第六章 玉磨かざれば宝器とならず

6-1 金牙大好きキチガイ野郎

 ぽつりぽつりと雨が降る。乾いた土が雨で潤っていく。窓から外を見ても、空は灰色の雲に覆われていた。おそらく今日一日、晴れることはないだろう。見ているだけで憂鬱になりそうな、重苦しい天気の日のことだった。


 こんな日にエントランスに待機する人影が二つ。一人は肩下まである黒髪をうなじで束ねた女性、虹牙こうが。もう一人は外巻きの金髪をした黒人、アリシエ。どちらも人を出迎えるためにエントランスで待機している。


 アリシエは奇襲に備えるためにエントランスにいた。いつでもアルウィスと交代できるように、そして戦えるように。心の準備は既に出来ている。そんなアリシエに、虹牙は来客者の特徴を教え込んでいる。今日は来客の予定があり、アリシエに間違って襲われては困るからだ。


「クライアス家の当主とその従者?」

「そうだ。当主はフィール、従者は神威かむい、という名前らしい。特徴は――」

「僕、神威なら知ってるよ! この前、リアンのところに行った時に会ったんだ」

「そうか。なら、話は早い。その神威と一緒に来る人物は襲ってはいけない。いいね?」


 アリシエは虹牙の言葉に「うん!」と元気よく言葉を返す。神威は先日、アリシエと共に「元戦闘貴族の始末」に参加した黒人武芸者だ。見た目こそ子供ではあるが、僅かな時間で武芸者二人を戦闘不能にした強者である。また、アリシエの右膝の手当を施した人物でもあった。


(神威、クライアス家の従者、なんだ)


 神威と自己紹介で挨拶したのはアルウィスの方である。アリシエは見た目と名前しか伝えられておらず、会った時も「クライアス家の従者」という説明はされなかった。このような理由から、アリシエは神威の見た目と名前こそ把握しているが、その他の特徴は把握していない。


 クライアス家が戦闘貴族の一つであることは僅かに覚えている。その当主の従者として共に屋敷を訪れるということは、神威の当主からの信頼が非常に厚いものであることを示唆している。さらに、差別階級である黒人を連れ歩くことは「差別反対」を公言していることと同じ。クライアス家当主、フィールはそれが出来るほどの度胸の持ち主であるとも言えた。


 暁家当主、金牙きんがはすでに会議室と呼ばれる部屋で来客を待っている。金牙の側にいるはずの銀牙ぎんがは、もう一週間以上も屋敷に帰ってきていない。金牙が言うには「重要な任務中」だそうだが、その真相は誰にもわからない状況である。ソニックはダンと共に訓練所に待機し、敵襲に備えていた。


 ダンを守るのは本来ならアルウィスが引き受けるはずだった。しかし、来客がアリシエとアルウィスを見たいと言うことで急遽きゅうきょソニックに任せることとなってしまった。その事がよほど気に食わなかったのだろう。アルウィスは今、アリシエに文句を言うことで不満を解消している。


『ソニックに皇帝様守れんのかよ。俺がいた方が……』

『にぃにだって強いよ! それにダン様は皇帝じゃなくて皇帝様の息子でしょ?』

『俺より弱いのは事実だろ? 神威が敵だったら完全にアウトだぜ。それに、俺の皇帝様呼びは皇帝様公認なんだっつーの』


 アルウィスが気にするのはダンのことばかり。護衛としては正しいのかもしれないが、ダンに執着し過ぎているようにすら感じられる。ダンを守るのはアルウィスの専売特許ではないというのに、アルウィスはそこを譲ろうとしない。


 アリシエがアルウィスの言葉に、声を出さずに反論していた時だった。リアンが来た時には鳴らなかったインターホンの音が聞こえてくる。それと同時に屋敷の扉が開いた。虹牙が出迎えようと移動するより早く、がアリシエに向かって一直線に突っ込んでくる。





 アリシエは咄嗟とっさに刀の鞘でその何かを受け止めた。かと思えば瞬時に大きく後退して間合いを広げる。その上で、刀を構えたまま突っ込んできたものの正体を確認。その一連の動作が滑らかなことから、この手の戦いに慣れていることがうかがえる。


