Chapter.10 - Restart
メルが勝手に外出することはなくなった。時間と共に仕事を能率よくこなせるようになってきたナージュは積極的にメルを街に連れて行き、少しずつ、社会というものを学ばせていた。
フォードが更生施設に入れられてから半年が経った頃。メルとナージュに、初めてフォードとの面会が許された。スラムから一般社会への第一次順応期間が終わったのだ。
更生施設は意外にも綺麗な建物であった。冷たい牢屋のようなものをイメージしていたメルが場所を間違えたかと思ったほど。
春の若芽のような薄い緑の壁に絵画が飾られている。よく見ると、絵画はしっかりと壁に固定されているようだ。ここに来たばかりで気が立っている子が外して投げたりしてしまうのを防ぐためだろう。入り口こそ厳重に鍵がかけられていたが、中を歩いてみると鍵はおろかほとんど扉も無い。「オープンにすることで心理的な距離を縮めているんですよ」と従業員は説明してくれた。他にも、本来直角の曲がり角が少し丸みを帯びたカーブに加工されていたりと、細かな配慮が感じられる。
案内された個室で壁に寄りかかっていたフォードは、良い意味で変貌を遂げていた。片目を隠すほど長かった髪はベリーショートに。清潔感のある白いシャツにグレーのズボン。この場所でなければ、ごく普通の学生のよう。
ズボンにはポケットが無かった。これもここならではの気配りなのだろう。ポケットに手を入れる代わりに腰に手を当てている。
「久しぶりだな、メル」
微笑んで言ったフォード。心配とは裏腹に、ある程度余裕を持って元気にやっているのだと、メルは安堵した。
メルは半年間のことを嬉々として話した。街にはたくさんの人がいること。それぞれ仕事を持ち、家族や恋人がいて、色々な場所に赴いて遊んだり勉強したりしていること。魚や肉を生で食べることは避けるべきで、放置するとカビが生えること。同じようなパンでもお店によって値段や味や食感に違いがあること。
「あとね、それとね……――」
ナージュや厚生施設のスタッフにとっては常識であるが、メルとフォードにとっては違う。
「俺も……ここに来て初めて、スラム以外の世界をちゃんと見た気がする。ほんとはスラムなんてごく一部なのに、逆だと思ってた。世界のほとんどがスラムで、ここみたいな暴力のない場所が一部だって、本気で思ってた。…………もっと、新しい世界を見たい」
境遇も性別も年齢も違う。しかし他者に遅れを取りながら社会を学んでいるというただ一点の共通点だけで、こんなにも打ち解けられる。心があたたかくなった2人は話し続け、あっという間に面会時間は過ぎた。
笑顔で帰りの駅まで歩くメル。ナージュにとってもその笑顔は嬉しいものだった。夕日でオレンジの道、晩御飯は何がいいか、など他愛ない会話をしながら歩いていると、更生施設の最寄駅・クロロイス駅に着いた。
クロロイス駅は小さな駅だが、珍しくたくさんの人が居た。どうやら運行に遅れが出ているようだ。夕食時を前にして、イライラしている者も多い。
しばらくして、駅員が大声でアナウンスした。
「申し訳ありません! 本日の運行はありません! 申し訳ありません!」
どういうこと? メルが訊く前に、群衆が駅員に詰め寄る。
「パリドル駅で爆発がありまして! 事故か事件かは調査中とのことですが、線路の復旧には時間がかかるとのことです! 申し訳ありません! 明日の運行は未定です! 申し訳ありません!」
パリドル駅、爆発。スラム絡みの事件だろうと、メルは思った。
しかし深くは考えなかった。スラムにはもう行かないし、フォードも戻らない。スラムの事件は、もう自分には関係ないことだ。心配は爆発の被害者と、目先の交通障害だけでいいのだ。
「早いとこ馬車確保しないと、まずいっすね」とナージュ。
――そうか、この群衆がこぞって馬車で帰ろうとするから、早い者勝ちなのか。
感心してナージュについていった。
翌日の新聞、一面に大きく載った記事で、メルは知る。
爆発はテロであったこと。
大規模な爆発で、死傷者は四十人近くいること。
ゼインの名で声明があったこと。
その内容が、「更生施設のフォードをスラムへ返せ」だったこと……。
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