1-3 ラクイア大聖堂にて

 追っ手の男性は目の前の少年の変わり様に言葉を失った。たったの一瞬で雰囲気も声も口調も目つきも、何もかも全てが変わっしまったからだ。金髪に銀色の双眸そうぼうという身体的特徴は変わらない。


 しかし奇妙なことに男性の中では、今目の前にいる黒人少年――アリシエは先程と同じではないという確信が生まれつつあった。目の前から放たれた殺気に思わず冷や汗が流れる。雰囲気に威圧されたせいか、体が重い。このままでは雰囲気に飲まれて怖気づき、動けなくなりそうだ。


「いい勘してるな。俺はアルウィス。アリシエじゃねーよ。――だ」


 アリシエと同じ姿で全く別の雰囲気をまとった少年は自らを「アルウィス」と名乗った。名乗る途中でもう一度クナイが飛んできたが、彼はそれを左手で掴み取ると床に投げ捨てる。その動作から、クナイの動きを的確に見切っているとわかる。


 男性には何が起きているのか全くわからない。同じ身体のくせに、全く別人のように振る舞うアルウィスという少年。その存在自体を理解することが出来なかった。否、すぐにそれを受け入れる者の方が稀であろう。同じ身体の中に複数の人が存在するなんて話、聞いたこともない。


(何が、どうなってやがる。さっきまでの笑顔はどうした。こいつ、こんな殺気放つ奴じゃなかっただろ?)


 少しの間迷っていたが、男性は三本目のクナイをアルウィスに向かって投げる。しかし投げた先にアルウィスはいなかった。男性の指先の動きを見てクナイが飛ぶ方向を予測し、男性の右隣に素早く移動したのである。


 アルウィスの接近に驚いた男性は、体勢を立て直すためにアルウィスとの間合いを取る。黒装束の下に隠していた剣を鞘から抜き、素早く身構えた。一呼吸置いてからアルウィスに突進して斬りかかる。だがその斬撃は難無くかわされたてしまう。


 アルウィスは男性の動きも剣の動きも完全に見切っているようだ。男性の投げたクナイを手で掴んで止めたこと、クナイを投げる予備動作を見てすぐに反応したことからそれがわかる。動体視力が優れているのだろう。武芸者として売ればすぐ買い手がつくに違いない。


 アルウィスは男性の剣を見ると、自らも武器を取ろうと左腰に手を伸ばす。だがそこには何もない。彼は自分が丸腰状態だったことをすっかり忘れていたのだ。なぜ武器が無いのかを疑問に思い、ある人物に問うことを決意する。


 それは先程まで体を支配していたアリシエ。アルウィスが言うには自分とは違う人格である。アルウィスとアリシエ、二人の人格は幻聴という形で声を出さずに会話することが出来た。にわかには信じられないその会話は、彼らの思考の中で行われる。


 奇妙な会話は実際に声を出して行う訳では無い。さらにここは戦場、油断は禁物だ。アルウィスはアリシエと話しながらも睨みをきかせ、相手を威圧する。いつでも動けるように身構え、相手への警戒を怠ることは無い。


『アリシエ、刀はどこだ?』

『にぃにが持ってる。それにアルウィス、刀、苦手でしょ?』

『刀じゃなきゃ手加減、出来ねーんだよ。わかんだろ?』

『そこは、頑張ってよ。僕の方が手加減出来ないって知ってるでしょ?』


 手元に武器になりそうなものがないと知り、アルウィスはすぐさま頭を切り替えた。だが誰が刀を持っていようと状況は変わらない。不本意ではあるが敵とは体術で戦うしかなさそうだ。彼は手加減することを諦め、すぐに体勢を変える。


 男性は体勢を変えた彼に釣られ、間合いを詰めて剣を振り下ろしてしまう。アルウィスは後退することでその斬撃をかわした。二人はその動作を何度も何度も繰り返す。その間、アルウィスは攻撃を仕掛けずにいた。


 幾度同じ流れを繰り返しただろうか。単調だった動きについに変化が訪れる。アルウィスは斬撃をかわす際に今まで以上に後退し、男性との距離を一気に広げた。そして体の向きを男性から見て横に変える。


 同じ流れを繰り返す事に慣らされた男性は、その急な変化に対応出来なかった。アルウィスが行動を変えたにも関わらず、それまでと同じタイミングで同じような攻撃を仕掛けてしまう。否、仕掛けた。


 アルウィスは先程まで後退してそれをかわしていたのに、今度は後退しなかった。代わりに、恐ろしい速度で約九十度に膝を曲げ、体を反らす。斬撃はアルウィスの腹の上を通過した。かと思えば、素早く体勢を戻しながらも男性のあご目掛けて拳を放つ。そして、男性が怯んだ瞬間にその場を離れるのであった。


 アルウィスは長椅子をハードルのように飛び越えて移動。次の瞬間には長椅子の座面を素早く駆け抜ける。だが、ただ自由奔放ほんぽうに動き回っているわけではない。これには彼なりの意図があった。





