2-4 「アリシエ・アール」という人物
アリシエが
「で、何? 俺とアリシエについて話せばいいのか?」
「……お前、アルウィス、なのか?」
「そうだけど? あー、人格のこと聞きたいわけね。そりゃ俺だな。アリシエは何にも知らねーし。で、何を話せばいい?」
アルウィスの低めのはっきりとした声が響く。口調も声も利き手も癖も、めんどくさそうに話すその態度さえ。全てがアリシエと違っていた。外見そのものは変わらないというのに、何故ここまで違うのだろう。やはりアルウィスの言動も、アリシエ同様に演技には思えない金牙がいた。
金牙が説明しなくても聞きたいことを把握する。まるでどこかから声が聞こえているかのように反応するその様子は、
「お前達について聞きたい。戦い方とか特徴とか、そういう僕の見ていない違いを知りたい。お前達について未知数だし、未だに完全に信じた訳では無いぞ。が、僕には知る権利があるだろう?」
金牙はまだ「アリシエ」と「アルウィス」という二つの人格があることしか知らない。二つの人格がどう違うのか、「アリシエ」が戦えるのか。今後のことを考えるとそれらを知る必要がある。アリシエ・アールの主である金牙にはそれを知る権利があった。
「俺は体術が、アリシエは刀術が得意。でも、今のアリシエに人は斬らせたくねーんだよ。戦いなら俺が出来る。俺が代わりに戦っても問題はねーだろ? 故郷の話はあんましないでくれよ。アリシエから話さない限り聞くな。ちょっと面倒な事情があってな」
「お前はアリシエに執着してるのだな」
アルウィスの少し長めの話を聞いた金牙の感想はその一言に尽きた。未だにアリシエとアルウィスの存在について完全に信じたわけではない。しかし実際に起きているのだ。この非現実的な、信じ難い現象が。
アルウィスは、アリシエが右手で持っていたコップを左手で持っている。ふとした時にすぐ動くのも左手だ。味覚も違うのか、アリシエが好んだ砂糖多めの甘い紅茶を飲んで顔をしかめている。
(受け入れるのに時間はかかるが……受け入れるしかないだろうな、ここまで違うなら)
金牙が心の中で無理やりアリシエとアルウィスの存在を納得する。その時だ。不意に昨日の
「もう一人は、どんな人格なんだ? いざと言う時に何も知らないと対処出来ないからな」
いざという時に何も知らないでは対処出来ない。金牙は無知は最大の弱点であると考えていた。だからこそ、この話に一番詳しいであろうアルウィスに聞くしかない。
アルウィスは大げさにため息を吐いてみせた。金牙の言うことはもっともで、反論の余地すらないからだ。だがアルウィスの表情が告げている。「こいつには話したくない」と。蛇を思わせる鋭い銀色の
「アリシエは昔、無意識のうちに壊れた人格を生み出すことで自分を守った。その壊れた人格がもう一人だ。代わりに、アリシエの記憶が消えたけどな。
もう一つは狂った人格だ。何があっても戦う、敵を
何か嫌なことでも思い出したのだろう。アルウィスは苦虫を噛み潰したような顔をした。かと思えば貧乏揺すりをすることで不機嫌なことを示す。ティーカップを扱う動きは乱雑で、派手で耳障りな音を立てる。そこに時折舌打ちが混じった。
「だから父様のことを聞いた時、あんな反応をしたのか」
「そういうこと。対処? 気絶させるしかねーだろ。急所狙うなり頭殴るなりして、な。それ以外で止めることは無理だな、多分」
多重人格。その存在すら最初は信じられないものだった。だが今こうして、実際に別人格が話しているのを見ると思う。これは演技なんてものではない、と。話し方の癖まで瞬時に変えるなんて不可能だ。
アリシエが純粋なのはアルウィスなどの人格を作った時に記憶を失ったから、なのだろう。育ちのせいではない。記憶が欠けている、無知であるがための純粋さ。無知だからこそ、アリシエは常に笑っているのだ。
逆に言えば、これからも同じことが起こる可能性はある。無意識のうちに人格を作り出して、アリシエの方は記憶を失って。作り出した人格が暴走することもあるかもしれない。金牙にはそれでも動じないだけの覚悟が求められていた。
「話、終わったの?」
いつの間に入れ替わったのだろう。アルウィスだったはずの身体はアリシエの身体となる。子供のような純心無垢な眼差しを見せるアリシエに、金牙の良心がチクリと痛む。ニコニコとした笑顔は、真夏の太陽を思わせるほど眩しく思える。
金牙がアリシエを戦闘員に迎え入れたのは決して偶然からではない。ある目的のためにアリシエを探していた。戦闘員にしたのはほとんどそのついでのようなもの。さらに言えば、金牙は目的の為にアリシエの戦力を利用しようとすら考えている。
(こんな
金牙はそう心の中で謝るのが精一杯。アリシエはそんな金牙の心情になど気付かずに、幼い子供のような無邪気な笑顔を見せるのだ。その無邪気さが、今の金牙には見ていて辛かった。
その夜、すっかり日が暮れて空に月や星が見えている。時計が示す時刻は夜十時。すでにアリシエ、ソニック、
そんな夜遅くに書斎にて電話をする人影があった。肩につくほどの長さである内巻きの金髪に濃い青色の瞳。白く細い指が黒い受話器をしっかりと握りしめている。その人影の正体は金牙、現在の暁家の当主であった。
左手に受話器を持つ彼は椅子に座っていた。机の上にはいくつかの単語が走り書きされたメモが置かれている。相手がなかなか出ないのか、指でコツコツと机を叩いている。つま先で何度も床を蹴る仕草がその苛立ちの度合いを示していた。
