第二部 予兆

第四章 飛んで火に入る夏男

4-1 暑苦しい訪問者

 その日は雲一つない快晴だった。太陽の日差しがじわじわと地面を、大気を温める。夏さながらの暑さは人々を不快にする。暑さに加えて非常に高い湿気がさらに人々を苦しめる。


 アリシエ達がハベルトに来てから一週間が経とうとしている日のことだった。屋敷の入口に一台の馬車が止まる。馬車から降りた訪問者はエントランスの扉を勢いよく開けた。


金牙きんがー、どこだー!」


 訪問者は大きな身体を持つ派手な白人男性であった。ハーフアップにされた真っ赤な髪は燃え上がる炎を連想させる。目は髪と同じ赤色で、深紅の宝石を思わせた。左耳にはリング状の銀色のピアスが三つ。その背には武器である大剣が一つ。


 エントランスにいたのはアリシエのみ。アリシエはその見知らぬ訪問者をきちんと警戒し、アルウィスと人格を交代した。事前にあるじの金牙に「武器を持った訪問者がいたらとりあえず襲え」と言われていたからだ。アルウィスは考えるより先に訪問者に襲いかかる。


「おっ、新入りか。随分手荒い歓迎じゃん」


 仕掛けたのはごく普通の拳。跳躍して間合いを詰めると同時に、その勢いを利用して下顎したあごに拳を放った。だが訪問者はその拳を右の手のひらで受け止めてみせる。


 拳を止められたからと怯むようなアルウィスではない。止められると判断したその瞬間には左拳を訪問者の腹部に放っていた。最初の右拳は囮だったのだ。身体の影から放たれたその拳に訪問者は反応することが出来ない。


 アルウィスの放つ拳をまともに喰らった訪問者はその衝撃に思わず顔をしかめる。そんな訪問者の脳天に、アルウィスの左拳が振り落とされようとする。そこにはなさけも容赦もない。


 アルウィスの攻撃に気付いた訪問者は咄嗟とっさに大剣に手を伸ばす。次の瞬間、アルウィスの拳が大剣の剣身に当たり音を立てた。騒ぎの音を聞きつけたのだろう。階段から人が降りてくる音が聞こえてくる。


 やがてエントランスに姿を現したのは金髪に濃い青色の目をした青年、金牙だった。護身用の細身の長剣を腰に身につけている。騒ぎに慌てて降りてきたようだが、階段を下る運動だけで息があがってしまっていた。それでも騒ぎをいさめるために必死に空気を吸い込み、声を張り上げる。


「アル、止まれ! その者は知り合いだ!」


 金牙の怒声はこの緊迫した状況を止めた。武芸によってではなく言葉によってその場を鎮めたのである。金牙の言葉に赤髪の訪問者とアルウィスの動きが止まる。


 声がエントランスに響いた時、アルウィスの手刀は訪問者の首に当てられていて。訪問者の大剣は今にも振り下ろそうと頭上に構えられていた。怒声一つで二人は戦闘を中断し、金牙の次の言葉を待つ。


「金牙、遅いじゃん」

「事前に連絡を入れてから来い。何度そう言えばわかるんだ、お前は?」


 金牙の喋り方は親しい者に対するそれと同じ。金牙本人から「知り合い」と言われれば、もう訪問者に手を上げる必要は無い。アルウィスは手刀を訪問者の首から離す。それと同時に訪問者も大剣を鞘に納めた。


 一方の金牙はというと、速度を落としながら階段を降りる。息を整えてまともに話せるようにしてからゆっくりと二人に近付いた。膝に手をついて必死に呼吸を整えるその様は当主とは思えないほど情けない。