 扉が開くと同時に屋敷の中に突進してきたのは人だった。十歳前後の小柄な黒人少年だ。黒髪はアフロヘア、つり目がちで切れ長の金色の目。その姿は、アリシエとアルウィス、どちらにも見覚えがある。先日アリシエ、アルウィスと共闘した黒人武芸者、神威だ。


 アリシエが鞘で受け止めたのは神威の拳だった。だがただの拳にしては重い。鞘で受け止めたはずなのに、衝撃でアリシエの右手がしびれている。そんなアリシエの様子を見ても神威は止まらない。突然の攻撃に驚いたままのアリシエ目掛け、再び距離を詰めた。そして膝を使ってアリシエの鳩尾みぞおちを突こうとする。


 しかし神威の膝がアリシエに命中することはなかった。当たる寸前に、人の声によって止められたのだ。神威を止めたのはさほど大きくもない穏やかな声だった。


「神威、お止め」


 その一言が神威の動きを止めた。逆らおうとすれば出来たのにそれをしないのは、神威の意思によるものなのだろう。声が聞こえると同時にピタリとその足の動きを止めたことから、止められることを事前に考慮して動いていたこととも考えられる。神威は蹴りを放とうとしていた足を下ろすと声のした方を振り向く。アリシエも神威に釣られて声の主の姿を見た。


 白銀の髪は左側は耳にかからない程度なのに、右側はあごと同じくらいの長さ。いわゆるアシンメトリーという髪型だ。金牙や虹牙と同じ濃い青色の瞳は綺麗なアーモンド型。鼻筋が高く彫りの深い、彫刻のようなはっきりとした顔立ちをしている。そんな、芸術的な美しさを持つ顔をした男性だった。


 その男性はあっという間にアリシエの眼前に現れる。決して動きが速くて見失ったわけではない。男性の移動速度は神威よりも遅いのだから。それなのにアリシエが男性の接近にすぐに気付けなかったのには理由がある。


 アリシエは神威に応戦することに気を取られていた。しかし、その状態であっても眼前に近付く前に相手の存在を知ることは出来る。それすらも出来なかったのは男性の動きが特徴的だったから。男性は上手く気配を消した上で、神威の身体の延長線上――アリシエの死角に隠れながら移動したのだ。


 神威は男性の意図に気付いたのか、いつの間にかアリシエの隣へと移動していた。男性の白く細長い指がアリシエの頬を撫で、その顎を掴む。濃い青色の目がアリシエの顔を品定めするように見つめている。


「君が、金牙様の言っていた多重人格の子だね。うん、美しい顔だ。そして美しい――『神の眼』だ」


 アリシエの身体を頭のてっぺんからつま先まで舐めるように見ると、満足そうに舌なめずりをした。男性の行った慣れない動作に、アリシエが身体をこわばらせる。怖いのに、何故か動くことが出来ない。アリシエの顎を掴んだままの男性の指先は、氷のように冷たかった。


「名乗るのを忘れていたね。僕はクライアス家当主のフィール。金牙様に最も忠実な下僕げぼくだよ。あぁ、どれほど君に会いたかったことか。金牙様が探し求めていた『神の眼』の持ち主。皇帝様が探し求めていた少年。なんて美しいんだ!

 青みがかった銀色の目。金牙様より明るい金髪。炭のように黒い肌。その全てが相反するはずなのにこんなに綺麗に組み合わさってるなんて、奇跡だ! 僕のコレクションに加えたいくらいだけど……金牙様の部下に手を出すわけにはいかないからねぇ。我慢しないと、金牙様に嫌われてしまう」


 このアシンメトリーの白髪に青い目をした男性こそが、クライアス家当主、フィール。本日、金牙が待ちわびていた来客だ。リアンが「金牙大好きキチガイ野郎」と称した人物であり、金牙が多重人格について調べるように依頼した人物でもある。


