1-4 予期せぬ勧誘

 ラクイア西部の森にある手入れの行き届いた巨大な屋敷。白壁に赤い瓦屋根が特徴的で、左右対称なデザインの屋敷だ。三階立てで高さよりも幅や奥行きの方が長い。その敷地はぐるりと壁に囲まれ、重々しい鉄製の正門から馬車や人が出入りするようになっている。


 アリシエ達を乗せた馬車は、そんな屋敷の玄関前に止まった。馬車が動きを止めた衝撃に驚いたのか、アリシエは不安げにソニックの顔を見つめる。対するソニックは驚いた様子もなく表情を変えない。金牙きんがが馬車から降りるとアリシエとソニックも続いて降りた。そのまま三人は屋敷の中に入っていく。



 最初に目に入ったのは左右に一本ずつある螺旋らせん階段だった。螺旋階段の近くには左右に繋がる廊下がある。さらに、いかにも値段が高そうな像や絵などの芸術品が屋敷のあちこちに飾ってあった。そのほとんどは支援者などからの献上品である。


 価値こそわからないが面白いと感じたのだろう。アリシエは屋敷に飾られている芸術品に興味があるようだ。高いところに飾られている絵を背伸びしてまで触ろうとし、危うく床に落とすところであった。それを見たソニックが慌てて彼を止め、手を引いて無理矢理金牙の後ろを歩かせる。


 勝手に行動して迷子にならないよう、ソニックはアリシエの後ろを歩いて行動を監視。アリシエが備品に触れるのを事前に阻止出来るようにした。本来ならもっと警戒するべきなのに、アリシエにはそれがわからないようだ。


 金牙は螺旋階段を上らなかった。代わりに、入ってすぐの空間――エントランスの左側にある廊下を歩いていく。廊下に入ってすぐのところに目的の部屋があった。木製の扉を開けば、客人を迎えるための空間が広がっている。


 立派な黒いソファが二つと、ソファに挟まれるように置かれた茶色い長机が一つ。机に呼び鈴が置いてあるのは、使用人を呼ぶためだろう。部屋には赤レンガ造りの暖炉が設置してあり、今は火が消えているが寒い時には暖をとれるようになっている。


 向けの応接室に通す。これは、有色人種であるアリシエとソニックを扱っていることを示している。有色人種が差別対象とされるこのハベルトという国において、彼らを人として扱う白人は極めて稀と言えよう。


「席に座れ。今、人を呼ぼう」


 金牙は呼び鈴を二回押して席に着くと、アリシエ達にも座るように促した。アリシエは何かが気になるのか、キョロキョロと辺りを見回しながら席に座る。ソニックはそんな彼の頭を軽く叩いてからその隣に座った。


 呼び鈴を押してから約五分後。外から、コンコンとドアをノックする音が聞こえてきた。やがて扉から現れたのは中性的な顔立ちの女性だ。体の上半身には僅かながらに胸があるのだが、下半身には男性のような特徴が見える。そんな奇妙な女性だ。


 肩下まである真っ直ぐ伸びた黒髪は白い肌と対照的で、彼女の肌を目立たせる。ソニックや金牙と同じ濃い青色の双眸そうぼうはどこか遠い所を見ているようだった。「心ここにあらず」と言った表現が最適で、その目がどこを見ているのかすらわからない。


 彼女の手には銀色の盆が握られている。その盆の上には、金牙の分だけでなくアリシエとソニックの分を含めた人数分の紅茶が用意されている。さらに、人数分のお茶菓子まで用意されていた。あらかじめ何人来るか、把握していたのだろうか。


「隣に座ってくれ。……まず、僕達の自己紹介でもしようか」


 女性が座ったのを確認すると金牙はそう切り出す。ソニックはその女性らしき人を近くで見て思わず叫びそうになった。その衝動を理性で無理やり抑えこむ。呼びかけたいが、呼びかけたところで彼女が怪しむのは目に見えてる。だから、深呼吸を数回繰り返して無理やり心を落ち着かせた。


 実はソニックは彼女の姿に見覚えがあった。彼女はソニックがよく知る人物に似ていたのである。どうして似ているかを彼は察していたが、それを信じられない。信じたくないために、突きつけられた現実を気のせいだと思い込む。


 アリシエはそんなソニックを見て、ニコニコと笑いながらも困惑したように首を傾げる。アリシエの方は自分がどんな状況に置かれているのかを把握出来ていなかった。なぜここに呼ばれたかも、この待遇が極めて珍しいことも、アリシエにはわからない。


