Chapter.6 - SIEG

 夜は売人がうろついてるとか、細い路地には死体が転がってるとか、この辺りはゼインという男が牛耳っているとか……フォードはメルに、物騒なスラムの話をした。

 それを無言で聞いていたメルの目に、灰がかったオレンジの夕日が差し込んできた。

 

「……帰らなきゃ」

 夕方までには帰る。それはナージュに、そして自分自身に約束したことだった。今日は無理だ、とフォードに淡々と返されても、今日中に帰らなきゃいけないの、と迫る。

「諦めろ」

 さらに言い寄っても、フォードはその言葉を繰り返すようになり、事態は硬直してしまった。

 メルは黙って小屋の扉に近づいた。

「……死にたいのか? 死にたいなら余計に出るな。捕まって売り飛ばされたら、簡単には死ねなくなるぞ」

「わたしの帰りを待ってる人がいるの。本当は出ちゃいけなかったのに、こっそり出てきたの。夕方までには帰らなきゃいけなかったの。だから――」

「出ちゃいけなかったのに出てきた? お前は今それを繰り返すのか?」

 的確な返しに、扉に向かって伸びていたメルの手が止まる。

 ――ここで繰り返したら、三度目だ。

 一度目はマクリッサを失った。二度目はこのスラムで怖い思いをした。三度目は、どうなるだろう。

 

「……早くて、いつ出られるの?」

「明後日の朝」

「! あ、明後日?」

「声がでけえよ」

「ご、ごめんなさい……でも、どうして?」

「明日は『収集』の日だ。ゼインが金を集めに来る」

「来たらまずいの?」

「まずい。ゼインに気に入られたいやつが金を真っ先に渡すためにウジャウジャ外に出てくる。見つかる確率は今出ていくよりも高いだろうな。

 ここの住人に見つかるならまだしも、ゼインかその部下だったら運が良くても身ぐるみはがされる程度はされる。悪ければ……まあ、乱暴されて死ぬか、売られるか。お前はゼインの機嫌に関わらず後者だろうな。高く売れそうな匂いがプンプンしてる」

 まだ出会って間もないが、フォードは上手に嘘をついたり冗談を言ったりするタイプではないと、メルでもわかっていた。

 彼の言ったことは誇張のない現実の話だ。

 返す言葉を失い、ただフォードを見つめるメル。その背後――扉から、低い男の声がした。

 

「フォード、フォード、いるんだろ」

 続いて、ガツ、ガツ、と鍵の閉まった扉を押す音。

 メルは後ずさりするように扉から離れた。

「ジーク? どうした」

 フォードは返事をしながら、メルに毛布を渡し、小屋の隅を指差した。隠れろ、という意味を察したメルは、フォードが指差した隅に小さく身を潜めた。

「入れてくれ」

「なんだよ、こんな時間に」

「いいから入れてくれ」

 ジークと呼ばれた男は扉越しでもわかるくらいソワソワしている様子だった。フォードはメルが隠れたのを確認してから扉を開けた。

 入ってきたのは、背は低いが筋肉質の男だった。年はフォードと同じか少し上だろうか? 処理していない髭と眉毛が、そのあたりの目星を狂わせる。

「ありがとう。早速だが、明日のことだ」

 扉を内側から押してしっかり閉め、ジークが切り出す。

「明日?」

「ゼインの…………」

 そこでジークは言葉を止め、キョロキョロと辺りを見回した。

「誰もいないよな?」

 

 メルは息を殺してさらに縮こまった。冷や汗が頬を伝うのを感じる。

「いねえよ。なんだよ」

「なら大丈夫だ。ゼインの……」

 今度は警戒というより、もったいぶった感じだった。

「ああ、抹殺計画か」

 ジークがもったいぶった部分をフォードが軽く口に出す。物騒な単語だったが、メルはある程度慣れてきていた。

「そうだ。心を決めてくれたか? フォードがいてくれれば本当に成功率が上がると思うんだ。前話したときから、爆弾も三倍くらいに増やしたんだぜ? 足の一本でもすくえれば、フォードならとどめ刺せるだろ?」

「断る。その程度でゼインを殺せるならとっくに誰かが殺してる」

「頼むよ。ニーヨが作戦決行する前提で動いてくれたから、納める金がねえんだ。後には引けないんだよ」

「俺はまだ死にたくない」

 はっきりと言い放ったフォード。ジークは俯いて、何かを自身に言い聞かせるように数回頷いた。

「……………………フォード、お前にこういう手段は使いたくなかったんだが――」

 懐から刃物を出し、両手でしっかりと握ってフォードに向けた。大型の、動物を解体するようなギザギザした刃が鈍く光る。

「……! お前……」

 ジークはフォードにとって信頼のおける相手だったのだろう。フォードのナイフは、先ほど寝転んでいた木箱のあたりに置いてあった。

「今死ぬか、ゼインに殺されるか、自由を掴んで生きるかだ、フォード!」

 ジークは答えを迫る。

 フォードが死ねばメルがスラムから脱出できる可能性は限りなく低くなるだろう。

 フォード自身の命、ジークの悲願、スラムの改革、そしてメルの運命、全てを背負った選択だった。

 

「…………………………わかったよ」

「ありがとう……! 本当にありがとう!」

 ジークは刃物を下ろして礼を言った。刃物を突きつけて脅していた方なのに、泣きそうな声だった。

「だけど、その前に……」

 フォードはそう言いながらまっすぐメルに寄り…………勢いよく毛布を剥がした。

 

「こいつを逃がす方法を考えて欲しい」

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