二章 茶猫の瞳はうつろうもの
一時間程で、荒宇土の校内探訪は終わりを告げた。
「で、ココが私達対応の保健室だ。ああ、君の場合、些細な怪我程度なら生徒手帳を持たず通常の保健室に向かった方が安全かもしれないというかむしろそうしろ。先程説明した通り、生徒手帳を保持している場合、クラスの面々や、特定の人間を除き、君は他者から認識されなくなるからな」
体育館、職員室、各種用具室等々、一般生徒と彼等神秘科が共有する場所について、流れるように紹介していった惟知香が、最後に立ち寄ったのは保健室だった。
「生徒手帳の件は解りました。で、その前、安全の意味する所が解らないんですが」
「その筋のエキスパートという事だ」
「えっと、専門家って事ですか?」
「例えば、異界生命体との初接触に失敗して全身キメ細やかにシェイクされた生徒を取りあえず外見“だけ”元に戻すとか、古代多重結界の解除に失敗して、複合呪詛を受けた生徒の魂“だけ”救済してやるとか、彼女の手を借りないと対処できない怪我の処置を担当している」
「語句の強調部分に不穏なモノを感じるんですけど」
「アレは存在自体が不穏だ」
「アレって……仮にも保健の担当医なんでしょ? まさか、ロボットドクターとか人外な存在じゃないでしょうね」
「ちょっとだけ見てみるか?」
惟知香が真顔で聞く。荒宇土は怖いもの見たさで頷いた。
唇に指先を当て、静かにするよう促すと、全く音を立てずサッシ扉を僅かに引き開ける。
覗く様身振りで示した惟知香の横に並び、荒宇土は隙間から中を伺った。
中には、ごく普通の保健室が広がっている。急患用のありふれたベッドに、薬品棚。処置デスクも兼ねた事務机の前には、マントルピースが似合いそうな、樫の安楽椅子が置かれている。
その安楽椅子を一定のリズムで揺らしながら、一人の女性が編み物をしていた。
腰に届きそうな鈍い銀色のロングヘア。横顔だが、かなり整っているように見える顔。美人のように見えるが、どうにも人間らしさを感じない。
荒宇土は違和感を感じ、しばし見入った後、その訳を理解した。
安楽椅子のリズムと振り幅が常に一定で、かつ女性の編むペースも編み棒の動きも、全く変わらず推移している。精緻な時計の機械仕掛けでも眺めているような感覚だった。時折、逆再生するかのように、編んだ毛糸を振り解き、再び全く同じように編み直していく。
困惑した表情の荒宇土を見て、惟知香が再び、音を立てず引き戸を閉める。
しまった瞬間、荒宇土は堰を切った。
「何なんですかアレ。やっぱり、ロボットかアンドロイドですか? というか、正に『アレ』でしたわ。っていうか、移動の合間に語られたエイリアンが出てくる竹取物語風味の自称実話よりか、よっぽど空恐ろしい何かを感じましたよ」
驚きからか興奮なのか、微妙に砕けた荒宇土の反応をイジリもせず、惟知香は抑えたトーンで話し出す。
「アレはロボットとか、そういった類ではない。一応生モノと言えなくも無いのだろうが、種族ですらないかもしれない。私も詳しくは知らないし知りたくも無いが、様々な知識と魔道その他への対処法を有しているから、逸脱した範囲のモノ(でも便利)である事は確かだ」
「特に化け物じみてるって事ですか?」
「むしろ神だな」
惟知香はおどけた様子も無く、真顔で答えた。半信半疑で返答に窮する荒宇土に、いつもの調子でダメをおす。
「科学ドラマの学園に、謎を秘めた曰く付き保健医が登場するのは必然というじゃないか? ならば、同じ状況の本学にそういった存在が居るのはむしろ当然と言える。大丈夫だ。以前、ひょんな事から語らう機会を得たが、基本礼節にのっとっていれば問題無い。あ、それと、編み物中にアレ基準で急患だと判定する以外の患者を持って来たらアウトだそうだ」
「何だそりゃ。編み物が、そんなに重要なんですか?」
「彼女? にとっては、そうらしいな。何語か解らんが、『おこだよ』と言っていた」
「何語って……」
別の意味で言葉に詰まった荒宇土に、先達の優越感を感じさせる笑みを見せた。
「多少なりとも語学に通じる私が知らない言語だから、君が解らないのも無理は無いな」
「いやいやいや、それって日本語で『怒っているんだよ』の短縮形意思表示でしょ? ちょっと前にネットやソーシャルメディアで流行った」
「何とっ!?」
本気で驚愕の表情を浮かべた惟知香に、荒宇土は哀れみ混じりの笑みでフォローを入れる。
「流行ものって、使わなくなるとアッという間に廃れますし、使われてるタイミングで目にしないと、意外とお目に掛かれなかったりしますからね」
「ま、まぁ、悠久の刻をたゆたう我からすれば、一時隆盛した文明の、一瞬の語彙変化等、取るに足らぬ些細な事象であるしな」
惟知香は精一杯狼狽を取り繕う。
ちょっと失礼する、そう言い置くと荒宇土に背中を向け、重厚感溢れるガラケーを取り出し、おぼつかない手付きで何かを検索し始めた。
『あー、一応ネット検索とか、理解してるんだ』
生暖かい目で荒宇土が見守る中、ようやく入力し終えると、実行ボタンを押す。
「マジダー」
小さな画面に見入っていた惟知香は素っ頓狂な大声で、最大限の驚きを表現した。
「こんな言葉が流行っていたとは。何より、彼女が何故この言葉を知っていたのか謎だが。流石、赤チン塗るだけが仕事の輩ではないようだな」
「そこまで驚かなくてもいいでしょうにって……赤チン?」
「赤チンだ……え?」
「え?」
「え?」
「何ですか?」
「知らんか?」
「ええ」
「えー!」
――ガラッ――
応急消毒液史認識の違いに困惑した二人の背後で、きしむ音を立てて引き戸が開かれる。
「おい」
か細い声が響いた途端、二人は背中に氷が滑り落ちたような怖気を感じた。
慌てて振り向くと、5センチ程開かれた扉の隙間から、半眼が睨み付けている。
「おわっ」
両手でガードするような動きを見せながら、惟知香が半回転して向き直った。
やや三白眼気味だが、パーツだけを見るなら明らかに美女の瞳は、身を翻した少女の反応を特に気にした様子も無く、リズミカルに上下している。荒宇土が、編み物を続けながら戸口まで来ているのだと理解したタイミングで、緋色の三白眼がボソリと呟いた。
「アタシは現状、ココの職員待遇と成っているので、御前等に、こう強制する権利が有る。廊下で騒ぐな、静かにしろ。アタシの重要な職務を阻害するな」
