壱
リン――
鈴の音が聞こえる。何処からだろう……。鈴なんて、この部屋には無かった筈なのに。見慣れぬ嫁入り道具に、着古した袴が何処か懐かしさを感じさせた。
「――ま、ちゃん……」
……何て?
「た――ちゃん……」
どこかで。
「たま、ちゃん……」
「――え?」
私を、呼んだのは、誰。
薄らと開いた視界の向こうには見慣れぬ明るい朝の景色が広がっている。滲み一つない天井に、ふかふかとした布団が自分の身体を護る母体の様に感じて違和が胸を過ぎる。
いや、違う。これは何時もと変わりない『朝』の筈なのだ。
使い古した枕に頭を埋め、畳みの目を眺め数える。嗅ぎ慣れた香りが心を落ち着かせる。妙に懐かしさを感じる夢が、頭の中を渦巻いていた。
……何の夢だったのだろうか。あれは、何処かで体験した事のあるような――何処かで聞いた事がある声だったのだろうか。
たまちゃんと、そう呼んでいた名前には覚えがある。
覚えが――ある……?
小さな欠伸を漏らしながら小鳥の囀りを茫と聞き続ける。
水を掛けられたかのような感覚ですくりと起きあがった『たま子』は「懐かしいわ」とぽつりと呟いた。
長い髪を結わえながら、布団の上から立ち上がった彼女は纏わり付いた寝間着をさっと脱ぐ。何時までもこの格好では義母が頭ごなしに叱る事を彼女はよく理解していたからだ。
「もう朝ですね、起きてらっしゃる?」
はぁい、と間延びする声を返して彼女は朝餉の用意の為に板張りの廊下を走る。義母の事など、どうでも良いがたま子にとっては腹を空かせた愛おしい旦那様の方が一大事なのだから。
年若くして良縁に恵まれ嫁いだ彼女は頬をぺちんと叩く。やる気を漲らせる様に淑女にはあるまじき「よしっ」と発した声は若草香る女学校の頃に教師達に叱られた仕草だが、嫁いだ後も抜ける事が無い。
「たま子さん!」
叱るような声に慌てて走る『たま子』は小さな息を付いた。
毎日は代わり映えしない。
数年前にはお上の神人なる方が死去し、『明治』から『大正』に改められた年号が何処かくすぐったい。年号が変わると言うのは重大な動乱だ。その波に乗じてか世間では様々な革命や騒動が起こっている。それでも安寧なる生活が送れるのは女学校で習った内閣制度や政治制度を制定した英雄達のお陰であろうか。もしも、英雄たちがいなければたま子だって今の旦那様とは出会えていなかった――かもしれないのだから。
浪漫を語るのは女学生ならばお手のもの。それこそ殿方に見初められる経験をしたならば、それに拍車がかかるのも仕方がないというものだ。
「ふふん」
鼻を鳴らし誰へとでもなく勝ち誇ったたま子は朝餉の用意を中途半端に済ませた義母へ何と声を掛けようかと考えながらゆっくりと廊下を進む。
ちりん――
『また』だ、と。感じたのは夢の中でも聞いた音だったから。
懐かしい夢だ。旦那様に見初められ、女学校を去る際に、親友に手渡した風鈴。そして、その会話。
嫁入り後に幾度か交わした手紙も何時しか途絶えてしまった。人の記憶が箪笥に例えられるならその奥深くに仕舞いこんでいた思い出とでも言えば随分とを感じられる。
「八重ちゃん……」
鈴の音は、その名前は、懐かしい音色を孕んでいる。
訝しげな表情を浮かべながら洗い場へと降りて行くたま子の背に彼女の『旦那様』は「いかがなすった」と可笑しそうに笑ってみせた。
珍しく朝寝坊をした嫁が訝しげな表情をしているのだから、気にも止めるというものだ。からからと笑う旦那君にたま子はむっと唇を尖らせて「あのねえ」と振り仰いだ。
「鈴の音が聞こえるのですわ」
「鈴? 風鈴などないけれどね」
首を傾げる彼へとたま子は小さく頷く。
また可笑しな事を言って気を引いたと笑う旦那君にたま子は拗ねた様な顔をして背を向ける。
