平坦へと至る道

@shiiharasyou

一章 結論までに何が要る?

「何となく思ったんだけどさ」

 どこか硬さの残る少年の声が、閉ざされた暗い室内に反響する。

 マンションの一室、間取り効率を優先させた狭いフローリングの廊下に、半端に開かれた量産品の仕切りドア。生活感の感じられない部屋の奥に、不釣合いな分厚いカーテンが引かれていた。

 布地と窓際の隙間から漏れる陽光が唯一の光源として壁を照らし、漆黒の中に僅かな色味を感じさせる。

「アニメや漫画って、どうしていっつも舞台が学園や学校なんだろう? って」

 闇が揺らめく。二つの影が重なり、少年の耳元に言葉の涼風が吹き抜けた。

「おやおや……自己の置かれた現状を省みず、唐突な思考思索の結果披瀝とは、平凡な外観に似合わないビビットさだな。うむ、嫌いじゃないよ、その反応。まずは、続きを聞くとしようか」

 かろやかで甘い、それでいてどこか醒めた少女の声が返答を促す。

 シャンプーの微かな香りを身近で嗅ぎ、少年は感情を押し殺しつつ平坦な声で続けた。

「あ……アレってきっと、説明を省くためなんだわ。お話の中、その世界がどういったところなのかっていう」

「省く、ねぇ」

「特殊な環境だと、舞台説明を延々やらなきゃならないだろ? 例えば未来なら、今より何年先なのか、国家は存続してるのか、歴史は現実世界から続いていった結果なのかとか。ロボットやら超能力者が登場するなら、それの理由付けも必要だろうし……」

 説明が不意に途切れる。

 闇の中、廊下の壁を手探りしていた右手に、かすかな粘性を持った液体が付着していた。

 ゆっくり指先をこすり合わせる。艶かしいぬめりに、少年は思わず生唾を飲み込んだ。

 それを“視ていた”少女の口元に、幽かな笑みが浮かぶ。彼が発するアドレナリンの匂いと、場の作り出した生々しく甘い臭いが混ざり合い、彼女の鼻腔をくすぐっていた。

 薄い鉄臭さに、奥底から浮かび上がる本能の暗い衝動を彼女は平然と抑えこむ。

 微かな戸惑いを見せる少年の手の上に、自分の手のひらをそっと重ねた。

 ひんやりとした柔かい感触に、少年の体がピクッと反応する。

「ああ……こういう状況、君は初めてだったね」

 ことさらに醒めた口調を投げかけた。

 少年の発する熱気と、普段より早く、高く鳴り響く鼓動が、彼女の五感を刺激する。

 自らの心臓も高鳴っている事は、胸の奥にしまい込み、気付かない振りをした。

「な、何事も経験だし。場数をこなせば何とか成ると……思う」

 少年は、緊張した自分を悟られまいと、精一杯平静を装っていた。

 暗い密室、こもった空気が二人の肌にジットリとまとわり付き、夏の夜を思わせる。

 静寂の中、少女の影が滑るように窓辺へと動いた。

「汗、かいちゃった……蒸し暑いのは嫌いだな。君、窓、開けるよ。いいね?」

 押し黙っていた少年が、初めて取り乱した声を上げる。

「ちょっ、マズイでしょっ! 外から見えちゃったら!?」

「問題無かろう。少なくとも私にとって、見られて困るものじゃない」

 一瞬振り返った彼女の両眼は、漆黒の中、紅色に輝いて見えた。

 白く可憐な手で無造作に掴まれたアルミサッシごと、音を立ててカーテンが開かれる。

 心地よい冷たさの風が吹きぬけた。柔らかな春の日差しと、透き通った青空が窓枠を彩る。

 眼前に、新緑と散り際の薄桜に彩られた山々が広がっていた。

 整然と並ぶマンション風の建物と、やや雑多に並ぶ、大小様々な新しい校舎と施設が、緑の中に無機質のコントラストを与えている。少し離れたグラウンドから、部活に勤しむ運動部系の、気の抜けた掛け声が聞こえてきた。

 うららかな春の放課後。

 差し込んだ日差しに、室内が本来の色を取り戻す。


「おわ……」

「おやまぁ」


 鮮烈な赤と茶色、どす黒い藍色がクリーム色の壁を奔放に侵食していた。

 床も同じように塗られているが、こちらにはぶよぶよとした柔かさと弾力を残す生物ナマモノだったモノから生み出されたオブジェで、派手に飾り付けられている。

 白濁の脂肪と薄い朱色の肉から黄味の強い肋骨が曲線状に何本も突き出し、ぐでっと伸びた臓物が暖系色の見本表のように様々な色合いを覗かせていた。茶色がかった髪の塊から、顔の皮と顎骨の一部がのぞき、白い歯が砕けて周囲に散らばっている。こそげたように擦り切れた手の一部が、壁にこびりついていた。