平静を装った黒髪の少女が、精一杯丁寧な謝罪をする。
「これは失礼した。直ぐに立ち去るので、許して欲しい」
チキチキと編み棒が奏でるリズミカルな音が、三白眼の手元から響く。
「理解したなら、いい……で、真祖よ、其処の者は?」
「え? あ、ああ、新入生、新しい相互不可侵協定仲裁者だ」
そこの者が、自分を指していると思い、荒宇土は愛想笑いに近い引きつった顔で、三白眼の保健医に軽く会釈した。
三白眼の視線だけ荒宇土の方に向く。やや有って視線が中空に固定され、ポツリと呟いた。
「ほう……ああ、そうか……『そういう事』だったか。ふむ、納得した」
再び手元からリズミカルな音が響き、初めて、荒宇土は彼女が視線をさ迷わせている間、編み物を中断していたのだと気付く。押し黙った二人を気にせず、保健医は彼女にとって重要な職務を続けながら踵を返した。
「はてさて……裏か表か如何様か。……それは兎も角、こわっぱ共、静粛にな。それと」
後ろ足で起用に引き戸を閉める。
「SNS位、知っときなっせ」
最後の一言に、二人は思わず顔を見合わせた。
***** ******* *****
保健室から20m程ダッシュ移動した後、惟知香はようやく元の鷹揚な調子に戻った。
「ま、まぁ、ざっと紹介すべきところはこんなものだろう。参考になったか?」
「え? はぁ、どうも有難うございました」
肝心な、道々語られた仲裁者云々の詳しい話が全く参考に成らなかった点を敢えて触れず、荒宇土は礼を述べる。
真新しい校舎とは対照的な、古めかしい予鈴が鳴った。少し離れた一般教室から、さざめく生徒達の声と椅子を引く音が響き始め、教室を出た学生がカバン片手にそれぞれ分かれながら廊下を歩いていく。行き会った生徒は荒宇土達に目もくれず、それでいて柱でも避けるように、廊下の真ん中に突っ立ったままの荒宇土と惟知香を避けていた。
感心した面持ちで周囲を見渡す荒宇土を、得意げに眺めていた惟知香が、何かに気付いた顔をする。
「おや、もう終業時間を過ぎたのか。そうか、入学式当日は授業が無いんだったな」
「……」
そう言いながら、ポケットから取り出した銀色の懐中時計を見た。
「ふむ、やや早いかもしれんが、頃合いも良し。最後のポイントに移動しよう」
「あ……」
下校し始めた生徒達を見て、ふと考え込んだ荒宇土が、何かに思い至った。
「あー、花柳さん」
「堅苦しいな、だが、それはそれで趣だ。で、何事か?」
これまでに無い真剣な表情で、荒宇土は言い放つ。
「アンタ、俺をダシにサボりましたね?」
「なっ!?」
驚愕した惟知香は、実に中二らしいポージングで数秒硬直した後、荒宇土から顔を背けて、呟き始めた。
「バカな……この英知の塊のような私が綿密に計画した策が、こんな小童に見破られるだと」
「あーいや、さっきのこわっぱ認定には、アンタも含まれてたろう? それに、これを策だなんて言ったら、計略マニアに説教されっぞ?」
「……何気に発言がぞんざいに成ってないか? 君」
「失礼、地が出ました」
「いや、ワザとだろう」
「じがでましたー」
「何かムカつくから、その物言いは控えたまえ。今回に限り寛大に許すゆえ」
「あざーすっ」
「あざとぉす? ……そこいらで披瀝して良い名前じゃないのではないか? それ」
精一杯の反撃が予想を上回る名状し難い何かで上書きされた荒宇土は、話がこじれすぎない内に白旗を揚げる。
「えー、スイマセンでした、許して頂き有難うございます。で、ポイントとは?」
「寮住まいの君にとって、生命線と成る重要ポイント、学生食堂だ。ついでに、昼食も済ませよう」
惟知香はニヤリと笑うと、荒宇土を促して下校する生徒とは反対の方向に歩き出した。
教室棟から渡り廊下で繋がった別棟へと歩いていく。噴水の有る芝生の中庭に面し、各学年の教室棟からほぼ等距離の中央部一階フロア総てが、調理室と食堂を兼ねていた。
「へー、広っ」
荒宇土が感心した声を上げる。全校生徒が一斉に訪れても座れそうな、大量の椅子とテーブル。壁面には、飲料系自販機だけでなく、軽食の自販機も設置してあった。一番奥の一面はコンビニ風なスーパーに成っており、そのスペースだけ、室内と校庭双方から出入り出来るように成っている。商品保管のバックヤードと学食の調理室もかなりのスペースが確保され、街から離れた学園の立地を最大限考慮してある事が伺えた。
惟知香はフロア入り口に有る、何台も並んだ食券販売機に荒宇土を促す。
「食券の買い方を説明する必要は無い、だろう?」
「そこまで常識知らずだと思われるのは心外ですね」
食券販売機には、荒宇土が困惑する位、豊富なメニューが並んでいた。リーズナブルな価格に、普段なら決して頼まない類の『でもお高いんでしょう?』な品を頼もうか一瞬迷うも、結局唐揚げ定食を選択する。惟知香は迷い無くペペロンチーノ(大盛り)を選択し、つまんだ食券の端を指先で弾きながら荒宇土が購入し終わるのを待っていた。
食券販売機から、流れで移動し、プラのトレイを取り、お冷を汲む。そのまま進み、食券交換、受け渡しの窓口に移動した。
惟知香は慣れた調子で、食堂のおばちゃんに声を掛ける。
「おばちゃんっペペロンチーノ、カタメ油野菜マシマシでっ!」
「はいよペペ固メアブラヤサイマシマシねっ!」
そこで惟知香が思い付いたように、ハスキー声な渋い顔で付け加える。
「おっと……ネギ抜きで」
「バカいってんじゃないよっ」
おばちゃんは惟知香をいなしながら荒宇土にも手付きで促し、食券を受け取った。まとめて半券にもぎると、調理場にオーダーを通す。
カウンターに背中を預け、場違いなほど優雅な雰囲気を漂わせた黒髪の少女に、荒宇土は微妙に平坦な顔で声を掛けた。
「えっと、何ですか? あの特定ジャンル系ヘヴィオブジェクト・ラーメンを思わせるオーダーは」
「ああ、ココは有る程度個人の好みを尊重してくれるのだ」
「そういう話じゃなくって、って言うかカタメじゃなくてカラメじゃないんかいと」
「カラメ? 君は何を言っている?」
「え?」
二人して困惑していると、おばちゃんが件の料理を持ってくる。
「はい、お先ペペロンチーノ、ああ、これセットのパンね」
「うむ、有難う」
嬉しげな表情で受け取ると、惟知香は荒宇土に湯気の立つ皿を突きつけた。
