5-3 アリシエの本領発揮

 アリシエは天井裏に隠れていたと思われる五人の武芸者と戦っていた。現在一人負傷、二人が介抱のために戦線離脱、残る二人は交戦中。二人の武芸者がアリシエとの間合いを詰める中、アリシエは刀を下段に構えたまま動かない。



 アリシエに向かってくる二人の武芸者は、左右に分かれて距離を詰めていた。今、二人の剣がアリシエの身体に向かって振り下ろされる。それと同時にアリシエが動き始めた。


 左側からの攻撃は刀身を使って受け止める。受け止める際に身体を左側に寄せ、右側からの攻撃を紙一重でかわした。さらに、そのまま剣身に沿って刀を動かしていく。剣格まで刃を動かすと、その刃を鋭く横に凪いで武芸者の首を浅く裂いた。この一連の動作は僅か数秒の出来事である。


 一人の首を裂くと、今度は右から襲ってきた武芸者を見る。この時、他の二人の武芸者の動向を見ることも忘れない。敵全体の動きを視界に入れた状態で体勢を変えた。今度は中段に刀を構え、相手の出方をうかがう。


 目の前で仲間の首を裂かれるのを目の当たりにした武芸者は、怒りをあらわにする。アリシエの姿を見て獣のようなうなり声を上げた。かと思えば、耳が割れるそうなほどの大きな声を出しながら、アリシエとの間合いを詰めてくる。


 二人の間合いが一気に縮まる。それを見たアリシエは、中段に構えたままだった身体を動かした。武芸者が剣を振り下ろすと、それとほぼ同じタイミングでアリシエも刀を振り下ろす。


 アリシエの攻撃は奇妙だった。相手の動きを、鏡で写したかのような左右反転した状態で再現した攻撃なのだ。真似にしては攻撃の拍子もピタリと揃っていた。攻撃だけでなく攻撃後に後退して間合いを広げるところまで、拍子を合わせて真似している。


 アリシエの奇妙な動きに気付いた武芸者は知らず知らずのうちに手を止めた。自分が先に動き始めているのに、同じ拍子で動きを再現されているのだ。ご丁寧に左右反転した状態で真似しているため、あたかも自分と戦っているような錯覚におちいる。


 しかし武芸者は知らなかった。アリシエの技に動揺して「動きを止める」ことこそが一番危険な行為だと。ついに手だけでなく足も止めてしまった武芸者。その様子を見たアリシエは、戦場であるというのにクスクスと声を上げて笑う。





 アリシエの刀が鞘に納められた。だが右手は刀の柄を握ったまま。左手は鞘引きが出来るようにと鞘を掴んでいる。銀色の目が武芸者達の様子をしっかりと捉えた。対峙している武芸者の動きが止まり、他の二人に動く様子がない。それを確認するとその身体が前方に倒れ出す。


 突進しやすいように、アリシエは足を肩幅に開いて前傾姿勢を取っていた。だが刀を鞘に納めると同時に右膝を曲げる。不安定になった身体が、重心の位置によって前方へと急速に倒れ出す。それは次の攻撃への布石。


 アリシエの頭が床に近付く。鼻が床に触れる寸前に、アリシエは曲げたままだった右足で床を全力で蹴りつけた。重力によって加速した身体は、右足による踏み込みでさらに加速し、武芸者との距離を一気に詰める。足を踏み込む瞬間にはアリシエの左手が鞘を引くべく動き始めていた。


 突然の急加速に遅れて反応する武芸者。その眼前にはもう、今にも抜刀しそうなアリシエが迫っている。身を守るためにと剣を体の前に構えるがもう遅い。武芸者が構えを終える前にアリシエの居合が放たれた。放たれた斬撃は武芸者の左脇腹を一瞬で裂いてしまう。


 武芸者の脇腹から飛んだ血がアリシエの服にはねた。アリシエの目の前で武芸者が床に座り込む。武芸者の脇腹から流れ出る血は止まらない。書斎の床に赤い血溜まりが出来始め、書斎に血液特有の鉄がびたような臭いが広がる。


 残るは二人。最初にアリシエが攻撃した武芸者を介抱している二人だけ。その二人は、味方二人が新たに攻撃されたというのに、動く気配がない。いや、周りを気にする余裕がないのである。その原因は、二人が介抱している武芸者にあった。


 アリシエが腋の下を斬った武芸者は激痛にうめいていた。幸いにも傷口は動脈にまで達していない。放って置けば勝手に血が止まるだろう。問題は別にあった。傷口は動脈に達していないとはいえ決して浅くはなく、裂けた皮膚の隙間から筋肉が見えている。そしてその筋肉が、刀により損傷しているのだ。


 筋肉を斬られれば、その筋肉を動かそうとする度に痛みが走る。傷の度合いによっては後遺症も出てくるだろう。武芸者は腋の下の筋肉を損傷したために剣を振るうことが出来ず、床に倒れたまま。他の二人はそんな武芸者をこの場から逃がそうとして苦労していた。





 先程アリシエが首を攻撃した武芸者が立ち上がる。傷口から首へ、そして衣服へと鮮血が伝う。首に違和感があるのか、左手で首元を抑えている。その目は、アリシエに脇腹を裂かれた武芸者を捉える。


 脇腹を攻撃されたその武芸者はすでに息絶えていた。アリシエの攻撃によって大量出血を起こし、絶命したのだ。傷口から流れ出た赤黒い血が床に血溜まりを作っている。その胸は呼吸による上下を行っていなかった。脈を測れば絶命しているのが確実にわかるのだが、相手にはその余裕がない。


