11-2 惨劇の中の出来事

 「何年前」と年月日を正確に言うことは出来ない。当時、月日の感覚が曖昧だったからだ。だが月日の感覚が歪んでいようがその記憶を覚えている。アルウィスは、それだけははっきりと断言することが出来た。




 綺麗なグラデーションを見せる空。青く澄んだ海。波の打ち寄せる砂浜。常緑樹やつたしげるジャングル。アリシエの故郷であるシャニマはそんな自然に溢れた島国である。アルウィスがいたのはジャングルの中。だがそのジャングルの中では、遠目からはわからないような悲惨な光景が広がっている。今でも当時の色や匂いが頭から離れないほど、印象的な光景だった。


 ジャングルの中に散らばるのは見知らぬ人々のしかばね、血溜まり、数え切れないほどの武器や防具。血の臭いや屍が放つ異臭が入り混じり、鼻が曲がりそうになる。この島で生きている者は皆、ジャングルの中で食糧を争う。アルウィスもその中の一人だった。


 上半身にまとっていた衣は返り血と刃物に切られたことでボロボロになっていた。屍から奪った血だらけの刀と、血に染まった服を裂いて作った簡易的なグローブだけが武器だった。日時も今いる場所もわからない。生きることに精一杯で、常に周囲を警戒して暮らす。ソニックとアルウィスはそんな、悲惨な環境で出会った。


 短めの黒い髪は場にそぐわないほど綺麗で、太陽の光を反射している。その濃い青色の目は戦場にいる者にしては光を失っていない。何より、その身につけている衣服は汚れも傷もない新品そのもの。明らかに戦場にいたとは思えない外見をした黒檀の肌をした青年。それがソニックだった。


「お前、どこから来た?」


 アルウィスがソニックを見つけたのは、偶然だった。ジャングルに生息する木の一つに登っていたアルウィスは、頭上から見下ろす形でソニックを見つけた。見つけるとすぐにソニックのことを怪しんで警戒する。


 ソニックは妙だった。物音一つ立てず、存在感すら感じさせず、突然その場に現れたからだ。そのくせに、姿を見せたソニックは気配を消すことに長けていない。アルウィスのいる木に近付くソニックは、移動の際に物音を消すことすら出来ないのだ。そんなソニックがアルウィスに言葉を返す。


「と、父さん?」

「は? 俺に子供なんていねーけど。人間違いでもしてんじゃねーの。どう見てもお前の方が年上だろ。ってかお前、どこから来たんだよ。ここで暮らしてるにしちゃ綺麗過ぎる。答えれば命までは奪わないでやるよ」

「し、知らないよ。オイラ、気がついたらここにいたんだって。目が覚めたらここにいたんだよ。信じてってば。……何この匂い。うわっ、し、死体が――死体が、沢山ある」


 アルウィスのことを「父さん」と呼んだソニック。彼は名乗るより先に、周りの状況に気付いて胃の中にあるものを全て地面に吐き出した。胃に入っていた物を全て吐き出してもでも吐き気が治まらず、胃酸まで吐き始めている。


 元からシャニマで暮らして今日まで生き延びたのであれば、このようなことは起きない。この悲惨な環境に慣れてるため、屍の匂いに気付いても無残な死体を見ても何も感じないからだ。それはシャニマの先住民も、あとからシャニマにやってきて暮らしている者も同じ。それを本能的に知っていたから、アルウィスはソニックに近寄った。それが全ての始まりである。





 アルウィスは岩穴や太い枝の上などを転々として暮らしていた。ソニックと出会った当時、アルウィスが住処としていたのは小さな洞穴。ソニックに会った時に木の上にいたのは、食糧を手に入れるためだった。気分の優れないソニックを背負って住処に戻ると、ソニックを硬い地面の上に横たえる。


 住処と言っても大したものは無い。所持品は屍から奪ったりジャングルを走り回って見つけた衣服、武器、食糧だけ。洞穴は人二人が横になれば足の踏み場がなくなるほど狭く、あかりと呼べるものもない。布団の代わりに大きな葉っぱが敷いてあるだけだ。お世辞にも居心地がいいとは言えない住処である。