「一人分、にはチト足らない、か……。贄を使った儀式、という訳では無さそうだが」

 醒めた声が、場違いな涼やかさで響く。

「味見かな?」

 わざとらしくはしゃいだ声を、少年へ投げかける。

 そこには、惨殺、と言う表現が控えめに思える人間の死体が転がっていた。

 ざっと検分した少女が、探るような視線を少年に向ける。

 少年の顔は、呆然→理解→恐慌、の表現見本じみた変化を見せた。

「んぷっ」

 惨状に目が見開かれ、口元を抑えようとする。

 寸前、掌にべっとり付いたドス黒い血に気付き、それまで装っていた平静さをかなぐり捨て、おひゃぁっという声と共に、ズボンで拭いとろうと何度もこすりつけた。

 さわやかに吹き抜けた新緑の生の匂いに臓物の澱んだ臭気が強調され、思わず学生服の袖で口と鼻を抑える。

 少年は涙目に成りながらも、どうにか嘔吐だけはこらえた。布地の匂いに集中し、鼻腔に残る生臭い死の感触を必死に打ち消そうとする。

 窓際に仁王立ちした少女が、両手を広げながら高らかに宣言した。

「さぁ、護宝贋学園ごほうがんがくえん神秘科、相互不可侵協定仲裁者っ 御崎荒宇土みさきあらうどっ状況が進展したぞ!」

 その言葉を待っていたかのように、一際涼やかな風が室内を吹きぬけた。

 残り少ない桜の花びらが、風に乗って少女の周囲に振りそそぐ。

 少女の藍色の髪を、漆黒のセーラー服を、スカートを、舞の様に、ふわりとはためかせる。

 差し込んだ光が、印象画染みた明暗を少女の全身に与えていた。邪悪を表現する際、最も用いられる配色で構成されながら、全身に纏った高貴さが、ある種の神々しささえ感じさせる。 暗色に彩どられたキャンバスの中、新雪の清廉さを感じる頬に薄桃色が差し、彼女の高揚感を伝えていた。

 少年の視線が、聖なる肖像画の一点に注がれる。

 一瞬、驚いた表情を見せ、取り乱していた少年の動きが止まった。

 覆っていた口が、ゆっくり開かれる。

「なんと。白、だと……だがしかし有り得るか? 全身真っ黒中二病がその一点のみ敢えて相対色を選択する等という、粋な計らいを出来るものだろうかイヤできないデキルはずがないアリエナイ……うん、目の錯覚、じゃなさそうだし、な」

 恐慌を驚愕で上書きされた少年の声に、いつの間にか平静さが戻っていた。

「ほう、この状況を目の当たりにして早々に立ち直れるとは。中々肝が据わっている、というより、だからこそ仲裁者足りえる、と判断すべきなのだろうな。ただ、最後の一言……」

 髪に残った桜の花びらを弄びながら、少女はスッと一歩踏み出す。

「意外、という感覚が受け取れるのは、気のせいか?」

 陽射しのコントラストで見えなくなっていた少女の瞳が、ひときわ紅く鋭い光できらめいた。

       *****    *******    *****

『まさか、あそこに進学出来るとは思わなかった』――今年定年オメデトウな担任

『今世紀最大の奇跡。春の九死(落ちまくり)に一生(合格)スペシャル』――クラスの総意

『そこまでか……』――御崎荒宇土本人談

「うん、そこまで言われるほど、アラドがココに進学できるとは思って無かったよ」

 大きく開かれた正門をくぐりながら、御崎荒宇土は肩をすくめた。

「言うな中山。俺だって合格通知を貰った時はドッキリじゃないか、と思ったんだ」

「ドッキリて。新時代の人材育成を謳う新進気鋭の難関校が、生徒を釣ると思ったの?」

 横に並んだ中山が、苦笑いを浮かべる。御崎は、真新しいブレザーの肩口を指先で整えると、窮屈過ぎたネクタイを軽く緩めた。

「部屋の中に隠しカメラが無いか、本気で探し掛けたんだぞ。考えても見ろ。本命堅実滑り止め、ことごとく落っこちて、ネタで受けたココだけ合格するとは思わんだろ?」

「でも、受かっちゃったんだから仕方ないわな」

 伊達でござい、と自己主張している黒ぶち眼鏡を押し上げながら、中山は受け流す。

「超絶魔法か神秘のヤマカンか、いやいや、むしろマークシートの女神様をたらし込んだ辺りがアラドっぽくて良いっ!」

「学期末に転校してきたお前は知らないだろうが、俺に超絶っぽい能力は無いし、一般ピープルからゴッド物の怪含め、もてた試しも会った事もたらし込みもやってない。それと、毎度言うが俺の名前はあらうど、だ。なんだ、その一文字しか省略されてない呼び方は」

「私お気にな航空メーカーと同じだから、あえてそう呼んでまっす」

「そんなメーカー、有るのか……」

 中山は横目で荒宇土の顔をひとなですると、もったい付けて論評した。

「作りは悪くないけど、意図してか知らずか『意』を消してる分、知覚出来る人間は警戒して相対するし、逆にそれを感じない輩からすると何の引っ掛かりも無い訳で空気みたいにスルーしちゃう、結構損なタイプだよね」

「イってなんだよ、気配か何かか? 別にニンジャとかじゃねーから、んな事やってないぞ」

「ありゃ、そう? ま、告れば五割以上の子がOKする顔なんだから、諦めないで!」

 妙に作った最後のフレーズを、荒宇土は引き攣った顔で受け流す。

「何故にネタっぽく振舞う? それと、五割OKって事は半分は駄目って事だろ? ……褒めてないよな、今の発言」

「バッカだねー。意中の相手が五割OKするという状況が、どれ程恵まれているか解って無いとは。ま、アラドが色恋沙汰と全く無縁だと良く解ったですよ」

「へぇへぇスイマセンネ」

 入学式会場云々を告知する立て看板を横目で見ながら、二人は学生達の緩やかな人波に身を任せて進んで行く。眼前に並ぶ真新しい校舎の棟々と設備施設は、通常の学校というより、博覧会でよく見る、未来建築の展示会場的印象を与えた。

 おだやかな春の陽射しに、中山が小さく欠伸をかみ殺す。

「しっかし、始発は流石に辛いねー。アラドは通学どうすんの? 毎日一時間以上、列車に揺られる三年間をおくるつもり?」

「まさか。一応、ココの寮へ入る手筈になってる。荷物の発送と、今生の別れを思わせる親のあしらいに手間取って、初日は始発登校なんて無茶する事に成ったが」

 昨日、両親が催した入学祝いという名の、盛大なお別れ会を思い出し、御崎はげんなりとした表情を浮かべた。寡黙な父が何かと話し掛け、豪快、と言っても良い母親が涙を流す。親戚も、多忙な公務員の叔父含め、沢山来訪した。入学祝いの品がダブらなかったのは、奇跡というより作為の結果だろうと思っている。

