に伝えてくれたはず。銀牙が僕の方を見る。


 濃い青色の瞳は、銀牙が誘拐された事件を境に光を失っていた。この世の全てに絶望したような目をしていた。でも今は、少しだけ違う。


「…………何を聞いても、驚かないでくださ、驚かないで、ね」


 迷ったらしい銀牙は震える声でそう前置きをした。敬語で話さない銀牙を見るのは久々だ。僕は覚悟を決めて、銀牙の身に起きたことを聞くことにした。





 銀牙の巻き込まれた事件から何十年が経っただろう。銀牙が心を開くようになってから何年が経っただろう。いつの間にか僕も銀牙も家庭を持つようになった。二人して子供がいる、いい大人になった。


 戦闘貴族暁家は二つの部門に分けた。戦闘部門はアリシエに托し、戦闘員の管理などを任せてる。僕は銀牙と共に、宮殿で国政に関わる仕事をしている。


 時の流れと共に時代も変わった。幼い頃はあんなに悲惨だった有色人種も差別されなくなってきた。皇帝様の政治のおかげでもあるし、法を整備したからでもあるし、アリシエや神威かむいが活躍したからでもある。


 絶対安全とまではいかないが、有色人種が一人で出歩ける世の中になった。一人で出歩いても物を売り買い出来るし、戦闘貴族に有色人種がいても何も言われなくなった。他の差別はまだ残っているだろうが、僕は人種差別が落ち着けばそれでいい。有色人種が外を出歩けるようになればそれでいい。


 時代が変わった今でも、銀牙は僕の隣にいる。いい大人になって、やっとその表情が柔らかくなった。もう死にたいと言わなくなったし、死のうともしなくなった。


「金牙。何考えてるの?」


 書斎でぼーっと昔のことを思い返していたら銀牙に声をかけられる。慌てて声のする方を見れば、銀牙がクスクス笑いながらタオルを差し出してくる。


よだれが垂れてるよ。幸せそうに爆睡してたし、いい夢でも見てたの?」


 銀牙に言われて慌てて口に手をやる。考え事をしていたつもりが、懐かしい夢を見ていたようだ。それにしても涎にすら気付かないなんて、我ながら情けないものだ。


「なぁ、銀牙」

「どうしたの?」

「……僕の言った通りになっただろ。あの時諦めなかったから、今がある。どうだ、僕についてきてよかっただろ?」


 僕の言いたいことに気付いたんだろう。銀牙がハッとした顔をすると、照れ隠しからか人差し指で頬を軽く掻く。答えなくていいんだ、お前の笑顔が答えを物語っているんだから。


「ダン様にも、頑張ってもらわないと。この平和を『当たり前』にしないといけないな。くだらんえにしに悩まされるのはもうごめんだ」


 僕の言葉に銀牙が笑う。トゲトゲしさのない柔らかな笑顔だ。そんな幸せそうな銀牙に、僕も自然と笑顔になった。

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