10-2 予期せぬ再会

 空洞の中には狭い通路があった。その幅は 、人が両手を広げれば難なく両側の壁に手がつくほど。天井も、手を頭上に伸ばせば難なく届いてしまう。壁に触れればひんやりとしつつも硬い感触が伝わってくる。夜目がきくようになった今だからこそ通路の中をある程度把握することが出来るが、そうでなければ二人は混乱していただろう。


 通路の中に明かりらしきものはない。それを知った海亞かいあは、首に巻き付けていた風呂敷を外す。そして風呂敷の中から龕灯がんどうを取り出した。中の燭台しょくだいにはすでに太いロウソクがセットされていた。さらに、海亞は装束の胸元のポケットから打竹うちたけを取り出し、中に入れていた火種を使ってロウソクに火をつけた。


 火の灯ったロウソクを入れた龕灯が二人の進行方向を照らす。二人の入った空洞から先は一本道が続いているらしく、壁に沿って進めば問題ないだろう。龕灯で足場や通路を照らしながら、アリシエと海亞は一歩ずつ先へと進んでいく。



 どれほど進んだのだろう。狭かった隠し通路を進んでいくと、個室を思わせる広さを持った空間へと出た。道の幅は広がり、天井が高くなっている。天井についていた弱々しいオレンジ色の明かりが、その空間を優しく照らしていた。


 そこは部屋と呼ぶには物が少ない。この空間にあるのはただ一つ。壁に埋め込まれるような形で存在する小さな檻だけ。檻の他には、何一つ物の置かれていない、ただの床が広がっている。そんな空間にある檻からは、人のいる気配がした。


 オレンジ色の光に照らされ、薄らではあるがその姿を確認することが出来る。檻の中にいるその人物は、侵入者の存在に気付いて目を開けた。かと思えば四つん這いになり、ゆっくりと鉄格子の近くへと動き始める。鉄格子越しに血の匂いがするのは気のせいではない。殴られでもしたのだろう。遠目からでも違和感を感じる程に顔が腫れている。


「彼が、協力者です」


 ここまで来てようやく海亞が言葉を発した。通路に入って初めて海亞が紡いだ言葉である。海亞の言葉を聞くと同時に、アリシエが口元を手で覆う。檻の中にいる人物の顔をはっきりと見てしまったから。


 変色し、遠目からわかるほどに変形した顔。しかしアリシエはその顔には見覚えがあった。柔らかなオレンジ色の光に照らされたその濃い青色の瞳は、金牙やソニックの瞳と同じ色。銀髪は乱れていた。海亞に比べて黄色っぽい肌と、特徴的な目の色が、その人物の正体を示している。


「ぎぎっ、ぎん、が。銀牙ぎんがが、どうして、そこに……」


 アリシエが驚くのも無理はない。銀牙に会うこと自体は三日ぶりである。しかしその数日の間に、銀牙の姿は変わり果てていた。ひどい怪我で立つことすら出来ない。鉄格子から外へと伸びた腕は火傷の痕が酷く、その指先には爪がなかった。そして、銀牙のいる檻の中には乾いた血と鮮血が入り交じっている。


 銀牙は鉄格子の前に現れた二人組の正体を知ろうと、必死に目を凝らしていた。だが、アリシエらしき人物に気付いて思わず息を止める。驚きの余り、鉄格子の隙間に顔を近付けてその姿を確認してみる。殴打によって目の近辺が紫色に腫れ、その影響で視野が狭まっていた。そのため、可能な限り顔を近付けなければ人の見分けがつかないのである。





 銀牙はアリシエと海亞の姿を確認すると、安心したのか小さくため息を吐く。口を開いて声を出そうとするが、口から出てくるのは荒い呼気ばかり。かわりに、鉄格子から檻の外へと伸ばした手で海亞の身体を何度か弱々しく叩く。それが、銀牙に出来る精一杯の行動だった。


 よく見ると、その手には小さな白い紙で包まれた何かが握られている。それは、中身がこぼれないように折りたたまれた薬包紙。海亞はそれに気付き、受け取ると装束のポケットへとしまう。薬包紙を渡すと安心したのか、銀牙の身体が床に崩れ落ちた。


「銀牙、これ、どういうこと? 何でここにいるの? 一緒に屋敷に――」

「私が、ここに、いるのは……金牙きんが様の、指示、です。だから、帰りません」

「でも、その怪我じゃ――」

「慣れて、います。殺される、ことは、あり、ません。どうか、貴方は、自分の、任務を……」


 混乱するアリシエ相手に、銀牙は多くを語らない。「金牙の指示」と言われてしまえば、本人に拒絶されてしまえば、アリシエには成す術はない。銀牙の言うことにも一理ある。アリシエが優先すべきなのは銀牙への対応ではなく、自らの任務の遂行である。


「この先の、梯子はしごを、登れば……目的の、部屋、です。くれぐれも、気をつけて」

「あなたこそ、まずは生きて戻ってきなさい。いいですわね?」


 銀牙が掠れた声で隠し通路の先に何があるかを伝えてくる。返す言葉を失ったアリシエに代わり海亞が返事をして、動き始めた。海亞はアリシエの手を掴むと、梯子があるであろう方向へと早足で進む。後ろにいるであろう銀牙の方を振り返りはしない。


 銀牙がゆっくりと動いて元の位置に戻ろうとしているのが遠目に確認出来る。本当は銀牙の元に駆け寄りたい。だがアリシエが動くより先に、海亞がその手を強く掴んで引き止めた。