 普段とあまりにも違い過ぎる周囲の反応が気になって、全く楽しめなかった。

「ああ、そういや昨日の電話サンキューな。まさか、始発以外、間に合わないとは思ってなかったよ。お陰て、初日から遅刻なんていう、豪快な真似をせずにすんだ」

「いやいや、私も諸般の事情で初日は電車通学しなきゃいけなかったんで、むしろ道連れが出来てラッキーだよ」

 中山は欠伸でショボショボした目をむけ、のんきそうな表情で答える。ゆるい表情に、御崎は思わず苦笑した。

「選択の余地が無かった俺はともかく、なんでお前はココを選んだんだ? 進学には有利かもしれんが、県またぎだから、アパート暮らしか学校の寮に入るか、色々大変だろうに。地元、こっちの県だったっけ?」

「ぬふ、知りたいかね?」

 唐突に人の悪そうな含み笑いを浮かべながら、中山は荒宇土の耳元に口を寄せた。

「ココの女子制服は大変に可愛らしく、女の子達もあつらえたように美人さん揃いなのだよアラド君」

「……俺は時々、お前という存在が解らなくなるわ」

「かわいい娘さん+衣装を愛でるという、高貴な嗜みが理解できないとは嘆かわしい」

 そう言うと、中山『まさみ』は自らスカートのすそをつまみ、ひらひらと軽やかな動きで振ってみせた。

 薄い栗色のショートヘアに、黒ぶち眼鏡から悪戯っぽい光を投げかける、ややツリ目ぎみのクリクリ眼。小ぶりな口元をリップクリームが彩り、タヌキ顔にアクセントを与えている。170超えの荒宇土より目線二つほど低い身長だが、ブレザーを押し上げるむっちり見事な胸元のせいで、どことなくぽっちゃりした印象を受ける。ただ、ちょっとした動きの端々に引き締まった鋭さを感じさせた。

 中山は雑踏の中、周囲にぶつかりもせず、最後は優雅に一回転までしてみせる。

 器用、というより呆れた身のこなしに、荒宇土は多少驚いた表情を浮かべた。

「相変わらず、つかみどころの無い奴だな、お前は」

「私は、今、を楽しんでるからね!」

「答えになってないぞ」

「そう? 脳細胞活性化すれば、いずれ解るよアラド君」

 ショートヘアの眼鏡娘はからからと屈託無く笑う。

「さて、運命の瞬間が近付いてまいりましたよっ」

 視線の先に目を向けると、手入れの行き届いた植え込みの横に、新入生クラス分け名簿が貼られた大きな掲示板があった。真新しい制服の生徒達が名簿の前に群れを作り、真剣なまなざしで己がクラスを探している。少し離れた辺りでは、同じ学校出身とおぼしき幾人かの生徒が其処ココに小さなグループを作り、クラス分けの結果に、一喜一憂していた。

「さて、私は何組かな? 同じクラス、は無理だろうけど、学食誘える位の距離は維持したいモンだねっ。折角仲良く成れたんだしさ」

 中山は掴みどころの無い笑みを荒宇土に向けると、名簿を読み始める。つられて、荒宇土も掲示板へ視線を走らせた。


 ――五分後――


「……無い」

「間違いなく?」

「順番に、端から端まで何回も目を通した」

 腰をかがめ、掲示板に張り付いて名簿を確認していた荒宇土が天を仰ぐ。

 周囲に居た新入生達は、予鈴が鳴ったのを境に、己がクラスへと足早に向かっていった。

 中山は頭を振りながら、感嘆をもらす。

「いやぁ、アラドは外さないね。笑いの神様がとり憑いてるわ」

「いや、全然笑えないんだが」

「ドッキリ説が、がぜん真実味を帯びてきたね」

 一瞬、後々商売の神と成る武将に奇襲された酒造りの偉人並みに『げぇっ!?』っという表情を浮かべた後、荒宇土は落着いた顔に戻った。

「流石に、入学費振込先の偽装は、そうそう出来ないと思うんだが」

「んー、そういうクールで面白みの無い対応は、どうかと思うんだな」

 しばし互いに沈黙した後、中山が視線を変えながら取り繕う。

「ま、証拠みたいなモンは持ってるでしょ? コレとか」

 ブレザーのポケットから学生手帳を取り出した。

「え? 無いけど」

「は?」

 初めて、中山が本気で慌てた声を上げる。

「いや、コレただの生徒手帳でなく、学生としてのIDも兼ねてるんだけど。入学の意思確認終了後、写真送ったり色々やり取りして、事前に郵送されて……」

「やりとりはしたが、事前受け取りはしてないぞ」

「ど、どういうこと? 手違い起こる筈無いし、引継ぎは……」

 眉根をひそめる中山の、真剣な表情を初めて見て、荒宇土は苦笑した。

「妙なところで真剣に成るんだな」

「え? あ、ああ、根は真面目なんで」

「なんだそりゃ」


「メイアイ ヘルプユー?」


 唐突に、澄んだかろやかな英語が、駄目駄目な日本語発音で響いた。

 真後ろから聞こえた声に、荒宇土は驚き、そちらに振り返る。


 真っ黒だった。


 全身が。

 藍色を申し訳程度に垂らしたような黒い長髪に、漆黒のセーラー服。足元の光沢有るシューズと靴下も黒でまとめられ、見える太ももと膝こぞうの白さを引き立てる。ご丁寧に胸元のスカーフまで黒だったが、こちらはセーラーと比べると僅かに青色系の色味を感じた。

 俗に言うぱっつん前髪だが、房ごとの塊に分かれているのがアクセントに成り、卵型の顔に良く似合う。色白の顔に、艶のある赤みの薄い唇。スッっとひいた細い眉毛は前髪に隠れているが、ちゃんと自己主張している。これで凛とした切れ長の目であったなら、恐ろしい程の美人として完璧であったろうに、残念ながらその部分には、精気溢れる大きな瞳が可愛さ全開で鎮座していた。

