6-2 似て非なる者

 胡座あぐらをかいた神威かむいはアルウィスの顔を見上げる。その顔は寂しく儚げだが、悲しみの奥には怒りにも似た感情が見え隠れする。幼い顔は、子供にしては複雑な表情を見せていた。


「アルには僕が、何歳に見える?」

「十歳くらい、だな」

「本当は……これでも二十五歳。僕は君より年上なんだよ、アル」


 アルウィスが疑っているのを知っているからだろう。神威は声を少し低くして、幼子のような無邪気な口調を止める。もっとも、声を少し低くしたところで子供の声なのは変わらないのだが。どうやら普段は見た目にあった口調をすることで、下手に詮索されるのを避けているらしい。そこだけはアルウィスにも理解出来た。


 おもむろに神威が上衣を脱ぐ。上衣の下から現れたのは、見た目に相応ふさわしくない筋肉質の身体だ。それを見たアルウィスは思わず言葉を失った。腹筋は割れ、胸筋もしっかりある。二の腕はその筋肉のおかげで太くガッシリとしている。筋肉だけが神威の身体の中で唯一、彼がであることを示していた。


「僕の身体は子供のまま。声も身体も内臓も歯も何もかも全部、子供のまま。成長しない身体なんだ、僕は」


 口調が変わったせいなのか、少し声を低くしているせいなのかか。その言葉だけを聞けば、大人が子供を諭すような響きを持っている。それと同時に全てを悟ったような諦めたような、子供らしからぬ雰囲気も感じられた。見た目と精神の年齢が釣り合っていないからなのか、その光景は薄気味悪い。


「で、俺の何が興味深いんだ?」

「それは……少し手合わせしてもらえばわかる、かな」

「つまり仕合ってことか。面白そうじゃん? チッ、リアンの口癖が移った」

「手狭だけどここでやろうよ、アルウィス」


 何がどうしてこうなったのだろう。エントランスの床に座り大人しく話していたはずの二人は立ち上がって互いの距離を空ける。さらに、二人して同時に拳を構える。


 身構えただけで二人のまとう雰囲気は一変し、緊迫した雰囲気になる。なのに二人の顔だけが、場にそぐわない顔を見せる。二人共、新しい玩具を手にした子供のように嬉々とした表情を浮かべている。


いちさんで開始だよ?」

「わかった」

 開始の合図を決めると各々がいつでも間合いを詰めて攻撃出来るよう体勢を整える。

「一……二の……三!」


 神威とアルウィスの声が綺麗に重なる。そして「三」と告げた瞬間に、間合いを詰めた。初速は神威、アルウィス、どちらも同程度。となれば、先に相手に隙を見せた方が不利になる。逆に言えば、相手の隙を少しでも先に見つけた方が勝者だ。





 神威とアルウィスは二人して相手への最短距離を一直線に進んだ。当然、二人の身体は互いの初期位置の中間点で接近する。それが一連の攻防の始まりだった。


 最初に攻撃を仕掛けたのはアルウィス。彼は神威の動きを見るために、素早く三発の左拳を連続で放つ。だが神威はそれらを至近距離でかわし、代わりに右拳を放ってくる。アルウィスは攻撃を床にしゃがんでかわすと、そのまま力一杯床を蹴って加速。素早く神威の背後に回り込む。


 しかし神威はアルウィスの縦から横への急な動きについてきた。右足を軸に身体を反転させ、移動せずにその動きに食らいついたのである。さらに神威の右拳がアルウィスに迫っていく。その拳はしっかりとアルウィスの顔面を捉えている。


 神威の反応を見たアルウィスは拳を捨てた。りきむのもやめた。そして、ただ自然体で立っているだけになる。一見、戦うのを諦めたように思えるかもしれない。しかしこれはアルウィスがで戦うのを諦めただけ。


 自然体になることで次の行動を読まれにくくする。力むのをやめることで、筋肉の力を無駄なく最大限に発揮することが出来る。そのためにアルウィスは拳を捨てた。戦い方を変えなければ神威に勝てないと判断したのである。