「アル。こいつは戦闘貴族のアウテリート家当主、リアン・アウテリートだ」

「あー、あれか。南部のア、ア……アポロンだ! アポロンだかを統治してるやつだろ」

「正解だ。年上ではあるが本人の希望で敬語は使わないでいる」


 金牙の言葉にリアンと呼ばれた訪問者が大げさに笑った。褒められているわけでもないのに何故か嬉しそうだ。そんなリアンの様子を金牙は呆れ顔で眺めていた。


「だって嫌じゃん? 敬語とか堅苦しいし、距離感じちゃうじゃん? というか金牙。俺にこの子紹介してくんない?」

「あぁ、紹介するのを忘れていたな。こいつはアリシエ、通称アル。一週間前に雇った住み込みの戦闘員だ。若いが、銀牙ぎんがよりも強い」


 リアンの登場が突然でよほど動揺したのだろうか。金牙はアリシエの紹介を見事なまでに忘れていた。戦闘貴族アウテリート家当主、リアンの言動に見事なまでに振り回されている。さて、リアンがわざわざ屋敷を訪れた理由は――。


「銀牙から話は聞いたよ。だからここに来たって訳。ほら、早く会議室に行こうぜ? そんなわけで、またな、アル」


 リアンは用件を簡潔に述べると金牙の手を引いて屋敷内を移動する。どうやら屋敷の構造は把握しているらしい。嵐のように現れて去っていったリアンに、アルウィスは開いた口が塞がらなかった。





 屋敷の会議室には大きめの丸テーブルに沿って、椅子が沢山並んでいた。窓があり、冬場に備えて暖炉も設置されている。そこは多くて十名が一つのテーブルを囲めるような部屋だった。大人数での話し合いを想定してなのか、部屋には黒板まで用意してある。


 リアンは会議室に入るなり近くにあった椅子に座る。金牙はその隣に座った。そのタイミングを見計らったかのように、虹牙こうがが冷たい紅茶とお茶菓子を持ってくる。


 リアンの声が聞こえた段階で急いで用意をしたのだ。さらに、どの部屋に行くかの目星も付けていた。お茶と菓子を置くと虹牙は静かにその場を去る。話の邪魔をしないようにと事前に金牙に言われていたからだ。


「話は銀牙から聞いたじゃん。先代の戦闘貴族関連なんだとな。しかも奴隷どれい船を扱う奴隷業者との関わりがあるときた。……さっきの奴か?」

「ああ。アルの付けていた首輪に、先代の戦闘貴族の証であるマークが刻まれていてな。元戦闘貴族が相手ならお前が適任かと。戦力の大きな相手にはそれなりの戦力が必要だからな。

 奴隷業者はわかってる。すでに暁の者が潜入していてな。決定的な証拠さえ掴めばいつでも捕まえられる状態だ。リアンには、その奴隷業者と関わりのある元戦闘貴族を始末してもらいたい。頼めるか?」


 金牙はここまでを長々と語るとコップに入った紅茶を一気に飲み干す。流石に話し過ぎて喉が渇いたようだ。さらに言葉を続けようとしたが、リアンがそれを遮る。


「よく奴隷業者を特定出来たじゃん。奴隷の違法売買なんて、数え切れないくらいあったっしょ。しかも現場を抑えなきゃ裁けないじゃん。金牙のとこ、そんなに部下いたっけ?」


 リアンの指摘はごもっともだった。法律では禁止されているが、奴隷の違法売買は後を絶たない。しかも違法売買のために密輸された奴隷達は、ハベルトで唯一港のある都市ラクイアに集まる。奴隷の違法売買は、戦力の少ない金牙の統治している地区の課題だった。


「戦闘向けの奴隷を扱う業者は限られるからな。絞り込んだら後は、奴隷業者の元に人を潜入させるだけってわけだ。そう難しいことでもない」

「その分析が普通なら無理なんだっての。で、始末はどうすりゃいいの?」

「戦闘員の扱いは任せる。当主とその側近だけは何がなんでも生け捕りにしろ。皇太子派の何らかの情報を聞き出すんだ。頼めるか?」


 奴隷業者は現場を押さえない限り、どんなに容疑を追及しても認めない。実際、現場から離れてしまえば証拠を隠蔽され、容疑を認めさせるのには説得力を欠いてしまう。それが故に密売業者を取り締まるのは難しいとされている。


