第2話-1
キャスト発表が滞りなく完了すると、俺たちには丸一日の休暇が与えられた。
今日の深夜零時に台本のロックが解除されれば、クランクアップまでノンストップで忙しくなる。カントク曰く、ゆっくり休んで英気を養ってくれとのことだ。
てっきり普段通り授業を受けるつもりで登校してきた俺たちは、たぬ先生が手とお尻をぷりぷり振りながら引き上げていき、カントクの声も途絶えた教室で、まるで知らない場所に放り込まれた子どものようにポカンとしていた。
というのも、俺たちはこの600日間、1日たりとも休んだことがないのだ。土曜日、日曜日なんてドラマの中だけの話である。いきなり降って湧いた「休日」の過ごし方が、一同、皆目分からない。
真っ先に立ち上がったのは煉児だった。いかにもかったるそうに肩を回し、台本はしっかり小脇に抱えて教室を出ようとする。意外にも、それを呼び止めた人物があった。
「レンジ、どこか行くならお供させてくれよ」
陽色である。俺にとってはなるべくお近づきになりたくない相手である煉児に、フレンドリーに接する姿はまさに優等生。
「あァ?」
「普段あまり学校来ないだろ。休日の過ごし方、僕に教えてよ」
「……テメェ、馬鹿にしてんのか?」
違うんだ煉児、陽色はそういうやつなんだ。ムカつくだろ。
「馬鹿になんかしてないよ。君に興味があるだけだ」
「はぁ!?」
「君がどんな人間で、どんなものを好んで、どんな演技をするのか。これから一緒に映画を作る仲間なんだから、知っておきたいじゃないか」
歯の浮くような台詞を大真面目に並べ、薔薇がバックで咲かんばかりの陽色スマイル。なんてムカつくやつだ。笑った顔かっこいいなチクショウ。
「……なんだお前、気持ちワリぃ。暇の潰し方も知らねーのかよ。そこの女とデートでもしてくりゃいいじゃねーか、主演同士」
煉児がぞんざいにエマを指差して、どきりとした。絵磨は曖昧に笑って俺を見た。ヒイロは気遣わしげな顔になって、俺を見た。それで煉児が、一瞬だけ俺の方を向いた。俺は目をそらした。
「あー、ほら、エマちゃんのことはもうよく知ってるからさ」
「はっ、なんだよそういう仲かよ! 下着の色まで知ってますってか」
「いや、演技の話だよ」
「あれ? 今日何色だったっけー」
大真面目に切り返す天然クソ真面目と、セーラー服の襟を伸ばして自分の胸元を覗き込むド天然バカのせいで、二人とほぼ初絡みのレンジが処理落ち寸前である。
「いいじゃない、連れてってよ。この島の面白い場所、煉児なら色々知ってそうだし」
無邪気な言葉に、レンジの険しい顔つきが少し変わった。眉をいっそう寄せつつも口元がうっかりわずかに緩んでいる。
「……ナメんなよ。単車で何周したと思ってんだ。絶景スポットからマル秘の穴場まで、この島のことならなんでも知ってるぜ」
「単車!? バイク持ってるの!? 乗りたい!」
「が、学校の体育倉庫から盗んだやつだけどな。鬱陶しいやつだなホント…………ヘルメットもう一つ盗んでこなきゃなんねえじゃねえか」
あれ、優しい。
「いいの!?」
「勘違いすんな、ムカつくから俺の後部座席で死ぬより怖い目に遭わせてやろうってだけだ。泣いて降ろしてって頼んでも遅いからな。ヘルメット適当にかっぱらって軽く洗濯して持ってくるから小一時間ほど待ってろ」
「わかった!」
煉児はふんと鼻を鳴らし、肩で風を切って教室を出て行った。廊下に出るなり小走りで駆けていく音がする。たぶんだけど、あいついいヤツだわ。
「みんなも行かない?」
「ならあたし、フェラーリ出すよ! カーアクションの授業で使ったやつ!」
ヒイロの呼びかけに元気よく挙手したのはアスカだ。
「あーあの、あんたが一輪走行したやつね」
「そうそう。すごいよフェラーリ、300キロ余裕で出るもん。鈴子助手席乗る?」
「死ぬわバカ。島のドライブでそんな爆速いらないでしょ。この学校ミニバンとか置いてないのかしら」