たま子は勝気で明るい娘だ。成金の娘や財閥の令嬢と違い、脊髄反射で動き考える少女だったのだから、旦那君が可笑しなことを言うのは気を引く為だと笑うのだって致し方が無い。
「酷い御方ですこと」
「母さんが居るからと、そう肩肘を張らないでおくれよ、たま。そんな気難しい顔をして、鈴の音が聞こえただなんて……夢の続きを見ている様な顔をしているよ」
肩を竦め、御名答ですことと小さく返す彼女に旦那君はからからと更に笑った。年の数は幾分か離れている。だからこそ、幼さを感じさせるたま子の仕草を旦那君は気に入っていたし、旦那君は童話を語る嫁が己との対話の為に作り話をしていると考えたのだろう。
「夢で見たのです。嘘ではないですよ」
「嘘でないと」
はて、と首を傾げる彼へと記憶をなぞる様にたま子は語る。
嫁入り前に親友とした会話がありありと思い出される。
あの時、彼女に手渡したのは――鈴だったのではないだろうか。己の後ろに何時も隠れていた可愛い小さな『八重ちゃん』。病がちで女学校を休んでいた彼女の健康を祈って手渡した風鈴の音に似ている気がする。そう言えば、彼女は――
「……悪い夢ですこと」
ふるりと首を振ったたま子に青年は「そうかね」と椅子へどかりと腰掛けて興味深そうに呟いた。
たま子の思い出は何処までも美しいものだった。
『たまちゃん』
結った髪が風に揺れている。秘密の場所と咳込む彼女の手を引いて、二人きりの場所へと走って行った。
『ねえ、たまちゃん』
記憶を辿って、たま子は静かに眸を伏せる。
風鈴。そんな季節になったのだろうか――夏の気配を存分に孕んだ空を見上げてたま子は小さな溜め息を付く。
風鈴……。軒先に風鈴を飾る家は少なくない。この家には飾って居ないはずなのに、どうしてこうも近く聞こえるのだろうか……――。
ちりん――
(風鈴ね、きっと――……)
ふる、と首を振る。違和感が首を擡げたまま存在している事に『脊髄反射』で動く彼女はどうしても抑えられぬ衝動を我慢する様にうずうずと身体を動かした。
あの時、彼女と話した内容はよくよく覚えている。
白い肌に、良く映える臙脂色の召し物は結婚式には伺えないからとわざわざ誂えたものを着てきたのだと言っていた。
秘密の場所で、向かい合って二人きり。臙脂色に包まれた彼女は何処までも高尚な存在に見えて――眩しかった。
『結婚するのよ』
ゆっくりと、その言葉を彼女へと告げた。
知っていますと頷く友人は切なげに笑って手にした花束を差し出してきた。両の掌に抱えきれない大輪は百合の花――令嬢が選んだ一番に愛おしい華なのだという。
『たまちゃん……』
呼び声に、小さな咳と瞬きが今も鼓膜や網膜に張り付いている。頬に張り付いた髪に、涙の意味が分からなくてたま子は小さく首を振った。一緒に居られないと手を伸ばし、抱きしめた華奢な身体は微かに震えていた事を覚えている。
『たまちゃん、幸せになってね』
『ええ。わたし、幸せになる為に結婚するのよ』
きっと、彼女は幸せになれない――
心のどこかで知っていたのかもしれない。老い先短い彼女と共に在る己に優越感を感じていたのかもしれないし、その短い生で誰かを思いやる彼女の高尚さにお得意の浪漫を感じていたのかもしれない。
『わたし――……たまちゃんみたいになりたかった』
八重ちゃん、と唇の端から漏れだした声に旦那様は首を傾げる。そうだ、八重子ちゃん。彼女は今、どうしているだろうか。
ゆっくりと炊事場から歩きだし、玄関先へと歩を向ける。
電報を実家に飛ばせば彼女の事は解るだろうか。
八重ちゃん。八重ちゃん――かわいい、私の親友。
ちりん――――
「そうだわ、風鈴……わたし、お渡ししたの」
「たま子?」
背に走った寒気にたま子は大げさな程に身震いを一つ。気付いてはいけない事に気付いたと顔を覆った。血の気が引いて行く感覚に、ふらつく足が縺れて畳みへとへたり込む。
