1-5 力試しは黄色人種と

 虹牙こうがに案内され、アリシエとソニック、金牙きんがは屋敷の地下一階に設けられた広い部屋を訪れた。そこは石で出来た床や壁に、何百枚もの細長い木の板を貼付けた部屋だった。


 部屋の奥には棚があり、そこには木刀や木の棒などの練習用の武具と応急手当用の器具がある。他にあるものといえば天井から金具で取り付けられたサンドバッグ、壁に付いている巨大な鏡くらい。何度もここを使っているからだろうか。壁や床にたくさんの傷がついている。戦いの訓練に丁度いい広さだ。だから「訓練所」と呼んでいるのだろう。


 訓練所の中央には、すでに一人の青年が待っている。彼の足元にある四本の木刀はアリシエとソニックの分だろう。どうやら、あらかじめ人が来るとわかっていて用意しておいたらしい。


 金牙、虹牙と同じ濃い青色の目。内巻きの銀髪はうなじが見えるか見えないかくらいの長さ。穏やかだが芯のある目つきが金牙に少し似ている。そこまではよかった。彼には一つだけ問題がある。


 彼の肌は金牙と虹牙こうがと違い白に近い黄色――彼はの血を引く者だった。どうやら金牙はハベルトの白人にしては珍しく、有色人種を雇うことに抵抗がないらしい。それどころかこの青年をよほど信頼している。でなければ模擬戦の相手を任せたりしない。


「こいつが銀牙ぎんがだ。気分転換も兼ねて銀牙と練習仕合をしてもらおうと思ってな。僕は端で見ている」


 金牙は怪我をしないように訓練所の隅に移動し、体育座りになる。銀牙と呼ばれた青年は自分の足元から一本の木刀を手に取り、口を開いた。


「木刀は二本ずつ用意しました。やってもらう事はただ一つ、私から武器を奪う事です。その木刀を使っても使わなくても構いません」


 それを聞いたアルウィスは四本ある木刀のうちの二本を壁に向かって蹴飛ばした。それらが勢いよく壁にぶつかる音がする。かと思えば木刀は音を立てて見事に部屋の隅に落ちていく。アルウィスの行動に、その場にいた誰もがはっと息を呑む。驚きすぎて言葉の一つも出てこない。


 木刀など必要ない。木刀無しでも銀牙に攻撃を与えることが出来る。それを彼なりにわかりやすい行動で示したのだ。それは自分の体術に対する自信の現れとも言える。しかしその示し方はよろしくない。足先のコントロールが良くなければ人に怪我をさせていたかもしれないからだ。


「一本取るってのは……ぎん――ぎー、ぎっ、銀牙、だっけ。お前から武器を奪えばいいんだろ?」

「ええ。ただし、急所への攻撃は寸止めでお願いします。この国ではそれがルールです。よろしいですか?」


 名前にひどくつっかかったことを除けば、アルウィスの会話能力は問題ない。アリシエ同様に言葉のイントネーションや抑揚の付け方こそ異なるが、きちんと聞き取ることが出来る。銀牙の返事に、アルウィスは大きく頷くことでことで肯定の意を示した。


 一方のソニックはというと、木刀二本を手にするとアルウィスの前に立つ。それは自分が先に戦うことの意思表示だ。銀牙の言葉を理解した上で銀牙の前に移動。二本の刀をしっかりと握り、体勢を整える。


 ソニックと向き合う銀牙の手には、先端に白い綿のついた木の棒が握られていた。これは槍や棒を使う者が練習や仕合で用いる物だ。その武器から、銀牙が槍術や棒術の類を得意としていることがわかる。




 ソニックと銀牙が訓練所の中央で対峙する。アルウィス、金牙、虹牙の三人は訓練所の端でその様子を見ることにした。二人は武器を握る手に力を入れて向かい合う。


「準備はいいか? よし、始めろ!」


 体育座りをしている金牙の「始めろ」を合図に仕合が始まった。最初に攻撃を仕掛けたのはソニックだ。一気に間合いを詰めると、右手に握った木刀で銀牙の腹を狙う。だが銀牙はそれをかわし、ソニックの右脇腹を鋭く突いてみせる。


 ソニックは左に握った木刀でその攻撃の軌道を変えて突きをかわす。だが左手の木刀の動かし方が甘かったのだろう。木の棒がソニックの脇腹を掠った。攻撃を終えて僅かに隙が出来た銀牙。その隙にとソニックは、銀牙の頭を目掛けて右手の木刀を斜めに振り上げる。


 銀牙はしゃがんで攻撃をかわしながらも木の棒を手元に引き寄せる。そしてしゃがんだままの体勢で足払いを仕掛けた。あまりに突然のことでソニックはかわしきれずに転倒してしまう。さらに銀牙は床に倒れたソニックの喉を突こうとした。だがそれは木刀によって弾かれる。攻撃後の一瞬の隙をソニックは逃さない。


 左の木刀は銀牙の頭上へと振り下ろし、右の木刀は銀牙の左脇腹を狙う。異なる場所を異なる軌道で攻撃することで一本取ろうとしたのだ。銀牙は後ろに下がることでなんとかその攻撃をかわし、ソニックの胸に突きを放つ。ソニックは紙一重でそれをかわした。


 銀牙は攻撃がかわされたと知るとすぐさま棒を引いて再び突く。ソニックはしゃがんでそれをかわし、間合いを詰めようと動き出す。だが距離を縮めるソニックの眼前に突然棒が伸びてきた。咄嗟とっさに右腕で攻撃の軌道を逸らすも、棒が頬を掠める。頬に微かな痛みが走った。