「お前、名前は?」

「ソニック。ソニック・アール・アカツキ。父さ――君は?」

「俺はアルウィス。あー、ややこしいけど身体の名前はアリシエ・アール。詳しいことは聞くな。とりあえずアルとでも呼んでくれ」

「……別人格」

「そう、それ。俺は別人格なんだ。って何でお前、それを知ってんの?」


 簡単な自己紹介をすれば、ソニックがアルウィスという存在がどのようなものなのかを把握する。だがその単語は普通、アルウィスの言葉を聞いただけでは出てこない。「アリシエ・アール」という人物について知らなければわからないはずの言葉。ボソッと呟かれたその言葉をアルウィスは聞き逃さなかった。


「オイラの父さん、さ。アル、そっくりなんだよね。父さんにも別人格があるんだ。身体の名前も、人格の名前も、見た目も、全部同じなんだよ。ねぇ、どうしてオイラのこと、助けてくれたの?」

「匂いに慣れてねーし、綺麗過ぎる見た目。どう見たって戦い慣れてねー奴だろ。それに、たとえ襲われてもお前程度なら反撃出来る。越えてきた修羅場の数が違うんだ。そう簡単に死にはしねーよ。で、お前、気がついたらここにいたってどういうことだ?」


 アルウィスが警戒を解いたのはあくまでもソニックが「戦場に慣れていなそう」だから。しかも、ソニックを住処につれて来てもまだ、襲われることを想定して物事を考えている。その警戒心はシャニマという悲惨な環境で生き延びるにあたって身についたものだろう。


 アルウィスの好意によって偶然助けられたソニックは、渡された食料を口元に近付ける。兵士が持ち歩く携帯食らしいそれはむせ返るような臭いがした。血の臭いと屍の臭いと土の臭いがこびり付いているのだ。しかし、洞穴の中にはこれしか食べるものがない。


 吐き気を堪えて、鼻をつまんで無理やり食料を口に入れる。お世辞にも美味しいとは言えない、食感も腹持ちも良いとは言えない食料だった。しかしそれでも何も無いよりは遥かに恵まれており、命を繋ぐために口にせずにはいられない。助けられた側であるソニックは、与えられた食糧に文句を言うつもりもなかった。






 貴重な食糧で僅かではあるが空腹を満たしたアルウィスとソニック。二人は、地面に敷いた葉っぱの上に並んで横たわっていた。ソニックには一人でシャニマの環境を生き延びるだけの力はない。そう判断したアルウィスが、共に行動することを推奨して洞穴に居座ることを認めたからである。


「オイラ、昨日までは家にいたんだ。父さんとか母さんに挨拶して、ベッドで横になって寝たんだよ。そして目が覚めたら……ここの地面に寝てた」

「何だそれ。よくわかんねーけど、有り得るのか? あれだ、あれ。ってやつだ」

?」

「それそれ。非現実的ってやつだな。信じられねーけど、お前の説明とお前の反応や見た目は合ってる。けど、問題はそこじゃねー。俺ですら信じられねー事をアリシエがわかるとは思えねーんだよな。俺もアリシエもこういう話をわかるほど頭良くもねーんだ」


 ソニックの言い分を聞いたアルウィスは頭を抱え始める。アルウィスは、自分が武芸に偏った知識しか知らないことも、頭の回転がお世辞にもいいとは言えないことも、正確に把握していた。だが、どうしたらアリシエがソニックのことを混乱せずに理解するのかだけはわからない。さらに、もう一つ不安なことがある。それが、アルウィスを悩ませる。


(変な奴、拾ったな。ただでさえ記憶が飛び飛びだってのに。アリシエは自分がどこの誰かもわからねーし。俺だって知らねーうちに移動したりしてる。やばい)


 この時のアルウィスは別人格が出てきてる影響なのか記憶が飛び飛びだった。気がついたら知らない所にいたり、時間が経過してるなんてことは日常茶飯事。知らないうちに大怪我を負っていることもある。記憶にない時にが身体を動かしているらしい、ということしかわからず対処に困っているのが現状であった。