 時間が限られている。夜が明ける前に、皇太子が目覚める前に、二人は任務を終わらせなければならない。さらにその後、海亞は屋敷内に隠れ、アリシエは屋敷から逃げなければならなかった。外が明るくなり始めれば、逃げる時に見つかってしまう。


 銀牙に構う時間はない。下手に銀牙を助けようとすれば人に見つかるだろう。銀牙がいないと気付かれた時に何が起きるかも予想出来ない。口には出さないが、海亞の言いたいことくらいはアリシエにも理解出来る。だから、銀牙の元へ駆け寄りたい気持ちを必死に抑えて海亞の後を付いていくことにした。


 この隠し通路を進んだ先にあるのは皇太子の寝室。そこでは皇太子が静かに寝ているとされている。隠し通路に通じていない方の出入口に護衛を立たせて、寝ているはずだ。この隠し通路は皇太子がいざという時に使うためのもので、存在を知る部下はかなり限られている。



 銀牙のいた空間から五分ほど歩くと、狭い隠し通路が行き止まりにたどり着いた。代わりに、前方に手を伸ばせば梯子らしきものに触れることが出来る。明るかったのは通路の途中にある銀牙のいた空間だけで、他の部分に明かりはない。そのため、海亞の持つ龕灯を頼りに道なりに歩いてここまでたどり着いた。目の前にある梯子を登れば、目的地である皇太子の寝室に辿り着く。


「梯子を登りますわ。着いて来て」


 海亞が小さな声で告げると、その直後に金属の棒に足を乗せる音がした。梯子を登る規則的な金属音が通路に響く。アリシエもそれに続こうとしたが、梯子に片足をかけたところで銀牙のことが頭に過ぎる。先程見た銀牙の様子が衝撃的で、どんなに忘れようとしても忘れられない。


「アル、急いでください。時間は限られてます」


 銀牙の姿を思い出して梯子を登るのを躊躇ったその時だった。既に梯子を登りきった海亞が頭上から呼びかける。アリシエは首を左右に振り、銀牙の存在を心の隅に追いやる。そして軽く頬を叩いてから、急いで梯子を登り始めるのだった。





 ギイと微かな音を立てて頭上にある木の板を押し上げる。そうすれば、梯子の先に広がる皇太子の寝室に出る。そこはベッドや私物の置かれたプライベートルームで、他に人の姿は見えない。隠し通路からの侵入を想定していないからだろう。


 皇太子らしき人物は寝室のベッドの上で気持ちよさそうに眠っていた。皇太子は、白人特有の白い肌をしていた。その肌は、日に焼けて少し赤みを帯びている。彼が寝ているベッドの近くには小さな机があり、その上には透明な吸いのみが置かれている。


 この場でアリシエがやるべき事はたったの二つ。こちらは、屋敷の敷地内に侵入する前に、海亞から指示されていた。一つ目は皇太子が暴れないように、寝室に侵入したら皇太子の身体を掴んでいること。二つ目は何を見ても金牙には黙っていること。


 海亞が、アリシエの方を見てコクンと小さく頷いた。海亞は吸いのみに薬包紙に包まれていた粉薬を入れる。白い粉末と水が混じり合い、すぐに透明な液体へと変化する。


 薬を溶かした液体の入った吸いのみ。それを手にした海亞は深呼吸をしてからゴクリとつばを飲む。皇太子に薬を盛るという行為に、意識しても手が震えた。今回の目的は殺すことではなく薬をそれと知られずに飲ませること。だからこそ、得体の知れない薬を飲ませることに抵抗を感じてしまう。


 当然、普通に考えれば皇太子ともあろう人が不審者から貰った飲み物を素直に飲むはずがない。だからこそ、寝ている時に半ば無理やり飲ませることとなった。どうしても飲みたがらない場合は注射で薬を投与することになっている。


 アリシエはいつでも皇太子を止められるようにとベッドの近くで身構えていた。すぐにその身体を押さえ込んでは皇太子が目覚める可能性がある。皇太子に身元を知られないようにするため、夢現で薬を飲ませなければならない。


 海亞が吸いのみを手にすると忍び足で皇太子に近寄る。そのまま、寝ている皇太子の口に吸いのみの飲み口を近付けていく。アリシエと海亞の目が宙で交わった。アリシエが力加減に気をつけて皇太子の身体を上から抑え、優しく上体を起こしてやる。


 皇太子は薄目を開けると、ぼんやりとした表情で吸いのみの液体を飲んだ。寝ぼけているのだろうか。飲み口を口に含んだままうつらうつらとしている。よほど眠いのか、アリシエと海亞の存在に気付く様子はない。


(さすがフィール。本当に、皇太子に睡眠薬を飲ませたのですね)


 皇太子が深い眠りに入っていることに驚きを隠せない海亞。目の前で起きている光景を見て、事前に誰が何をしたのかをすぐに察した。しかし、のんびりと驚きに浸っている時間はない。吸いのみの中身を、寝ぼけている皇太子に飲ませなければならないからだ。


 海亞が吸いのみを傾けて少し液体を口の中に流せば、皇太子は疑問を抱かずにその液体を飲む。当の本人が目覚める気配はない。それをわかっていたのか、海亞は慣れた手つきで皇太子の頭を支え、少しずつ少しずつ液体を飲ませていく。

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