 その隙を逃さずに銀牙がソニックの足を払う。さらに、先ほどよりも素早くソニックの喉を突いた。今度ばかりはかわしきれず、ソニックの喉に当たる寸前で棒の動きが止まる。勝負あり、だ。


「なかなかやりますね」


 これだけの攻防をしたというのに銀牙の呼吸は乱れていない。対するソニックは肩を上下させ、話すこともままならない。銀牙は次にアルウィスと戦うことを考え、手加減して戦っていたのだろう。




 ソニックと入れ違いに銀牙の前に現れる者がいた。金髪に銀色の目をした黒人、アリシエだ。いや、正確に言えば今身体を動かしている人格はアルウィス。銀牙の体勢が整うのを待ってから声を発する。


「俺はアルウィス。さっさとはじめようぜ」


 アルウィスは両足を肩幅よりやや大きめに開き、少し腰を落としただけの体勢になる。無駄な力を抜いた脱力状態。見事な自然体で隙がない。


 だが、彼は何の予備動作もしていなかった。拳すら握っていないのである。こんな無防備な体勢で木刀一本の攻撃を破り、木刀を奪えるはずがない。それとも彼には何か策があるのだろうか。


「始めろ!」


 再び金牙の言葉を合図に仕合が始まる。最初に動いたのは銀牙だった。両手で木の棒を持ち、アルウィスを中心に弧を描くように左右に少しずつ動いて様子をみる。それは身体が宙に漂っているのではないかと疑問に思うほど、フワフワとした滑らかな動きだった。


 見事な足さばきでアルウィスに攻撃の的を絞らせないようにしているのだ。よく見ると少し、ほんの少しずつだが銀牙の体は前に動いている。油断させたところを一気に仕留めるつもりなのだろうか。


 銀牙はジリジリと少しずつ間合いを詰めていく。その間、アルウィスは体勢を変えずにその場で待機。だが銀牙の動きがあまりにもゆっくりし過ぎていて飽きたのだろう。ついにアルウィスがついに動き始めた。


 数歩後退したかと思うと床にになる。その姿は獣を連想させた。床についた両手は獣の前足。今にも床を蹴ろうとする両足は獣の後ろ足。銀色の目が放つ光は、まるで何日かぶりに獲物を見つけた狼のよう。絶対に逃げられない、殺される。銀牙にそんな恐怖を与える光であった。


 銀牙はアルウィスの奇妙な構えを見て、足を動かすのをやめる。次の瞬間、アルウィスが勢いよく床を蹴って跳び上がり、銀牙の頭目掛けて襲いかかった。頭を蹴ろうとしたようだが、銀牙は素早くしゃがんで攻撃をかわす。アルウィスはそのまま難なく床に着地。すぐに方向転換をすると四つん這いのまま再び銀牙に襲いかかる。


 四つん這いになって動きにくそうに見えるが普通に歩いているよりも速い。人間の四肢を獣の四肢のように動かして獣と同じような身体操作をしているのだ。それは高度な身体操作無くして不可能なこと。アルウィスの武芸は見た目の年齢にふさわしくないほど高度だった。


 四つん這いになるという事は通常の姿勢より目線の高さが低くなり、視野が狭くなることを意味する。一見不利に思えるかもしれないが、この戦い方に慣れているアルウィスとってはこの視野の狭さはむしろ


 目線の高さが低くなることで相手の足の動きが見やすい。足の動きを少しでも早く察すれば、攻撃の回避の成功に繋がる。攻撃への警戒は耳に聞こえる音と影の動きを頼りに行う。さらに、四つん這いの体勢からの行動は並の武芸者には不自然で次の動きが予測しにくい。故に戦いやすくなる。


 銀牙は木の棒を構えたまま何もしない。いや、正確には何も出来ない。動きが予想外過ぎて狙いが定まらない。アルウィスの攻撃を紙一重でかわすのがやっと。その動きを目で捉えることすら出来なかった。それはアルウィスの使う奇妙な体術のせい。


 アルウィスがしていることは四つん這いになって移動して襲いかかる。それを繰り返すだけの単調な攻撃。だがその姿勢が、動きが、銀牙の予想を軽々と越えてくる。未知の動きをするアルウィスを警戒して動けなくなった、見失った。気配と足音を頼りに首を動かして彼の姿を探す。今の銀牙にはそれしか出来ない。


 やがて足音と単調な攻撃が止む。銀牙の反応を見たアルウィスは攻撃の方法を変えることにしたらしい。今度は銀牙に真正面から突進してくる。銀牙はようやくまともに反応し、タイミングを計って木の棒を振り下ろした。命中したはずだったが芯を捉えた感触がない。


 アルウィスはギリギリではあったが銀牙の攻撃をかわすのに成功していた。正確には銀牙の棒がアルウィスの頭を掠めていたので、身体は捉えている。だがアルウィスの動きを止めるほどのダメージを与える事は叶わなかった。


 突進の途中、足首を上手く使って体の向きを少し変えて自らの攻撃の軌道をわずかに変える。それがアルウィスのしたことだ。もっとも、中途半端なタイミングで軌道を変えたために木の棒が頭を掠めてしまったわけだが。


 アルウィスはそのまま銀牙の死角に回り込む。勢いよく床を蹴り、体を捻って横に一回転してみせた。その攻撃は銀牙の背中に命中する。死角から攻撃されたため、銀牙は彼がどこにいるかわからず、攻撃をかわすことも出来なかった。彼は床に倒れた銀牙の手から木の棒を抜き取る。勝負あり、である。

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