4-2 リアンの武芸講座
広い訓練所の中にいるのはたった二人だけだった。そのうちの一人は木刀の素振りを繰り返し、もう一人は壁に寄っかかってその素振りを眺めてる。木刀を振るうピッという鋭い音だけが訓練所に響いていた。
木刀を振るっているのはアリシエ。それを見ているのはダン。アリシエの別人格であるアルウィスは、リアンが移動してしまうとすぐに引っ込んでしまった。あくまでリアンと戦うためだけに出てきたらしい。
アリシエは楽しそうに木刀を振るう。よく見れば彼はただ木刀を振るっているだけではなかった。素振りに合わせて足を動かしている。その
「誰?」
「おいおい、そんな警戒すんなっての。さっき戦った仲だろ?」
訓練所にリアンが足を踏み入れる直前、アリシエの動きが止まった。鮮やかな赤髪が殺風景な訓練所に色を添える。リアンが訓練所に現れるとアリシエはすぐさま木刀を構える。金牙に何度も言われ、ようやく人を疑うことを覚え始めた結果だ。
「ダン様、この人のこと、知ってる?」
「戦闘貴族の一つ、アウテリート家の当主じゃ。名はリアン・アウテリート」
「南部の……アポロン! アポロンにいる人?」
「そうじゃ。それに、戦闘貴族は味方であるぞ、一応。じゃから、そこまで警戒する必要はないのう。殺気を感じてから動けば良い。こやつは殺気を隠すのが下手なのじゃ」
アリシエとダンの会話に思わずリアンはポカンと口を開けてしまう。そのやり取りは先程戦った時に金牙としていたものと同じだからだ。僅か三十分ほど前の出来事。よほど忘れっぽくなければ覚えているはずの内容だ。にもかかわらず、同じやり取りを繰り返していることに違和感を感じた。
リアンはアリシエとアルウィス、二つの人格の存在を知らない。アルウィスが出ている間の記憶はアルウィスが教えない限りアリシエにはわからず、その逆も
(随分な言われようじゃん。否定出来ねぇけど。ん? あいつ、さっきまでと雰囲気違くねぇか? さっきまでの攻撃的な雰囲気はどこ行った?)
決して言葉には出さない。だがアリシエに対する疑問を抱かずにはいられない。リアンはアルウィスのことを何も聞かされていないのだから、その反応は至極当然と言えた。もっとも、アリシエとアルウィスの二つの人格があるだなんて言われたところですぐには納得できないだろうが。
「ま、まぁさ。気軽にリアンって呼んでくれよ。アルだっけ。こいつが自主錬してるのは見りゃわかるとして……ダン様は何を?」
「我にアルの鍛え方は合わなくてのう。休んでおるのじゃ。やっと回復してきたところでの。してリアン。お主は何故ここに? 当主会談にはまだ早いと金牙に聞いておったのじゃが」
ダンはこれまで宮殿で武芸とは縁のない生活をしていた。となれば当然、基礎体力はそこまで高くないし、鍛錬にも慣れていない。そんなダンに、戦い慣れた者の鍛え方が合うはずがないのだ。
こうなることを見越して、金牙はリアンに依頼をしたのだろう。ダンにはその実力に見合った鍛え方を、アリシエには稽古をすることでその実力を見ろ、と。遠回しな言い方になるのは金牙の悪い癖である。リアンは小さくため息をつくと、ダンの前にひざまずいた。
「遅ばせながら申し上げます。ダン様。今日より、
「覚悟、とは?」
「奇妙なことに……武術を
リアンはダンに覚悟を問う。敬語を使うのは形式上の報告のみ。他の会話では敬語を使わない。本来ならばそれは皇族に対する敬意がないとして罰せられるべきもの。だがダンはそんなリアンの言葉を
リアンが述べたのは武人の宿命だ。これからダンが踏み入れようとしている世界のこと。その厳しい世界のことを聞かされてもなお、ダンは首を縦に振る。その目に迷いの色はない。争いに巻き込まれてもいいから強くなりたい、無様に死にたくない。そんな気持ちの表れでもある。
ダンの返事を確認したリアンはその場で立ち上がる。かと思えば、訓練所の棚から木刀を二本取り出し、その一本をダンに投げ渡した。その仕草には敬意が欠片も含まれていない。武術を指南するのに気を遣っていてはダンのためにならないからだ。リアンの目は淡々とダンを見下ろす。
「ダン様、動けるか?」
「うむ」
「じゃ、今から俺の隣で動きを真似してほしいな。初めはゆっくりやるけど、今日中には一人で出来るようになってほしい」
リアンが指示を出せばダンが木刀を持って立ち上がる。その顔はもう笑ってはいない。まだ呼吸が整いきっていないが、それでも稽古を始めることを選んだ。真剣に教えを乞うことこそが彼なりの決意表明だ。
ダンが立ち上がったことを確認するとリアンは木刀を構える。だが「あっ、やべ」と小さな声を
再びリアンが戻ってきた時、その手には円形の小盾を模した木の板を手にしていた。それを一つダンに向けて放る。ダンは不格好ではあるがきちんとそれを受け取った。だが渡されたところで木刀も木の板も構え方がわからず、何も出来ないまま。
