2-3 皇帝からの手紙
アリシエとソニックが
白壁が一直線に続いている廊下。その幅は、人が刀を振り回しても壁に掠らない程度。白壁の一方には等間隔で
身体の動きに合わせて銀髪が揺れ動く。その濃い青色の
人影の正体は
三階には書斎しか存在しない。正確には書斎と、書斎から繋がる家主のプライベートルーム、二つの扉があるだけ。残りの空間は隠し部屋や物置に使用されており、白壁に隠されていて廊下からはその存在が見えないようになっている。銀牙は目的とする部屋の前まで辿り着くと、呼吸を軽く整えてからドアノブに手を伸ばした。
「金牙様、大変です!」
呼吸を整える余力はあったというのに、ノックを忘れてしまった。さらに、扉を開ける力が強すぎた。木製の扉が勢いよく壁に当たり、バンッと鋭い音を響かせる。だが銀牙はそんなことお構いなしで移動し、金牙の前にひざまずいた。
金牙が騒がしい物音に気付いてその顔を上げる。何事かと立ち上がって確認すれば、そこには自分の机の前でひざまずく銀牙の姿があった。強すぎる力で開けられた扉が開きっぱなしになっている。金牙の目が、銀牙の手に握られている封筒を捉えた。
封筒はさほど珍しくもない、市販の白封筒だ。階級問わず、ハベルト国民の多くが使用する代物である。白封筒には赤い
「金牙様、大変で――」
「銀牙、二人きりの時に敬語はやめろ。何度言えばわかるんだ? それと、とりあえず落ち着け。楽にしろ」
焦る銀牙を制して金牙が真っ先に告げたのは口調に対する注意。それは銀牙を落ち着かせるための発言だった。金牙に言われ、銀牙は苦笑いを浮かべる。その目はどこか嬉しそうで、でもどこか悲しそうにも見える。その瞳の奥に見え隠れする感情を読み取ることは難しい。
「身内に敬語を使われる趣味はない。僕とお前は兄弟みたいなものだろう?」
「そう、だったね」
「お前はそうやって笑っている方がいい。さぁ、手紙を渡せ。そのために来たんだろう?」
金牙に言われ、慌てて手に持っていた封筒を渡す。金牙は封筒を受け取るとすぐさま中身を確認し始めた。その間、銀牙はひざまずいたままだ。本来は立ち上がるべきなのだが、体力が尽きてしまい、ひざまずいたまま立ち上がることが出来ないでいる。
書斎が沈黙に包まれる。封筒の中には
(これは、正気か?)
手紙を読んで金牙が抱いた最初の感想がそれであった。金牙の様子を不審がる銀牙に、金牙はたった今まで読んでいた便箋を突きつける。金牙の濃い青色の目が「読んでみろ」と告げている。その目に促されるがままに、銀牙の眼球が文字を追い始めた。読み進めていくうちに銀牙の表情もまた、険しいものになっていく。
「筆跡は間違いなく皇帝陛下のものだ。便箋も、陛下がいつも使われる黄緑のもので、サインも陛下のものに間違いない」
「もしこれが本当なら……」
「皇太子派の動きが過激になってきた、ということになるな。そして陛下は、宮殿が危険な場所と考えていらっしゃる、ということだろう。銀牙、戦闘貴族の当主に話をつけに行ってくれ。急ぎで話し合う必要がある」
皇帝から届いた手紙を読んだ金牙は、すぐさま何をすべきか決める。そして銀牙に指示を出した。戦闘貴族は定期的に当主が集まって話し合っており、その話し合いは「当主会談」と呼ばれている。定期的な集まりは年一回だがそれとは別に、緊急時にも当主会談を行うことがある。
緊急時に当主会談を開く条件はただ一つだけ。「皇帝に関する問題が発生している」ということのみ。手紙の内容はその条件を満たしており、当主会談にすべき案件だった。金牙の言動から、いかに事態が切羽詰まっているかがわかる。
「いつがいい?」
「
「わかった。金牙は、どうする、の?」
「とりあえずアルを連れて陛下の元へ向かう。『神の眼』を探すことが陛下の依頼だからな。多重人格は想定外だが、探し人というのは変わらない。会わせるのが僕の仕事だ」
金牙と銀牙が真剣な顔で話し合う。その原因は便箋に書かれていた文章。銀牙が持ってきた手紙はハベルトの階級で頂点に位置する皇帝から届いたもの。二人はもう一度、その文面を読み直すことにした。