「僕は暁家当主の暁金牙だ。隣にいるのは僕の遠戚にあたるあかつき虹牙こうがだ。虹牙、説明を頼む」


 名前だけを聞けば男性のようだった。しかし金牙はわざわざ「女性」と告げる。アリシエとソニックに誤解されるのを防ぐためだろう。金牙の言葉に反応して、虹牙が座ったまま小さく礼をする。長い黒髪がその動きに合わせて揺れ動き、部屋の明かりに照らされて光沢を示す。


 金牙と似ても似つかない白い顔の口角が僅かに上がった。細められた瞳と柔らかな表情が、漆黒の髪の下から顔を覗かせる。アリシエの目にはその動きが、更地に咲いた一輪の花のように際立って見えた。


「私達は戦闘貴族と呼ばれる貴族だ。戦闘貴族は皇帝のために戦うのが仕事になる。今、我が暁家では戦力が足りていない。そこで、そなた達に協力してほしいと思っている」


 虹牙の声は、高い声と低い声を混ぜたような不思議な声質だった。奇妙な声だったが金牙だけでなくアリシエとソニックも、自然にそれを受け止める。特徴的なその声は人の心に訴えかけるような何かを持っていた。虹牙の言葉に金牙が小さく頷き、その先の言葉を引き受ける。


「どうせ売られるはずだったんだ。他に行くあてもないだろう? このまま逃げたところで誰かにこき使われて自由すらなくなるのがオチだ。だから、僕がお前達を貰ってやろう。

 衣食住、何でも用意してやる。自由な時間もやる。仕事をしてルールを守るなら、あとは自由に過ごしていい。金もやろう。どうだ。我が暁家の戦闘員にならないか?」


 アリシエもソニックも奴隷船から逃げ出した。本来ならば黒人武芸者として高額で売られ、その後は低賃金で過酷な労働を強いられるはずだったのだ。今いる屋敷を離れたところで、誰かに捕まって売られるだろう。ハベルトで金牙のような対応をする者はほとんどいない。


 金牙と虹牙の話を聞いたアリシエは、頭の中でアルウィスと話すことにした。話の内容はよくわからないが、自分一人で決めるわけにはいかないということだけはわかる。故に、何が起きているのかを説明してから、アルウィスに意見を求めた。


『どうしたらいい?』

『どうせ帰る場所も行く場所もねーんだ。戦うのなら俺がやる。ここで暮らす方がまだ、さっきの船よりマシだろーな』

『だよね』

『でも、俺のことを言うのはソニックに任せろ』


 アルウィスと金牙、虹牙の話は聞いた。だが仕事内容やその仕事に付きまとう危険性などは一切気にしていない。あくまでも「元いた船よりマシ」という理由だけでアリシエは結論を出す。そして、何が面白いのか歯を見せて笑う。その歯は過去の環境のせいか黄ばんでいた。


「僕、戦闘員になるよ」


 アリシエは答えた後、嬉しそうに口角を上げるとソニックの顔を見る。アリシエの答えを知っていたのだろう。ソニックは何かを訴えかけるように金牙の目を見据えた。「アルウィス」について説明するためだ。


「あのさ。……『二重人格』って言葉、知ってる?」


 二重人格。それは一人の人間という器の中に二つの人格が存在する状態のこと。二つの人格が記憶の共有や会話を出来るかどうかは人によるらしい。少なくとも普通ならばありえないし、なかなか信じられない言葉だろう。


 ソニックの問いに金牙と虹牙の二人は頷いた。「二重人格」という言葉も意味も知っている。だが、すぐに信じることが出来ない。疑われるのを既に予想していたから、ソニックは淡々とした口調で「替わって」と告げた。




 アリシエが目を閉じて再び開く。それだけなのに、先程までの穏やかだった雰囲気が攻撃的な雰囲気に変わる。笑顔が真顔に変化した。その目付きが鋭くなったのは気のせいではない。その目は金牙と虹牙をにらみつけ、殺気を放つ。


「俺はアルウィス。ソニックは俺らのことをアルって呼んでるな。いきなりで信じねーだろーが、俺が別人格ってやつだな」


 アルウィスはそれだけを述べると素早く瞬きをした。それだけで先程まで穏やかな雰囲気が、花が咲いたような笑顔が戻る。アリシエに戻ったのだろう。アルウィスが現れたのはほんの一瞬。だが金牙達が彼の存在を知るには十分すぎる時間だった。


 金牙と虹牙はその変わり様に、アルウィスという存在に恐怖を抱く。彼から感じた圧力は明らかにアリシエとは桁違いだ。放たれた殺気は背筋が凍るような恐ろしさだった。人格が変わるだけでこんなにも雰囲気が変わるものなのだろうか。