「オレいいこと思いついた! 屋上のポートにヘリあんじゃん! あれ乗ろう!」
「学校の備品盗む前提で話し進めんな」
俺は呆れてつっこんだ。職員室からキーをこっそり拝借して、フェラーリなりヘリなりをみんなで乗り回すのは確かに楽しそうだったが、今は何をするにも気分が乗らない。たぶん陽色は、俺に気を遣って煉児と消えようとしたのだろうけど。
「……そういうところがムカつくんだよ」
ガタリと立ち上がった俺に、鈴子たちが反応する。
「あら、帰るの? あんたがいないと誰が運転するのよ。色々器用で便利なのだけがあんたの取り柄なんだから。私この暴走機関車にハンドル握らせたくないわよ」
「誰が暴走機関車じゃ! ユウ、あんたが助手席で悲鳴あげてくれないとやる気でないんだけど!」
俺の存在価値っていったい。
「アスカはカーアクションも首席なんだから万が一にも事故はないだろ。ただちょっと、運転が独創的なだけで」
「ちょっとのレベル超えてるわよ」
「えへへー、そんな褒められると」
「まぁ、俺は帰るから。ちょっと体調崩しててさ。悪いなみんな、また明日」
絵磨の方を見ないようにしながら片手を上げて、台本をしっかり抱えると、俺は逃げるように教室を後にした。幹太が残念そうに「またなー!」と叫ぶ。
廊下に出て間もなく、「いいから、追いかけな」という鈴子の声が聞こえた。それから小さな足音が、慌てて俺を追ってきた。
さすがに走ってまくのもはばかられ、中途半端な早歩きで逃げ続けた結果、絵磨が俺に追いついたのは校門を出る頃だった。息を切らす絵磨に速度を一旦は落とし、また少し先を歩く俺に、エマはそっと伺うような声を出した。
「佑くん、怒ってる?」
「……別に」
「じゃあ、拗ねてる?」
無邪気な問いに、耳が熱を帯びた。絵磨のこういうところが嫌いだ。誰より幼い思考回路のくせして、喧嘩すると、完膚なきまでにこちらの幼稚さを思い知らされる。
母親でも相手にしているみたいだ。母親なんて、俺は知らないけど。
「拗ねてねえよ!」
拗ねていた。卒業制作『シアター』の主演は絵磨と陽色。設定は、恋人同士。600日間、俺たちを監視していたというカントクが、そうキャスティングした。
俺では絵磨の恋人役は、務まらないと判断された。
「分かってるよ……言われなくても、陽色の方がお似合いだってことぐらい、とっくに」
絵磨に聞こえないように、前を向いたまま呟いた。
主演を張るなら陽色しかいない。そのパートナーは絵磨しかいない。そんなこと、今更カントクに偉そうに言われなくたって、クラスの全員分かってる。
佑くんの方が、主役に向いてると思うなぁ--くそ、あれ、けっこう嬉しかったんだぞ。
「佑くん」
「なんだよ!」
苛立ちに任せて振り返った俺は、思いのほか近い距離にあった絵磨の顔に怯んだ。小さくて柔らかい手のひらが、俺の両頬に触れる。俺の顔を軽く引き寄せると、絵磨は精一杯背伸びをして丸い目を細めた。
触れた絵磨の唇が、かすかに閉じたり、開いたりする動きをした。それだけで骨の髄まで侵される。とろりとした口先が、柔らかく俺を吸い上げ、微かな音を立てる。
ようやく応じようというときになって、絵磨はそっと顔を離した。
「お芝居はお芝居だよ」
少しだけ拗ねたような顔で絵磨は言った。
「絵磨は、佑くんのものですよ」
可憐な唇を尖らせて、濡れた鳶色の瞳を眇める。俺は何も言えなかった。ただ発火寸前の顔を背けて、ずんずん先を歩いた。
「あ、待ってよ佑くん」
絵磨はいつも、こうやって俺を一生懸命追いかける。けど、実際に背を追っているのは俺の方だ。
追いつきたい。絵磨と並んでも恥ずかしくない、最高の役者になりたい。いや、ならなければならない。
最高の役者になれなければ、生きている意味がない。
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