第2話-2
部屋の壁時計が、23時55分を指した。
俺は勉強机に座って、じっとその時を待っていた。机上に置いた黒い台本を手持ち無沙汰に触るのも、もう何度目かになる。
あと五分で台本のロックが解除される。ワンシーン分だけとは言え、台本の解釈に使えるのはたった1日。そうでなくても、内容を確認しない限り気になって眠れもしないのは、俺だけじゃないはずだ。
その時、コンコン、とノックされて、こんな時間に誰だろうと思いながら「どうぞ」と応える。入ってきたのは、台本を抱えたカンタだった。
「よっ、やっぱ起きてたか」
「そりゃぁな……気になるだろ」
「へへ、オレも。なぁ、台本一緒に見ようぜ」
楽しそうに入ってきた幹太に頭痛を覚える。
「お前、裏表紙のルール読んでないのかよ。『台本の内容は誰にも知られてはならない』……見せ合いっこなんてできないんだよ」
「え? でも台本なんか全員中身一緒だろ?」
「だから、この台本は一人一人内容が違うってことなんだろうよ」
「えええええええ!? なにそれ!? すっげー!」
そのリアクション、15時間ほど遅かったな。
「けどよ、人の台本が分かってなきゃ、どうやって合わせるんだろうな」
「それなんだよな。まぁ、自分のセリフさえ分かってりゃできなくはないけど……」
その時、部屋の電気が消えた。
午前零時になったのだ。「きたぁぁぁぁ!」と叫んだ幹太を無視し、素早く机上に指を走らせる。端に置いていたマッチをこすると、暗闇に火花が走り、小さなオレンジ色の炎が部屋の輪郭を浮き上がらせた。
用意していた
「さっすが、準備がいいな」
「食堂から拝借してきた。色んな疑問は、こいつを読めばいくらか解決するだろ」
「そうだな。じゃあオレ、こっちで読むから! 覗いちゃイヤンよ!」
言うなり俺のベッドに飛び込み、エロ本でも隠すように台本を自分の背中で守る幹太に、「それはこっちの台詞だ」と呆れて背を向けた。
いざ、台本と向かい合い、そっと手を伸ばす。表紙に触れると、冷たい金属の質感が、ほのかに脈動しているような、不思議な感覚がした。
表紙の角に親指を添え、ほんの少し力を込めた瞬間、不覚にも強く動揺した。さっきまでビクともしなかった表紙が--
こちらがむしろ焦るほど、なんの抵抗もなく表紙は持ち上がった。背後の幹太も珍しく静かになっていた。生唾を飲み込み、一思いに表紙をめくる。一枚目はほとんど真っ白な紙だった。たった一行、簡素なワープロの縦書きで、
『シアター』
とだけ、ど真ん中に書いてある。そのページに妙な圧迫感を感じながら、そっともう一枚めくってみた。
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十人の少年少女は見慣れぬ島で目を覚ました。
記憶を持たない彼らは、突然のことに驚きながらも島で共同生活を始める。
唯一記憶を残して目を覚ました少女、エマは、島を出て元の暮らしに戻りたいという願いを胸の内にしまいながら生活していくが、次第に仲間の美少年、ヒイロに恋心を抱くようになる。
そんな折、メンバーの一人が突然謎の死を遂げる。それを皮切りに、次々に消えていく仲間たち。
この島には殺人鬼がいるのか。それとも、この中の誰かが犯人なのか。全ての謎を解き明かす時、衝撃の真実が待ち受ける--
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「……」
「……」
「…………」
「…………」
「………………」
「………………」
「……………………なぁ、佑」
「言うな、幹太」
「これさ」
「やめろ」
「B級の臭いがプンプンするんだが」
「やめろ!」
頭を抱えんばかりに呻いた。なんだこの、掃いて捨てるほどありふれてそうなストーリーは。なんで台本なのに初っ端からあらすじなんだよ、結末教えろよ。衝撃の真実が気になるだろ。
「なんか……萎えたな」
「だなー」