「私専用ペペロンチーノ、アルデンテより更に硬めの湯で加減なパスタに、通常の3倍のエクストラバージンオイル後がけ、唐辛子、ニンニク大増量、もちろんネギは元から入ってない」
「麺が固め、オリーブオイルに野菜と称する香辛料系の増量……はは、成る程」
これは中二病が体を張ったネタなのか、それとも、自分の認識範囲を超越した何かなのか、ネギが何を意味するのか? 判断しかねた荒宇土は乾いた笑い声をあげる。
「はい唐揚げお待たせ」
「あ、ども」
丁度出来上がった自分のオーダーを機械的に受け取ると、惟知香に続いて席に向かった。
「ここのペペロンチーノは結構な一品だぞ」
いただきますという挨拶もそこそこに、惟知香は慣れた手付きでパスタを巻き取る。
「うむ、実に美味い」
何故か自慢げな表情でパスタを口に運んだ。
「おお、唐揚げもイイ感じ。学食レベル超えてますね」
つられる様に唐揚げを食べた荒宇土も、感心した声を上げる。
「何でも、ペペロンチーノは絶望のパスタなる異名を持っているらしいが、単に調理する者の技量が問われる一品故、やっかみ半分で付けられたのではないかと思えるな」
「へー、そうなんですか。にしても物知りですね」
適当に相槌を打ちながら、白飯をかき込む荒宇土を見て、惟知香は微妙に不満げな表情を見せた。オリーブオイルの内海から、フォークでスライスニンニクを二、三枚救い出すと、スパゲッティ平原の上で、まとめて串刺しにする。
「見たまえ、それなりの厚みを持っていながらキチンと加熱されているニンニクの香ばしさ。素晴らしいとは思わないか?」
そう話しかけながら、見せ付けるようにニンニクを頬張る。
モグモグしながら目一杯ドヤ顔の惟知香に、荒宇土は唐揚げをくわえたまま、しばし訝しげな表情をした。やや有って何かに納得した表情と共に、唐揚げを飲み込む。
「ああ、なるほど。理解しました」
「ふむ、ようやく解ってくれたようだな」
惟知香は、肩の荷が降りた表情になる。荒宇土は増量されたニンニクを見やった。
「無臭ニンニクだから、人を気にせず食べても安心って事ですね」
ガタッと惟知香が斜めに揺らぐ。口の端を引き攣らせながら、平静を装う。
「ほほぉ、徹底的焦らしプレイとかいうやつか。私の忍耐力を試そうというのだな」
「は?」
きょとんとした荒宇土をマジマジと見て、しばし熟考した後、惟知香は作った優しげな声を掛ける。手早くニンニクをかき集めると、荒宇土の鼻先に突き出した。
「これなーんだ?」
子供番組のおねいさん風なその声に、荒宇土はちょっと引きながら答える。
「だからニンニク、無臭にんにくでしょ?」
「違う。普通のニンニクだ。そうじゃなくって」
惟知香はそう言いつつ、フォークに盛ったニンニクを口に頬張る。
「むぅ……ニンニクと言えば、何だ?」
「え? 何ですかそのクエスチョン」
「ウィィクガーリックッ! ニンニクに弱いと言えばっ?」
「えぇ?……その臭いが女子力高い高い系意識高い女子の天敵とか」
惟知香は返答の途中で、一際大きく巻き取ったパスタを豪快に頬張り、親の敵のように咀嚼すると、コップの冷水を一息に飲み込んだ。
「ああ、良く解った。理解した。悟り致した」
「何語ですか最後の」
困惑する荒宇土に答えず、惟知香は唐突に一人芝居じみた寸劇を始める。
「ニンニクに弱いけど怖いモノってなーんだ? ハイ吸血鬼、そうだ私はヴァンパイアなのだガーンッ、どうだおどろいたか」
妙に愛らしく見える潤んだジト目で、惟知香は淡々と一気呵成に喋ると言う離れ業をやってのけた。
荒宇土は怪訝な顔で、言われた内容を脳内リピート再生し、自己の知識と照らし合わせる。
「スイマセン、お伺いしても、よろしいでしょうか?」
「何?」
「あなたが吸血鬼だとおっしゃる?」
未だジト目の惟知香が拗ねた様に答える。
「そうだと言っている」
「吸血鬼って、ニンニク十字架日光に弱いバンパイア?」
「補正すべき点は有るが、概ねニンニク聖べつされた物日光自然流水が弱点とされるヴァンパイアだ」
「ガーンは、もしかして衝撃を受けた俺の心境描写?」
「オフコース」
「ちょっと待って下さいね」
荒宇土はそう言うと、そそくさと食事を再開し、定食の残りを手早くかき込んだ。立ち上がって手近な自販機に向かい、紙コップのコーヒーを砂糖クリームマシマシで買ってくる。
改めて椅子に座りなおし、ホットコーヒーを一口すすった。
「無いわーっ!」
「何故だーっ」
「中二設定が崩壊しておろうがっ! 自分で言った弱点二つの設定を既に怒スルーして、何が吸血鬼だっ 最近流行りのチートキャラって奴かっ? 何より種族紹介も特長裏付けるシーンも無しで、どーやって吸血鬼だって解るっつーんだっ!?」
「突然強気煽りの糾弾セットか。はーん、それが地か、貴様のぢなのだなっ 溢れ出る威厳を見れば、私が深遠の存在だと一目で解るだろうにっ! 大体何だそのチーターって私は猫か猫科か全身エロカッコ良過ぎるからかっ? まぁいーさイイですよ。いいか無知なるこわっぱ良く聞けっ 真祖の私にとって、ニンニクや日光は弱点ではないのだっ」
「しんそ? 何だそりゃ」
問い詰めモードだった荒宇土が一瞬素に戻る。惟知香は隙を逃さず鷹揚なモードで畳み掛けた。
「一族の祖、最大の権勢を誇り、深遠の脅威に最も近付いた究極のナイトストーカーッ、自らの高い知性と過去から秘伝された禁断の知識が時代の識者を超越し、刻の呪縛を逃れた者に課せられる代償を強靭な精神力で克服した何物も恐れないアンタッチャブルでハイパーウルトラダイナマイツな存在っそれが真祖だっ! オバカなこわっぱの為に解りやすく例えてやると、会社組織におけるシーイーオーだっ!」
『なんだろう、物言いがとてもバカに見えるというか、別の意味で触れちゃいけない何かに思えるんだがというか、やっぱマジモンの中二病か?』
荒宇土は、当たり障り無い笑みを浮かべ、再確認する。
「ええと、つまり、惟知香さんは上級のバンパイアさんだから、ニンニクさん食っても日光さんさん浴びても全然全くこれっぽっちも影響が無い、と」
「だぞ」
微妙に身構えている惟知香を見て、荒宇土は是非も無し、と心の中で苦笑した。
自分の好みでは無いが、容姿端麗の出力見本じみた少女と、お近付きに成れたのだ。中二だし、残念(性格が)美人の見本でもあるが。仮に有り得ないが万一天文学的確率でホンモノだとしたら、そんな凄いものに喧嘩を売るのは論外だし。