 すらりとした全身には、しっかりメリハリが付いていて、黒のセーラー服にマッチしている。かたち良い両手は優雅な動きを見せ、はめられた黒の『指貫きグローブ』が最高のアクセントを与えていた。

 ―指貫きグローブ―

 荒宇土は心の中で瞬時に問答した。

中二病なこじらせちゃってる娘?』

 大体、ブレザーが制服なこの学校で、迷わずセーラー服を着ているそのセンスが、何かを超越している。指貫きグローブは置いといて。 

 どうあしらって良いか判断に詰まり、即座にこういった状況でも飄々と対処できるであろう心の友に丸投げしようと視線を向けた。

 荒宇土の複雑な表情を見て、中山は眉をひそめる。ほほの端が一瞬、ピクッと痙攣したように動き、いつものまったりとした表情に戻った。

「ま、取りあえず職員室なり教務課なりに行って、事情を説明しなよ。手違いか、郵便事故かもしれないしさ」

「え? お、おい」

「んじゃ、そろそろ時間だから、私先に行くねっ また会おうアラド君っ!」

 中山はそう言い置くと、荒宇土の声をバックに、きびすを返して走り去っていく。

 脱兎のごとく一瞬で視界から消えた中山に、漆黒の使者は感心した声を上げた。

「ほう、中々の判断力だな」

 荒宇土は心の中で毒付く。

『逃げたな、アイツ』

 一目でヤバ気だと解る者に触れたくない気持ちは解らないでもないが、問題山積な自分に、追加ミッション加えてどーするというのだ。

 当の追加ミッションさんは、気にする様子も無く続ける。

「私を観えていないだろうに、君の反応だけで、状況を理解するとは。いや、一応、心得もしくは対処術は持っているといったところか?」

『来た来た来た来たー』

 彼女設定では、黒セーラー服さんは他人に見えないらしい。戸惑う荒宇土の前へ滑るように進み出つつ、音も無く向き直る。

「挨拶しておこう。私は花柳惟知香かりゅうのぶちか、君を迎えに来た」

 そう言うと、黒ずくめの少女は口の端でにやりと笑い、生徒手帳を取り出した。

 指先で手帳をめくると、気の抜けたような荒宇土の上半身写真が貼ってある証明欄が見える。

「まさか、俺の生徒手帳?」

 滑らかな動きが手帳のページを閉じ、手首のスナップで荒宇土へと投げてよこした。

 タイミング良くキャッチした荒宇土に、惟知香と名乗った少女が、澄んだ声で促す。

「掲示板を見たまえ」

 唐突な要求に多少困惑しつつも、荒宇土は生徒手帳を抱えたまま掲示板へ向き直る。

 何ら変哲の無い掲示板の一番最後、先程まで何も貼ってなかった余白の部分に白いプリントが増えていた。


 『護宝贋学園 新規入学者 神秘科Aクラス 御崎荒宇土』


「わが神秘科へようこそ、御崎アラド君」


 黒髪の少女は鷹揚なイタリアンマフィアよろしく、軽く両手を広げる。

 荒宇土は、掲示板と少女を交互に見比べ、一瞬沈黙した後、口を開いた。

「取りあえず、俺の名前はあらうど、です」

「おや、先程の彼女はアラドと……」

「アレは奴が勝手にそう言ってるだけです」

「ずいぶん似通った忌み名だな」

「せめてあだ名と言って下さい」

「あだ名……ニックネームというものか」

『もうヤダこのやりとりー』

 どこまで自己設定中二病に忠実なんだ、と荒宇土は心の中でげんなりする。

 目の前の掲示板は、突然小粋なマジックショー並みのビックリ演出を見せつけるし、真横には有る意味残念美人の天然見本が、自己設定の演技中だ。

 どこからツッコめば良いのだろう。

 荒宇土の表情に何かを感じ取ったのか、惟知香が微笑を浮かべた。

「掲示板について、思う所が有るようだな?」

「俺の名前が書かれたクラス分けのプリント、さっきまで無かったと思ったんですが」

 少女の微笑に、やや意地の悪いものが混ざる。

「いや、最初からココに貼って有った。ただ、君に観えて無かっただけだ」

「は?」

 訝しげな荒宇土から、惟知香は生徒手帳を取り上げた。

「さて、もう一度、掲示板を良く見たまえ」

「何だって言うんですか、全く……!?」

 掲示板に視線を向けると、有った筈のプリントが無くなっている。

「え? アレ?」

 混乱する荒宇土の掌に、惟知香が再び手帳を握らせた。

 一瞬手帳に視線が向き、促されて掲示板に向き直ると、プリントが復活している。

「なん、で……?」

「あのプリントは、一定の条件を満たした者以外、知覚出来ないようにしてあるのだよ」

 そう言うと、惟知香は、荒宇土の生徒手帳を指先で軽くつついた。

「さて、説明はおいおいやっていくとして、先ずは先約をこなすとしようじゃないか」

「先約?」

 情報の整理が未だ付いてない荒宇土に、少女は人好きのする笑みを浮かべる。

「学園長が君をお呼びだ。ついて来たまえ」

 すっと、流れるような動作で歩き出した花柳惟知香の後を、荒宇土は慌てて追いかけた。

       *****    *******    *****

 築三年も経ってない真新しい校舎の中を、黒髪の少女はずんずん進んで行く。

「生徒手帳の件に関しては、学園長の指示でね。実地を持って君に理解して貰いたかったようなのだが、やはり混乱させただけのようだな。私には何の落ち度も無いが、状況を円滑にする為に謝罪しておこう」

