5-4 黒人武芸者の実力

 書斎で五人の武芸者を相手に奮闘していたアリシエは、ついに体力が限界を迎える。アリシエも武芸者達も動かない異様な空間に突如入ってきたのは、アリシエと共に助っ人としてやってきた黒人男子の神威かむいだった――。



 神威は書斎に踏み込んですぐに、その内部の様子を確認した。絶命している武芸者が一人。床に横たわったまま苦悶くもんの表情を浮かべる武芸者が一人。そして、顔を歪ませながらも剣を構えてアリシエを対峙する武芸者が一人、床に横たわったままの武芸者を介抱する武芸者が二人。


 アリシエは背後を取られないようにするためか、壁を背にして立っていた。だがその右足に力が入っていないのだろう。アリシエの体勢は不自然なほど左に傾いている。アリシエが苦戦を強いられて負傷したことを、神威はその様子から察することが出来た。苦しそうな呼吸から、体力もあまり残っていないとわかる。


 神威が来たところで状況はあまり変わっていない。三対一の構図が三対二に変わっただけのこと。今のアリシエは戦えないことから、事実上は三対一のままである。状況をすぐに把握した神威は、書斎に入ってから二度目のため息を吐いた。


「とりあえず、そこの対峙してる人だけどうにかしてよ。こっちの三人は僕が引き受ける」


 早口でアリシエに指示を出した神威は、迷いのない足取りで、床に横たわったままの武芸者に近付いていく。その武芸者を守るためだろう。介抱していた二人の武芸者が剣を構えて神威の前に立ちはだかる。刃物を向けられているのに、神威はでそれに応じた。


 神威は足を肩幅に開いて前傾姿勢を取る。かと思えば右膝を浮かせ、わざと不安定な体勢を取った。次の瞬間、その身体が前方へと急速に倒れ出す。鼻が床に触れる寸前に、神威の浮いたままだった右足が力強く床を蹴った。それは先程、アリシエが使った体術と同じもの。


 重力によって加速した身体は、右足による踏み込みでさらに加速し、武芸者との距離を一気に詰める。急加速に遅れて反応する二人の武芸者達。その眼前にはもう、拳を構えた神威が迫っている。だが拳ではなく、遠心力を利用した力強い蹴り技が武芸者の大腿部を襲う。


 たったの一撃で、一人の武芸者は床に倒れたまま動かなくなった。神威の一蹴りが大腿骨を折ったからである。大腿骨が折れた激痛で武芸者は意識を失い、そのまま床に倒れたのだ。その光景を間近で見ていたもう一人の武芸者が、剣を構えて神威を牽制けんせいする。





 神威は再び拳を構えた。目線をもう一人の武芸者に向ける。武芸者達は神威をただの子供とみなして油断していたのが仇となった。神威からすれば、これは想定内の出来事。


 武芸者が神威との間合いを詰めるために動こうとする。その瞬間を見極めた神威は、突然抜刀した。刀を振り上げるが、その攻撃は武芸者の眼前で空を裂く。一見すると神威が攻撃を外したように思えるだろう。だが実際は、相手に油断をさせるための攻撃だ。


 神威と武芸者の間の距離が狭まる。それを見た神威は、頭上に振り上げたままだった刀の持ち方を変えた。右手は柄を掴んだまま、左手が刃の背に触れた。そのまま左手で刀のを押し、その勢いを利用して加速しながら刀を横に凪ぐ。


 柄が武芸者のこめかみに勢いよく命中した。これは偶然ではない。刃ではなく柄がこめかみに当たるように、タイミングを見計らって刀を動かしたのだ。武芸者が間合いを詰めてくるのを見越して、それを逆に利用したのである。こめかみに強烈な一撃を喰らった武芸者は、そのまま気絶してしまった。


 書斎に来てさほど時間が経っていないのに、二人の武芸者を気絶させる。それは決して容易なことではない。この芸当は神威が見た目こそ子供であるが、武芸者としては一流であることを示している。


 神威はアリシエとは違い金色の目をしている。これは、神威の目が優れた視力を誇る「神の眼」ではなく、ごく一般的な目であることを示している。神威は先の芸当を生まれ持った視力ではなく、普通の視力を経験と慣れで補うことでやってのけたのだ。


 気絶させた二人の武芸者と、アリシエの攻撃で動けない一人の武芸者。その三人の手足を縄で手早く拘束。細長い布を口にかませ、その両端を後頭部で固結びすることで猿轡さるぐつわとする。その上で三人の武器を押収し、部屋の隅目掛けて放り投げた。