 神威の拳が放たれると、アルウィスは跳躍してそれをかわす。だが空中では方向転換が出来ない。逃げ場のないアルウィスの顔面に、再び神威の拳が襲いかかる。とっさに首を動かして拳をかわそうとした。


 しかし、アルウィスはタイミングを見誤ってしまった。神威の拳がアルウィスの顔を掠めた。掠めただけなのに痛みが走る。拳が命中しても、神威は止まらなかった。


 アルウィスが着地することを見越し、そのタイミングに合わせて攻撃を仕掛けようとしている。それに気付くも、アルウィスに為す術はない。アルウィスが床に着地しようとした瞬間、神威の右足が腹部に迫る。それをかわそうとしたアルウィスは超人的な動きをした。


 着地と同時に恐ろしい速度で膝を曲げ、体を約九十度に反らす。神威の右足はアルウィスの身体の上を通過。アルウィスはその体勢からバク転で後退し、神威との間合いを広げた。蹴りを空振りした神威はすぐにその目でアルウィスを追いかける。


 今度はアルウィスから攻めた。やや前傾の体勢で拳を構える。そのまままたぐように左足を上げ、一気に脱力状態へ。左足が床に着いた瞬間、力強く床を蹴る。僅か一瞬で神威との間合いを詰め、拳を放った。その拳は下顎したあごを狙っている。


 神威はそれを防ごうと、咄嗟とっさに下顎に手を当てて拳を受け止める。実際その防御のおかげで威力は軽減され、脳震盪のうしんとうを防ぐことが出来た。しかし、攻撃されたことで神威の闘争心に火がついてしまう。


 神威はアルウィスの姿を捉えるや否や、素早くその懐に潜り込む。アルウィスは「神の眼」を持っているのもあって目が良い。にもかかわらず、神威の動きに反応出来なかった。正確には反応するのが僅かに遅れ、その遅れが命取りとなった。





 気がついた時には、神威がアルウィスの顔面を狙って拳を振っていた。咄嗟とっさに両腕でその拳を防御する。だが神威の拳の威力を殺しきれず、両腕越しに顔面、特に上顎うわあごに拳の衝撃が来る。重い攻撃に身体が耐えきれず、口から血が流れた。口腔内を歯で切ってしまったのだ。


 アルウィスの血を見ても神威は止まらない。アルウィスが怯んだ一瞬の隙に、その腹を力強く蹴る。防御する時間もなかったアルウィスは呆気なく蹴り飛ばされ、壁に体をぶつけた。上手く受身を取って立ち上がる。


 荒い呼吸を整える間もなくすぐに間合いを詰める。着地の勢いを利用して素早い拳を放とうとした。だが、間合いを詰める段階で神威に攻撃を読まれてしまう。神威はアルウィスの拳を両手で受け止め、右膝を鳩尾みぞおちに当ててきた。しかしその攻撃はわざわざ力を抜いてそっと当てただけ。アルウィスを気絶させないために配慮したのだ。


 アルウィスは、負けを素直に受け入れる。神威の攻撃にほとんど反応出来なかった。さらに言えば、アルウィスの攻撃はそのほとんどが読まれていた。これが実戦であるなら、既に殺されていただろう。ここまでされて、負けを認めないわけにはいかない。


「で、何が、わかるって? 俺には、ただの仕合にしか、思えねーんだ、けど?」

「……ねぇ、アル。アルは純粋に『速さ』だけで人を振り切ることが出来るでしょ。僕と同じで、ね」


 神威が言ってることはとても簡単なこと。「生まれつき身体能力に恵まれている」と言いたいのだ。正確には瞬発力に恵まれており、相手を振り切ることが出来る。それこそがアルウィスの強さの源だ。そして神威もアルウィスも、強さの根源は同じだ。