 そんな難しい問題に挑んでいるのが金牙達、戦闘貴族だ。それぞれが異なるやり方で密売業者を特定し、その現場を確認し、そして取り締まる。暁家のような戦力の足りない戦闘貴族は、他の戦闘貴族に協力を依頼するようにしていた。


 金牙からの依頼にリアンは力強く頷く。その目はやけに真剣で、殺気すら感じる。依頼を断る理由はない。いや、戦闘貴族である以上、密売業者を一人でも多く取り締まり正当に裁くのは義務と言える。


「オーケー。奴隷業者と元戦闘貴族の資料はあるか?」

「用意出来ているはずがないだろ?」

「あ、やっぱり?」

「貴様が連絡せずに来るからだろうが。だから連絡しろと言ってるのに。……そうだな。長くて八時間だ。八時間もあれば必要な事を書き写せるだろう。待つか?」

「もちろん、待つに決まってるじゃん」


 金牙の言葉に即答するリアン。その顔からはもう殺気が消えていて。代わりに悪戯いたずらを仕掛けて楽しむ子供のような笑みを見せる。





「待ってる間、お前には仕事を頼むとしよう」

「ハァ? 何で?」

「何回言っても連絡してこないお前が悪い。これで何度目か聞きたいのか? 安心しろ。簡単な仕事だ」

「内容は?」

稽古けいこを付けてほしい奴がいるんだよ」

「誰?」

「アル。さっきお前が戦った奴だ」


 金牙の言葉にリアンは必死に思い描く。屋敷に入った時に迷いなく襲ってきた金髪の黒人。珍しい銀色の目をした、黒檀の肌を持つ少年だ。腰に三本の刀を身につけているにもかかわらず、体術で勝負を仕掛けていた。刀を使おうとすらしていなかったのが印象的だ。


「訓練所で自主練してるだろうから。実力を見てきてほしい。それと……」

「ハァ? まだあんの?」

「こっちの方がメインだ。細かい事情は後日話すから置いておく。この屋敷にはダン様がいらっしゃる。ダン様は、強くなることを望まれた」


 唐突に金牙の口から飛び出た「ダン様」という単語に、思わずリアンは席から立ち上がった。ダンは皇帝の嫡男であり皇位継承順位は二番目。そんな宮殿にいるはずの人物が暁家の屋敷にいると言われて驚かない者はいないだろう。


 リアンは一瞬、生命維持以外の全ての動きを止めた。限界まで呼吸を止め、止めていたことすら忘れるほどに混乱している。慌ててお茶菓子を口に詰め込んで紅茶で胃に流し込んだ。リアンなりの落ち着くための方法だ。


「悪い、話が飛びすぎてついていけないわ。ダン様って、あのダン様?」

「そうだ。話が飛んだのは許せ。色々事情があってな。しばらくは暁家に泊まる。で、そのダン様に武芸の手ほどきをお願いしたいんだ。基礎体力を付けるところから全部、な」

「それは別に構わないけどよ。武器はあるわけ?」

「もう依頼はしてある。剣と盾で身を守れるようにしたい。いざと言う時に備えてな。頼めるか?」


 金牙がリアンの赤い目をじっと見据える。背丈も体格もリアンの方が立派だが、その眼差しには有無を言わせないだけの力があった。二人の言葉のやりとりから、リアンが金牙に頭が上がらないことがうかがえる。


「オーケー。その代わり、夕飯はご馳走になるじゃん。必要なら今晩は泊まってくからそのつもりでいてくんない?」


 金牙の眼差しに折れたリアンは、少し呆れた口調でそう言葉を返す。かと思えば、訓練所に向かうべく会議室を出ていった。場所を聞かなくても移動出来るのはおそらく、何度もこの屋敷に来ていて慣れているからだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る