「こんなもんかな。で、そっちはまだ片付いていないわけ?」


 神威は黙ってさえいれば普通の子供だ。だがいざ声を発すればその口調は生意気で、子供特有の高めの声が目立つ。見た目の年齢こそ年下だがアリシエを見下したような発言をしている。実際、拘束という点ではアリシエより経験豊富なのだろうが、上から目線の話し方が相手を苛立たせる。


 そんな神威の視線の先には、アリシエと向かい合ったまま動かない武芸者がいる。先程アリシエに股間を蹴られ、なんとか気絶するのを耐えた者だ。武芸者とアリシエ、双方共に戦う力が残っていない。その結果、神威が戦っている間も互いににらみ合うだけで何もしないという状況になっていた。


 神威は戦場であるというのにわざとらしいため息を吐く。その刹那、力強く床を蹴って武芸者の背後に近づいた。アリシエと違って疲労を感じさせないその動作に、武芸者は反応できない。間合いを詰めると両手を組んで大きな拳を作った。次の瞬間、その大きな拳で最後の武芸者の後頭部を強打する。武芸者は前のめりに倒れたまま動かなくなった。





 天井裏から現れた武芸者達は神威の協力もあって無事に全員拘束。うち一人は死んでいるためそのまま放置することになった。書斎に繋がる個室に放置したままの当主と思わしき男性の存在は、アリシエを介してアルウィスから神威へと伝えられる。その結果、気絶したままの男性も書斎に運び込まれ、四人の武芸者と同じように猿轡をかまされた。


 ようやく戦闘が一段落したアリシエはというと、書斎にて神威の手当を受けていた。痛めた右足は捻挫ねんざと診断。衣服の裾を細長く裂いて、患部を固定する包帯の代用とする。冷やす道具は無いため、アリシエを床に寝かせ、神威はその足元に正座。神威の膝にアリシエの足を乗せ、患部を心臓より高い位置に固定する。神威の手つきは、薬師の手ほどきを受けているのか、妙に慣れている。


「あーあ、一人死んじゃったじゃん。殺すなって言われてたでしょ? 右膝を捻っててあれ以上の戦闘は無理な状態だったし。僕がいなかったらどうするつもりだったの?」


 神威の正論に、アリシエは返す言葉がない。アルウィスにも「殺すな」と釘を刺されていたにも関わらず、一人を居合術で殺した。戦うことに夢中になり、「殺すな」という指示が頭から抜けていたのだ。それでも、一人でどうにか出来るならまだよかった。


 一人で勝手に行動して書斎まで来たのは仕方ないだろう。だが、五対一という無謀な戦いを始め、その過程で自らも怪我を負った。さらに命令に反して一人の武芸者を殺すという失態まで犯している。当主らしき人物を拘束したのは評価出来るが、書斎での戦闘は贔屓ひいき目に見ても褒められるものではない。


「ごめんね。僕、戦うと止まらなくなっちゃうんだ」

「一人で五人に対処したことは評価するよ。でもさ、殺さずに対処することも出来たよね。峰打ちとか考えなかったの?」

「殺しちゃいけないって、忘れてたの。戦うのにむー、夢中? 夢中に、なったから」

ね、アル」


 神威の最後の言葉は、今日が初対面であるアリシエに言うものとしては間違っている。これではまるで、アリシエがどんな人物かを知っているようだ。「戦うのに夢中になる」というアリシエの特性は、過去にアリシエと共に戦った者でなければわからないはず。それを「君らしい」と返すのは、おかしい。だが神威の言葉の持つ違和感に、無知なアリシエは気付かない。



 アリシエと神威が書斎にいた武芸者を片付けてから十分が経過。屋敷内の喧騒けんそうが少し落ち着いてきた。リアンの部下達が、屋敷にいた戦闘員と非戦闘員をほとんど片付けたのだろう。騒がしい物音が減ると周りの音が聞こえるようになる。その影響なのか、アリシエと神威の耳に物音が聞こえてきた。


 それは駆け足で廊下を進む音だった。音に反応し、神威はアリシエを床に寝かせたまま立ち上がる。敵襲に備えていつでも抜刀が出来る体勢を取った。足音は少しずつ近付き、書斎のすぐ近くで消える。その刹那、書斎の扉が開いて見慣れた人物がやってきた。


