第1章 新兵ユーナ=シエルニカ

ep0 着任

0-①

「なんだってコイツ等はこんなに躍起になって襲ってくるのかね? しかもこんな真夜中に」


「堕神に聞いてちょうだい。私が知るはずないじゃない…」


外套コートのフードを目深に被った男の問いかけに、外套マントを纏った女が素っ気なく返した。

それを聞いた男は肩をすくめ、質問にまともな返事が期待できないことを知る。

それでも意を決したように崖下に目を向ける。

目に映るは、月下に蠢く悍ましいほどの無数の群れ。

まるで海原の波のように三々五々こちらにやってくる。


月兎げっとの襲来なんか初めてだっつうのに、なんでこのタイミングなんだか…」


眼下に犇めくのは堕神『月兎』。夜に紛れて活動する漆黒のウサギ。但し、草食で大人しい従来のウサギとは違い、性格は獰猛で、かつ肉食。

個体の能力は高くはない。しかし恐るべきはその繁殖力にものを言わせたその数。

その繁殖力を種としての固有能力にまで昇華した堕神は他にもいるが、月兎はそれらの中でも類い希な繁殖力を有する。

ねずみ算なる算式があるが、あれを地で行くのがこの月兎。さらに質の悪いことに月兎の妊娠期間は3日、しかも大抵出産するのは10匹弱、子どもが妊娠可能になるまで要する時間凡そ1週間。