「大丈夫かい?」
「風鈴、風鈴だわ! きっと、そうよ。そう違いないわ」
玄関先へ向かう足は震えて立てやしない。彼女の言葉に首を傾げた旦那君は「幽霊でも出たのかい」と冗句のように投げかけた。丑三つ時ですらない、ましてや早朝のこんな時間に幽霊などと余りに可笑しな話ではないか。
「冗談はお止しになって」と小さく笑ったたま子の胸に感じた妙な違和は『八重ちゃん』のその後を嫌な程に連想させた。旦那様は冗句の心算で発したのかもしれない。
死を想起させた病に罹った親友が生きているという証左もない――『風鈴』『幽霊』
もしかして……。
「ふふ、幽霊かしら? 風鈴のお化けなんて風流ね。貴方が怖がらせるからつい足が縺れてしまったわ」
「ああ、きみはそんなに怖がりだったかな? 虫だって平気で殺せてしまうだろうに」
小さく笑った旦那様にほっと胸を撫で降ろしてたま子は午後の予定を考えた。確かめよう。彼女の事を。
ちりん、と聞こえたその音色の意味を。彼女は、今――
蝉の鳴き声が煩わしい。暦を数えて春を終えて、夏へと変化する頃に、怪談話はいくつも増えてくる。居間からは幽霊の話を交わす男女の楽し気な声が聞こえてきた。
買い出しに言ってくると告げた言葉に返事はなかったが、彼女は気にするそぶりもなく玄関へと足を向ける。
残暑だというのに求愛を口にする蝉たちのせいで耳から暑さが倍増されていく。開け放った玄関の向こう側は青々と茂った葉が妙に鬱蒼として見えた。
「お化けなんて家に居て堪るものですか」
拗ねた様に呟く彼女は玄関先の下駄に目もくれず洋物のブーツへと足を通す。履き潰すと決めていたのに、まだ使えるのだから英国からの流通品は中々に勝手が良い。慣れない紐を縛って、小さく頷く彼女は結わえた髪を確かめてから「よしっ」と気合を込めた。
「直らないものね」
先生から言われても、と付け加えたのは口癖の様になった『よし』の気合の入れ方。
幽霊が居るから陰陽師を呼びましょうと絵巻物で読んだ嘘に頼るのも、性質の悪い除霊師に頼むのも莫迦らしい。
そもそも、彼らに依頼するのは大金を叩いて自己満足を満たすだけではないだろうか。解っているのだ。記憶の中にあるその姿が、『幽霊』の正体だと――その正体を知っていて、知らない振りをしているのだから。
だから、彼女は『風鈴の幽霊』とそれを呼んだ。
ちりん――
聞こえるその音に「いやね」ともごもごと口の中で呟いた彼女の視線はぴたりと柱へと向けられる。空き家になった軒に張り付けられた古びた紙切れは幼い子供の悪戯にも見えた。
「西洋インクだわ……」
何処かの商家の坊ちゃんの落書きであろうか。
滲んだ文字が読み取り辛いが、愛らしさも感じる文字の一つ一つを読み取ることが出来る気がする。じつと目を凝らした彼女はその文字を口にしながらゆっくりと読み上げた。
『ゴイライ オウケシマス ネコサガシ カラ ユウレイタイジ マデ』
なんともまあ、胡散臭い広告だ。
訝しげな表情で広告から目を離さない彼女の背後で女学生たちがくすくすとささめきあって笑っている。
「探偵様の広告はまだ張ってありますのね」
「本当。御依頼あるのかしらん」
巷では話題になるのだろうか。暇潰しや話題に作りには丁度良いのかもしれない――こんな西洋の高価なモノを使用した悪戯などそうそうお目に書かれない。
しかし『探偵様』。高価な紙にこの様に書いて帝都に張り巡らせるだけの財力があるならば、相当に頼りがいがあるのではないだろうか。もしくは、成金の道楽か。
女学生の噂の的となる位に胡散臭いのならば昼下がりの暇潰し程度でも良い。『お暇な探偵様』ならば困り顔で少女が尋ねれば相談位には乗ってくれるだろう。もしも凄腕であれど、仕事に困っていれば格安で引き受けてくれる可能性だってある……。