「遅いよ、リアン! 拘束は済んでるから身元の確認を急いで。当主に逃げられてたら意味が無いんだから」

「いや、まず……なんで二人でもう片付けてるんだよ。俺、今やっと来たところじゃん。早くね? というかおい、一人死んでるじゃねーか」


 書斎にやって来たのは戦闘貴族当主、リアンである。肉付きのよい巨体に赤髪という目立つ容姿。背負われた、背丈とそう変わらない大きさの大剣。その特徴的なシルエットを顔見知りが確認すれば、彼がリアンであるとひと目でわかる。リアンがやってきたと知り、神威は安心したようにその場に座り込んだ。





 元戦闘貴族の始末は三時間ほどで終わった。が、その後処理と情報を聞き出す作業に時間がかかった。アリシエが手加減を忘れて攻撃したために当主の側近一名が死亡。残る数名は怪我の回復を待たなければ情報を聞き出すことが出来ない状態だ。


 非戦闘員は保護した後にアウテリート家の屋敷に一時的に住まわせることとなった。非戦闘員ということもあって大した情報を仕入れることが出来ないまま。周りの勝手な都合で住処を失った非戦闘員に罪はない。このことから、アウテリート家は保護した非戦闘員の今後を出来る限り支援することが決まっている。


 始末を終えた日の晩のこと。屋敷の書斎にて手紙を書いている者がいた。ハーフアップにした赤髪に赤い目をした長身の人物――戦闘貴族アウテリート家当主、リアンである。


 部屋の窓には自身の武器である大剣が立て掛けられており。その近くには大剣を背負うのに使うベルトが無造作に置かれている。机の上にある紅茶は、すでにぬるくなっていた。淹れたての熱い紅茶がぬるくなるまで気付かないほど、真剣に考え事をしていた。


「始末の報告はいいんだよ。アルのこと、説明のしようがないじゃん?」


 元戦闘貴族の始末に関する報告書は皇帝宛、金牙きんが宛、共にすでに書き終えている。今文章を書くのに手こずっているのは「アルの実力を知る」という金牙に対する報告の方だ。それこそが、今回アリシエを任務に同行させた目的でもあった。


 実は、もう一時間は紙に向かっているのに少しもペンを動かせないでいる。文章は浮かばないし、報告出来るような新しい発見もほとんどない。何よりリアンは、アリシエが戦うのを直接は見ていない。それが、報告に手間取る一番の原因でもあった。


 唯一リアンが知っているのは、別れ際の神威とアリシエの会話だけ。小耳に挟んだ程度の会話なのにやけに明瞭なのは、その会話の内容が気になったからなのだろう。それとも、金牙に何かしら報告しなければという義務感の賜物たまものか。


「神威、だっけ? お前、ただのガキじゃねーだろ」

「近々会うだろうからその時に教えてあげるよ。僕にとっても、アルは興味深いんだ」


 神威は姿は子供。なのにその武芸や言動は子供らしくない。声だって子供特有の声変わりする前の声なのだが、状況に合わせて声のトーンや口調を変えてる印象を受けた。対するアリシエは見た目は大人。だが体術を扱う時と刀を扱う時で雰囲気や口調や目つきがガラリと変わる。金牙もアリシエのことで何か隠しているように思えた。


「こういうの考えるのは俺には不向きなんだよね。よし、細かいの考えるのはやめるじゃん」


 アリシエと神威のやり取りを思い出したリアンは、少し考えただけでを上げた。いくら考えてもわからないものはわからない。何より、リアンは自分がそこまで賢くないことは自覚している。それに、リアンが書斎に辿り着いた時には事が終わっていた。リアンには自分の見ていないものを推測で語れるほどの頭脳はない。


 だから、金牙への報告には神威から聞いたことをそのまま書くことにした。アリシエが刀を使って戦っていたこと。戦っている途中で負傷したこと。戦闘の途中で動けなくなったらしいことから、体力の限界がわかったこと。


(神威もアリシエも、どっちも異常じゃん。これ以上は……金牙達に任せるか。俺は、戦うことしか出来ないし)


 手紙を書きながら大きくため息を吐く。自分の頭の悪さを呪うことしか出来ないからだ。


「あとは当主会談で、だな」


 ようやく手紙を書き終えたのだろう。すっかり冷たくなった紅茶を一気飲みすると大きく伸びをする。そして、欠伸をしながらも手紙を封筒に入れ、ろうで封をするのであった。

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