 アルウィスの拳を顎に喰らった男性は一瞬意識が飛びそうになった。それをすんでのところで、自らの右太腿を剣で突くことで防ぐ。激痛によって気絶することを防ぎ、アルウィスの攻撃に反応出来るようにしたのだ。


 太腿に突き刺した剣を抜くことはしない。下手に抜けば出血によって動けなくなる可能性がある。ならば痛みに堪えてでもアルウィスに怪我を負わせ、その動きを封じるべきだ。動けなくすれば、港に連れ戻すのは容易なのだから。


 男性は長椅子の上を走り回るアルウィスの頭部に狙いを定めた。その右手にはいつの間にかクナイが握られてる。アルウィスが男性の様子をうかがおうとしたその時だ。ラクイア大聖堂の扉が開く音がした。


「貴様ら、ここをどこだと思っているんだ!」


 それは、男性がアルウィスに向けてクナイを投げた直後のことだった。ラクイア大聖堂の入口から怒声が聞こえてくる。かと思えば、一人の青年が大聖堂内に入って二人の方へと歩いてきた。それに続いて複数の警官が大聖堂内に足を踏み入れる。


 男性の投げたクナイはアルウィスの頭部ではなく首に向かって飛んでいく。頭部を狙おうとしたのはフェイント。目が良いアルウィスの反応を遅らせるため、攻撃する寸前まで頭部を狙っていた。手首を使って無理やり狙いを変えられたため、アルウィスは反応が間に合わない。


 青年の怒声に気を取られたアルウィスは、クナイが間近に迫るまでその攻撃に気付けなかった。咄嗟とっさに首の位置を僅かにずらす。クナイが身につけていた首輪に当たり跳ね返り、金属同士がぶつかる音した。クナイが床に落ちる音を最後に、大聖堂内が静寂に包まれていく。


 アルウィスと男性の戦いを止めた青年は、武芸者にしては非常に弱々しかった。やせ細った身体には筋肉がほとんど付いておらず、恐れる必要がない。しかしその青年の姿を見た男性は顔を青くする。どうやらこの青年は追っ手にとって都合の悪い人物らしい。


 現れた青年は、頬骨の辺りまで伸びた金髪が目立っていた。その濃い青色の瞳は、青年の色白の肌と暗めの金髪によく合っている。身にまとっているのは武器としては頼りない細身の長剣。見た目からして軽そうで、護身用として扱うには不安が残る。


「黒装束を連行しろ」


 青年がそう言うと、青年と共に大聖堂内に入ってきた警官達が男性に近付いていく。アルウィスが呆然としている間にも男性に手錠をつけ、強制的に外へと連れ出してしまった。どうやらこの青年が、アリシエ達を助けた船員の言っていた「助け」だったらしい。


 男性が大聖堂の外へと連れていかれる僅かな間に、アルウィスは瞬きをした。たったそれだけで彼から攻撃的な雰囲気が消え、鋭い目つきが丸みを帯びた目つきに変わる。最初のアリシエという人格に戻ったのだろう。アリシエは助けに来た青年に近寄るとニコリと微笑みかける。


「ありがとう。僕、アリシエ・アール。君の名前は?」

「暁家当主、あかつき金牙きんがだ。……その銀色の目。間違いない、『神の眼』だ。年齢も充分。だな」


 金牙と名乗った青年はアリシエの目をじっと見つめる。どうやら彼の言う「神の眼」とは、アリシエの持つ銀色の双眸のことのようだ。なぜそう呼ばれているのか、普通の目と何が違うのか。それをアリシエが知るはずもなく、知ろうとも思わなかった。


 アリシエにとってはこの金牙なる人物が自分を助けてくれた、それだけが真実。殺すつもりならとっくに殺しているはずだ。だから、アリシエはすぐに金牙を信用した。金牙の眼差しに込められた意図には気付かない。何が起ころうとしているかも知らず、ヘラヘラと笑みを浮かべるだけ。


「そのなまり、出身はシャニマの南方か。……アリシエと言ったな。いきなりだが、僕の屋敷に来ないか?」


 金牙の急な誘いに、アリシエはアルウィスに声をかける。一応相談した方がいいと思ったからだ。もっとも彼がそう思った理由は金牙を怪しんだからではなく、ただの勘であったが。アリシエの中には今の状況の異常さを知るための物差しが無いのである。


『アルウィス、助けてくれた人、どう思う?』

『少なくとも敵ではないな。敵ならとっくに拘束してるだろ。あの船の奴らみたいに、な』

『そしたらどう――』

『俺は状況がわかんねーから判断は任せる。まぁいざって時は守ってやるよ。お前は、手加減出来ねーからな』


 アルウィスに金牙の印象を尋ねたのは、アルウィスの方が警戒心が強いからだ。別人格と話したことで改めて、金牙は追っ手とは違うと自信を持つ。それと同時にアリシエの答えが決まった。