何より、探偵が幽霊退治をすると明言しているのだ。
霊能力者でもないくせに、ともごもごと呟きながら彼女は広告を剥ぎ取り描かれた住所と地図を辿り往く。
和洋の入り交じった街の中は、見慣れぬ物も沢山あった。
日本も随分と侵食されたものだと父達は口々に言っていたなと薄く記憶に残っている。馬車が走り、汽車が往く。三越にぞろりと集まる人波に目もくれず――否、誰の目にも止まらず、彼女は人気のない西洋の住宅の並ぶ丁番を目指した。
急ぎ足なブーツの踵を行き交う人の群れに取られてごろん、と大きく転ぶ。鼻先を擦り、肘に出来た傷口に痛いと不平を述べる彼女へと差し伸ばされる手は無い。知らん顔で歩く紳士に「酷い方」と彼女は悪態をつきながら立ち上がる彼女に帝都の風は冷たい。
よく、帝都は様変わりしたと言う人が居る。西洋の人間は和の心を持たず、素知らぬ女が転んだ所で助けることもないのだろう。これが、『帝都が様変わりした』『冷たい』とでも言うことなのだろうか。
文句を漏らしながらもゆっくりと立ち上がり、身震いを一つしながら足を向けたのは煉瓦に覆われた西洋街。帝都の街並みなんかより、もっと豪奢なその群れは、異国の情景の様だと彼女は息を飲んだ。
「……違う国の様だわ」
余りに見慣れぬ『帝都』
田舎町とは違い、明治期に完成した日本鉄道の巨大な駅。皇居の正面に出来上がった東京駅はとても美しい建築美だ。西洋の煉瓦作りの住居と比べ、祖国はまだまだ土と木で出来た『おんぼろ』ばかり。戯洋風建築だとか女学校では言っていた気がする――が、そんなこと忘れてしまった。
「凄い、おうちだわ……」
詳しい事までは知らないし、学問など軒並み役に立たないが、これはまるで西洋の強国へと紛れこんでしまったみたいではなかろうか。一度、紳士が講師としてやって来た時に、「英国の建築は実に素晴らしい」と褒め称えていた気がする。
素晴らしいの言葉に尽きるが、純和風の国で育った彼女にとって、この場所は居心地が悪い。
煉瓦の『西洋街』をそろりそろりと抜ける彼女は広告の地図を幾度も見直した。帝都の外れの空き家の軒先へと広告を張り付ける『なんとも奇天烈愉快な胡散臭い探偵』のイメージと掛け離れた豪華絢爛な街並みは庶民にとっては政府のお役人たちでなければそうそう足を踏み入れない場所でしかない。
「こういうの、横濱や長崎にあると聞いた事があるわ……」
ぶつぶつと呟きながら、彼女はゆっくりと地図から手を離す。そうだ、きっとこの洋館の群れを抜けた先に郊外の寂れたお屋敷がある筈だ。そうして、そこで探偵がボロを纏って待って――待っては、いない。
「……嗚呼」
思わず一歩、後ずさった。
これでは『道楽探偵』だろう。格段の安さで受けて貰うなんて夢のまた夢。成金か財閥の坊ちゃまや嬢が道楽の為に、適当に張った広告だったのだろう。
『脊髄反射で動くのはやめなさい』とはよく言ったものだ。
まさしくその通り――ここで幽霊退治など……。
「……貴殿、何を突っ立っている」
「は、はひっ」
眩暈を起こし、ぐらぐらと揺れた彼女の肩を『がしり』と掴んだ大きな掌は、少女を混乱させるに容易かった。
まるでの様に首を動かして振りむいた彼女を見下ろした青年は「何をしていると聞いた」と無愛想な表情で苛立ちと露わにしている。
齢にして三十が近いだろうか。ぴしりと襟を締めた陸軍の軍服は見慣れぬもので。日ノ本で神人へと誓いを立てた軍人様の問い掛けに少女は首をふるふると幾度も振った。
怯え、答える事の出来ぬ様子の少女にどうしたものかと青年将校は頬を掻く。短くしっかりと整えられた黒髪から彼の誠実さを伺えるが――そう言ってはいられない。西洋街に出入りすると言う事は、ここは何処かの『要人』の家なのだろう。そして、彼はそれを護る守衛とでも言った所か。