「謝罪なんて……」

「必要無いか、それは良かった。当然だが、な」

 お、恐ろしい。恐ろしい位に病が深い気がする。顔には出さず、荒宇土は心の中で慄いた。

 黒髪の少女は、どこか勝ち誇った表情で、荒宇土へ視線を向ける。

「実地と言うならば、やはり、実物を体感させるのが一番だ。そうだろう?」

「?」

 そう言うと、惟知香は周囲を見渡し、何かを見つけた。

「彼女達を見たまえ。どう思う?」

 視線の先に、ブレザー姿の生徒が二人歩いている。

 別段、変わったところは無い。学校指定のブレザーにスカート。一人はワイルドな感じに仕上げた黒髪のショートヘアで、もう一人は栗色のロングヘアを落ち着いた色味のリボンで束ねていた。

 ただ、黒髪さんが胸の前に抱えた鯛焼き満載の白い紙袋と、栗色ちゃんが頭から口にくわえたままの鯛焼きをもぐもぐしている事、両人とも、髪の色に近いネコミミを装備しているのが校則云々の点で、どうかと荒宇土には思えたが。

 どうやら惟知香は、買い食い中のコスプレ娘を、自分と同類扱いしたいらしい。

「……生徒の自主性を重んじる校風なんですね」

 あえて、別の見方をする事にした。

「ほう、そう来たか」

 荒宇土の本心を知ってか知らずか、惟知香は感心の微粒子を含ませた声を上げる。

「自主性云々はともかく、彼女達の頭上に有るアレは?」

「最近の装飾品って、リアル志向なんですね。良く出来てると思います」

「ふむ、公的発言としては、実に真っ当で当たり障りの無い答えだな」

 惟知香は口の端で挑戦的な笑みを浮かべると、ネコミミの二人に声を掛けた。

「おはよう、クー、ちゃちゃ」

「わ、ちかりんだ」

「やほー、のぶのぶ」 

 てこてこと小走りで近寄ってくる。双方のネコミミがピンと伸び、惟知香の方へ微妙に方向を変えた。惟知香はワザとらしいため息を付いてみせる。

「駄目だろう、ホームルーム中に抜け出して、鯛焼き食べちゃ」

「のぶのぶカタイー」

「ちゃんと金払ったよ?」

「ここの校則では、修業の間、モノを食べてはいけない決まりだったろう? それに、金を払うのは当たり前のことだ」

「でもでも食べたかったモン」

 二人の少女は見事にハモった。惟知香は、姉のような態度を見せる。

「人の間で生きていく為には、基本的な決まり事を遵守しなければ成らない。ココはそれを学ぶ場所なんだぞ。我慢なさい」

「むぅーー」

 鯛焼きの尻尾を口からはみ出させたまま、栗色ちゃんは不満げな声を上げた。黒髪の娘も不満げだったが、荒宇土に目を向けると、興味津々な表情となる。ついっと顔を荒宇土に近付けると、すんすんと首筋の匂いを嗅いだ。気付いた栗髪の娘も、同じようにする。

「えっ、ちょ、ちょっとっ」

 突然の急接近に、思わず腰が引けた荒宇土を気にする様子も無く、二人は匂いを確かめ続けた。

「ねねねね、コイツ誰? 人間? あやかしじゃ無いっぽいけど、がくしゃって奴?」

「あや? ほんとにヒトだ。魔道錬金を扱ってる感じはしないけど、何やるヒト?」

 荒宇土の視線の先で、二本の尻尾がピンと跳ね上がった。

「なっ……しっぽ?」

 明らかにナマモノっぽいその動きに、思わず驚きの声が漏れる。

「しっぽ?」

 同時に小首をかしげたネコミミ娘さん二人が、不思議そうな声を上げた。クーとちゃちゃと呼ばれた二人は互いを振り返り、しっぽの先を小さく振ってみせる。

「有るけど?」

「どったの?」

 しっぽの何が不思議なのか? と言いたげな二人の表情に、荒宇土は言葉を飲み込んだ。

 生ネコミミ娘の存在に驚愕するより、視界の隅に居る惟知香の自慢げなドヤ顔が癪に障り、精一杯平静を装う。

「おやおや荒宇土君、その、しっぽとやらは、どうやら君の認知範囲を超えた存在のように見受けたが?」

「いえ、精密機器分野における、自分の情報不足を痛感しているだけです」

 そう言いながら、目の前でなめらかに動く猫耳としっぽを凝視した。明らかにナマモノ、であり、作り物に見えない。

『マジかー』

 先程のマジックショー掲示板といい生猫耳娘といい、朝一から幻覚もしくは未だベッドの中で夢を見ているか、突発的に頭がおかしくなったか、荒宇土は脳内で自問自答する。

 掌をつねると痛い-夢の可能性、無し-。超絶催眠術を掛けられた可能性、いやいやいや、ワールドワイド過ぎて無理でしょ? 無し。頭が暴走した可能性、脳なんて元々暴走してるようなモノだから考えるだけ無駄。