無論、たったこれだけで駄作と決めつけることはできない。だが、カントクはこの作品を『究極の映画』と言ったのだ。どんなものかと期待していただけに、幻滅も大きい。一気に興を削がれてしまった。
「まぁ、一応読めるようになったページまでは読んでみよう」
「おう、卒業制作だしな。多少ストーリーがショボくても、みんなでいい作品にしたいもんな」
「それだけじゃない。これだけ大掛かりなことしといて、この映画、まさか道楽で作るってことはないだろ。完成した暁には本土で上映されるはずだ。つまり」
「つまり?」
「この映画は、俺たちのデビュー作だ」
俺の言葉に、ロウソクの火を映したカンタの丸い目が、爛々と輝いた。おもむろに差し出した手のひらに、幹太が思い切りハイタッチする。
「そうか! そうじゃん! そう考えたら俄然張り切っちゃうなぁ!」
「だろ? 卒業後の進路のためにも、ここで
「なぁなぁ、佑、オレたちたくさん共演しような。オレ、お前の演技大好きだからさ」
丸顔を上気させてそんなことを言う幹太に、俺はたまらず赤面した。相変わらず、呆れるほど
「そんなこと言うやつ、お前くらいだぞ」
「なに言ってんだ、みんな思ってるよ。佑は確かに個性ないけど、うん、なんつーか、いい意味で無色透明なんだよ。すげー合わせやすいんだよな」
「褒められてる気がしないんだけど」
「分かんねえかなぁ。絵磨ちゃんなら絶対頷いてくれるんだけどな」
幹太と絵磨は、確かに似ているところがある。二人とも、抜けているようで、実は人をよく観察していて、そして人の、本人でさえ気づかないようないいところを見つけるのが、天才的にうまい。
だから、幹太が評価してくれたことには、なんとなく自信を持てる。
「オレも佑も、主演ってガラじゃないけどさ。そのぶん技を磨いて、二人でテッペンとろうぜ! 佑はマジで、最高の役者になる。オレが保証する!」
「はいはい、わかったわかった」
照れ隠しにあしらい、台本に集中するふりをして背を向けた。主役の適性はやっぱり否定されたけれど、かえって気持ちがすっきりしたし、真っ直ぐな熱い言葉が、胸にじんわりしみて温かかった。
その後、二人で黙って台本を読んだ。それでいくつか分かったことがある。
まず、初日の撮影分は、俺たちがこの島の海岸で目を覚ますところから、共同生活を始めるまでの、おそらくは映画の冒頭部分。それ以降のページは、またしても強い磁力でも働いているみたいに、どう頑張ってもめくることができなかった。
このシステムから明らかなのは、カントクには、俺たちキャストにも物語の結末を知らせないまま演じさせるねらいがあるということだ。台本の筋書きがあらすじ形式だったのもそれで説明がつく。
果たしてそれが具体的にどう映画の出来に作用するのか、それはやってみないと分からない。ただ、前衛的な試みであることは確かだ。
あらすじを読む限りサスペンス風味のストーリーだ。演じる俺たちまで犯人も真実も分からないとなると、ともすれば、より役に没入した鬼気迫る演技が生まれるかもしれない。
そう思うと、役者の目線に立った時、俺はカントクという男を、少し面白いかもと感じてきた。
次に、この島についてだ。俺たちが600日前に送り込まれた、得体の知れないこの島は、丸ごと今回の映画の"セット"なのである。ロケ地、と言った方がいいかもしれない。
今回、俺たち十人は映画の中で絶海の孤島に迷い込む。その島こそが、この阿久津島だ。
雪山のシーンを撮る時、必ずしも演者が雪山に行く必要はない。カメラの
本物に勝るリアルはない。その理念が恐らくカントクの根底にある。それが、キャストにも結末を知らせないという大胆な発想に結びついているのだろう。
面白い。面白いじゃないか。映画のストーリーは今のところ全然面白くないけど!
幹太と別れ、布団に入っても、その夜は妙に眠れなかった。
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