 そして、そのの影響なのだろう。アリシエは今、自分が何者なのかも、どこにいるのかもわからない。自分というものを喪失そうしつしていて、まともな会話が成立しない状態である。このため、アルウィスが代わりに動かなければシャニマで生き残ることすら難しい。


 さらに、当時のアルウィスには人格に関する知識がそこまで無く、「空白の時間がある」程度の認識しかない。唯一会話の出来るアリシエと話そうにも、アリシエは酷い虚無感により何も出来ず、意思疎通が不可能な状態。ソニックを助けたのはいいが、いつ自分がどうなるかもわからない。それがアルウィスの置かれた現状であった。


「そ、そにー? いや、ソニック、だっけ。どこから来たんだ、お前?」

「ハベルトって国。正確には『ハベルト皇国』なんだけど。知ってる?」

「聞いたことはある。親父が昔いた国らしい。なんでも皇帝って奴の護衛をしてたとか。あかつき風牙ふうがってのと一緒に――」

「その暁だ! オイラのいた家、ハベルトって国の、暁って一族の屋敷なんだ。そこに行けば何かわかるかも!」


 アルウィスが前にアリシエから聞いた話をしてやれば、ソニックがそれを遮って話し出す。心なしか目も輝いているように見えた。表情の変化から、「暁風牙」についても知っていると考えられる。





 そもそもハベルトという国は、アルウィスからすればそれなりに馴染みのある地名である。アリシエの父親、シャーマンに関連した地名だからだ。シャニマの昔話に必ずと言っていいほど出てきた地名であり、わざわざハベルトからシャーマンに会うために人が来たこともある。


 ある時はハベルトの皇太子とその息子ダンが訪れた。ある時はシャーマンの安否を知るためにと風牙という武芸者が来て、アリシエを守って死んでいった。さらに、アリシエもアルウィスもシャーマン自身からよく言われていた。


「何かあったらハベルトに行け。お前の目を見てお前に手を差し伸べる奴がいるはずだ。主に、俺の昔の知り合い絡みだけどな」


 シャーマンの言葉は、どれほど記憶が曖昧になっても忘れなかった。その言葉に強い意思があるのか、他の人格もその言葉を意識していたのか、細かいことまではわからない。アルウィスにとっては「忘れていない」という事実が大事なのである。


(困ったらハベルトに行けと言われてた。そんでもって、このソニックって奴の故郷がハベルト。このままシャニマにいたって、今のままいつか死ぬ。親父が嘘をつくとも思えねーし、親父を信じて向かうか、ハベルトに。行き方、知らねーけど)


 少しの間過去の記憶を辿る。ソニックの濃い青色の目をじっと眺める。そして、ふと一つのことを思いつく。ソニックの髪色も目の色も自分とは違う。しかし、顔つきがどことなく自分の顔に似ている気がした。そこで閃いたのだ。


「お前、アリシエの『兄』として振舞ったら? どーせ自分のことわかんなくなってるし、嘘ついても気付かねーだろ。アリシエもハベルトに行きたがっていたしな」

「え?」

「だから、一緒にハベルトに行くか? って聞いてんだよ。どーせお前、一人じゃここで生きられねーだろうし。どうだ?」


 ソニックがアリシエの「兄」としてアリシエの前に現れたのは、アルウィスの思いつきによるもの。最初はあくまでも「ソニックのことをアリシエが警戒しないように」するためだった。見た目が似てるから、どうせ髪色や目の色なんて気にしないから。だから、「兄」と偽ってもアリシエにはわからないと考えたのだ。


 アルウィスもソニックも、この時は考えもしなかった。アリシエがソニックのことを本当の兄のように慕うなんて。ソニックの存在を疑いもせずに受け入れるなんて。二人とも、想像すらしなかったのだ。


 気がつけばアリシエがソニックを「兄」として疑わないまま月日が流れていく。いつしか「三人目」の人格はアルウィスに抑え込まれ、表に出なくなった。アリシエがようやく自我を取り戻し、奴隷船に乗ってハベルトにやってきて、運良く人に助けられた。そして、今に至る。

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