 もっと良い解決法は有りませんか? →素直に現状を受け入れ、場の雰囲気に合わせつつ、状況を注視したい(結論の先延ばし)。

『マジだわー』

 とりあえず、自分を落ち着かせる意味も込めて、差し障りのない会話を始めた。

「種族……でいいのかな、君達はその、何?」

「え? ウチら化け猫だけど?」とクーは言い

「え? あたしら猫又だよ?」と、ちゃちゃは言った。

「猫又だっけ?」

「化け猫だったの?」

 顔を見合わせると、やや間を置いて二人はハモった。

「とにかく猫だー」

 猫耳をピコピコさせながら、軽やかに笑う。

 何かを問う様な惟知香の視線に、荒宇土は無表情で答える。

「あんな小さいモノに、ギミック満載とは。テクノロジーの進歩って凄いですね」

 惟知香の顔に、イタズラっぽい笑みが広がった。

「さて、先を急ごうか。先約が待っている」

 結局、荒宇土の個人的未確認生命体との初遭遇は短時間で終了した。

 二人(二匹?)に早く教室へ戻るよう促すと、惟知香は足早に歩き出した。

 両手を振って見送ってくれる猫耳娘を振り返りつつ、荒宇土は遅れないよう後を追う。

 尋ねたい事が色々有ったが、差し障りの無い辺りから話し始めた。

「あの、ホームルームとかは出なくて良いんですか?」

「心配無い。あんなもの、有って無きが如しだからな」

 二人から口止め料と称してせしめた鯛焼きを片手に、惟知香は軽快な足取りを見せる。

 いや、心配するだろう。少なくとも、俺は初っ端から先生に目を付けられたくない。

 荒宇土の想いを意に介さず、黒髪の少女は何処か優越感を感じる笑みを浮かべていた。

「入学式はどうするんです?」

「君は学園長と面談するのだ。自動的に免除だろう。それに、元々我がクラスはそういった行事には、参加していないし」

 歩調を緩めないまま、惟知香は荒宇土へと振り返る。

「そうか、完全に何も知らない状態なのだな」

「?」

「御崎アラ……荒宇土、君は、私達異種族間の『相互不可侵協定仲裁者』として、送り込まれて来たのだよ」

『マダ設定続いてター』

 自分の中二設定をどこまでも崩さないのはある意味凄いと思いつつ、どうやって元の話に戻そうかと、荒宇土は苦悩した。取りあえず先を促して、相手が満足するまで待つ事にする。

「何ですかそれ?」

「字面のままさ。この学園で事が起こった際、各種族代表が主張する利権を聴取し判定する。ああ、君の感覚で解り易いなら、そら、御奉行やら裁判官とやらに例えても良い」

『なんかスラスラ言ってるよ、このヒト』

「俺、まだ学生なんですが」

「それを言うなら、私だって学生だ」

 階段を一段飛ばしで上がりながら、惟知香が含み笑いを漏らした。

 先程まで感じさせた優雅さとは違い、階段を上る彼女は、年相応の少女がはしゃいだ時のような、屈託無い軽やかをみせた。

 一階から四階まで、一気に駆け上がったのだが、少女は息一つ乱していない。荒宇土は平静を装いながら、肩で息をしている。

「さて、ここが学園長の執務室だ」

 荒宇土の息が収まるまで待って、惟知香が掌で指し示した。

 メイン校舎の四階、北側の一番奥に、他とは違う、両開きの重厚そうな扉がしつらえてあった。元の種類自体は解らないが硬そうな木製で、意匠を凝らした、それでいて華美に成らない程度の浅浮き彫りが施されている。鈍い銅色のドアノブが、学校の真新しさとは対照的な、歴史の古さを感じさせた。

 惟知香が指貫きグローブをはめたまま、扉をノックする。良く見ると、甲の部分に円で囲まれた星を象った魔方陣っぽい図形が書かれていた。

 返事を待たずに、漆黒の少女は扉を開け放つ。荒宇土へ促しつつ、自ら先に入室した。

 さり気無く鯛焼きを持った手を後ろに回す少女に続きながら、荒宇土が辺りを見渡す。

 年期を経た紙が発する、独特の古い臭いが荒宇土の足を止めた。

 室内は、執務室というより、図書館、もしくは数奇本を扱う古書店といった趣であった。

 左右の壁に本棚が並び、様々な本、ごわつく羊皮紙を麻縄の紐で束ねた固まり、御札のようなもので厳重な封印が施された粘土板が雑多に押し込められ、棚はぎっしりと埋め尽くされている。

 中央には応接用のソファと机も有るが、どちらにも古めかしい文字が書かれた本が先客として乗っていた。

 本棚で隠れているのか、壁には窓が見えず、荒宇土は一瞬、換気はどうするのだろう、と、どうでも良い事を考える。

 一番奥に据えられた執務机にも、大量の本や板や皮や石が平積みされていた。

「失礼、学園長。件の君を連れてきました」

 どことなく、慇懃無礼な雰囲気がする声で、惟知香が声を掛ける。

「おお、御苦労様」

 本の隙間から声がした。

 ややボサついている、くすんだ短めの金髪。年齢は全く解らない。二十代から三十代、もしくは四十代から五十代という、ふざけたような感想が一番しっくりきた。日本人にしては顔の彫りが深く、髪の色と相まってハーフなのだろうなと思わせる。

 明るい肌の色と対照的な、暗い色の目が、よく言えば知性、悪く言えば底知れぬ何かを感じさせた。

 学園長は立ち上がり、応接用のソファに置かれた本を手早く差し向かいに二人分だけ片付けると、テーブルに積み上げる。空いたスペースを荒宇土達に指し示した。

「さ、御崎君、こちらへ。花柳君、君はどうするね?」

 荒宇土が惟知香に視線を向けると、少女は先程までとは違う、どこか堅苦しい口調で学園長に答える。

「私は、席を外させて貰います。では御崎君、また後程」

「そうかね。ああ、案内有難う」

 返答もそこそこに、学園長はソファへ腰をおろす。惟知香が扉を閉める音が重く響く中、荒宇土は促されるままにソファへ向かった。

「さて、花柳君から、どのくらい聞いているかね?」

「と、言いますと?」

「君の役割について、さ」

「まさか、あの仲裁がどうとかっていうのは、本当に……」

「事実だよ。君は多種族間の紛争調停の為、この学園に入学する事になった。基本、学年等の存在しない特別クラスの生徒として、その職務を全うしてもらう。本校は表向き、進学校として開校したが、本当の目的は別に有ってね」