「利き手はどっち?」
「右じゃのう」
「ならこの木刀と呼ばれるものを右手に持つじゃん。で、こっちの板は左手。持ち方は俺のを真似して。足は最初は肩幅に開いてくれ。
実戦では木刀の代わりに剣を、板の代わりに盾を使うんだ。本来なら形には種類があんだけど、基本的な持ち方は一緒だし? まずはこの二つで慣れてもらおうと思う」
リアンが持ち方や持ち手を指導。ダンはそれを見ながら基本的な持ち方をする。さらに基本となる立ち方をリアンに指導されて何とかそれを形にする。しかし慣れていないからだろうか、顔をしかめてしまう。
この違和感に慣れないと戦う事はもちろん身を守ることすら出来ない。ダンもそれを理解しているから、持ちにくさや不快感に対して文句は言わない。リアンはそんなダンを慰めることなく構えを取る。ダンは慌てて見様見真似で不格好にその構えを真似する。
「これはあくまで基本的な動きだ。構えたら息を吸う。息を吐くのに合わせて動かす。これが基本だから、忘れんなよ?」
「うぬ」
「最初はわかるようにゆっくり動く。けど、自分でやる時は息を吐くのに合わせてなるべく素早く動いてほしい。動くぞ」
リアンが構えたら状態から鋭く木刀を突く。それと同時に足も動く。ダンがそれを真似すれば、その体勢から次の構えへと移行。構えては動き、構えては動き、を五回ほど繰り返し、ようやくリアンの動きが止まる。
「これが基礎の型。そうだな……一日に最低十回は通してほしい。それと、アルだかがさっきやってたような素振りを最低三十回」
「そ、そんなにか?」
「元の基礎体力が無いから、基礎体力のと剣術をほぼ同時に鍛える。悪いけどこれ以上妥協したら、ダン様はいつまで経っても弱いまま。これでもだいぶ数減らした方だしな」
基礎の型を一回通しただけでダンは疲れきってしまう。今まではこれほど身体を動かすことがなかったため、身体が慣れていないのだ。リアンはそれを踏まえた上でノルマを課している。
「俺はアルを見てくるから、しばらく型をやっててほしいじゃん。わからなくなったら呼んでくれれば教えるからさ」
リアンはダンにやるべき事を告げると足元に木の板を置いた。木刀と背負ったままの大剣だけを持ち、一人で鍛錬をしているアリシエの方へと向かう。ダンには基礎の指導で済んだが、アリシエはそうはいかない。声をかける前に深呼吸をして精神を落ち着かせる。
訓練所の片隅で木刀を振るい、技らしきものを確認している人影がある。リアンがダンに型を教えている間も動いていたはずだ。にもかかわらず、さほど息はあがっていない。それなりの持久力は備えているようだ。
だがリアンの目を
「その剣、誰に習ったんだ? 見たことない技じゃん」
「パパが教えてくれたんだよ。何かあっても生き残れるようにって」
アリシエは型をこなしながらリアンの質問に答えてみせる。アリシエの言わんとすることは、リアンにもすぐに理解出来た。それと同時に聞いたことを後悔もしたが。
有色人種、特に黒系の肌を持つ者への差別は、何もハベルトに限ったものではない。差別をする国は他にもある。平等を
アリシエのような黒人がこの世界で生き残るには強さと運を必要とするのだ。必要とされるのは誰かを守る強さではない。誰かを傷つけてでも生きる強さが求められる。そして何よりも必要なのが、運。
アリシエとソニックは黒檀の肌を持つ者にしてはかなり恵まれている。奇跡的に船員によって奴隷船から逃げ、金牙に助けられ、暁家に雇われ、人として扱われる。それは、多くの黒人からすれば夢のような話。そしてこれこそが運の導いた結果だ。
「型はいくつあるんだ?」
「四つ! 本当は手合わせで練習したいんだけどね」
「じゃあ、俺が受け手になろうか?」
「いいの? あ、でも……」
「でも?」
何やら困った顔をするアリシエに、リアンは強い違和感を覚えた。たかが練習、たかが手合わせ。なのに何をそんなに
「寸止め、っていうのが下手で。怪我させちゃうかも。それでもいい?」
「いいじゃん。そんなのよくあることじゃん。ついでにその型ってやつも教えてもらいたいし? 真似出来ねぇけど」
リアンが大丈夫であることを何度も訴えた結果、アリシエは仕方なさそうにリアンと仕合することを認めた。リアンは技への練習台。そう決めたのに、アリシエは悲しそうな顔をする。
リアンにはアリシエが申し訳なさそうな顔をする理由がわからない。まだリアンが怪我すると決まったわけでもない。なのに、アリシエの表情は死ぬとわかっている敵を見るような、哀れみと悲しみの入り交じった顔をする。
(何をそんなに恐れてる? 武人なんだ。人が怪我するのなんて慣れてるだろ?)