暁金牙殿へ
先日、ゾッとすることがありました。息子のダンが危うく命を落とすところだったのです。それはダンが遊んでいる時のことでした。
突然何者かが現れてダンの首を狩ろうとしたのです。幸いにも護衛の者が対処したのですが……犯人は暗殺に用いるような武器ばかりを身につけていたそうです。
怖いですね。次は僕が狙われるかもしれない。皇帝になってから、今まで以上に狙われることが増えた気がします。
さて、突然ですが金牙にお願いがあります。ダンを金牙の家に泊めてほしいのです。しばらくの間、ダンのことをお願いします。
丁度明後日、僕の元に来る予定でしたよね。その時にダンを連れていってください。ダンはもう、お泊まりセットを用意して楽しみにしていますよ。
アノリスより
追伸
もし僕の探していた子が見つかっていたら、どうか明後日連れてきてください。親友とその忘れ形見に早く会いたいです。先日の報告を受けて、ダンと共に会うのを楽しみにしています。
「何度読んでも、やっぱりうまく言葉を濁してる。『早く会いたい』……陛下の危険信号。つまり、それほど宮殿内が危ないということだな」
「事実を、書いている、わけだし……ダン様の、ことも、『お泊まり』。これなら、皇太子派に、見られても、大丈夫、だね。最初から、来るみたいに、書いてある」
もう一度手紙を読み直すと金牙と銀牙は互いに顔を見合わせる。流し読みすると近況報告にしか見えないこの手紙。だがその手紙は、皇帝の置かれた状況を伝えてくれる。内部で読まれることを想定して書かれた手紙は、金牙を動かすには充分過ぎる内容だった。
その晩のこと。夕食のために食堂に人が集まっていた。アリシエ、ソニック、虹牙、金牙、銀牙の五人が一つのテーブルを囲んでいるのだ。使用人が食事を片付けると同時に場の雰囲気が一転。食事中は和やかな雰囲気だったのに、今は張り詰めた雰囲気になっている。
「明後日、僕は皇帝様の元へ行く。そこにアル、お前を連れていきたい。明日は服を仕立てに行く。いいな?」
「うーん。よくわからないけど、僕、金牙についてくよ」
アリシエは金牙の指示に深く考えずに返事をする。即答だったことから、さほど理解せずに返事をしたことがわかる。だが金牙はもう、それを
「銀牙は当主会談の手配を頼む」
「御意です」
「ソニック、虹牙。二人には留守の間の屋敷の警備を頼みたい。皇太子派に襲撃されるなどしたら連絡してくれ。虹牙、連絡の仕方をソニックに伝えてくれ」
「わかったよ、金牙。私達に任せてくれ」
「わかった」
金牙の指示を各々が把握する。だが張り詰めた雰囲気は直らない。その原因は、どこか表情の硬い金牙にあった。金牙を悩ませているのは先ほど読んだ皇帝からの手紙である。皇帝が怪しまれないように書いた文面から少しでも多くの情報を得ようとしている。そしてもう一つ。
アリシエはハベルトでの差別対象である黒人だ。さらにアリシエの持つ銀色の目――「神の眼」が問題だ。光沢のある銀色の目はこの世に二人といない珍しい目。見る人が見ればすぐに「神の眼」であるとわかる。
いかにしてアリシエを皇帝のいる部屋に連れていくのかもまた、頭を悩ませている案件の一つであった。肌の色も目の色も隠せない。かと言って連れていかないわけにもいかない。さらに言えば皇帝とその息子にどう多重人格のことを説明するかも問題なのだが、そちらは場の流れに任せることにすると決めていた。
「アリシエ……いや、アル。明後日について注意だ。たとえ何があっても、どんなことをされても言われても、何もするな。僕もなるべく急いで移動するようにはする」
「攻撃するの、悪い人じゃないの?」
アリシエは本日虹牙から話を聞いたばかりであり、ハベルトでの差別についてよくわかっていない。差別の結果、ハベルトでは白人が有色人種に手を出すこともある。そんなハベルトでの当たり前の出来事が、アリシエにはわからないのだ。それが故の的外れな質問に、思わず金牙は頭を抱えた。
「いいか、よく聞け。お前の立場をはっきりと教えてやろう。今のハベルトは、法律で奴隷を禁じているとはいえ、