「目的?」

「この国には、一般には認知されていない、不特定多数が存在している。そういった存在は、過去様々な事件事象を引き起こし、時代時代の指導者層に深刻な影響を与えてきた。その不特定多数から代表と成り得る者を集め、現状この国で多数をしめる人と共存していく上で必須と成る事柄を学び、最終的に同種不特定多数の存在へと学習した事を伝播し、遵守してもらう、その為にこの学園は作られた。現状はそういった存在との接触を求める物好きな極小数も、同様に扱っている。無論一般生徒は、この件について一切認知していない。彼等は、学園の対外的な評価引き上げ及び目的隠蔽の為、存在するのだ」

 言葉に詰まった、というより唖然とした荒宇土を見て、学園長は悪戯な表情を見せる。

「要は、ヒトの決まりをジンガイに教え込む為の学校って事さ。そこにジンガイと交渉したい魔法使いや学者さんも混ざって、みんな仲良く学園生活をおくっている訳だ。何も知らない一般生徒を除いてね」

「はぁっ?」

 荒宇土は、素っ頓狂、という表現がピッタリくる表情と声を上げた。

「んじゃ、仲裁者って」

「そう。ジンガイ、物の怪、なんと言っても良いが、彼等にはそれぞれの自己基準や規律が存在する。これが、存外厄介でね。違う物の怪同士、些細な、本当にくだらない事で衝突する場合が多い。それを、公的第三者として、ヒトの法律、常識と呼ばれる大多数が文句を言わない範疇で裁定するのが、仲裁者たる君の仕事だ」

「俺が選ばれた理由は?」

「なに、他愛無い理由さ。偶々、そう、偶然が重なった結果だよ」

 にこやかに言い放つ学園長に、荒宇土は微妙な違和感を感じる。が、引っ掛かりについての疑問は口に出さず、内容への質問を続けた。

「裁定といっても、俺は法律とか詳しくありませんよ」

「そこまで堅苦しく考えなくていい。君の知る人の間で生きていく上での一般道徳に照らし合わせる程度で十分だ。彼等が人に混じって生活していく際、人間の取る行動に対し、突飛なリアクションを取らないようにしたいのさ。それと、君を補佐する役割で、各種族の有力派閥から選抜された者が、常時付き従う事と成っている。基本、仲裁職務に就く者は、学園に居る限り彼等ジンガイから危害を加えられる事は無い。契約呪法で縛ってあるからね」

「そう、ですか。なら、何とか、できるかも……」

 落ち着きを取り戻した荒宇土を、学園長は納得した表情をみせる。

「うむ、君は期待通りの存在だな」

「はい?」

「普通、これだけ唐突な話をされると、大抵の者は混乱しっぱなしと成るか、己の狭い価値観と認識にしがみ付き、状況を受け入れようとしないだろう。もしくは、無条件に鵜呑みにして、痛い目に遭うか、だ。君は最初こそ驚くが、直ぐに平静を取り戻し、状況をごく自然に受け入れた。意識してかどうか、きちんと情報を吟味し、真偽についても、自己の中で有る程度折り合いを付けているとみえる」

「そこまで色々考えている訳じゃないですよ。特技と言うか何というか、昔から、何かに驚いても結構すばやく落着けるんですよね。言われるまで意識してませんでしたが」

「重要な資質だ。特に現状においては」

「だといいんですけど」

「いやいや、必要にして十分だ。さて……」

 多少、声のトーンを落としながら、学園長は膝を乗り出した。

「基本的な君の役割以外に、より重要な任務を極秘裏に遂行して貰いたい」

 真剣な、それでいて底知れない視線に、荒宇土の腰が引ける。

「ご、極秘?」

「そうだ。今この学園内に、学園の運営を妨げ、行われている試みを打破しようと企む一派が存在している。君に、その一派を捕捉して貰いたい」

「妨害ですか……何のために?」

 荒宇土に向かって、学園長はシニカルな笑みを浮かべる。

「そりゃ君、得体の知れないモノがこの世に存在している事を認める事が我慢成らない者というのは、何処にでも存在しているものさ」

「そんなものですかねぇ」

 荒宇土は、どこか釈然としない表情になった。思考の先で何かにつまずいた気がしたが、取りあえず与えられた任務の内容を確認する。

「捕捉といっても……悪い事やってる誰かを見つけて、報告すれば良いんですか?」

「その通りだ。君が捕まえる必要は無い。連絡を受けた段階で、その筋が介入する。もちろん、具体的な証拠は必要となるから、其処だけは留意して欲しい」

「探偵じみてますね」

「対象は、実力行使も辞さない輩だ。君自身の身辺に重大な危険が迫るかもしれないが、最大限のバックアップはされるだろう」

 学園長は、にこやかに付け加えた。

「いやいやいや、それを最初に言って下さいよ。いきなり学生を危険に晒すっておかしいでしょう? 何より、危険って何ですか、危険ってっ。さっき言った契約呪法とやらは無意味だったんですかっ!?」

 荒宇土は思わずツッコミを入れてしまった。学園長は、平坦な顔で続ける。

「ロボット三原則にも抜け道が有った様に、賢い輩は何がしかの手を思いつくのだろう。君の前任者、調査中何者かによって排除されたみたいなんだよね。DNA鑑定が必要なレベルだったから、死亡判定されるまでチョッと掛かって、色々苦労したのだよ」

「それ、ミンチよりひでーってやつじゃないですか?」

「中々的確な表現だ。出典元でも有るのかね?」

 形容に感心したような表情を浮かべた学園長に、荒宇土は色を成して詰め寄る。

「そんな事より、俺はまだ死にたくないんですけど! イコール辞退させて頂きたいんですけどっ」

「んー、でもねぇ……君、この任務込みで優秀な進学実績を誇る本校に入学出来た訳で。受験成績、ボーダー届いてないって報告には有ったんだよなぁ」

「あうぁ」

 珍妙な音を口走る荒宇土を無視して、学園長は独り言のように続けた。

「基本、該当任務を拒否するという事は、おっつけ次の担当者が選任される訳で、本学的には君には入学辞退してもらう事に成るんじゃ無いかなぁ成るよなぁ。そうか残念だが仕方無いよねぇ自分の命掛かってるし」