適当に合わせて、あしらっておこう、と脳内会議は最終結論を下した。
「なるほど。認識不足でした。まさか俺の前にそんな凄い方が現れるなんて思ってもみませんでしたから。失礼しました」
そう言って目礼する。
荒宇土の様子をうかがって、茶化しているのではないと判断したのか、惟知香はようやく、機嫌を直した。
「うむ、解れば良いのだ。普通に暮らして居る者が、ヴァンパイアと遭遇する事も稀だろうし。分けても真祖と邂逅するなど、偶さか想定すら出来まいしな」
このもって回った言葉の羅列は正しいんだろうか? 等と思いながらも、愛想笑いと共に別の内容を口に出す。
「いやいや、流石真祖様、マジぱねーっすっ」
「ぱねーであろう、あはははは」
『コイツ、チョロイ』
付け合せのパンを使い、皿に残ったオリーブオイルを上機嫌で掬っている惟知香を見やり、荒宇土は平坦な顔で思った。
「ははは……。今ちょろいと思ったろう?」
笑っていた惟知香のトーンが低くなり、フランスパンの端を咥えながら、上目遣いで荒宇土を睨む。
「いえいえいえ思ってませんとも。というか、折角のパスタが冷え冷えに成っています。お早く召し上がった方が宜しいかと」
「むぅ」
視線はジト目のまま、惟知香は忙しく手と口を動かす。
『コイツ、鋭い』
荒宇土は紙コップのコーヒーをせわしなく口に運び、その場を取り繕った。
部活の為か一般の寮生なのか、入学式当日だというのに、食堂内もソコソコの賑わいを見せている。喧騒の中、料理を綺麗に食べ終わった惟知香がハンカチで口の端をぬぐった。
「ごちそうさまでした。さて、諸般の事情により、本日の学業は修了してしまった訳だが君、今後の予定はどうなっているのかね?」
「外的諸般の事情により、初日からバックレなんで豪気な真似やらかしちゃった訳ですが、寮に向かって、届いてる筈の荷物を解いたり部屋を片付けたり、要は明日にむけての準備、って感じですかね」
「だから、普通の学生と君も含めた我々の立場は微妙に異なると未だ認識出来んか?」
食事を終え、食器を返却口に持っていく間も惟知香はどこか穿った視線を向けてくる。先程の大疑い始動からの小あしらい2HITコンボが、余程お気にめさなかったらしい。
微妙にやり辛さを感じた荒宇土は、損ねた機嫌を回復すべく、知恵を絞った。
「そうそう、バンパイアって、こうもりになったり出来るんですよね?」
お追従じみた荒宇土の問い掛けだったが、惟知香は律儀に答える。
「アレは物語での誇張でしかない。確かにそういった能力を会得した者も居たようだが、人間と盟約を結んだ者達には通常、存在せん。己の存在と意識を、混沌へと貶めていった結果の、一つの形がああいった変容ゆえ、人間という種にとっての害悪となる対象に多く見られる現象だ。後は『善落ち』した混沌のモノが、手慰みに使うぐらいか。もちろん、私は違う」
先導して寮に向かう道すがら、昇降口で上履きを履きかえる際も、黒髪の少女はとつとつと語って聞かせた。
「ああ、そうなんですか。じゃ、鏡に写らないとかも」
「それはモノによりけりだ。人の間で言う階位の上下も関係してくる。位の低いものは写らないし、高いものでも先程話した混沌へ踏み込んだ者は写らなかったりする。高位の者は大体己が姿を鏡に写す事が出来るが、吸血鬼としての根源、大本、老舗というか元祖というか、私ですら話に聞いた事が有るだけの『始まりの君』とかは、巷間伝わる弱点、特徴を総て持ったままだという話だ。もちろん、私は真祖ゆえ意識せずとも鏡に写る」
「へー」
同じ吸血鬼でも色々違うという説明に、荒宇土は素直な驚きの声を上げる。だが。
にんにく平気で鏡に写り、真昼間にお散歩気分でウロウロ出来るけど、コウモリに成れない真祖バンパイアって、ソレ普通に考えたら人間じゃないんかい? と、荒宇土は心の中で思ってしまった。
何かを察したように、先を歩いていた惟知香が振り返り、半眼で睨む。凶悪な表情の筈だが、元の作りが良い所為か、危うい美しさを感じさせる。
「君、今、明らかに私の事を胡散臭いと思ったな」
「全然。いえ全く完全にそんなコト思って無いと思います」
両手で否定のジェスチャーしつつ、荒宇土は微妙に視線をそらした。
「思ってないと思うって。むぅ、どうやら根本から理解させる必要が有るな」
惟知香は小さく首を振りながら、正門に向かわず、校舎の脇に回り込む。目前の山肌に並んで建っている3棟のマンション目指し、緩やかな坂の小道を上っていく。
5分と掛からず、一番奥の建物に到達した。『護宝贋学園生徒寮』と書かれた真鍮の板がはめ込まれた門を抜け、玄関ホールの自動ドアをくぐる。
「そこに守衛兼管理人が詰めている総合受付がある。生徒手帳を提示して、君の鍵を受け取って来い」
惟知香に促されるままに受付で身分証明すると、直ぐに部屋の鍵が引き渡された。一緒に、『寮則のしおり』と書かれた紹介パンフも付いてくる。
「さて、部屋に向かうとしよう」
ぶすっとした表情で惟知香は小奇麗な廊下を歩き出した。鍵の部屋番号と、壁面に掲示されたフロア表示を見比べていた荒宇土が、慌てて後に続く。
「俺の部屋番号、知ってるんですか?」
「もちろん」
惟知香はジト目で言い放つと、直ぐ横に有ったエレベーターを使わず、階段に足を向ける。上がって直ぐ、二階の一番端の扉前で立ち止まった。
「ココだ」
言いつつ一歩引き、荒宇土に道を開ける。
「あ、どうも」
管理用の札がついたままの鍵を差込み手応えの有る方にひねると、カシャンという閉まった手応えが帰ってきた。
「え? 開いてた?」
ドアノブを回して引くと、ガンッという音と共に引っかかった手応えが返ってくる。
荒宇土が改めて鍵を差込み、扉を開けた。1Kアパートで良くある細い通路が奥の部屋に続いており、途中には整頓された食器が置かれた小さなキッチンが有った。反対に面して、風呂場や、トイレとおぼしき扉も見える。3、4人分の靴を置いたら一杯な狭い上がり口には、スニーカーがキチンと揃えて置いてあった。
「……誰か居るんですけど、もしかして寮って相部屋なんですか?」
「言ってなかったか?」
惟知香が空トボケた表情で荒宇土を待たず先に入る。
「戻ったぞ」