奴隷の意味はわかるか? 簡単に言えば自由のない、安い金と少ない食べ物でこき使うだけの存在だ。この屋敷でどんな扱いを受けようと、周りの者にとってお前はただの黒人奴隷でしかない。戦闘員だろうとなかろうと、周りの奴らからすれば黒い肌を持つというだけで奴隷と同じ存在になる。よく覚えとけ」
金牙が今一度告げたのはハベルトにおける黒人の立ち位置。なるべくアリシエのわかるような言葉をつかって説明した。その冷たい眼差しと言葉に、アリシエはただ頷くことしか出来ない。刃を首元に突きつけられたような感覚に襲われる。
人種差別の影響がまだ残るハベルトという国では、民間での黒人絡みの事件が絶えない。黒人に対する暴行や暴言が平然と行われている。この状況を乗り切るには、黒人の存在を知らしめるだけのきっかけが必要だと、金牙は考えていた。
皇帝からの手紙の内容は、金牙からすれば好機だ。皇族の争いの解決に黒人が大活躍したとなれば、国民の黒人を見る目が変わるかもしれない。皇帝に貢献したとなれば、ハベルトにおける黒人の地位が上がることは間違いない。
「よし。アル以外は自由にしてくれ。銀牙、ソニックの服のサイズだけあとで教えてくれ。せっかくだから明日、二人の服を買ってくる」
「御意です」
話したいことを終えたのだろう。金牙はあっさりとその場を解散させた。金牙とアリシエだけになった食堂はやけに静かである。とりあえずアリシエの警戒を解こうとした金牙は、使用人に頼んで温かい飲み物を用意させる。
「さて、アリシエ。昨日はすぐに僕についてきたが、あれは何故だ? お前は人を警戒しないのか?」
「だって金牙、僕を助けてくれたよ? 助けてくれたってことは敵じゃないでしょ? あの時、殺そうと思えば殺せたもん」
金牙の質問にさぞ当たり前と言った表情で答えるアリシエ。その様子に戸惑う様子は見られない。味方を疑うことをしないその様子に違和感を感じる。アリシエにとっては「自分を助けたかどうか」が人の判断基準になっているようだ。そして助けた人は裏切らないと思っている。
「この国は味方でも裏切る時がある。だから、人を信じ過ぎるな。常に警戒する癖をつけろ。この国は、黒人の置かれた環境という意味では、シャニマよりよっぽどひどいからな。
何をしてもらおうが僕以外の奴には着いていくな。誰に何をされても、僕が戦闘許可を出していない時は耐えろ。それがこの国でお前が自由に暮らすための条件だ。いつか人種差別を恐れず人が出歩ける国にする。そのために全力を尽くす。だから今は耐えてくれ。いいな?」
金牙の語る夢は現実味のない理想だ。人種差別を恐れずに人が出歩ける、なんて理想でしかない。いつの時代、いつの世にも誰かしら差別する者はいる。差別する者は自らの好き嫌いで相手を
「わかった。アルウィスにも伝えておくね」
「一緒に話を聞いてはいないのか?」
「うーん。アルウィスは基本的に共有してるんだけど……戦うこと以外は興味ないから、何回も言わなきゃわからないよ」
(共有? 興味がない? どういうことだ?)
アリシエの言葉に疑問しか浮かばない金牙。どちらかが表に出ている時、もう一人にはその記憶がないらしい、というのは察したのだが確信が得られない。少しの間思考した彼は、人格についてアリシエに問うことを選んだ。
「アルウィスとアリシエ……お前達について、話を聞きたいな」
アリシエについて知ることは今後のためになる。それに、何故か違和感があった。アリシエは年齢の割に純粋過ぎるのだ。まるで幼い子供のようにすら見える。精神年齢が幼いのがその言動に顕著にあらわれていた。
昨日のやり取りから察するに、アリシエの身体の年齢は十七歳だ。が、アリシエの精神年齢は十代前半かそれ以下のように思える。一方アルウィスと呼ばれる人格は年相応の精神年齢と考えていいだろう。この違和感は彼の置かれた環境によるものなのだろうか。
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