第1話-2
「ひどいよ佑くん! なんで待ってくれなかったの!」
「……悪かったよ」
放課後。
普段通りの授業を終えた俺と絵磨は、特に待ち合わせたわけでもなく校門で集合し、家路についていた。正確にはそそくさと先に教室を後にした俺を、「待ってよ佑君!」と叫んで絵磨が追いかけてきて、ちょうど校門で俺に追いついた、というわけである。
「体育のときもそう! いつもそう! 佑くん絵磨のこと避けるよね!」
「……お前こそ、あんま教室で佑くん佑くん呼ぶなよ。恥ずかしいだろ」
「なにが?」
「いや、そりゃ……」
なにが恥ずかしいのか、それを口にできるなら苦労しない。
「佑くんは絵磨が彼女だったら恥ずかしいの?」
拗ねたような顔で俺を見上げる絵磨に、ギョッとする。とんでもない誤解だ。
「そ、そんなわけないだろ」
栗色の、サラサラで柔らかくて艶があって、いい香りのするロングストレートヘアが包む、小さな小さな顔。大きくて、表情に合わせて丸くも鋭くもなる、綺麗な鳶色の目。つるつるモチモチのほっぺた。
背はとても低いが決して童顔ではなく、手足の細さと相まって、
テレビの中を除けば、五人しか女を見たことがない俺が言ってもしかたないが、こんなに美しい女の子を、俺は見たことがない。
「……絵磨は自慢の彼女だよ。だから、一緒にいると自慢っぽくなるから、つい避けちゃうっつーか……」
顔から火が出そうなセリフをどうにか絞り出す。絵磨は満足したように鼻を膨らませて、肩をぶつける勢いで距離を詰めてきた。
「公園寄っていこうよ!」
絵磨の提案で、道沿いの小さな公園に寄った。二人で錆びたブランコに乗る。赤と青の原色をコンピューターで着色したみたいなチープな配色のブランコは、手入れする人間もいないのに、新品さながらにピカピカだった。
「…絵磨はさ、どうして俺を好きになってくれたんだ?」
「え?」
「いや、今日明日火に言われてさ。器用貧乏とか、脇役とか。ほら、俺って完全に陽色の下位互換だろ? 言っちまえば普通なんだよ。得意なことも苦手なことも、個性のカケラもねぇ。実際、これまでの台本全部陽色と絵磨が主演で、カップルで……なんつーか、その」
お似合いだ。二人の組み合わせを、撮影の陰から初めて見たとき、完膚なきまでにそう思った。
単なる美男美女のカップルって程度のことじゃない。
二人が見つめ合えばそれだけで人々の心を打つ。二人の手が絡めば、唇が触れれば--想像したくないが、きっと最高に、"絵"になる。
まるで神が二人を導き合わせたとしか思えない。この世界に産み落とされた無二のヒーローとヒロイン。そう信じさせられてやまない。
陽色に比べれば、俺は明日火の言う通り脇役だ。絵磨とはいかにも釣り合わない。
「うーん、絵磨、陽色くんより佑くんの方が主役に向いてると思うんだけど」
思ってもみない言葉にエマの方を振り向いた。漕ぐのをやめたブランコが、エマの小さな体を乗せて少しずつ弧を小さくしながら、慣性に任せて揺れる。
「なんていうかね、みんなの言う普通って、真ん中っていうより理想に近いと思う。普通の暮らし、普通の幸せ。佑くんは理想なんだよ」
絵磨はよく、不思議なことを言う。この世の全てを自分語で捉えているから、言葉が出てくるのに時間がかかるし、なにを言っているのか、よくわからないことも少なからずある。
けど俺は、絵磨の口から飛び出した言葉は全て、なんとなく無視できない。
「佑くんが主人公だったら、見ている人はみんな佑くんになれると思うなぁ」
エマは揺れるブランコに乗ったまま、空を見上げて、一体なにを想像したのか、楽しそうに笑った。好きだ。俺は絵磨のこういうところが、大好きだ。
「日が暮れるね」
涼やかな一言で我にかえる。いつの間にか太陽は西の山に沈みかけ、空は焼けるようなオレンジに染まり、こうしている間にもみるみる暗い紫紺が滲んでいく。
「そうだな。帰ろう」
この公園から学生寮まで徒歩五分もないが、俺は焦ったようにブランコから飛び降りた。日が暮れればこの島は真っ暗になる。月明かりだけを頼りに夜の島を徘徊するのは遠慮したい。
公園を出てから学生寮に向かうまでの道すがら、一度だけ絵磨とキスをした。男女でフロアも別れているし、寮に戻ればなかなかエマと二人きりになることはできない。
本当は一度だけと言わず、気の済むまでキスをしたり、抱きしめたり、人目をはばからなくて済む場所で、一晩中絵磨と一緒に過ごしたい。けどそれは、もう少し大人になってからでいいと思っていた。
いつかこの芸能科を卒業して、この島を出て、日本本土で最高の俳優と女優になる。それが俺たち二年B組の悲願だ。その夢が叶う頃にはきっと、俺はくだらない劣等感からも解放されて、絵磨と今よりずっと自由な関係を築けていて。やがて家族になって、子どもができて……なんて、流石に気が早すぎるか。
ともかく、その"いつか"は今ではなくて、だから焦らなくていいって話。早く大人になりたい。でも、今の日常がずっと続けばいいとも思う。
寮に帰ると案の定、幹太に捕まって取り調べが始まった。こんな暗くなるまで、学園のマドンナとどこでナニをしていたのか。迷惑そうな顔をして、俺は内心満更でもないのだった。
午後九時になると、毎日恒例の連ドラ視聴会が談話室で行われる。談話室は、数少ない男女共用スペース。だいたい集まるメンバーは決まっていて、今日も俺、幹太、新一、陽色、絵磨、明日火、
残りの二人、煉児と
「やっぱりこの人いい演技するよなぁ」
「この子役はイマイチじゃね?」
「同感。まるで台本を解釈できてないわ。ただ泣けばいいってもんじゃないでしょ」
「えー、かわいいからいいんだよ!」
ストーリーよりもっぱら俺たちの目を引きがちなのは、やはり役者たちの演技。やれ誰々の演技がいい、あの女優は顔だけだ、可愛いからいいだろ、などなど、やんややんや言いながらくだらないドラマを見る時間は楽しい。
九時帯、十時帯、十一時帯のドラマを見終わったところで、テレビの画面が砂嵐に切り替わる。消灯時間だ。部屋の電気が落とされる前に、素早く解散して各自自室に戻る。
静まり返った談話室に、俺はひとりなんとなく居残っていた。
やがて時計の針が零時を指し、電気が消える。島から完全に灯りが消滅する。
訓練された目が素早く闇に慣れる。音も光もない談話室が、微かな月明かりで淡く、青白い色で滲んでいく。
壁に貼られた自動日めくりカレンダーが、ビリ、と独りでに一枚千切れて、新しいページを露わにした。
紙が床に落ちた、乾いた音に反応してそちらを向く。
『0月600日』
無骨なフォントでそう記されているのを確認してから、俺はようやく椅子から立ち上がった。
この島で唯一の学校、阿久津高校。二年B組は芸能科。そこに俺たち十人が配属されて、今日がちょうど六〇〇日目。
この数字が幾つになったら卒業できるのか、俺たちは知らない。
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