「!? ちょっと待った、戻ったってどういう事ですか?」
微妙に焦った声で質問する荒宇土に答えず、惟知香は奥の部屋に続く扉を開けた。
「おかー」
妙に平坦な少女の声が出迎える。
室内はソコソコの広さが有るフローリングで、左横には別室の扉まで有った。
部屋の中央には毛足の長い絨毯がひかれてあり、春だというのにコタツフルセットが鎮座している。ベランダを背にしたコタツの一角に、ショートヘアの少女が陣取り、緑色の書店カバーが付いた文庫本を広げていた。
天板に突っ伏すようなだらしない格好で、丸まった姿勢のまま視線だけ惟知香に向けている。Tシャツの上にだぶ付いた大き目のジャージを羽織り、袖のすそから指先だけ出ているのが、妙に子供っぽく見えた。
フレーム有りの眼鏡を掛けた大き目のドングリ眼だが、眠そうな半眼の所為で全くやる気を感じない。可愛らしい小さな口元には食べかけの煎餅が覗いていた。こげ茶色の髪は艶やかな光沢を放ち、手入れが行き届いて見えるのに、何故か寝癖のような跳ねグセが顔を出している。
キチンとセットすれば、人目を引く愛らしい容姿に成れるだろうに、この少女はそういった事を全力で拒否しているように見受けられた。
惟知香は荒宇土に座るよう促しながら、少女の反対に陣取る。座り込みながら、荒宇土の方を指し示した。
「彼は御崎荒宇土、新任の相互不可侵協定仲裁者だ。この子はさくら。君が昼間会った、ちゃちゃとクーの同族だよ」
「その紹介は正確性を欠いてる。分類上、うちはあの猫達と生まれも育ちも全然違う」
「どうぞくって言うと、猫の化け物? でも違うってどういう……」
荒宇土は食い違うやり取りに困惑した。目の前の茶髪少女は、猫耳を出している訳でもなく、ごく自然なニート系女子に見える。無意識に瞬いた瞬間、眼前の少女が消えた。
「おわっ! 猫っ!?」
代わりに、コタツテーブルの上に、一匹のキジトラ柄猫が鎮座している。
眼前のマジックショーに、荒宇土は少女が座っていた辺りと、突然猫が出現したコタツの上を見比べた。猫は、開いたまま伏せた文庫本に前足を掛け、抑えている。長さより太さの強調された尻尾が、ぱたんと大きく振られた。
驚く荒宇土を無視して、平然と猫が喋りだす。
「うちは猫だが、あの猫達みたいに、恨み辛み執心が元じゃない。御山の力を受け止めるだけの器を備えてしまったから、こうなっただけだ」
そう言うと、キジ猫は何かが気になったのか、肩口の辺りをひと舐めした。
「どうかしたのかね? 君」
ややドヤ顔成分が感じられる惟知香の問い掛けに、荒宇土は素直に答える。
「自分の認知していた常識が、本日新規更新されたのは納得したつもりだったんですが、こう、どうやってるのか解らない事見せられると、流石に追いつくのにちょっと掛かりますよ」
喋った猫をしばらく凝視した荒宇土が、呟くような声を上げる。
「にしても、この猫、パッと見、イリオモテヤマネコみたいなんですけど」
「ほう、君、妙なところで物知りだな?」
感心した声を上げる惟知香に、不満げな猫の声が被さった。
「うちを山猫の類だと思ったのは褒めてやるが、厳密には違う。お前等の命名する所でいうなら、うちはツシマヤマネコだ」
そういうと、心持ち起き上がった姿勢の少女が、元座っていた場所に現れる。眠そうな目で荒宇土を一瞥すると、伏せた文庫本に手を伸ばし、開いたページから読書を再開した。
「ああ、しまったっ」
惟知香が慌てた声を上げたので、荒宇土はビックリして問い質す。
「な、何事ですか?」
「テーブルの上にのっちゃいけません、と叱れなかった」
「え? 何ソレまさか猫のしつけってコトデスカ?」
「当たり前だろうっ? その場で駄目だと教えなければ、意味が無いそうじゃないか」
ゆっくり瞬きしながら、荒宇土は真一文字に口を結んだ。
「誰に聞いたんですかね、そのしつけ法」
「んっ」
憤懣やる方無しの表情で、惟知香はさくらを指差す。
「猫は即ギルティ認定以外、無罪放免。時効、時効ですぞー」
視線も向けず、さくらが素っ気無くのたまった。
物言いたげな荒宇土が口を開く前に、さくらが惟知香に声を掛ける。
「それより、新しい同居人に、お茶くらい出してやったらどうなのだ?」
「ああ、気付かなかった。ちょっと待ちたまえ」
自己のうっかりを指摘され、惟知香が狭い通路に引き返した。
ケトルに水を注ぐ音が響く中、荒宇土とさくらの間に、沈黙が漂う。
「あのぉ……」
「花柳惟知香」
荒宇土が口を開くより先に、さくらの平坦な声が被さった。
「?」
「チョロイと思ったろう?」
荒宇土は斜め下を向きながら、苦味の有る表情を浮かべる。
「否定出来ない……」
「君、お茶とコーヒー、どちらが好みだ?」
微妙な沈黙が支配する室内、ケトルが沸騰する音と共に惟知香の声が響いていた。
***** ******* *****
惟知香がキッチンで忙しく立ち働く間も、さくらは文庫本を黙って読み続けた。
沈黙に耐えられなくなった荒宇土が、おずおずと声を掛ける。
「あの、さくらさん」
「さくらでいい。丁寧な言葉遣いも不要だ」
「それじゃ、さくらちゃん、一つ尋ねたいんだけど」
「……真祖」
問いたかった内容を先に言われ、荒宇土は心底驚いた表情を浮かべた。少女は視線だけ動かし、荒宇土を制する。
「別に特殊な事をやった訳じゃない。うち等が本能的に備わっている生き抜く際必要な力、観察眼を、人とのコミュニケーションに応用しただけだ」
「なるほど」
さくらは、感心した声を上げる荒宇土から視線をそらしつつ、平坦に付け加えた。
「ま、あの“ハン”パイアの事だから、ドヤ顔で正体を晒した挙句、全く信用されずに、弁明じみた説明を繰り返し、哀れに思ったお前から体良くあしらわれたのだろう? と当て推量しただけだが」
「ナルホド」
余りにも正解過ぎて修正の余地も無く、荒宇土は間抜けな反応を返す。
「んじゃ、彼女の真祖云々って話は」
「本当だ」
「違う……わないの?」
ため息とも鼻息とも付かない、ふすーっという音を発した後、さくらは文庫本を閉じた。
「言葉の区分でいうなら、うちが知識として知る限り、アレは真祖、と認定できる」
「マジで。っていうか、さっきのハンパイアって何?」
「半端モノの吸血鬼を、うちなりに表現した造語。アレは、スペックのみを評するなら一般が思う真祖、頂点に立つモノの類から大きく逸脱している」