声には出せない思いを抱えながら、リアンは木刀を握る。そして訓練所の中央付近にアリシエと共に向かい合う。アリシエはやはり今にも泣きそうな顔をしてる。真剣より安全な木刀を使っての組手だというのに、何を恐れるというのだろうか。
「頑張ってついてきてね」
「ついてくる? よくわかんねぇけど、さっさと始めるじゃん」
アリシエの謎の言葉とリアンの返事を合図に仕合が開始される。あくまでリアンはアリシエの技を受ける受け手。だから自ら攻撃を仕掛けることはせず、アリシエの動きを待つ。
木刀には鞘付きのものとそうでないものがある。今回アリシエが使っているのは鞘付きのもので、リアンが使っているのは鞘なしのもの。両者はただ鞘があるかないかの違いしかなく、鞘付きの方は主に居合の練習に用いられる。
アリシエは木刀を鞘に入れたまま腰に身に付けていた。柄を掴んだまま、木刀を鞘から抜きはしない。タイミングを測っているのだ。なかなか木刀を抜かないその仕草から居合が放たれることだけは想像出来る。
肩幅に開いて少ししゃがんだ体勢のアリシエ。右肩を前に向け、右足が前に出ている。この構えに何か意味があるのだろうか。アリシエの僅かな変化も見逃すまいとリアンは目を凝らす。
何をしたのかはわからない。だが急にアリシエの身体が前に倒れてきた。かと思えば一瞬でリアンの眼前まで移動をしてみせる。さらに、リアンの気付かぬ間に鞘から木刀が抜かれ、振り上げられた。それは重力を利用して急加速する、という技術を利用した技である。
リアンはアリシエの放った居合を木刀で防ぐのが精一杯だった。木刀と木刀がぶつかる音がする。嫌な予感がしてすぐさまその場を後退。いつ何が起きてもいいようにと再び木刀を構えた。だが、気配は感じるのに肝心のアリシエの攻撃が見えない。
リアンの直感を信じたその行動はある意味正しい。なぜなら、もうリアンにはアリシエの姿を追うことが出来ないから。リアンも一武芸者だ。並の武芸者の動きなら見失わない。いや、武芸者を見失うこと自体今回が初めてが初めてだ。それほどアリシエの速さは異常だった。いや、異常なのは速さではなくその
アリシエの姿が見えないことに動揺してキョロキョロと周囲を見回す。だが突如背後に殺気を感じ、
(速いっつーか、俺が見失ってるだけだな。死角に回り込まれてるじゃん)
心を落ち着かせようと今起きている現実を自分に言い聞かせる。今起きているのは技でも型でもない、ただの身体能力の差。そう言い聞かせて冷静さを取り戻そうとする。落ち着けば見えるはずの攻撃を見失うのは、アリシエが上手くリアンの裏をかいて動いているから。それは、紛れもない技術による攻撃。
必死に落ち着こうとしていた時だった。殺気を感じて木刀で身を守る。だが木刀同士が当たる音はせず、リアンの肩に鈍い痛みが走った。痛みに顔を歪めるリアン。その前にアリシエが姿を現す。子供が大好きな玩具と遊んでいるような、無邪気な笑みを見せている。
アリシエが木刀を構える。リアンはその攻撃を受けるために胸元で木刀を構えた。赤い目がアリシエの身体を見る。わざわざ正面に現れた。今度は動きを見失わないはず。リアンは目に全神経を集中させる。
リアンとの間合いを詰めたアリシエは木刀を振るう。リアンの目はそれを可能な限り目で捉え、反応した。木刀を受けようとしたリアンが見たのは……奇妙な軌道を描く剣筋であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます