Chapter.7 - ZAIN
まだ日は昇っていない。時計が無いので正確にはわからないが、午前六時前といったところだろう。
フォードの小屋には、フォードとメルとジーク、そして大きな鞄を携えた坊主頭の少年・ニーヨと、手が真っ黒の大柄な男性・アルがいた。
「その手はどうしたの? アルさん」
「アルでいいよ、お嬢ちゃん。これは機械油と錆だ。ガラクタを集めては磨いて売る毎日を繰り返してると取れなくなる」
確かに、そう言われるとアルの着ているボロボロの服からオイルのような臭いが漂っていることがわかる。
「どうだった?」
フォードがアルに訊く。フォードが仲間と話すときは主語を飛ばして一言で話すので、メルだけが完全に置いていかれる形になる。
「それは、俺がここに来るまでにスラムの住人がうろついてなかったか? って質問?」
アルはメルが置いていかれているのを察したようで、改めて確認した。フォードは「ああ」とだけ返す。
「いつもより少ないけど、何食わぬ顔で通るのは無理だよ」
答えたのはニーヨ。鞄を下ろして続ける。
「これを怪しまれずに運ぶことも出来なかったからね」
ニーヨは鞄から黄色の粘土のようなものを取り出す。
「これは?」
「爆弾だよ」
「ばっ……!」
ここでも、驚いたのはメルだけ。フォードは鞄を少し持ち上げて重量を確認した。
「どこでだ?」
「パン屋裏。大丈夫」
短いフォードとニーヨのやりとり。アルはすかさずメルに解説する。「怪しまれずに運ぶことも出来なかった」ということは、スラムの住人に見つかったんだな? 「どこでだ?」からの、「パン屋(が元々あった場所の)裏」。見たやつは殺したから「大丈夫」。
「メルちゃんを作戦前に帰すのは無理か……」
ジークがあごひげを触りながら悩む様子を見せる。
「ここに残して、ゼインを殺したあとに帰すのは?」
「生きて帰れる保障は無い。作戦が失敗すれば俺らは死ぬ。最悪逃げたとしても、ここから連れ出す余裕は無い」
ニーヨが提案するも、フォードはすぐに却下。考え込むフォード、ジーク、アル。困ったようなニーヨ。しばしの静寂のあと、諦めたようにフォードが口を開いた。
「連れていこう」
フォードの小屋から少し離れた場所。日が昇ったのに暗いままの、路地裏とも呼べないほど狭い建物の隙間に、フォードとメルの二人は陣取った。足の踏み場も無いほど生ごみが転がっていて、異臭どころではない。鼻が曲がりそうだ。
「最初にジークが爆弾を投げこむ。爆発のタイミングが合ってゼインを殺せればそれに越した事はないが、多分無理だ。距離からしてゼインまで届くかも微妙なところだしな。で、見つかったジークは取り巻きを連れてこっちに来る。あそこの塀を越えた取り巻きを俺が殺す。ジークが来た道を真っ直ぐ行って俺はゼインを殺しに行くから、ジークとお前は走ってゼインの後ろ側に回れ。わかったか?」
「……もう一回」
フォードはここに来て計四回、メルに作戦を説明した。メルは理解力が無いわけではなかったが、戦闘のことであるうえに、ある程度は慣れたとはいえ「爆弾」「殺す」などの言葉を多用されると思考が追い付かない。
「とにかく爆発が合図だ」
「わ、わかった」
爆発が合図、ジークが来たらジークについていく。大丈夫。
うんうん、と咀嚼するメルを尻目に、フォードはナイフの刃を確認する。ジークが持っていた大型のものだ。どうやらナイフの扱いはフォードが最も上手いようで、満場一致でこのナイフはフォードが持っていた方が良いということになり、今は自分のも含め二本持っている状態だ。「お前がいると成功率が上がる」というジークの言葉の意味がわかる気がしてきた。フォードが頼りに思える。スラムに来てから怖さしか感じていなかったが、フォードの近くなら少し楽になる。
しかし楽になればなるほど、メルの意識はこの場所の臭さにシフトしていく。
ここは臭いし、小屋もすきま風の入る――とても快適とは言えない粗末なものだし、アルも手を黒く汚して働かなければならない。なぜこんな劣悪な環境でフォードたちは暮らしているのか。街に住めばいいのに。自分と違ってスラムでも隠れたりせずに歩いて、そのまま出ていけるだろうに。
「ねえ、フォード――――」
メルの問いかけは、爆音にかき消された。
「始まった」
フォードはすぐ走り出せるように姿勢を整えた。間もなくして、計画通りジークが塀を越えて飛び出してくる。塀を越える際ジークが足場にしたのだろう、金属製の大きなゴミ箱が転がる音が建物の壁に反響する。ジークを追って一人の男が塀を飛び越えて来たが、その着地地点にはフォード。両手でしっかり握ったナイフが、男の首を待ち構えていた。男は反射的に手を前に出すが、ナイフは風が流れるように手の上をつたい、首の側面を深く切り裂いた。
真っ赤な血の噴水が、メルの視界を支配する。
見たことの無い赤。
全身の細胞が煮え立つような不快感と恐怖が襲う。
無意識に手は自らの首もとで震えていた。
ジークがメルの手首を掴むまでの数秒の間は、何も聞こえなかった。血の水たまりを跳ねあげながら、ジークに引かれてフォードの後ろを走る。
音でしか分からないが、もう一人塀から男が飛び出してきたようだ。フォードの「おらっ!」という声のあと、その男の、もはや言語の形の無い、痛みと絶望に満ちた叫びが響いた。
メルはその声も知らなかった。
――知らないままでいたかった。
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