 思案げに立ち上がった理事長が、山積み資料の間に出来た獣道を往復する。

「おっと、今思い出したけど、何というか君、確か公的には、ココ以外受かって……ああ、失礼、私が口を挟む事じゃ無かったね。そうか残念だなぁ君には適正が有ると思ったのに。一応、バイト代じみたものも出るし、三年間無事に過ごせれば、報酬といっては何だが、国立ならドコでも絶対大学進学出来る権というか、進学確定の権利を得るのだけれど。ま、今の若者には、国立云々より選択できる自由の方が重要だろうし。高校浪人というのも昨今珍しくないし、有りだよね」

 そういって、親指を突き上げつつウィンクした学園長の言葉に引っ掛かりを感じ、荒宇土は引きつった笑みで問いかける。

「何故、俺の受験結果を詳しくご存じなんですかね?」

「そりゃ、君を推薦してきた公的な立場が、君に選択肢が残らないよう、きちんと処置するって言ってたし。ちなみに、○××だったらしいよ。君は余裕が有ると隙を見せるタイプだと結果が証明しているようだ」

 ○××が、本来選択していた志望校の難易度順だと察し、荒宇土の表情が、表現し難い笑みに変化した。

 本来なら、『あぶねー、滑り止め落ちてたよっ』と、笑いながら冗談を言う余裕が有ったのに。その、おいしくも安全な展開を帳消しにされ、命懸けの学園生活か、ローニンローニンローニンなワンモアエンドレス受験タイムへのチャレンジ権取得か、の二択を迫られるとは。

 荒宇土は何故に、自分がこんな境遇に陥ったのか、真剣に考え込む。

 押し黙った悩める少年に、学園長はふと思い付いたような表情を向けた。

「確か、君の叔父上は、公務員だった筈だね?」

「え? ああ、はい、詳しくは知りませんが、そうだったかと」

 得心いった頷きが返ってくる。

「うん、中々に出来る方のようだ、君の叔父上は」

「!!」 ――図られたっ!?――

 状況を理解した結果生まれた眉間の皺と、ポカンと開いた荒宇土の口から漏れる嗚咽にも似た怒りの絶叫を学園長は涼しい顔で受け流した。

「さて、どうやら君の進む道が既に決定していると、共通認識を持てた様だね」

 座ったまま固まった荒宇土の肩を後ろから軽くたたく。

「『相互不可侵協定仲裁者』就任オメデトウそして有難う! 仲裁補佐その他諸般に関しては、花柳君から説明を受けて円滑な種族交流の為に頑張ってくれたまえ。……それと」

 金髪の男は、荒宇土の耳元に屈み込むと、囁いた。

「例の件、くれぐれも内密に、ね」

 囁き声に含まれた冷たい何かに、荒宇土は思わず振り返る。

「ん? ああ、話は以上です。入学早々呼び出してすまなかったね」

 にこやかな学園長の反応に、怖気を感じる何かは見出せない。引っ掛かりを感じつつ、荒宇土は立ち上がって一礼した。

「……失礼しました」

 どこか硬い荒宇土の声と共に、重々しい音を立てて学園長室の扉が閉まる。

「終わったか」

 廊下の窓枠にもたれたままの惟知香が、鯛焼きの頭を飲み込みながら独り言のように呟いた。

 頭の片隅で学園長とのやり取りを反芻しつつ、荒宇土は窓際に足を向ける。好奇心を見せる惟知香に苦笑交じりで話しかけた。

「その、言おう言おうと思ってたんですが」

「何か?」

「人の決まり云々を学ぶ場所だと、お説教した本人が、率先して破ってどーすんですか」

 艶の有る唇にかすかに残った小豆あんを舌先で舐めながら、惟知香は平然と答える。

「ティーピーオーってやつだ。少なくとも私は、教師その他、発見されると問題ある対象の前では、そういった行為を行わない。もちろん、見られていないならといって、完全犯罪を率先して行いたがる困ったちゃんでもない。かといって、定められた規範の遵守を絶対とする杓子定規な思考は微塵も持ち合せていない。他者に迷惑のかからない範囲で、一定レベルの規則逸脱程度は、許容範囲内だと理解している」

 加減の問題なのだよ、としたり顔で言い放つと、含み笑いを浮かべた。

「どうやら、私の説明を受け入れざるを得ないところまで至ったようだな」

 受けた話の突飛さよりも、先程まで中二病認定していた相手が、極々真っ当な物言いをしていたという事の方が、荒宇土にとっては衝撃的であったが。

「学園長から言われたら、どうしようもありませんよ」

 と、いかようにも取れる反応を返しておく。

「件の学園長が偽者で、この会見自体偽りだとしたら如何にする?」

「俺の常識許容範囲を超えます。そのときは、騙された被害者として振舞いますよ」

 惟知香は満足げな頷きをすると、顎先に指を当てながら思案げな表情を浮かべた。

「さて、あの男がどこまで投げやりな説明をしたかは、おおよそ見当が付く。折角だ。新入生の君に校内施設を紹介して回りながら、相互不可侵協定仲裁者がどんな事をするのか、具体的に話すとしようか」

「え!?」

 あの男と言い放った際、黒髪の少女が一瞬見せた嫌悪の鋭い表情に、荒宇土は思わず言葉を失った。陰惨といっても良い表情だが、同時に、妖艶で退廃的な美しさを併せ持つ。

 声を掛ける前に惟知香は元の鷹揚な態度に戻り、快活な調子で少年に促した。

「どうした、行くぞ?」

 荒宇土の返事を待たず、人好きのする笑みを残して歩き出す。きびすを返した少女を静止する暇も無く、新人仲裁者は慌ててその後を追った。

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