「にぃに、一緒? にぃにがいるなら行く!」

「にぃに? あぁ、外にいたソニックとやらか。安心しろ、最初から一緒に連れていくつもりだ」


 その返事を聞いた金牙は安堵のため息をつく。勧誘の理由をアリシエに説明しなかった。ましてや金牙はアリシエにとって、はじめて会う見知らぬ白人。普通なら警戒し、一緒に行動などしないだろう。


 金牙はすんなりとアリシエを連れていくことに成功した。しかし不安や疑問が無くなったわけではない。アリシエが警戒心を解いた理由がわからなくて、何かが引っかかっていた。霧がかかったかのように心がすっきりとしない。





 ラクイア大聖堂の外は石で出来た歩道と馬車用の道が分かれ、石造りの建物が歩道に沿って並んでいた。ラクイア大聖堂で何かが起きていると知ったのだろう。歩道には国民が集まっている。


 金牙と共に出てきたアリシエを見た国民が一気に騒がしくなった。小声で何かをささやいたり、物を投げようとしたり、暴言を吐いたり、反応は様々だ。だがどの視線もとても冷たく狂気に満ちている。


 金牙はアリシエに対するそんな行動を気にもせず、路上に止めてある馬車に向かって歩いていく。やがて馬車に近付くと、その陰に隠れるようにして座り込む黒人がいた。黒檀の肌と短髪に濃い青色の目をした青年、ソニックである。


「にぃに、ごめんね」


 アリシエはソニックにそう言って笑いかける。ソニックの首には彼と同じように短い鎖のついた首輪があった。だがその鎖の断面はアリシエのと違い、何度も斬りつけた痕跡がある。そのことから、ソニックの解放に手間がかかったのがわかる。


「お前、こいつの『兄』なのか?」

「一応、そうだよ。詳しくは……」


 ソニックがアリシエを抱きしめながら笑う。だが金牙はその返答に言葉を失った。ご丁寧にソニックは口元に人差し指を当てて「内緒」のジェスチャーをする。そのジェスチャーはハベルトでは一般的だが、彼らがいたであろうシャニマという国にはないものなのだ。


(『にぃに』は兄、の意味のはずだ。だが見た目が違いすぎる。そしてハベルトのジェスチャーを知っている、と。『一応』とはどういう事だ? 本当は違うのだとしたら、何故『兄』と嘘をついている?)


 金牙がソニックの返答を聞いて疑念を抱く。ソニックの返事は「兄のフリをしている」と宣言しているようなものだ。だがその言葉を耳にしているというのに、アリシエの方はソニックを「兄」と信じているらしい。考察しようとして、金牙は我に返る。


 いつまでもラクイアの歩道でのんびりとしているわけにはいかなかった。国民が黒人の姿にやや過剰に反応しているからだ。石を投げる者も現れており、長居するのは良くない。このままでは馬も人も怪我をしてしまう。



 ハベルトでは「黒人は奴隷階級、有色人種は元奴隷階級」という認識がある。いかに法で奴隷を禁じても、差別は「好き嫌い」に名を変えて残っており、奴隷も少なからず存在しているのが現実だ。金牙のように人種を気にしない者もいるにはいるのだが、少数派である。


 法で禁じられていない以上、金牙の行為は誰かにとがめられるものではない。しかし、まだ差別意識が残る国民にとって、肌の黒い人が助けられるという光景は真新しく見慣れない。ただ、それだけだ。


 金牙は急いでアリシエとソニックを馬車に詰め込むと、御者に声をかけてから馬車に乗り込む。金牙の言葉に御者が反応し、四人を乗せた馬車が動きはじめる。それを見ると騒いでいた民衆はすぐに静まった。いや、静かにならざるを得なかった。黒人を連れているのが金牙であると気づいたからだ。


 さて、馬車の中ではアリシエが体を震わせながら怯えている。今まで馬車も馬も見たこともない。初めて見た人間四人分の重さ以上を乗せて前へと進む馬が怖いのだろう。馬車という乗り物にも慣れていないらしく、ヘラヘラと笑っていたアリシエは苦しそうな笑顔を浮かべた。


「大丈夫だよ。怖がる必要なんてない、オイラがついてる」


 ソニックはそう言って震えるアリシエの背をそっと撫でる。彼がアリシエのように怯えてはいないのは馬を何度か見たことがあるからなのだろう。そして馬車にも乗ったことがあるらしい。このような反応の違いからも、ソニックとアリシエの育った環境が違うとわかる。


 金牙はソニックのその様子に違和感を覚える。なぜ一緒にいる二人はこうも違うのだろうと。決して無視出来ない何かに金牙の本能が警鐘を鳴らす。だがアリシエを屋敷に連れていくには、アリシエがやけに慕っているソニックを連れていかざるを得ない。


 首を傾げて頭を回転させても、答えは出てこない。それでもソニックを連れていくことを決めたのは金牙自身。アリシエもソニックも、連れていくと決めた二人の黒人には強い違和感がある。だがその違和感を考慮しても、金牙が二人を雇わない理由にはならなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る