10-3 見え隠れする狂気

 皇太子の屋敷に侵入したアリシエと海亞かいあは現在、皇太子の寝室にいた。強烈な睡魔に襲われている皇太子に、粉薬を溶かした水を飲ませている。皇太子が目覚めぬようにと少しずつ液体を口に入れ、飲み込ませていた。



 皇太子に薬を溶かした水を飲ませること二時間余り。ようやく吸いのみに入っていた水が無くなった。溶かした薬が全て、皇太子の体内に入った。ここまではいい。本当に難しいのはここからである。


 海亞は吸いのみを元の位置に戻す。短く息を吐くとすぐにアリシエの方を見た。かと思えばその濃い青色の目は寝室のありとあらゆる所を確認し始める。隠れられる場所を探しているのだ。場所に目星をつけると、口を開いた。


「アル。あなたはさっきの道を通って外へ。そして作戦通りに事を起こして逃げなさい。ここからはその刀を使って大丈夫ですわ。私は屋敷内に隠れて任務を全うします」


 海亞の目はどこか寂しそうにアリシエを見つめる。それは、この先に起こるであろうことを知っているから。危険な目に遭うことを前提に今回の任務が仕組まれていると、察していたから。そうでなければ、わざわざ危険を冒してまでアリシエに仕事を頼みなどしない。


金牙きんがは、強そうに見えて弱いです。元々身体が弱いですし、銀牙ぎんががこちらにいる今、あの子の心を支える人もいない。……金牙のこと、お願いしますわ」

「僕?」

「ええ。近いうちに金牙が悲しむ出来事が起こるかもしれません。どうかその時は、あなたの笑顔であの子を支えてやって下さい。ほら、早く行きなさい。私も行きますから。金牙への任務報告、お願いしますわね」


 アリシエは海亞の言葉に小さく頷くと、先程自分が通ってきた床下の隠し扉を開ける。床板を動かし、地下に続く梯子を掴んだ。アリシエが床下に消えるのを確認してから、海亞が動き始める。





 隠し通路は銀牙のいた空間以外は明かりがない。行きは海亞の所持していた明かりを使ったが、帰りはそれすらもない。道なりに進めば出られるため、アリシエは壁に触れながら出口まで急いだ。銀牙の閉じ込められている檻の前を通り、狭くて暗い通路を歩き、壁に隠されていた扉を開けて外に出る。アリシエの任務はここからが本番だ。


 屋敷の裏側に出るとまず、大きく深呼吸を一つ。そして腰に装備している刀の柄に手を伸ばした。両腕にアサシンブレードがあることも確認。戦う覚悟を決めると、屋敷の裏側から正門まで一気に駆け抜けた。


 アリシエがこれから行う仕事は単純だが彼にしかこなせない。門番を殺し、騒ぎを起こして屋敷の入口へと警備の目を引きつける。そして捕まらずに敵を殺し、そのままフィールの屋敷まで逃げるのだ。その際、わざと数名を生かさなければならない。


 騒ぎを起こす目的がある。その目的のために、戦う時は増援を呼ぶための時間を用意してあげなければならない。手加減して戦うこと、囲まれても切り抜けられるだけの戦闘能力。それらを考慮すると、適任者はアリシエしかいない。


 屋敷の敷地は高い壁に囲まれている。出口は正門だけ。侵入の際には、壁の上に取り付けられた侵入防止用の棘を斬った。だが、今回は壁から逃げてはならない。侵入したと相手に知らせ、騒ぎを起こさなければならないからである。アリシエは金牙に指示をされただけでその真意を知らない。これから待ち受けるであろう戦いに、思わず笑みがこぼれる。


 屋敷の敷地内を、正門に向かって全速力で走るアリシエ。その物音に、屋敷の近辺を巡回していた武芸者数名が反応する。アリシエはそれに気付いた上で無視をした。武芸者達に追われたまま正門を飛び越え、刀の鯉口を切る。かと思えば門番に気付かれるより早く鞘を引き、その首を胴体から斬り離した。その後、追手に応じるべく門を飛び越えて敷地内に戻る。


 アリシエの抜刀に気付いた敵の一人が増援を呼ぶために屋敷へと向かっていた。他の三名は、支給品と思われる全く同じデザインの剣を構える。刀を握ったままのアリシエは、そんな光景にペロリと舌を出してみた。唇をそっと濡らすその仕草が、敵の一人を刺激する。


 一人の武芸者が他の二人に先駆けてアリシエに突進してくる。その剣がアリシエの鎖骨目掛けて雑に振り下ろされた。しかしアリシエは腕の動きで攻撃を読むと右腕に隠していた短剣を素早く抜く。そしてそのアサシンブレードで敵の刃を受け止めた。さらに攻撃を止めた時の隙を突いて、敵の腹部を右手に持っていた刀で裂く。


