第3話-1

 それから二日後、正確には翌日か。


 午後三時。俺たち10人は、全員が島の南端に広がる砂浜に集合していた。台本には、撮影開始の時間と撮影場所が指定されていて、それがこの場所、この時間だったのだ。


 この島唯一のビーチである。木やゴミなどの漂流物で見映えは悪いが、見知らぬ島で目を覚ますシーンのロケ地としては悪くない。


「台本、読んだか?」


「えぇ、まぁ……」


 近くにいた鈴子に話しかけると、彼女は不機嫌そうな顔で曖昧に頷いた。顔に限ってはいつもこんな顔なのだが、今日は本当に不機嫌なようだった。


「なんなの、あの安っぽいストーリー。台本にはやっぱり自分の台詞や行動しか書かれてないし……」


「そう言うなよ、俺たちのデビュー作になるかもしれないんだから。若い世代には、これくらい安いエンタメが受けたりするんじゃないか?」


「年寄り臭いわね、あんただって若い世代でしょうが」


 鈴子をなだめつつ、他のみんなを観察していると、やはり全員、台本はとっくに確認済みで、そこかしこで咲く会話のテーマはこの映画一色だ。ただし、自分の台本の内容に触れないよう気を付けているせいか、あまり話題は広がらない。


 結局、この映画のことを、俺たちはまだ誰も、ほとんどわかっていないのだ。


『全員、揃ったみたいだね』


 低い機械の声が背後から響いて、俺たちはギョッと振り返った。


 砂浜をバイーンと弾むように登場したのは、巨大な黒いタヌキの着ぐるみ。たぬ先生だ。一同は戦慄した。この六百日間一度たりとも口を開かなかったたぬ先生が、喋った……!?


『私だ、カントクだ。訳あって動けないからね、この体を拝借させてもらった』


 短い腕を胸の前で組み、タヌキの着ぐるみは偉そうにふんぞり返る。なんだこいつ、かわいいぞ。


「お、おはようございます、カントク!」


 新一に続いて、俺も思わず頭を下げる。


『うむ、撮影への意気込みは高まっているようだね。それでは早速始めようか。全員、まずはメイクアップだ』


 パチンッ、と音は鳴らなかったが、カントクが短い腕を伸ばして指をこすりあわせると、向こう側から大量のたぬ先生が走ってきた。巨体だからとてつもない迫力だ。


 たぬ先生たちは巨大な段ボールやら工具箱やらを色々抱えていて、俺たちの前まで駆けつけるや否や猛スピードで作業を開始した。あっという間に、俺たちの前にはカーテンで遮られたいくつかのプレハブ試着室と、ハンガーラックに吊るされた大量の衣装が。


『君たちはこれより、初対面の高校生10人だ。身につける制服が同じでは不自然だろう? 好きなのを選ぶといい』


 きゃあっ、と歓声を上げたのは女子たちだ。俺たちはハンガーラックに駆け寄り、多種多様な衣装に目を輝かせた。


 学ラン。セーラー服。ブレザー。ネクタイ。リボン。色やデザインまで悩めば一生決められそうになかった。結局、明日火が「あんたはフツーの黒い学ランが似合うんじゃない? 詰襟つめえりの、コッテコテの……ほらぁ! 似合いすぎて景色に溶け込んでるぅ! 溶け込みすぎて見えなくなりそぉ! ……あれぇ、佑どこ?」と馬鹿にしてきたので、涙目でブレザーとネクタイを選んだ。


「……でも、衣装自分で選んでいいなんて、随分ユルいんですね」


 お嬢様の通う女子高を思わせる、チェック柄のスカートを履いて満更でもない顔の鈴子がカントクに言うと、彼は愛くるしい見た目と不釣り合いの低い声で、『こちらで選ぶ必要などないよ』と笑った。


『君たちはとっくにわきまえている。たとえば、黒衣君』


 唐突に名前を呼ばれてびくりとする。


『君はせっかくブレザーにしたのに、ネクタイは無難なものを選んだ。シャツも無地だね、カラーシャツだってあったのに。なぜかね?』


「いや、それは……」口にするのも癪だったが、二の句を継いだ。


「だって、主役は陽色と絵磨だから」


『その通りだ』


 カントクは愉快そうに笑った。彼が視線を向けたのは、シャツと臙脂えんじ色のネクタイの上から白いセーターを着た陽色と、王道的なセーラー服姿の絵磨。彼らのためだけにしつらえられた衣装、そうとしか見えない。この場で、彼ら二人だけが浮き上がって見える。


 二人は既に、恋人同士のように微笑みあっていた。


『君たちは既に、この映画での自分の役割を弁えている。だから、深く考えなくても正しい選択ができる。それができるように、君たちを育ててきたつもりだよ』


 カントクの言う通り、全員が選んだ衣装はどれも最低限個性的でありながら、主張しすぎてはいない。逆に主演の二人は、衣装による個性など必要ないとばかりに、立っているだけで唯一無二だ。


『さて、いよいよ、究極の映画『シアター』の撮影を開始する。それでは諸君--全員、海に飛び込め』

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