そういうと、さくらは目の前に有った煎餅を取り上げ、八重歯で音高く噛み砕く。
「アレ……彼女は、吸血鬼と人間のハーフなのだ。お前等に馴染む言葉で言うなら、ダンピールという区分が正鵠を射ている。ハーフ故、日光、ニンニク等弱点に対する問題は、存在しないと言ってよい。代わりに、吸血鬼として本来持ちえる異能の殆どが無い。吸血する必要すら無いのは、有る意味特典と言えるかもしれんが」
「その説明だと、上が居るって事に成るから、真祖に成れないんじゃないの?」
考え込んだ荒宇土の問いに、さくらは煎餅を咀嚼しながら答えた。
「彼女の生まれに関わった吸血鬼は立派な真祖だったようだ。父親らしいが、ソレが既に存在していない。結果、彼女は吸血鬼の血統ヒエラルギー上、最上位の区分と成る為、真祖と自称しても間違いではない、と成る。もちろん伝統と格式を重んじる本場の連中が聞いたら、せせら笑われるだろうが、この国ではそれでも真祖なのだ」
煎餅を飲み込みながら、締めくくる。
「でも、半パイアだけどな」
「待てーい、ぬこニートッ、人が黙っていれば言いたい放題言いよって」
お盆でコーヒーを運びながら、惟知香が抗議の声を上げた。
「コイツは偉そうな事を言ってるが、ココに来るまでロクに外へ出た事も無い、10年以上も室内飼いされたニート育ちだぞっ」
音高く、だが全くこぼさずにマグカップが置かれていく中、文庫本に顔半分隠したままのさくらが反論する。
「猫は他の猫に侵されない一定範囲の領域が有れば、ストレスフリーで生活出来るのだ。キチンと管理された室内が有れば、表に出る必要は無いんですー、はいろんぱ」
「山の自然が力の源だろうに、碌に行きもしないではないか」
「うちが山に居座ったら、超絶はいぱーな力を保持してしまうから、バランスを考えて極力行かないようにしてるんですー。今はまだ本気を出してないだけ」
そう言いながら、猫のイラストがプリントされたマグカップを引き寄せる。
「まったくもう……」
苦々しい表情をみせながら、惟知香はさくらのカップに、手早くミルクと砂糖を入れてやった。
「熱いから、気をつけなさい」
「ありがと」
さくらは両手でマグカップを持つと、子供っぽい仕草で吹き冷ます。
「くっ……このあざといまでの可愛さが無ければ、いま少し厳しく出来るのにっ」
そう言いながら、惟知香は完全に愛でる者の視線をさくらに向けている。
『うっわチョッロいわー』
荒宇土は思わず平坦な顔になってしまった。
愛でていた惟知香が思い出したように、荒宇土の前にマグカップを滑らせる。
「おっと、すまない。こっちが君の分だ。砂糖ミルクはセルフで、な」
「あ、はいはい。どうもです」
惟知香から渡されたコーヒーに砂糖とミルクを入れながら、思わずまったりした気分に成っていく。
「っじゃなくてっ、さっきの話っ」
唐突に、聞かねば成らない事を思い出し、荒宇土の声が荒ぶった。
「ハンパイアか?」と、未だマグカップを吹き冷ましながら、さくらが。
「ぬこニートか?」と、優雅にコーヒーを口に含みながら、惟知香が。
それぞれ答える。
「それ以前、ずっと前、番組で例えるならアバンかAパートかってトコの話っ同居人云々ですよっ」
『あ、どうも、同居人です』「よしなに、な」「しくよろー」
惟知香とさくらは、ハモッた前半部と異なる後半部で、新しい同居人に挨拶した。
「マジかーっていうか、男女が同室って、流石にマズイでしょっ」
それなりに真剣な顔で、荒宇土が問いかける。さくらと惟知香は顔を見合わせた。
「不味いか?」
「別に」
「だよなぁ。大体、私には既に心に秘めた殿方が存在する。申し訳無いが、君の思いに答える事は出来ない……まさか、近頃流行りとかいう、寝取られフェチなる性癖の持ち主か?」
「違う、色々な意味で違う。その意味で使うなら寝取りフェチが正しいんじゃないかなって、どうでも良いわ、んな事っ!」
「! ……ああ、博識たるうちは、お察し成功しました」
恐る恐るマグカップを口に近付けていたさくらが、得心行った表情に成る。
「ちょっと待て」
眉根の微妙に寄った荒宇土が、さくらを手で制した。
「それは、アメリカ先住民特定部族名+沙汰もしくは、動物学的に一定周期で巡って来る事象に関連した話でしょうか?」
さくらの眠たげな顔に怪訝な成分が混じる。
「? 色恋……はつじょうきと交尾の話だと思ったのか?」
「違うの?」
「何を言っている、この場合はセックスとか犯すとかいうのが単語的に近しいだろう?」
真顔で答えるさくらに、荒宇土は頭を抱えた。
「コイツ、直球ど真ん中ストレートを躊躇無く投げ込みやがった」
きょとんとしていた惟知香が、曰く有りげな笑みを浮べる。
「ああ成る程。そうか、そういう事か」
そう言いながら座りなおしつつ、荒宇土の方に肩を寄せた。
「これは申し訳無かった、私は自分の外観が男性に与える影響というものに疎くてな」
驚くほど妖艶な表情を浮かべ、荒宇土に囁く。
「確かに、これ程の美少女が直近で寝起きするとなると、年頃の男子としては様々な問題を抱え込む事に成るか。ファールラインを超えない範疇なら、色々とお手伝いしてもいい。私としては別に構わんのだが、ね」
明らかにからかっていたが、惟知香の妖艶な囁きは、その悪ふざけを超越した何かを感じさせる。
頭を抱えていた荒宇土が向き直り、驚くほど素の表情で淡々と言い放った。
「あ、そういうの大丈夫なんで、結構です」
「は?」
荒宇土の反応は、照れ隠しとか誤魔化しとかを超えた、完全にノーサンキューな意思を伝えている。
「ちょっと待て、なんだその反応」
「だから俺が心配してるのは、貴女方に悪い噂とか影響が有るんじゃないか、って事で」
「そんな瑣末事どうでも良い。私の容姿に対する君の薄い反応の方が、問題なのだ」
「えーっ、んな事言われても。自分でごめんなさい宣言やっといて、その反応はむしろ困る」
「私の体は、そんなに魅力が無いのかっ!?」
完全に方向を見失った惟知香が、荒宇土に詰め寄った。
「えええええっ!? イヤそういう訳じゃ、つか、十分魅力的だと思いますよ。顔は綺麗で可愛いいし。スタイルもおよろしいと存じますし」
「こっちは別の意味で追い詰められてるし」
マグカップに舌先を付けながら、さくらが一人で呟く。
