Chapter.12 - Since
『あの日』から、マクリッサはすぐに新しい職を見つけていた。
ハリー議員の邸宅。場所が変わっただけで、仕事はモルテンブルク家で繰り返していたそれとほぼ変わらない。慣れた仕事ぶりからか、雇われたばかりとしては賃金も申し分なく、不自由無く暮らしているようだった。
さらに、ミスター・モルテンブルク――メルの父親――と手紙のやりとりをしているようで、詳しく話せば長くなると、彼女は言った。
「ひとまず今は、仕事中ですので。またあとで」
そんな真面目なセリフに、安堵を覚える。
「でも、今は早くしなきゃいけないの! フォードがね……あ、フォードっていうのはスラムの男の人で、今は更正施設にいて、なんでスラムの人と知り合いかっていうと、その、私、迷って…………」
かいつまんで説明ができない。
メルに起こった出来事、出会った人、そして今。全てひと続きのエピソードなのだ。話せば長くなるのは、こちらも同じ。
「メル」
マクリッサは静かに、そう言った。
メル。……メル。自分の名前。そのはずなのに。
マクリッサの口からそれだけが出ると、狐につままれたようにメルは硬直した。
「逃げませんよ。私は」
メルの頭を撫で、マクリッサは皮肉を含みつつも優しく言葉をかけた。
泊まり込みではないようで、いつもハリー議員が帰ってきてから入れ替わるように帰るのだそう。今日は帰らないと言われていたので、定時になったら鍵をかけて帰宅となる。運休で閑散としたエトノフィン駅で待ち合わせ、マクリッサの家まで三人で歩いていった。
着いたのはとても古い一戸建ての家であった。もともと海が見える別荘として建てられたが、主人がそこまで頻繁には訪れず、空き家のような状態になっていたらしい。掃除と維持を条件に、安く借りているとのこと。
メルはナージュに時折フォローされながら、そして自分自身で整理しながら、マクリッサが居なくなってからのことを話した。
外の世界を学ぶため、ナージュの目を盗んで再び家を出た。パリドル駅で人に酔い、気付けばスラムにいて、拐われそうになった。少年フォードに出会い、スラムの反乱に巻き込まれた。フォードは更正施設、自分はナージュと共にそれぞれ社会について本格的に勉強を始めた。しばらくして、スラムの主の恨みを買ったフォードを巡ってテロが起こった。フォードを引き渡さないでくれと政治家に声をかけ、奇跡的にマクリッサと再会した――。
心配そうに聞いていたマクリッサ。
「ひとまず……今、メルが生きてて良かった」
安心した表情を浮かべると、棚から手紙のような紙を持ってきた。
「私はあれから、旦那様――ミスター・モルテンブルクに、手紙を送りました。業務上の各種連絡はもちろん、ナージュ、あなたについて」
ナージュは急に名前が出てきたことに驚き、膝を机にぶつけた。
「な、な、なんで私なんすか」
「似合わないと思っていたんです。モルテンブルク家と、あなたが」
メルはもう慣れてしまったので気にもしなかったが、確かに絢爛なモルテンブルク家と田舎娘のナージュは似合わない。似合わないというより釣り合わない。スラムほどではないが、住む世界が違うのだ。
「そもそもミスター・モルテンブルクもほとんど家に帰ってきませんし、ここじゃないですが別荘みたいなものです。メルとリックがいたとて、メイドが二人必要なほどではなかったんです。そんな状態でなぜあなたを雇ったのか。なぜあなたを選んだのか。それを訊きました」
「そ……それで、返事は?」
食いぎみに詰め寄るナージュ。
「見てもらった方が早いです」
そう言って、マクリッサは持ってきた手紙をメルとナージュの前に広げた――。
一方。議会では、ハリー議員が発言していた。
「フォード君を差し出すのは簡単です。彼にはまだ戸籍も無いんですから」
議員たちは気だるそうに、しかし重箱の隅をつつくべく耳は傾けていた。
「考えてみてください。これは我々にとってチャンスではありませんか? ゼインの悪名はどんな政治家にも届いています。モグリでなければね」
ハリー議員は露骨に、はす向かいのレッサム議員を向いて言った。議会の一部に笑いが起こる。意見が対立しているときはよくあることだ。「ゼインは」と一言、そして少しの間をおき、「スラムの住人と根本的に性質が異なります」と続ける。
「スラムの住人が悪事を働く理由はただひとつ、生きるためです。動物的な、生命の維持。――しかしゼインは違う。生きていくどころか娯楽を得るのにも十分な資金を集めている。ゼインが居なくなればスラムの統制が乱れるという意見もありますが、では、今は乱れていないのでしょうか? テロという明確な形で私たちの生活圏に被害が出ている今、私たちにとって、そしてフォード君らスラムの住人にとって、ゼインは野放しにしていていい人間でしょうか?
……悪は悪! 裁かれるべき悪! 今一度スラムの住人たちに教えなければならない! 晒しあげなければならない! たとえ――」
「フォード君を、餌にしても」
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