第十一章 雨降って地固まれば

11-1 違和感を知るために

 その日、暁家の屋敷では小さな騒ぎが起きていた。事が起きている場所はエントランス。騒動の原因はソニックとアリシエの二人。きっかけは些細なことだった。


「にぃに、行かないで!」

「大丈夫。ちゃんと帰ってくるから、それまで金牙きんがの言うこと聞いて待っててよ」

「嫌だ! にぃにがいないの嫌!」


 ソニックがしばらくの間屋敷から離れることになった。金牙に頼まれた任務のためである。帰ってくる時期は未定。任務の内容が内容であるため、無事に帰ってこられるかどうかも定かではない。アリシエはそれを、ソニックが出発する当日に知らされた。任務のことを知ったアリシエは、ソニックの腰にくっついたまま離れようとしない。


 ソニックの任務は「皇太子の屋敷に、新しい黒人武芸者として潜入すること」。屋敷に潜入した後は、身元が知られるのを防ぐために暁家と連絡を取らないことになっている。皇太子派の騒動が一段落するまで、暁家の屋敷には帰ってこられない。この任務に参加することを承諾したのはソニックの方だった。


 暁家に来て以来、ソニックはアリシエと違ってあまり目立った行動をしていない。黒髪と黒檀の肌は黒人の特徴そのもの。濃い青色の目を持つことだけが唯一の欠点であるが、目を見ただけでその血筋を知ることが出来るのは元々ハベルトに住んでいる者のみ。ソニックがこれから加わる黒人武芸者達では、目を見ただけではその血筋までわかることはないだろう。


 アリシエも神威かむいも、皇帝派に属する黒人として顔や名前が知られている。この二人は皇太子派の制圧に何度か参加しており、敵に顔を見られているからだ。しかしソニックにはそれがない。だからこそ、有色人種の武芸者を募集している皇太子派へ潜入させるには最適な人材なのである。


「アル、約束。オイラ、ちゃんと帰ってくるから。だからそれまで、我慢して?」

「嫌だ! 行かないで、にぃに!」

「オイラが行かないと、みんなが死ぬかもしれないんだよ? 金牙やダンや虹牙こうがが死ぬかもしれない。それは、嫌でしょ?」

「うう…………わかった」


 ソニックがアリシエを引き離すために持ち出したのは、アリシエにとって大切な人々の名前だった。彼らの死を引き換えに出されては、これ以上引き止めることなど出来ない。ソニックも大切だが、他の者も同等に大切だからだ。あからさまに悲しそうな顔をするアリシエのその金髪を、ソニックは優しく撫でてやる。


 アリシエとソニックは誰が見ても兄弟には見えない。にもかかわらずアリシエがソニックのことを「にぃに」と呼んで慕うのにはそれなりの理由がある。それを察しているから、金牙は黙って二人のことを見ていることしか出来ない。


(さて、アリシエの方もどうにかしないとな。ソニックから離れたがらないのはきっと、アルウィスが消えて心細いからだろうし)


 自らの使命を果たすために今出来ることは何か。金牙はその聡明な頭で未来を描き、その未来を実現するために必要なことを一つ一つ切り出してみる。そのためにまず初めにしたのは、アリシエとソニックの関係に対する違和感について考えることだった。





 違和感なら初めて見た時からあった。見た目も顔つきも言動も、何を取っても、二人は兄弟には見えなかったからだ。親が違うのは明らかであるし、育った環境すら異なる。それは、アリシエとソニックの二人に接すればすぐにわかることだった。


 アリシエは外巻きの明るい金髪、ソニックは癖のない黒い短髪。アリシエは「神の眼」と呼ばれる銀色の目、ソニックはハベルトの皇族の血を引く者と同じ濃い青色の目。身体的特徴が両親の違いを告げている。ソニックの親にはハベルトの上流階級、暁家やクライアス家のような皇族の血を引く者がいる。


 アリシエは島国シャニマの南部でよく使われるなまりで話していた。少し話すだけで言葉のアクセントの位置の違いがわかるほどに、はっきりと訛りがある。別人格であるアルウィスにも訛りはあった。だがソニックは違う。金牙達上流階級が使うような綺麗な標準語を使うのである。


