第20話 通り抜けた者達

m(_ _)m



 エ、今日もおはこび、ありがとうございます。



 こうね、皆さんが座った膝の上にね、コートがちょこーんと乗せてあるのを見るとね。ああ、冬が来たんだなあって感じるわけです。外に出ても、もう吐く息も白くて、凍えて大変でしょ。こういうあったかいとこで、噺でも聞いてる方がいいんだよ。



 まあ、いつも真面目な未来さんが帰ってこないってんで、事務所は大騒ぎに……なるかと思ったら、実はそうでもなくてよ? わめいてんのは、若気の至だけだ。



 めいっ子が居なくなったってーのに、雪車夜そりやのおいちゃんはお茶飲みながら、「放っとくのが一番」とリラックスだ。薄井先生も「そうですね」と相槌を打ってな?



 まだ試験の怖さを経験してない若気の至は、「だめですよ! すぐにみつけないと!」と鼻息を荒くしてる。



「この程度を乗り越えられないんなら、いっそのこと辞めちゃった方が、よっぽど幸せってものだし」

「まあ……彼女は辞められない所まで、踏み込んじゃってると思いますがね……」

「まあそうだけどさ?」

 と、偉い先生2人がしゃべってる。


 

 雪車夜のおいちゃんは、あったかいお茶を、またもズズーッと飲んだ。室内だってぇのに白く湯気が立ち上ってるのは、事務所の暖房が故障してるからだね。



「何をのんびりしたこと言ってるんです!」

 至は若気の至りを発揮した。明日はわが身。数年後の自分の姿かもしれねえんだ。

「僕、探してきます」

 と、出てこうとする至を、おいちゃんが「おい!」と呼び止めた。



「今日の仕事はどうするの?」

 口は笑って、おいちゃんは言ったね。



「有休が残ってますから」

「存在センセ。このコ、行かせて大丈夫?」

「……駄目です。今日は、クライアント向けに、報告レポート作成がありますから」



「だとさ。残念だったねぇ、若気くん」

「そんな! それどころじゃないでしょう!?」

 なおも食い下がる至に、おいちゃんは言った。



「そう。それどころじゃない。だよここは。人の心配より、自分の事をやんな」



 雪車夜のおいちゃんは、事務所じゃいっつも酒飲んでばかり。なのにちゃあんと結果を出してる。おいちゃんが外から拾ってくる客のおかげで、この事務所は回っていると言っていい。至はしょうがなく机に向かったが、せわしなく立ったり座ったり。机の下では貧乏ゆすり、上じゃ机をトントン、紙をバサバサ。まぁ、その心境じゃ、仕事にならんわな。



 頭脳労働はサ? 「うおおおお!」って気合いで、なんとかなったりは、まずしない。むしろ、激情は空回る。独断に陥っちまうから、あまりよろしくない。



 結局、新人で元々仕事の遅い至は、いつもよりすこーしだけ速く、レポートを作ったんだがな? 存在先生に、何度も何度もボツにされちまった。



「あのさ。レポートの内容以前に、送付日付が間違ってるよ。テンプレのままにしたな?」

「ここの参照番号も、案件に応じて直さないと。この注意力じゃ、仕事は任せられないよ? はい、やり直し」



 雪車夜のおいちゃんからも、茶ぁを飲みのみ、

「至くんさ。拙速せっそくって、そういうことじゃないよ?」

 と釘をさされてさ。



 至の手は、悔しさと焦りで、ぷるぷる震えたね。涙目にもなってる。まぁ、結果を出さなきゃどうしようも無いってのは、若気の至でもわかっちゃあいる。結局、3度目の直しでようやくチェックを通した至は、今度こそ、かばんひっつかんで事務所を飛び出してった。