「……あ、あの……」
ぽつり、と零した言葉に耳を傾ける様に青年は「ふん」と小さく呟く。
「わ、私……広告を、見て、えっと」
「広告? ああ……狐塚の奴、広告を張ったのか」
『狐塚』
聞き慣れない言葉に首を傾げた少女へと青年将校はどうしたものとかと首を捻る。先程まで感じさせていた威圧感は何処か遠くへ飛んで行ってしまったかのように――幼い子供が悪戯を失敗したかのような表情を見せている。
「あ、あの」
ぽそりと呟く様に声をかけた彼女へと青年将校は鋭い眼光で射ぬく様に視線を動かして「なんだ」と口の中で言った。
正しく言えば『もごもご』と呟いた――のだろう。
軍人にしては可笑しな素振りだと茫と考える。そもそも、彼女は女学生の様な幼い風貌をしているのだ。そんな彼女に遠慮の一つをして見せる等、軍人としてあるまじき態度ではなかろうか。
(軍人さんというのは、案外お優しいものね……)
彼の顔をまじまじと見つめれば、鋭い眼光は煩わしいと言わんばかりにぎょろぎょろと動いている。
「なんだ、と聞いた」
「ん、ええと、い、依頼が――あの、依頼がしたくって……」
依頼、と。
その響きを幾度も繰り返す青年将校に少女は怯えきった表情で「だ、だめですか」と小さく呟く。
胸中では広告を出しておいてと憤って居ても、相手は武具を持った軍人だ。余りに勝手なことは出来ない。
「名前は」
「え、た、たま」
「では、たま。どんな依頼に来たんだ」
青年将校の態度は一貫して冷たい物だ。『たま』は要人護衛の任に就いた彼が曲者であるかを判断すべく質問しているのだと勝手な認識をしていた。
そう認識してしまう程の豪邸なのだ。財閥や成金、華族の住居だと言われても納得してしまうし、それこそ政府の要人の別宅だと言われても頷ける。
ああ、来なければ良かったと彼女の胸の中を駆け巡る後悔の念など知らずに青年将校は依頼の内容を教えろと苛立った様子でたまを見下ろしているではないか。
「う、あの、幽霊が……幽霊退治をしてくださると聞いて、お、お願いに来たの、です」
風鈴の幽霊――到底信じては貰えない事だろう。
幽霊を退治すると広告に書いてあるから来たと付け加えて視線をあちらこちらへと揺れ動かしたたまは青年将校の困り顔に肩を竦める。
「幽霊退治……ね。ああ、喜びそうな話だが――止めておいた方がいい。ここの主は、」
関わらない方がいい、と。
青年将校が告げた声に子供の明るい声音が被さった。
「お客さんなのかい?」
先程まで閉じられていた屋敷の扉が僅かに開いている。声の主は部屋の奥へと引っ込んでしまったのだろうか。その姿や影は無い。
頭を抱えた青年将校は「たま」と立ち竦んだ少女を手招いて扉へと手を掛けた。彼の困り顔は本当に情けなさを感じさせるものだ。まるで子供に手を焼いている様な――そんな、青年将校らしからぬ表情をして。
「どうやら狐塚はお前に興味を持った様だ。……どうなっても知らんがな」
狐塚と言うのは先程の声の主のことなのだろうか。
声からして年の頃はまだ若い。それこそ学生だと言われても納得してしまいそうな、柔らかな童の声。大層な悪戯っ子なのか、それとも手もつけられない財閥の坊ちゃまなのか――どちらにせよ、たまにとって『不運』であることには違いないと青年将校は念を押す様に付け加える。
「あ、え、」
「入れ。元より、招かれなくとも入るつもりだったろう」
「あ――……はい。あの、お、お名前は」
「ああ、俺は八月朔日 正治。
それでこの屋敷の主人は狐塚――狐塚 緋桐。
これは経験則から物を言うのだが、最初に忠告しておく。
あいつに関わると碌な事が無いからな。……まあ、もう遅いんだろうが」
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