「もしもし。暁家当主の暁金牙だ。夜遅くに電話してすまないな。フィールはいるか?」
「やぁ金牙様、こんばんは。僕がクライアス家当主のフィールだけど……こんな遅くにどうしたんだい?」
「相変わらずの口調と声だな、お前は。まぁそんなことはどうでもいい。お前、医学には詳しかったよな?」
金牙が電話をかけたのは戦闘貴族の一つ、クライアス家。電話をしながらもその目は手元に置いてあるメモを眺めている。そのメモには「人格」「精神病」と言った単語が雑な字で書かれていた。
「そりゃあね。一応お家芸ってやつだし。それがどうかしたのかい?」
「多重人格、二重人格。これらに関する資料を探してもらえないか? 精神的な病気の一種だと思う」
「金牙様の頼みなら何だって従うよ。可能な限り探してみるさ。で、送るのと届けるの、どっちが希望かな?」
「届けてくれ。近々嫌でも会うことになるし、その前にでも」
「了解。あーあ、早く金牙様に会いたいなぁ。多重人格の子にも会ってみたいし」
「誰もこの家にいるとは言ってないだろう?」
受話器越しに聞こえる挑発的な声に、金牙の声が低くなる。眉間にシワを寄せ、床を蹴るつま先が少し早くなった。四分音符から八分音符に、つま先の奏でるリズムが一定の間隔を刻む。
「わかってないなぁ、金牙様は。わざわざ金牙様が僕に頼むって事は、よっぽどのことだよねぇ。……昨日、ラクイアで黒人奴隷二人が逃げ出したんだってね。ラクイア大聖堂で金牙様が馬車に黒人二人を乗せてたし。雇ったんだろう?」
「お前は僕のストーカーか? 何故僕の出来事をお前が知っているんだ。わざわざお前ではなく部下を指名して依頼したはずだが。いい加減にしないと訴えるぞ?」
相手はラクイアで起きた黒人奴隷脱走騒動を把握していた。その上で、逃げ出した奴隷であるアリシエとソニックが暁家の屋敷にいると察している。金牙の言葉から、フィールなる人物が金牙の行動を観察するのは日常茶飯事だと推測出来た。
「大丈夫。こんなことするのは金牙様と皇帝様にだけだから。じゃあ、早めにそっちに向かうよ。僕のお気に入りの黒人を連れて、ね。大好きだよ、金牙様。それじゃまた今度。おやすみ」
「相変わらず気色悪い奴だな、お前は。資料は頼んだぞ。それじゃ、おやすみ」
電話を終えると金牙はハァと大きく息を吐く。電話越しの会話だと言うのにひどく精神的に疲労してしまったのだ。その場で大きく伸びをして気持ちを切り替える。それと同時にノック音がした。「どうぞ」と返事をすれば
銀牙の手にはティーカップ二つが載せられた盆があった。その背中には巾着を模した布袋を乗せている。不自然な凹凸を示す布袋には、何かが入っているらしい。金牙に少し似た顔が優しく微笑みかける。
盆を金牙の目の前、机の上に置くと、湯気の立つティーカップを金牙に渡す。そして背負っていた布袋を床に下ろし、その中に入っている物を取り出した。重厚な金属音が書斎に響く。
「お、ホットミルクか。気が利くな。蜂蜜は入っているのか?」
「蜂蜜は虫歯になるから駄目です。――でも、僕が来たのはホットミルクを届けるためじゃないよ。これを見て」
銀牙が布袋から取り出した物を卓上に置く。それは二つの首輪であった。鍵を外されているようだが、首輪についた鎖は奇妙なことに途中で切れている。これはアリシエとソニックが身につけていた首輪だ。何者かが鎖を切断して二人を逃がした証だ。
切断面は滑らかだった。刃物で斬ったとしても、よほど上手く斬らなければこうはならない。綺麗な断面に思わず目を奪われる。だが銀牙が指で示したのは鎖の切断面ではなく、首輪の内側だった。着用した状態では見えないその部分には、奇妙な印が刻まれている。
それは小さく見にくい印であった。目を凝らして見てみればそれは、
「これ、薔薇を模した印章です。虫眼鏡を使って調べたところ、薔薇の中央に刻まれたのは『ジョン』。薔薇は戦闘貴族の証、名前は先代皇帝です。おそらく先代の戦闘貴族でしょう。
今は皇太子様に味方する貴族の一人とみて良いかと。現皇帝の戦闘貴族ではないので、この行為は裏切りには値しません。法律違反には変わりないですが。首輪から察するに、アリシエ達がいた
銀牙が報告したのはアリシエとソニックが身につけていた首輪を調べた結果だ。首輪から奴隷業者かその支援者の身元を知れればと、単独で調査を行っていた。首輪に刻印があるということは、その首輪が特注品であることを示す。多くの特注品を作って支援するなんてこと、よほど金に余裕がないと不可能だ。
「本当か? だとすると他の先代の戦闘貴族も疑うべきだな。まぁ、あの奴隷業者にはすでにあいつが潜入してる。連絡を待ってからでも遅くはない。が……」
「動いてもらいましょうか、他の戦闘貴族にも。私も可能な限り調べます」
「動いてもらうのは当然だ。とりあえずお前には当主会談を組んでもらうとして。アウテリート家には先に連絡してほしい。今回の件はアウテリート家に動いてもらう」
「御意です。では、失礼します」
ホットミルクを飲みながら語るは今後の予定について。そして罰を与えるべき敵について。さらには今後の戦闘貴族の活動について。飲んでる白い液体に相応しくない、重苦しく暗い内容だ。
必要な会話を終えると、銀牙は書斎から去っていく。それを確認してから、金牙は書斎で机に向かった。その手にはペンが握られている。彼にはまだ、皇帝に向けた現時点での報告書を日記形式の記録として書く作業が残っていた。
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