 いやぁもう、熱の塊な若いのが出てった途端に、部屋の温度が2、3度、下がったように感じられるね。



「存在センセ。若いって、いいねえ」

「ですね、ほんとうに」

「ん? 存在センセもだよ? 若気くんのレポートのチェック、甘くしたでしょ?」

「……バレましたか」

 と、薄井センセは破顔した。



「やっぱりな。存在センセは、ホントのとこは、どう思うの? 未来ちゃんが今回も駄目だった件について」

「そうですね……そろそろ、『知識の罠』にハマる時期なのかもしれません。合格レベルの受験生が知らない事まで、論文で書いてしまう。その副作用で、本来書くべき部分の論述が薄くなる、と」



 おいちゃんはコクンと頷いて、 

「だろうね。絶対じゃなくて相対試験なんだから。空気読んで、みんなと同じ事を書かないと、合格点つかないんだけどね」

 と言い出した。


 

 技術を扱う仕事だってぇのに、文系みたいな空気読みが求められるとは、どうなってんだろうねぇ。



「勉強が進みと、逆に合格から遠ざかる。不思議な現象ですよね……雪車夜さんは、昔、そこで苦労なさったんでしたよね?」

「そうそう。俺ん時は、とにかく覚えたモンを吐き出したくて、好き勝手書いてたら……14年もかかっちまった。周りが平均5年で受かるとこなのにさ。てへぺろ」


「……おじさんがやっても可愛くないですよ」

「バーローこういうのは気持ちが大事なんだよ、てへぺろー。まぁ結局、通せてるからいいけどね。途中で、離婚だのなんだの、色々あったけどさ。存在センセは、3年位で通せたんだったよね? 試験」



「運が良かっただけですよ。受かりやすい知識レベルの時に、うまく波に乗れただけです。試験って、実務とは全く別ですし。雪車夜さんみたいな営業力も無いですし」

「いーんじゃない? 人それぞれの向き合い方だ。まぁ未来ちゃんは、仕上がるまでまだまだかかりそうだけど、こればっかりはしょうが無い」



「若気君が後輩として、一緒に歩んでくれるみたいだから、良かったじゃないですか」

「どうかなぁ? あっさり追い越されちまうんじゃないか? うちの未来ちゃん、なんせ詰めが甘いから」

「若気君は、成長速そうですもんね」

「そうそう。未来ちゃん、うちらみたいな上からじゃなくて、下からのプレッシャーの方が、尻に火がついて、良いのかもしれない」



「だったら、若気くんを、引き止めずに行かせてあげても、よかったのかもしれませんね」

「ダメダメ。仕事が優先だって、若気くんにも理解してもらわなきゃ困る。あと、存在センセも分かってるでしょ? 立ち直りは考えてやること。自立できなきゃ、その先が無いもの。ね」

「……確かに、そうかもしれませんね……」



 雪車夜のおいちゃんと、存在センセは、同時にふうーっと、息を吐いた。その後おいちゃんが、勢い良く今度は息を吸ったもんだから、鼻が「ガッ」ってな、不細工な音を立てた。



「んがっ。まぁ俺としちゃ、一日くらいは、未来ちゃんを放っぽっといてほしかったね。若気くんをこう……明日あたりまで仕事と酒で拘束してさ」

「さすがにそれはマズイですね。コンプライアンス的に」



「そうそう。うちはブラック事務所じゃないからねぇハハハ。とにかく、未来ちゃんには、一人で立ち直って貰わないと。

「……同感です」



「おっ、存在センセ、気があうね。今日も一緒に酒、行くかい?」

「まだ仕事が残ってますし。……あと、私は酒、弱いですから」



「アウターアート使えば下戸も治るんだけどな? 真面目だねほんと」

 そう言って雪車夜のおいちゃんは、存在センセの肩をポンと叩くってーと、お茶を飲み干し、若気の至が出てったドアを、ぼやーっと見つめたんだな。そしてボソッ、ボソッとつぶやいた。ホウっと白い息と共に。



「ごめんな未来みくちゃん。自分の力で越えてもらわにゃ、困るのよ」



 ……。



「先に生きてるか。ハハッ。死ぬのも先に、ちげぇねぇ」



m(_ _)m

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