「刃を向けたなら、殺していいよね?」


 獲物を見つけた狼のように、銀色の目が暗闇の中で輝いて見えた。





 アリシエはアサシンブレードをしまうと、刀に仕込んであったひょうを敵二人に目掛けて投げた。それは敵を怯ませるためであり、動きを牽制しつつ隙を作らせるための攻撃。アリシエの狙い通り、二人の敵は飛んできた鏢に驚いて動きを止めてしまう。


 動きを止めた瞬間が狙い目だ。アリシエは鏢を投げ終えると同時に、すでに動き出していた。胸の前で両腕を交差させ、敵目掛けて突進。二人の敵が攻撃範囲に入ったのを目で確認すると、両腕を器用に動かしていく。


 右足を踏み込むと同時に左腕を動かし、刀を握る右腕を内側から強く押す。踏み込む力を利用して腰と上半身を回転。その遠心力を利用して右腕を振りつつ、その右腕を左腕で外側に弾いた。体術の身体操作を応用した、ハベルトではあまり見かけない部類の刀術である。


 大きく横に凪いだ刀が武芸者二人の胸部を裂く。だがその攻撃は致命傷を与えるには浅すぎた。その刃は衣服ごと胸部の皮膚を切り裂き、花びらのような鮮血を舞い散らす。アリシエの攻撃はこれだけでは終わらない。凪いだばかりの刀を手元で半回転させ、刃を自分の左側に向ける。その状態で右腕を器用に操り、刃で武芸者二人の目を狙う。


 しかしその攻撃は放たれずに終わった。アリシエが刀を振るうことより後退することを優先したからだ。後退すると同時に、先程までアリシエの胴体があった場所目掛けて刃が突かれる。槍の使い手が増援にやってきたのである。増援に気付いてなのか、アリシエと戦っていた二人の武芸者が屋敷へと逃げていく。


「あれ? 一人だけ?」


 槍の使い手がやってきたのはいい。戦っていた二人の武芸者が屋敷に逃げたのも問題ない。アリシエが驚いたのは、増援として現れたのが槍の使い手ということに、だった。侵入者にたった一人しか人員を割かないのは、警備が厳重な皇太子の屋敷にしては異常である。


 アリシエの言葉に槍使いが応じることは無い。言葉を返す代わりに、手元に引き寄せた槍を突く。アリシエが刀身を利用してその軌道を変えれば、また槍を手元に引き寄せて突いてくる。槍の素早い連続した突きに、アリシエは刀身を使って防戦することしか出来ない。


 アリシエの行う防御は、刀身を使って穂先を弾くというひどく雑なものであった。可能なら刀身で攻撃の軌道をを変えながら前進したいところである。しかし、槍使いの突きが予想以上に素早いため、なかなか活路を見出すことが出来ない。それどころか、攻撃を防ぐことに限界が近付いている。


 刀身で攻撃を受け続けるということは、斬り結びを繰り返すことと同義。防戦を続けることでアリシエの刀は刃こぼれを起こし、斬れ味が落ち始めている。さらに、槍の突きを右手だけで受け止めていたため、右腕が痺れ始めていた。利き腕に異変が生じれば、自ずと体捌たいさばきにも影響が出てくる。


 ついにアリシエは右腕の痺れから刀の操作を誤った。受け損なった槍の軌道を逸らしきれない。中途半端に軌道を逸らされた槍の穂先が、アリシエの左二の腕を抉った。穂先に抉られた小さな肉塊が地面に落ち、傷口からは血が流れ出す。その攻撃に誰よりも驚いたのは、アリシエだった。





 たった一撃だった。二の腕の肉が僅かに穂先によって抉られ、生温かい血液が左腕を伝って地面へと零れ落ちる。傷を負ったことをきっかけに、アリシエの目の色が変わる。その口からは小さな呻き声が洩れる。それが始まりだった。


 それまで刀身で受け止めていた突きを、今度は右の脇で挟んで止める。怪我を負った左手はその柄の部分をしっかりと掴んでいる。槍の柄を両手で固定されてしまっては、相手も槍を動かせない。それが狙いでもあった。


 先程までそれをしなかったのは、失敗した時のリスクが大きいためである。アリシエは槍の柄を挟んだまま一気に前進し、敵との間合いを詰めようとする。だが、アリシエの狙いに気付いた敵は槍を捨て、予備にと身につけていた短剣を右手に構えた。敵が槍から手を離した瞬間に、アリシエに大きな隙が出来てしまった。


 持ち手を失った槍が地面に落ちる。その重みを支えることが出来ず、アリシエは槍を掴むことを諦めた。槍を掴むのをやめたアリシエに向かって、短剣を構えた敵が迫る。短剣を振り下ろそうとする槍使いの左手は、アリシエが掴むのをやめた槍の柄を取ろうとしている。その時、事が起きた。


「これ、危険。ダメ」


 アリシエの言葉が事の発端だった。槍使いの短剣を刃こぼれを起こした刀身で受け止める。槍を奪われないようにと左足で槍の柄を踏みつけた。足場が不安定な左足を軸にして、槍使いの左肘を右足で蹴りつける。その刹那、ボキッと大木が折れるような低い音が鳴った。


 アリシエの蹴りによって槍使いの左手が妙な方向に曲がっている。前腕が、本来なら曲がらないはずの外側に向かって曲がっているのである。一目見ればそれが骨折であるとわかる。激痛に槍使いがその場に座り込んでしまう。だがそんなこと、アリシエには関係ない。


 アリシエの攻撃は止まらなかった。相手を戦闘不能にしただけでは物足りないのである。だから、左肘の激痛で涙目になっている槍使いに対する攻撃を緩めない。座り込んでいた槍使いの口に刀を入れた。そして、口腔内から頚椎目掛けて刀を斜め下に突き刺す。


 刀を引き抜くことはしない。肉が絡みついた刃は抜くのに手間取るからだ。その代わりにもう一本、刀を取り出した。槍使いの体を右足で蹴飛ばして仰向けに寝かせる。アリシエはその状態で刀を使って胸部を切開。骨を外に露出させると、肋骨の隙間から刃を入れて心臓を斬る。


(この人だけ? さっき、呼びに言ってたよね。もっと戦えると思ったのになぁ。騒ぎ、起こせてないや。もしかして海亞、見つかったとか?)


 アリシエの目的は目撃者を残しつつ派手に戦い、騒動を起こすことである。そのため、夜間とはいえ多くの敵と戦うことを想定していた。しかし実際にアリシエが交戦したのは約五名。皇太子の屋敷を警備する人数にしてはやけに少ない。





 皇族を守るのであれば、普通は夜間であっても多くの人を警備させるだろう。暁家と違って戦力に限りがあるわけではない。ならば、主の命を守るのに戦力を惜しむはずがないのである。アリシエの戦った時の手応えが、先程の敵が黒人でないと告げている。


 皇太子が集めている黒人武芸者にしては瞬発力が無かった。さらに、暗闇の中でもその肌の色が目立っていた。暗闇に紛れるための措置をしていなかったのも妙な点の一つだ。それらの事実は、黒人武芸者を多く雇っているという情報と矛盾していた。


(いつもだったらこういう時、アルウィスが話を聞いてくれるんだけどな。とにかく、僕には考えてもわからないから、金牙に報告するしかないよね)


 アリシエが目覚めてから一週間が経った今も、アルウィスは出てこない。どんなに呼びかけても返事はなく、アルウィスから話しかけてくることもない。一つの人格しか存在しないのは一般の人にとってはごく当たり前のこと。しかし別人格と共に過ごしてきたアリシエにとっては、それは妙なことであり不安の種でしかない。


 孤独なアリシエに、敵の数が少ない理由を推測することは出来なかった。この手の異変から仮説を立てるのは金牙の仕事。敵がいなくなってしまった今、アリシエにはフィールの屋敷に寄ってから暁家の屋敷に帰ることしか出来ない。これは任務を告げられた際から決められていた逃走手順でもある。


 アリシエの周りには死体が三つ、転がっている。皇太子の屋敷を警備する者の殺害。これだけでも充分に、任務の目的を達成することは出来る。にも関わらず、アリシエは満足が出来なかった。その顔に無邪気な笑みが浮かぶ。


 何を思ったのか、刀を使って死体の首を切断し始めた。門番の死体だけはすでに首をはねてあったため、飛んでいった生首を探すことになってしまった。無論、首を切断する必要も、はねた生首を探す必要もない。これは任務ではなくアリシエ個人の意志によるものである。


 首の切断を終えると今度は四肢を胴体から切り離していく。三人分の四肢を切断すると、今度は腹部の皮膚を裂いて腸や肝臓といった内臓を取り出し始める。細長い小腸と大腸は繋げたまま取り出し、紐状になるように丁寧に広げて地面に置いた。腸だけで七メートル近くの長さになるため、胃や結腸は切除してある。


 アリシエは切断した三人分の生首を、屋敷を囲う壁の上、鉄の棘に刺した。その際、槍使いの口に刺したままだった刀を引き抜く。三人分の四肢は生首の左右の鉄の棘に刺した。そこまですると、四肢と首のなくなった胴体を正門近くに運ぶ。


 屋敷の正門は鉄格子で出来ていた。門の中央には錠がついており、錠を外すと開門出来るようになっている。アリシエはそんな門の鉄格子に、先程取り出した腸を絡みつける。そして腸を使って胴体を門の鉄格子に固定し始めた。何が楽しいのか、作業の間は鼻歌を奏でている。



 幸か不幸か、一連の異様な光景を目撃していた者は誰もいなかった。アリシエは切り刻んだ死体を門や壁に配置するとようやく満足する。血の匂いの染み込んだ刀をしまい、再び門を飛び越えて屋敷を離れていく。夜の闇の中、濃い血の匂いたけが不自然に残っていた。

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