 アリシエとソニックの生まれ育った場所が違うのは誰の目にも明らかだ。だがもし本当にそうならば、おかしいことが一つ。アリシエがソニックのことを「にぃに」と呼び、実の兄のように慕う。その事実は、わかる者が見れば違和感しか感じない。


 アリシエとソニックが屋敷に来てから四ヶ月が経つ。奴隷業者から買い取るのではなく、脱走した二人を助ける形で雇い入れた。賃金も白人の基本給と同等に払い、きちんと人として扱う様にしていた。そんな二人の違和感に気づいたのは初めて会った時からである。だが敢えて、金牙の方からアリシエとソニックの違和感について触れたことはなかった。


 遺伝的に考えても、明らかに二人の両親は異なる。ソニックの武芸が平凡であることから、ソニックはアリシエが経験したであろうシャニマでの戦争を経験していないと考えられる。何より金牙の頭を離れないのは、過去にソニックがした質問だった。


「ねぇ、金牙。金牙はタイムワープって信じる?」

「『対象物が時間を越えて過去や未来へ移動するというやつ』か。それがどうかしたのか?」

「ううん、なんでもないよ。あのさ、相談というか提案があるんだ。オイラを皇太子派の戦闘員として潜入させてよ。黒人なら、あっちも欲しがってるでしょ?」


 いつだっただろうか。夜に金牙の書斎を訪ねてきたソニックが妙なことを聞いてきた。その後で言葉を濁すかのように、金牙がフィールから話を聞くまで知らなかった情報を告げた。皇太子派の戦闘員事情を、ハベルトに来たばかりの者が知るはずがないというのに。


 今思えば妙なのである。なぜ、暁家にずっといたはずのソニックが知るはずのないことを知っていたのだろう。なぜソニックは同じ黒人だというのに、アリシエとこうも違うのだろう。そしてなぜ、今になるまでその違和感に目を向けなかったのだろう。金牙は冷静に、状況を分析し始める。





 金牙がようやくソニックとアリシエの違和感に目を向けたのは、ソニックが任務に向かう日の朝のこと。ソニックが屋敷を出発した直後に、金牙はアリシエを食堂に呼び、二人で話す機会を設けることにした。


「アル、一つ聞いてもいいか?」

「いいよ。何?」

「お前がソニックと会ったのはいつだ?」


 使用人が運んできた軽食とお茶をお供に、アリシエと金牙はテーブルを挟んで向かい合う。金牙の言葉に、アリシエは手に持っていたクッキーをポロッと落とした。クッキーが床に落ちて砕ける。その仕草がアリシエの動揺を示していた。


「い……つ? に、にぃには気がついたらそばにいたよ。にぃにはにぃにだもん!」

「言い方を変えよう。一緒に行動するようになったのはいつ頃からだ?」

「えっ……と。えー、たしか――たしか……いつ、なんだろ」


 アリシエの銀色の双眸そうぼうが怯えたように、困ったように、金牙のことを見つめる。その姿はさながら、飼い主に捨てられた子犬の様。金属光沢を放つどんぐり眼は、よほど混乱しているのか眼球が不規則に動いている。金牙は身体の芯の方が冷えていくのを感じた。


(人格というのは主人格から欠落した記憶が独立して出来る、だったよな。もしかして、ソニックと会った時の記憶がないのか? 僕は、アルの地雷を踏んだのか?)


 必死に思い出そうとしているのだろう。アリシエは頭を抱えて「あー」「うー」と妙な声を出して体を前後に揺らしている。次第にそれは悪化していき、テーブルに頭を打ち付けるようになった。


 慌てて金牙がアリシエの身体を止めようとするも、力の差があり過ぎる。金牙がその体を抑えこんでも、アリシエは金牙の腕を振り切って動いてしまう。しかし、金牙がどうすべきか迷っていると、突然アリシエの動きがピタリと止まった。何事かと心配した金牙がアリシエの顔を覗き込むと、すぐに事情を把握する。


 鋭い目つきに切れ長の目。銀色の目はアリシエのような優しい眼差しではなく、刃のように鋭く冷たい眼差しを放っていた。何よりその顔から、アリシエの代名詞とも言える笑顔がのが証拠だ。


