第1話-4

 俺たちの記憶は、今日から600日前に始まった。


 記憶喪失とは少し違った。俺たちは記憶にないこの島での生活を、まるで今までずっとここで生きてきたかのようにすんなりと受け入れたからだ。


 親がいないことも、学校どころか島に俺たちしかいないことも、何も不思議に思わなかった。俺たちにとって重要なのは最高の役者になれるかどうか、それだけだったから。


 一人前になってこの学校を卒業したら、自動的に本土に行って芸能界に入るのだと、そのためにここにいるのだと、誰に言われるまでもなく信じていた。


「"究極の映画"……『シアター』……?」


『そうだ。間違いなく世界一の傑作になる。私と、君たちが手を組めばね。さっそく台本を配ろう』


 言うや否や、前のドアがスライドしてもう一匹のたぬ先生が姿を現した。両手に黒い本のようなものを大量に抱えている。順番にそれは手渡され、俺の元にも行き渡った。



『シアター』台本 ユウ役 黒衣 佑



 そう白い文字が彫り込まれていた。本というより、ノートという方がしっくりきた。ひんやりした金属の表紙で、ずっしりと重たい。無意識に中を開こうとして異変に気付いた。


 開かない。


 特に留め具があるわけでもないのに、台本は何か強力な磁力でも働いているかのように、どれだけ力を込めても全く開かなかった。明日火が顔を真っ赤にしても開けられていなかったから、腕力で開けるのは無理そうだ。


『台本は、今は見ることができない。全員台本を裏返してくれ。そこに注意事項が彫られているはずだ』


 クラス全員、机の上で台本をひっくり返す。そこには想像を超えてびっしりと、大量の文字が白色で刻印されていた。



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一.台本の内容には忠実に従うこと。ただし、内容は予告なく変更される場合がある。


二.台本の内容は人により異なる。また、台本の内容は他のキャストの誰にも知られてはならない。これが守れない場合、現場から退場してもらう。


三.台本のページは、指定日の午前零時にワンシーン分だけロックが解除される。撮影までは最短でも24時間空けるので、その時間を台本の解釈や演技の練習、心の準備にあてること。


四.シーンによっては、リテイクが行えない場合がある。その際は、一度きりの演技に魂を込めて欲しい。


健闘を祈る。


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「……なんじゃこりゃ」


 そう呟いた煉児が、全員の代弁者であった。


『色々と制約が厳しいことは承知している。しかし、この映画に限っては、この条件で君たちに演じてもらうのが最もいいのだ。申し訳ないが理解してくれ』


 台本の理解と練習に使えるのはたった一日。しかもワンシーンずつしか内容を知ることができない。それどころか一人一人台本の内容が違うとは、一体どういうことだ。


 分からない。こんな無意味なルールでキャストを縛って、どんな映画を作るつもりなのか。


「よくわかんねーけど面白そう! なぁなぁカントク、この映画が俺らの卒業制作ってこと!?」


 幹太が台本を掲げて無邪気にそう言った。


『いかにも。ぜひ誠心誠意取り組んでくれたまえ』


「よっしゃー!」


「あのー、カントクさん、一ついいですか?」


 カンタとは対照的に平坦な調子で、ひとりの少女が手を上げた。


『なにかな、園木そのき君』


「いや、この『シアター』って映画、どんな映画なのかなって。ストーリーというかジャンルというか、タイトルじゃ想像しにくくない? 究極の映画って言うくらいだからまぁ面白いんだろうけど、普通に気になります」


 得体の知れないこの男に対しても普段通りの冷めた目と口調で、園木 鈴子りんこは青みがかったツインテールをいじりながらそんなことを言った。


 彼女には、たとえばヒロインと対立する性悪女とか、悪役令嬢とか、そういう悪役ヒールがぴったりハマる。とにかくサバサバしている彼女の言葉には棘があったり、その切れ長の気だるげな目に見つめられるだけで蔑まれている気分になる。問題なのは、本人に悪気が一切ないことだ。


『ジャンルか。たとえばこの『シアター』が何か特定のジャンルに当てはまるとするなら、その時点で"究極の映画"とは呼べないと、そう思わないかね?』


「どういうことですか?」


『私がこの映画をたとえば青春物語だと言ってしまったら、二度と青春物語以外の映画とは同じ土俵に立てない。"究極"とは何かを突き詰めた果てにある至上のモノだ。私が"究極の映画"と言ったからには、その映画はジャンルという枠に縛られない。縛られてはいけない。強いて言うなら、全てのジャンルを内包している。青春も恋愛も、アクションもSFも、ミステリーもホラーも、ノンフィクションも』


 カントクの言わんとすることはよくわからず、答えになっているかも怪しかった。結局『シアター』の内容については、より想像がつかなくなってしまったではないか。


 リンコは冷めた目でスピーカーを見つめ、「そうですか、ありがとうございます」とだけ言った。


『他に質問はないかな? ……ないようなので、キャストを発表しよう。と言っても、今回君たちが演じるのは君たち自身だ。特別、自分以外の何者かになる必要はない。ただし、都合上、現実と作中とで特別な相違の生じる部分がある。そこは培った演技力でカバーしてほしい』


 現実と作中とで、特別な相違--その意味を俺は次の瞬間に知ることとなった。


『──ヒイロ役、中丸陽色君。エマ役、幕内絵磨君。君たち二人に、恋人同士という設定で『シアター』の主演を任せたい。これまでの成績や演技、相性諸々を評価してのキャスティングだが、異論はあるかね』


 俺を置き去りに、陽色と絵磨は身に余る光栄を賜ったとばかりに強く答えた。


「ありません」

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