「では、何なのだっ!」
「あー、俺の好みから外れてるっていうか」
「なんとぉーっ」
驚愕した惟知香がさくらに耳打ちする。最初無表情だったさくらに驚愕が伝染したのか、眠たげな瞳が微妙に大きくなった。
ヒソヒソ話す二人を見て、荒宇土が困ったような表情を浮べる。
「あー、その反応は……絶対いやな予感」
さくらが飲みかけのマグカップを置くと、敷物の上にころんと寝転がった。
仰向けに両手を広げ、しなを作ってTシャツに浮き出た体のラインを強調し、顔だけ荒宇土に向けると、棒読みの声を上げる。
「いやーつるぺたフェチにおかされるー」
「誰がロリコンじゃボケェッ!」
「違うのか?」
「違うわっ!」
本気で怒気を含んだ荒宇土の否定に、二人はひそひそ話を再開した。
「あー、なんかもう見えた気がするわー」
「アレだな、腐の御用達、だんだんだんしょくという」
「そうかサピか、サピエンスかっ!?」
「森羅万象に通じたうちには、解る。しょたというものであるな」
「おーい、変な短縮形使うなー。それ以前に間違ってるから。絶対違うから。俺の好み」
完全否定した荒宇土の反応に、二人は不満げな表情を浮べた。
「では、何だというのだ」
「誤解されるより、良いか……」
微妙にげんなりした荒宇土が、仕方なく答える。
「俺、むっちりぽっちゃりした娘が好みなんです」
初めて照れた表情をみせた荒宇土に、さくらと惟知香は黙り込む。
しばらく間を置いて、二人が朗らかな笑い声を上げた。
「理解した。ぽっちゃ子スキー認定。なるほどなるほど」
「それでは、私が範疇から外れるのも当然だな、私は太ってないし」
納得した惟知香の返答に、荒宇土は真顔に成る。
「ちょっと待て、そこの二人」
「は?」「なにか?」
「おまいらの基準で言うぽっちゃりとは、どういった記号で表される?」
せーの「まるー」
「たわけがーっ!」
「ひぃっ!?」
天下布武る戦国武将を思わせる荒宇土のとんでもない剣幕に、惟知香とさくらは完全に飲み込まれた。
「むっちりぽっちゃりは8っ、もしくは縦にした無限大やろっ? そこ、二人とも座れ。アホォッ! 正座やろっ、こういう場合は」
「怖っ……はい、す、すいません」
仁侠映画の関西任侠人じみた発音で、何故か正座を強要された二人は、ちぢこまって下を向く。
「ええか、お前等意識高い系女子共に、きっちり認識させといたる。男の言うぽっちゃりと、お前等が言うぽっちゃりはな、根本的にちゃうねん。解るか?」
「ええー……解りません」
「ドアホウッ! 解らんかったら、勉強せいっ。まぁええわ、特別に教えたるけどな、男の言うむっちりぽっちゃりは、張りの有る肉体やねんで? 現代用語で言うましゅまろぼでぃは、アレはもうデヴや。ぽっちゃりちゃう」
「は、はぁ」
「正確に言うとむっちりとぽっちゃりも違うんやが、言うても混乱するだけやろ。今回はぽっちゃりだけに絞るで。さっきも言った通り、お前等の言うぽっちゃりは、男で言うとデヴや。男の言うぽっちゃりは、有るべき所に適度な肉が付いた状態や。贅肉やない、適肉や。最高級霜降り状態やで。この霜降り加減にも、上から下まで有って、いっとぉ上まで行くと、正直デヴに分類されてもおかしくない状態まで行ってまう。わいが求めとるんは、この特盛り霜降りやなくて、適度な霜降りなんや。むっちりよりも霜降り、だけどぽちゃ過ぎない、このさじ加減を表現する為に、逢えてむちぽちゃいう言い方したんやで。大トロやない、中トロや。そこんトコをよぉ覚えとけや? のう?」
任侠弁でまくし立てた荒宇土に、二人は引き攣った顔でコクコク頷いた。
「お分かり頂けましたか」
荒宇土は散々まくし立てた後、過去の著名清談派やり手丞相並みに知的な笑みを浮べる。
「この件は触れない方が良い件について」
「うむ、私もそう思う」
慄いた二人に、荒宇土がふと気付いたように問いかけた。
「で、何の話でしたっけ?」
「お前がいうなーっ!」
足をくずしたさくらと惟知香が揃って突っ込みを入れる。
「我等と同室な事を最初に問題提議したのは君だろうがっ」
「一緒に住んで噂されたら困るし、って感じのトイレに行かないアイドルじみた発言だと認定した次第」
荒宇土は悪びれもせず、当初のダメッ絶対的反応を繰り返す。
「だから、寮則とかで禁則事項扱いされてたりするもんでしょ、こういう事ってっ」
「さーれーてーまーせーんー。お前が、人のルールにしばられてるだけ。うち等は別ですー」
「私は真祖ゆえ、特に問題は無い。些細な事だ」
「ホントかよ」
すっかり冷めたコーヒーを口に含みながら、惟知香が切り出す。
「それに、バカ話で説明が遅れたが、私とさくらが、君、相互不可侵協定仲裁者の補佐役、種族代表だ。同時に、学園内での護衛役も兼ねている」
「あ、うちは軍師なので、ココで采配を振るうから、その積もりでしくよろー。にくたいろうどうはノーサンキュー」
「軍師って。なんだそりゃ」
「古今東西森羅万象あらゆる事例を網羅した他にやる事は無いのですかと言える絶対強者、それが軍師だ」
昼間の惟知香を思わせるドヤ顔で、胸を張ってさくらが言い放った。
「わからーん。つか、さっきの話だと、ずっとニー……室内飼いされてたそうじゃないか。で、どうやってお前の言う世間の事情に通じたんだ?」
フンッと鼻息も得意げに、さくらが机の下に積まれた書籍の山を指差す。荒宇土は、いそいそと背表紙のタイトルを眺めた。
「海……衛戦」「護衛戦力確保に関する限界がツライ」「戦……論」「リディやんの古典的名著である。温故知新の意義は高い」「補……戦」「あふりか補給に関する伍長の見識が正しかったという件は収穫だった」「雪……跡」「スキーストックは日本の竹、日本の竹ですぞー」
その他、それっぽいタイトルを一瞥した後、荒宇土はたっぷり十秒固まった。能面の表情でゆっくり向き直る。
「全部本の受け売りやないかいっ! 職業ニートには変わりなかろうっ!」
「ちーがーいーまーすーっ より高度なアイテムを活用しているのですー」
さくらはそう言うと、スマートフォンを取り出し、指差した。
「これさえあれば、軍師は充電切れまで無敵っ無敵ですぞっ」
勝ち誇った表情で、股間の辺りからいそいそとコタツの中に戻す。
「うっわ、すっげー些細なトコから間違ってそう」