「……俺、怪我、してたよな。皇帝様は? 神威は? 何が起きてる? 俺は一体――」

「落ち着け。アルウィス、の方だな。お前が出てこなくなってから二ヶ月が経過している。事情は後で話すから何が起きてるか説明しろ」


 金牙の言葉に何となく事情を察したのだろう。アルウィスはひとまず席につくと、気持ちを落ち着かせるために深呼吸を始めるのであった。





 アルウィスはアリシエと違って人を警戒し、状況を考えて動く人格だ。記憶が途切れていることと、目覚めた時の周囲の環境の変化から何が起きていたのかを瞬時に理解し、正しく行動が出来る。現に今、真っ先にしたのは状況の確認だった。このような違いも、アルウィスとアリシエが異なる人格であることを浮き彫りにする。


「その話が本当なら、俺は二ヶ月も眠ってたわけか。で、ここ二週間はアリシエが出ていたと。俺が覚えてんのは、狂った人格を抑えようとしたことだけだ。こうして出てこれた理由も、俺達に何が起きてるかもわからねー。まぁ、一つだけ言えんのは、アリシエが自分を受け入れようとしてるってこと、だな」

「受け入れる? 全く話が見えんな。どういうことだ?」

「人格ってのは多分、意味がある。俺はアリシエの苦しみを分け合うために生まれた。狂った人格は……故郷での酷い戦いに巻き込まれた時に生まれたんだ。なんで俺以外に人格が出来る必要があると思う? アリシエが耐えられなかったからだ。まぁ、そういう俺も記憶がかなり飛んでるけどな」


 アルウィスはそこまで言うとテーブルに置かれたティーカップを左手で持ち上げて中身を飲み干す。中に入っていたのは甘いミルクティーで、アルウィスはすぐに嫌そうに顔を歪ませる。口直しにと手にしたクッキーを食べ、さらに顔を歪ませた。


 人格は個性も好みも何もかもが違う。アリシエは甘いものが好きで右利き。だがアルウィスは辛いものが好きで左利き。こうした些細な仕草からも、今出ている人格がアルウィスなのだとわかる。


「で、今度は俺の番だ。今、何があった?」

「アリシエにソニックとの出会いを聞いたんだ。覚えてないらしく、思い出そうと呻き始めてな。どうにかアリシエを止めようとしたらお前が出てきた、という訳だ」

「そりゃそうだろ。ソニックと初めて会ったのは俺だからな。あの時は記憶がぐちゃぐちゃだったし。人格がすぐに入れ替わるから、気がついたら怪我をして知らねー所にいるなんてよくあったんだ。今は当時より少し、記憶がマシにはなったけどな」


 アルウィスの言葉に金牙が眉をひそめる。ここまでのアルウィスの話を聞くに、アルウィスは人格がどうして出来るのかを知っているように思えた。少なくとも人格と記憶の関係を知っているのは間違いないだろう。


「お前の記憶が鮮明になったのと、アリシエのことは関係あるのか?」

「あるんじゃねーの? 俺もアリシエも、消えてた記憶の一部が戻り始めてる。つまり、もう一つの人格が消え始めてるってことだろ? 俺の知る限りでいいなら昔話を聞くか? 少なくとも、話していいと思ってるし。が、話を聞きたいなら甘くねー飲み物をくれ」


 アルウィスの話を受け、金牙が最初にしたのは思考ではなく使用人に新しい紅茶を頼むことだった。アリシエ用に作った紅茶を捨てるのは勿体ないので、金牙が飲み干す。さらに、甘くない軽食としてジャーキーを持って来るように指示した。


(『今は』ということは、今までは警戒してたってことか。アルウィスの方は、警戒心がかなり強い。とりあえず、ソニックとの関係について聞けるだけ良しとしよう)


 アルウィスの昔話を聞く。それを決断することにはさほど時間はかからなかった。金牙が気になるのは、アルウィスが今までソニックとの関係を知っていて話さなかったこと。アルウィスの心境の変化に疑問を感じながらも、金牙はその昔話に耳を傾け始めた。

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