「アルは、二重人格。二つの人格を持っているんだ。すぐには信じられないだろうけど。でも安心して。一応戦えるよ、そこら辺の武芸者に負けないくらいにね。無知だけど」


 無知だからこそ知らない人についていく。自分が信用した相手には全てを話す。金牙がアリシエを誘った時の違和感は、彼の無知からくる言動だったようだ。無知だからこそ、アリシエはずっと笑っていられる。


 ソニックの説明を聞いても、金牙はすぐには納得出来ない。人格が替わるのはその目で見た。だが、それが演技であるという可能性を捨てきれずにいる。一方虹牙は、「そういうのもあるね」程度の認識しかしていない。


 はたして、いきなり「二重人格」と言われて信じる者がどれだけいるだろうか。このハベルトという国では、二重人格を主とした精神疾患は一部の薬師くすしにしか知られていない。それに加え金牙には、自らの目で確認した事実と現象しか信じないという癖があった。


「とりあえず、明日から必要な知識を教えよう。すぐに死なれても困るからな」


 金牙は二重人格の話を無かったことにして、「無知」の部分にのみ反応して言葉を返す。ソニックはともかく、アリシエの方が問題だった。アリシエは育った環境が違うせいか、ハベルトのことを何も知らない。むしろ他国から来たというのにハベルトのことを知っているソニックの方がおかしいのだが。


「まずは、武芸の実力を知りたい。虹牙、銀牙ぎんがを呼んでこい」

「わかったよ」


 虹牙は部屋から出ていく。「武芸」と聞いたアリシエは目を閉じて再び開く。アルウィスと入れ替わるためだ。アルウィスは現れるとすぐに口を開く。ただ言葉を発するだけだというのに、かなりの重圧を放っている。


「ソニック、俺に刀を渡せ」


 アルウィスのいう刀は、助けてくれた老人から貰った刀のことである。刀はソニックが受け取り、追っ手との戦闘に使用した。アルウィスに言われ、ソニックは鞘から刀を出す。その刃は途中で折れていた。追っ手に刺した刀を抜く時に折れてしまったのだ。


 よく金牙に刀を没収されなかったものだ。今回のような場合、普通ならまずはじめに有色人種の攻撃手段を奪う。反抗されないようにするためだ。金牙はおそらく、ソニックが刀を持っていることにとっくに気付いていたであろう。


 本来であれば武器を没収されるだけでなく、手足を拘束されたり怪我を負わされたりしてもおかしくはない。この国、ハベルトでは人種差別は当たり前だった。差別をしない者は国民の半数に満たないとされている。


 有色人種を屋敷に招く際は戦力を削ぐ、拘束する、武器を奪う。そして奴隷として安い賃金で雇う。それがハベルトの一般的な有色人種の雇われ方である。だが金牙はなぜか、有色人種であるアリシエとソニックを白人と同様に扱う。暴言を吐く様子も、嫌悪感を顔に出すこともない。


(このタイミングで刀……まさか、練習で使うつもりか? ソニックも止めない。僕が言うしかないか)


 金牙はわざとらしく咳払いをする。静かな応接室に、咳払いの音がやけに大きく響く。その仕草にアルウィスとソニックの視線が集まった。アルウィスが恐ろしいものを見るような目で金牙を睨み、椅子に深く座ることで金牙との距離を広げる。


「練習で扱うのは木刀だ。それに、攻撃は全て寸止めにする。間違っても味方を攻撃するなよ? 刀は今度用意してやる。それと……この咳は病ではない、安心しろ」


 金牙が慌ててそう伝える。まさか練習で刀を使う気でいたとは思いもしなかったのだ。まともに暮らしてきた人間なら、練習に真剣を使うなんて考えないだろう。そう心の中で驚きながら。


「練習じゃ木刀を使うのか?」


 アルウィスは不思議だと言わんばかりに金牙に聞く。その言葉に金牙は、彼が木刀を使ったことがあるのか不安を感じた。ハベルトでは鍛錬の際に木刀や木の棒がよく使われる。だが、アリシエの故郷シャニマではあまり使われないようだ。


 ただでさえハベルトにおける一般常識が不足している。知らない人である金牙に平然とついてくるくらいに、人を疑わない。だから「木刀を使ったことがない」なんてありえないことではない。彼らは今までどんな生活を送ってきたのだろうか。


「金牙、二人を訓練所に案内して。銀牙が待ってるよ」


 扉の外から虹牙の声がする。一度聞いたら覚えてしまう特徴的なその声に、ソニックがピクリと身体を動かした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る