「この、野蛮人やばんじんが」


 一目見て味方の状態を判断した。出血量から見て、生きている可能性はかなり低い。しかしアリシエの狙いが分からないため、脈を測ることも止血措置をすることも出来ないのだ。身を守るために立ち上がり、再び剣を構える。しかしもう自分から攻めることはしない。先の戦いで力量の差を感じたからである。


 この武芸者の目的はあくまでも時間稼ぎ。その狙いは、隠し扉から逃亡中である当主の存在を悟られないようにすること。天井裏に隠れていた彼らは、すでに当主が捕まって気絶していることを知らない。


「あれ、来ないの?」


 アリシエは、人を一人殺したというのに平然としている。それどころか戦いを楽しんでいるようにすら見えた。首に軽傷を与えたのにまだ立ち向かう敵。その姿に、新しい玩具を見つけた子供のように瞳を輝かせている。その刹那、自ら攻撃を仕掛けるべく、間合いを詰めた。


 再び剣と刀の刃が宙でぶつかり合う。先程は剣身、刀身の平らな部分をぶつけていたが、今は違う。振り下ろされた刀の刃を、剣の刃が受け止める。アリシエが体勢を変えて再び刀を振るうが、武芸者はその刃に剣身をぶつけることで攻撃を止める。剣で刃を受け止めたのには理由がある。


 武芸者の目的は、わざと刃同士を斬り結ぶことで、アリシエの刀を刃こぼれさせることだった。刀の斬れ味を落とすことで少しでも長く時間を稼ごうとしたのである。アリシエは望まない斬り結びによる刃こぼれに気付き、対応を迫られる。





 武芸者の違和感に気付いたアリシエは、武芸者との間合いを広げようとした。だが移動する隙もない。次第に相手の剣に押され、その刃がアリシエに迫ってくる。相手の剣を押し返すほどの力はもう、アリシエには残っていなかった。刃をまじえた膠着こうちゃく状態から脱しないことには何も出来ない。


 後退するために足を動かそうとするアリシエ。その軸足に武芸者の足が絡みつく。アリシエの右膝に相手の右足が引っ掛けられたのだ。次の瞬間、アリシエの右足が浮き、重心が崩れる。そのタイミングを待っていたのだろう。武芸者が剣で、刀ごとアリシエの身体を押し倒す。


 アリシエの体力がもう少しあれば、状況が変わっていただろう。事実上三対一の構図。うち二人はいつ戦闘に加わるかも、戦う気があるのかも分からない。先程から三人全員を視界に入れるように立ち回っていたが、そろそろアリシエ一人では限界だった。疲労を悟られないようにと応戦しているのだが、この状態はそう長く維持できるものではない。


 それでもアリシエは、たったの一人で五人と戦い、二人を戦闘不能にした。少しでも早く決着を付けようとしたアリシエの体力を最も多く削ったのは、先程までの刃のやり取りである。刀が刃こぼれするまで斬り結びを行った結果、体力が限界を迎えた。もしアリシエにもう少し体力があれば、こうなる前に間合いを広げていただろう。


 床に押し倒されたアリシエは、まだ武芸者に抗っていた。首元に近付く剣を刀で止めようとすることで、なんとか首を攻撃されることを防いでいた。しかし刀で刃を受け止めているものの、少しずつ刃と首の距離が縮まっていく。今のアリシエでは、剣を押し返すには力不足なのだ。


 苦戦を強いられているはずなのに、アリシエは嬉しそうに笑う。今にも笑い声が口から零れそうなほど楽しそうだ。その銀色の目だけが人を射抜くような強い眼差しで武芸者の動きを見ている。その刹那、武芸者の股間部を狙って左足を蹴り上げた。


 急所を攻撃された武芸者は痛みに悶絶もんぜつする。押す力の弱まった剣を刀で払い、今度はアリシエが武芸者の身体を押し倒した。アリシエに押し倒された武芸者がせめて一矢報いようとして、剣の柄でアリシエの左肩を殴る。さらに、その剣身がアリシエの左頬に浅い切り傷を付ける。


 アリシエは武芸者を押し倒しはしたが、それ以上攻めることはしなかった。代わりに、武芸者から離れて刃こぼれを起こした刀を鞘に収める。先程刈り上げられた右足が痛む。倒れた際に右膝を痛めてしまったようだ。今は、圧力をかけつつ体力の回復を優先すべき時。


 刀を変えて戦っても同じことが繰り返されるだろう。この武芸者の目的はアリシエを襲うことではなく、その注意を引きつけた上で長時間戦うことなのだから。それに、疲労したアリシエの身体では無理に戦ってもやり返されるのが目に見えていた。だからアリシエは、体勢を立て直すことに集中する。


 三人の武芸者とアリシエがにらみ合う。しかし誰一人動こうとしない、動く素振りも見せない。何の進展もない、一時の平和が訪れる。だがその平和も長くは続かない。突如書斎の扉が開いた。扉は勢いよく壁にぶつかり、派手な音を立てる。


「もう、何勝手に行動してるの?」


 書斎に踏み込んで来たのはたった一人の武芸者。それは小柄で幼い容姿をした黒人男子――神威かむいだった。刀は腰に身につけたまま抜かれていない。代わりに神威は拳を構えていた。その拳には、手を保護するためのグローブがはめられている。神威はアリシエの姿を見ると呆れた顔でため息を吐くのだった。

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