「人種の違いって奴だよ。僕もアルも、銀牙ぎんがとか金牙様より優れた瞬発力を持ってる。黒人だから、なんだけどね。だからこそ、今のままだと良くないんだ」

「何が言いてーんだ?」

「先日、黒人奴隷が大量に買われたんだ。購入したのは農家の他に元戦闘貴族を含む武芸者の家系」


 神威が何かを伝えようとするのだが、ハベルトについての知識が乏しいアルウィスにはその真意が伝わらない。黒人奴隷までは理解出来る。しかし、一時的に売られる側にいたとはいえ、奴隷売買のことはほとんど知らない。そのため、奴隷を購入する者がいるという現状に驚いている始末。そんなアルウィスの様子にようやく神威が、問題点に気付いた。


「そう言えばアルはこの国のこと必要最低限しかわからないんだったっけ。わかりやすく言うとね、皇太子派に黒人がたくさんいるってこと。いくら戦闘貴族と傘下さんかの武芸者がいたって――大勢の黒人武芸者相手じゃ厳しいんだよ」


 黒人が敵にいるということは、白人である金牙やリアン達には不利な状況であるということ。持久戦に持ち込めば勝機があるだろうが、敵の速さについていけるかとなると別問題である。さらに、同じ人種を相手にするということは、アルウィスが速さで敵を圧倒することが出来ないことを示す。


 アルウィスと神威だけでは力不足になるかもしれない。残された時間もわからない。敵に神威やアルウィスと同等の速さを持つ者がいるのなら、それを踏まえた上で策を打つしかないのだ。少なくとも現在の状況が皇帝派には不利な方向に傾きつつあるのは間違いないだろう。





 見るからに不服そうなアルウィスに、神威がわざとらしくため息を吐く。そしてアルウィスの左胸に拳をそっとあてた。アルウィスを見上げるその顔はどこか怒っているように見える。つり目がちの瞳をさらにつり上げ、眉間にシワを寄せている。


「わかってないでしょ、ボクの言ったこと」

「速さだけじゃ勝てねーってことだろ? そんなこと言われても――」

「違う! どんなに身体能力があっても、戦う術を学ばなきゃ意味がないんだよ。わかってないなぁ、アルは」


 怒っているわけではないようだ。神威がニッと歯を見せて笑う。だがその顔を見ただけで相手の感情を読み取れるはずがなく。アルウィスには神威が何を考えているのか、さっぱりわからないままだ。


「さっき戦い方を見た。アルは色んな体術を組み合わせて戦ってるよね。刀術も?」

「そうだ。それで習ったからな」

「それは普通じゃないんだよ。全く性質の異なる戦い方を瞬時に切り替えるのは、アルの才能。人種に関係なく、普通は出来ないんだよ?」

「は? 親父……俺に戦い方を教えた奴も切り替えてたぞ?」


 アルウィスは性質の異なる体術をいとも簡単に使い分けていた。神威の前だけでも二種類は使っている。構えないものと、重力で加速するものの二種類だ。


 普通は切り替える際に少しは躊躇ためらうものである。仮に切り替えられたとしても、個人によって得意不得意の差が出る。だがアルウィスはどの戦い方もほぼ同等に扱っているように見えた。


「少なくとも僕は、一つしか極められなかった。刀だって 二つしか無理だった」

「ちょっと待て。お前――」

シャーマンさんに教えてもらったんだよ。銀牙様やリアンにも話は聞いた。だからこそ言えること、なんだ」


 神威もまた、アルウィスと同じような体術を扱うらしい。だが神威の戦い方は予備動作をきちんと取り、効率よく力を発揮するタイプの体術。時折アルウィスのように重力を利用した加速も行うが、予備動作による重い攻撃が主である。アルウィスの体術とはモノが違う。


 アルウィスの体術の大半は予備動作がほとんどない。予備動作があるとしても変則的攻撃が多く、その速さや独特のリズムのせいでかわしにくい。だが神威はその攻撃の大半をかわしていた。かわせた理由は単純だ。同じ人物から武芸を教わっていたため、アルウィスの扱う体術を知っていた。ただそれだけのこと。


「今、なんでボクに負けたのかわかる?」


 神威の明るい声がエントランスに響いた。

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