Chapter.22 - Horizon
ミスター・モルテンブルクとその夫人が居るのは、パリドル駅から汽車や船を乗り継ぎながらまるまる七日かかる道のりの先、大海原を眺めるリーヴァという港街。
伸びた金髪を初めての潮風に揺らしながら、石畳の上、メルはリズムよく靴音を鳴らしていた。
マクリッサの提案から半年弱。彼女の思惑通り、ちょうどメルの十三歳の誕生日に到着した。提案から出発まで何ヵ月も開いたのは、フォードの回復を待ったから。とある目的のためにフォードの同行が必要なのだ。
「早いうちにミスター・モルテンブルクの居る事務所へ行きましょう。話はそれからです。居なかった場合は、先にフォード君の方を」
「楽しみだね」
「……そうだな」
いつもとさほど変わらないマクリッサ、旅に胸を踊らせるメル、荷物係となっているフォード。三人はカモメたちに見守られながら、右手に海を見る街道を進んでいった。
この道を歩き始めてからずっと、正面から少し右手側に見えていた建物があった。海に突き出すようなモスグリーンの直方体。そばには高くそびえる鉄塔が二本。側面に会社名などが書かれていることもないので、三人ともそれが何の建物なのかわからなかった。近づくと、その尋常ではない大きさを感じられる。
マクリッサは「ああ、なるほど」とひとり納得し、話した。
「造船所ですね。ここまで大きなものは、非常に珍しいと思いますが」
モルテンブルク邸ですら土地ごとすっぽり入ってまだまだ余るほどの幅と高さ。海に突きだした奥行きはその七、八倍はある。
「あだっ!」
どこかに窓はないか、中は見られないか、建物を見ながら横向きに歩いていたメルは、急に立ち止まったマクリッサの背中に衝突した。
「……います」
マクリッサはまっすぐ前、造船所側面の細い通路を見て言った。『誰が』にあたる人物は、一人しかいない。視線の先、眼鏡をかけた紳士的な男性は――おそらく何の気なしに、ふと――こちらを見た。
「パパ」
突進とも言える勢いで、メルは駆け出した。どん、と音を立てながらぶつかるように抱きしめる娘に、かの人――ミスター・モルテンブルクが驚き混乱したのは言うまでもない。
「マクリッサまで。どういうことだい」
話せば長くなります――そう言いかけたマクリッサの前に、メル。
「会いに来てくれないから、こっちから来たの!」
省略するにはいささか躊躇われる大変な事件があったが、シンプルなその理由は間違ってはいない。そうなのかい? 視線で聞かれたマクリッサは「『娘さん』を連れ回してすみません」と微笑んだ。
夢ではないのか、本当に目の前に存在しているのか。確かめるように、娘を抱きしめた。強く、それでも、優しく。
「寂しかったか?」
「ううん。寂しくはなかったよ。リックも、ナージュも、マクリッサもいたから。……ただね、怖かった。怖かったわ。ずっと。パパもママも、私のことなんて、好きじゃないのかなって。もう二度と、抱きしめてもらえないのかなって……思って……」
メルの大きな瞳から、堰を切ったように涙が溢れだした――。
互いに言葉が浮かばず、離しもせず。しばらくすると、造船所から顎髭を生やしたひとりの若者が出てきた。
「えっと、娘さん?」
聞かれて初めて離れ、ミスター・モルテンブルクは深い頷きで答える。
「そう、ですか……」若者はどこか残念そうに言った。
「娘に会う会わないは私のプライベートの話だ。契約に影響はないよ、ヘリウス君。船は完成したんだ、乗組員さえ揃えば、すぐにでも」
契約、船、人手不足の様子。僅かなやりとりで、マクリッサは察した。
「――開拓団、ですね」
「ええ、いかにも。団長のヘリウスです」
団長! 若い見た目に似合わないその肩書きはマクリッサを驚かせた。巨大な造船所と若者を交互に見て、信じられないといった表情。それに対し、ヘリウスはまた残念そうに眉をハの字にした。
「やっぱり、若いと信用できませんよね。髭も生やして、少しでも貫禄出るようにしてるんですけど、うまくいかないです」
彼がその若さゆえに資金調達、つまりはスポンサー契約の獲得に苦労していることは明白だった。審査のために造船所を訪れるどころか門前払いもあっただろう。彼にとってミスター・モルテンブルクは頼みの綱というわけだ。
「団長なら」とフォードが前に出る。
メルのために生きたい。メルが喜ぶことをしたい。それは父親に会うこと。そして共に暮らすこと。父親が帰るためには、開拓団とスポンサー契約を結ぶこと。人手不足で開拓団の信用が足りないならば――。
「俺を、開拓団に入れてくれ」
そうだ。このために来た。
「いいですよ。歓迎します!」
まさかの即決だった。「もちろん、多少お話はしますがね。必要なのは、未知の水平線への覚悟だけです」
ヘリウスは海を見た。永遠に続くように思える水面に、彼は飛び出そうとしている。そんな無謀なことをする者が他にいるだろうか。誰もが反対し、誰もが批判したはずだ。……それでも、彼は自分で選んだのだ。
「俺は、ついて行くよ。どこまでも」
精悍な横顔の冒険者に、フォードは告げた。
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