 確かにその行動は度を超えている。初対面の人の顔を眺めて、その人物に対する評価を長々と語る。その異様な光景に、その場にいた誰もが言葉を失った。彼の正体を知らない人が見れば、ただの変質者でしかないだろう。





 フィールの異常行動はついにアリシエの我慢の限界を超えた。顎を掴まれており、鼻頭がくっつくほどに顔を近付けられる。逃げようにもその左手がアリシエの腰に絡みつき、離れられない。


 状況を打破するために、アリシエはアルウィスと入れ替わることにした。アリシエの代わりに表に出てきたアルウィスは、フィールの手首を掴むとその濃い青い目をにらみつける。


「いい加減この手を離せよ」

「あぁ、ごめんごめん。つい癖でねぇ。美しい人を見るとつい、手が出てしまうんだ。悪気はないんだよ?」


 フィールはアルウィスの低くうなるような声を聞き、慌てて手を離した。しかし、その少し間延びした話し方は、本気で謝っているようには思えない。だがその目は笑っておらず、伏し目がち。その仕草と苦悶の表情が浮かぶ顔を見れば、謝罪の言葉が真実であるとわかる。


 しかし、フィールの謝罪を見たアルウィスは、虹牙の隣まで移動し、フィールに対して身構えていた。それほどまでにフィールという存在が怖かったのだ。戦闘による命のやり取りなら、アルウィスは喜んで受けて立っただろう。だがそれは死ぬという恐怖ではなく、得体の知れない恐怖。故に、対処に困る。


「フィール様、金牙が待ってます。移動しましょう」

「金牙様が僕を待ってるだって? なら急がなくちゃね。神威。エントランスでその子と仲良くしてて」

「わかったよ、フィール様」


 虹牙に「金牙が待ってる」と告げられるなり顔色を変えるフィール。神威に雑な指示を出すと鼻の下を伸ばして、鼻歌を奏でながら虹牙についていく。その足取りはやけに軽く、まるで舞でも踊っているかのよう。エントランスに残された神威とアルウィスは、そんなフィールの変貌へんぼうぶりに呆然とするしかない。


「当主ってのは変な奴しかいねーのか? かたっくるしい話し方の金牙、筋肉馬鹿のリアン。そしてあの、変態野郎」

「僕に聞かないでよ。それと、フィール様を馬鹿にするな! ああ見えても薬師くすしとしての腕は本物なんだから! とりあえず、座ってお話でもしようか、アル」


 金牙、リアン、フィール。三人の戦闘貴族当主を見てきたアルウィスが抱いたのは「戦闘貴族の当主は皆変人である」という認識だった。神威はそんなアルウィスの言葉を軽くあしらうと床に胡座あぐらをかいて座る。だがいくら神威でもフィールが変人であることは否定出来ず、話題を逸らすことでフィールがこれ以上悪く言われるのを回避することしか出来なかった。


 神威は初めての場所であるはずなのに、全く動じていない。それどころかこの屋敷の住民であるかのように堂々と振舞っている。そんな神威にならって、アルウィスも胡座をかいた。しかし気を抜くことはしない。敵の奇襲に備え、神威が敵である可能性を考え、いつでも戦えるように身構えている。


 そこまでしてようやく神威の身体を真近で見たアルウィスは、いくつもの違和感に気付いた。神威の見た目は子供だが、その身体についている筋肉は子供に相応しくないほど目立つ。特に腕とふくらはぎの筋肉はかなり発達している。これは一朝一夕で出来るものではない。


 普通、骨の弱い子供は身体を鍛え過ぎないようにする。身体が完成する前に鍛えるのは身体の成長に良くないからだ。アリシエとアルウィスだって、成長に合わせて鍛えてきた。しかし目の前にいる神威の筋肉は、見た目の年齢にしては鍛え過ぎている。


「お前、やっぱりただのガキじゃねーな。ガキにしちゃ違和感がありすぎる」


 神威を目の前にして、アルウィスは堂々とそれを言ってのける。神威もそれを否定しようとはしない。代わりに、寂しそうな弱々しい笑みを浮かべた。それがアルウィスの答えを肯定している。そして、その違和感には何らかの理由があることが窺えた。

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