「そんな事あーりーまーせーんーっ Ⅱで言うなら100%いう事間違えない位、うちの助言は有効なんですーっ」
「何か知らんが、絶対違うと俺の直感が囁いているっ」
「ちーがーいーまーせーんーっ」
互いに身を乗り出して子供のように言い合っている二人に、傍観していた惟知香が鋭く言い放つ。
「戯言で混ぜ返すなっ、真面目な話なのだぞ」
凛とした惟知香のたしなめに、荒宇土は思わず背筋を正した。
「君の前任者は、単独行動中に行方不明となった。結果は君も伝え聞いてるのではないか?」
空になったマグカップに視線を落とす。
「彼がココに赴任した際、君と同じように私達と同室になるよう進めたのだが、血涙で断られてな。あの時、無理にでも同室にしておけば、こんな事には……」
表情に、後悔の念が混ざる。聞き入っていた荒宇土の顔にあからさまな疑念が浮かんだ。
「え、いや、真剣な所大変申し訳無いんですけど、血涙って、何?」
「誘った瞬間、初めは薔薇色の表情で承諾しようとしたのだが、途中で携帯に電話が掛かった後、絶望した表情に変わってな。死ぬほど勿体無いが同室は勘弁してくれ、と態度が豹変したのだよ」
「はあ」
「これでノットマネーシークレットブルーセーラーだとか何とか、うっきうきで舞い上がっていたのだが」
「誰からだったんですか?」
「嫁」
「はいぃ?」
コーヒーを噴出しそうになった荒宇土を見て、惟知香は当たり前のように答える。
「驚くことは有るまい。普通の学校ではない。魔道の道を究めんとして、研究に半生を費やした者達が、解決できない命題克服の手管を求め、編入希望を申し込むようなクラスなのだ。そういった連中への牽制も必要と成る協定仲裁者に、年嵩の者が選定されるのは、ある意味当然と言える」
『いやそうだけど違うそうじゃないというか、ブルセラって事はつまりはそういう、うわぁ何か死人に鞭打つ行為ってこういう状況にも適応されるんかなー』
「大体、ひょーばんは悪かったしな」
既に冷めているだろうに、それでも一々舌で確かめてコーヒーを含んでいたさくらがぽつりと呟いた。脳内でテンパっていた荒宇土が、我に返る。
「何か、やらかしたの?」
「やらかしてない。ただ、裁定者としての任務はポイ投げで、単身何かを調べて回ってた。クラスの面々にも探るような、疑惑込みの視線を向けてたし。うち等種族は、人の視線とかに敏感だから、直ぐ解る」
そう言いながら、探るような視線を荒宇土に向けた。
「いやいや、ちょっと待ってくれ。なんか、重要そうな話が下世話なゴシップの間から飛び出してきたんだけど」
驚いた荒宇土の反応に、惟知香とさくらは曰く有りげな視線を交わす。
「どう見る?」
「保留。でも、匂いが違う。だいじょぶだと思う」
「え? なんでしょう、保留って?」
「色々と考えねば成らない事が多いという事だ」
荒宇土の問いに、惟知香は意味の解らない回答をした。そのまま、キッパリした口調で最初の問題にケリをつける。
「兎に角、前回のような結果は避けたい。君、これ以上クドクド言ってくれるなよ」
「はあ、解りました」
荒宇土は致し方無しといった表情で承諾した。更に、何か思い出したような表情で、惟知香が付け加える。
「それと、そろそろ堅苦しい敬語口調は止めたまえ。クラスメイトなのだからな」
「まがいなりとも真祖様ですし、自分より年上に敬語使うのは普通でしょう?」
一応、気を使っていたつもりの荒宇土が、口を尖らせる。その言葉に、惟知香が不満げな声を上げた。
「待ちたまえ、私は君と同年だ。さくらに至っては一つ下だぞ」
「それは惟知香さんびゃくじゅうななさいとかロリババアとかいう類の分類ですか?」
「何語だそれはっ! 確かに私はこの学園が開校されてから神秘科に居るが、下の学年の者が飛び級で入ったようなもの。本来の年齢でいうなら、君と同じく今年度新入生だ」
「成り上がってしまった猫は己が望む齢で固定されるのですー。不老、不老ですぞー」
双方からベクトルが違う抗議を受け、荒宇土は手を広げてそれを抑える。
「解りました。つか、解った。いつもの調子でやらせて貰うよ」
「うむ、それでいい。ああ、だが真祖の私への敬意を失念する必要は無いぞ」
「お世話させて頂く、の精神を持たぬ猫飼いは存在せん。だが、世話係のモフる喜びというのは、確実にうざったいのだ。許可無くモフルな、奉仕の心のみ継承セヨ。奉仕を信じるのだ、ラード」
「コイツラ……つか何だ、そのラードって妙な略し方は」
打ち解けたようでぐだぐだという、微妙な雰囲気の中、荒宇土の寮生活はスタートする事と成った。惟知香が二杯目のコーヒーを支度する中、運び込まれていたダンボールの梱包を解き始める。
「!?」
ダンボールのガムテープを剥がすのに苦戦している新しいルームメイトを興味なさげに見やっていたさくらの頬が、一瞬ピクリと動いた。
何かを確かめるように荒宇土の方を凝視し、伸び上がって部屋の外を眺める。
窓枠には、裏山の新緑を桜が彩り、見事な風景画が出来上がっていた。陽光が木立の茂みに深みのあるコントラストを与え、合間合間を薄命な薄桃の衣が絢爛に飾り立てている。
天然の風景画を、さくらの、眠たげだが強い何かを感じさせる視線が凝視した。
「ん、なんだ、どうかしたのか?」
ようやくガムテープを剥がせた荒宇土が、化け猫の些細な変化に気付き、声を掛ける。
「さて、ね。……カッターなら、何処に有るか、のぶちかが知ってる」
表を見やっていたさくらは、ふと、遊んでいたおもちゃに興味を無くした猫のように、そっけ無く向き直ると、再び文庫本へ顔をうずめた。
「? お、おお、ありがと」
ガムテープをゴミ箱に投げ込みながら、荒宇土はキッチンに向かう。
「えっと、花柳さん、カッターかしてくれないか?」
「無理にさん付けしなくて良いし、名前で構わん。左側の棚の引き出し、一番上だ」
「サンキュ」
荒宇土達のやりとりを無視して、さくらは文庫本のページを意味も無くめくっていた。
「何も変わってない? でも、絶対に瞬間、何かが有った。勘違い? コイツが原因でもないようだし……」
確かに感じた変容と、異常無しを伝える五感に困惑する。所在無げに、淡々と、文庫本のページがめくれて行った。
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