ねずみ算が馬鹿らしくなるほどハイスピードで増える。

そしてその繁殖力を笠に着て、移動を繰り返し、移動先の得物を悉く食い殺す。

しかも個体数と食環境に合わせ、変異を起こす。

豊富な餌があれば顎の筋力を増大し、一本角と鋭い牙をさらに長く鋭く硬質化させ、狩りに特化する。

食環境が悪化すれば、その後ろ脚を強化し、大規模な長距離の移動を容易にする。


食欲に突き動かされた災厄。それが月兎の正体である。


「変異は移動型みたいだわ… 素早いから追いつかれないでね?」


「ミリアは良いよな~… 俺だけ貧乏くじばっかり…」


「仕方ないじゃない… 今回の作戦は適材適所よ。それに…」


一言区切ったミリアが花が綻ぶような優しげな笑みを浮かべた。


「レイならきっと楽勝よ!」


この笑顔で激励されれば、世の男供は、例え死すともゾンビとして起き上がり目的を達成するであろう。

そんなミリアの激励であるが、見飽きているレイはふぅっと溜め息をついて聞き流した。

レイはそのままフードを取り払い、羽織っていたコートを脱ぎ捨てる。 

露わになったのは、日の射す直前の暗い青の頭髪と、革鎧に金属板で補強を加えた軽甲冑に覆われた引き締まった身体。


「んじゃ、作戦通りに。斬り込んで時間稼ぐから、ゆっくりしっかり準備よろしく! 頃合い見てそっちに大名行列してやるぜっ!!」


「どのくらい行けそう?」


「10分… ってとこか?」


「十分よ。任せたわ」


「Aye aye ma'am」


「作戦通りに終わらせないと、日中のお出迎えに間に合わなくなるから… 確実によろしくね!」


「わーってるよ! 本当に間が悪いよな、コイツ等」


レイは苦々しく吐き捨てた。しかし、それも束の間。口の端がにいっと釣り上がると、レイは呟いた。


「まぁ… 時は握られた。それは認める。…けど、来る場所と相手を間違えたぜ、お前ら。ここは『悪魔の山』で…」


レイが左肩を明滅させ、頭髪と同じ色の光を全身に纏う。


「相手が俺達だからなっ!!」


大きく叫ぶと、崖を飛び降りた。



雲霞のごとく群がる月兎の群れの眼前に着地したレイが、その反動を利用して群れの先頭の一羽を蹴り飛ばした。

突然現れたレイの存在に群れ全体に動揺が迅る。

しかしそれは一瞬のこと。

目の前に現れたのはまさしく動物。則ちエサ。

現状を正しく認識した月兎は一羽残らずレイを食い殺すべく殺到する。

だが、その動揺から攻撃へ切り替わる僅かな隙を、奇襲の最大の効用を無碍にするレイではない。

素早く二本のナイフを抜剣すると、襲いかかる黒い波に向かって突撃を開始する。

迎え撃つ一羽が発達した後ろ脚に力を溜め、弾丸のごとく飛びかかってきた。

自身の体重ごと先端の鋭い一角を突き込むその一手は、まさしく肉の砲弾。

ギリギリで半身になってかわしたレイは、すれ違い様に逆手のナイフを振り抜き、その首を刎ね飛ばした。

その首が大地に落ちるより早く、呆気にとられていた手近な数羽を切り刻む。


レイの奇襲の効果は絶大と言って良かった。しかし、効果が絶大であったことが裏目に出て、結果としては失敗に終わる。

敵は本来臆病であるはずのウサギの堕神『月兎』である。奇襲によるレイの猛攻は月兎達に正しく脅威として認識された。

結果、その旺盛な食欲に、仲間を殺された怨みと本能に基づいた用心深さを上乗せした一団へと変貌を遂げる。

月兎達の深紅の目に不穏な光が宿る。行動も変化し、闇雲に襲いかかるのを止め、慎重に距離を詰め、レイの攻撃にあわせて一団で一気に襲いかかる様相を見せ始めた。


自分を犠牲に仲間が仕留めるOne for All仲間を犠牲に自分が仕留めるAll for One。』

その精神を全体で共有した肉食獣の集団が、大地を漆黒に塗りつぶしながらじりじりとレイに迫る。

その膨大な数が、強固な意志が、必殺の覚悟が、強大な圧迫感となって対峙する者を押し潰す。


それはレイにとっても例外ではない。

先ほどの威勢もどこへやら…

奇襲継続の不可能を悟ったレイは、気圧されて「うっ」と呻き声を上げた。


そして、彼の決断は驚くほど早かった。


「無理っ! 超怖えぇぇぇ! ミリアよろしくっ!!」


恥も外聞も使命もかなぐり捨て、レイは斬り合いを放棄してくるっと反転した。

臆病風に吹かれるどころか、これ幸いと撤退の追い風に変える体たらく。

腰抜けレイは必死の形相で逃走を開始する。

その斬り合いは、結局のところ、10分どころか10秒にも満たなかった。


作戦は不本意にも誘導段階第2フェーズへと移行する。



「まったく… 目標の半分くらいは働いて欲しいわ」


驚くほど呆気なく終了した斬り合いを目撃し、ミリアは呆れた声で独りごちて、その目を目標地点に向け距離を確認する。

再び月下に浮かんだ黒い群れに目をやって、その先端を走る暁闇の光を認め、残された時間を推し量った。

算出された時間はあまりに少ない。ミリアが移動するだけの時間もない。準備が間に合うはずもない。

切羽詰まった状況にミリアの口から苦笑が零れた。

しかし、心配はしていない。

レイは必ず時間を稼ぐ。無様に逃げ回ることで…

そこには確かに信頼があった。


「10分…」


呟くと同時に大きく息を吸い、ミリアも走り出した。




レイが黒い波を引き連れて、常人離れした速度で一目散に駆けてくる。

暁闇の光を彗星の尾のように棚引かせながら、ミリアの待つ山頂の窪地の一つへと月兎を誘ってきたレイ。

その顔は疾走の苦悶で歪んでいたが、ここに来て硫黄のキツい臭いでさらに歪み、極悪な面へと変貌した。

それもそのはず。速度で既に10分以上も囮として走り続けているのだ。

足も痛いし、何より胸が痛い。物理的に。

酷使している心肺が痛みを訴え、レイに危険を知らせている。

そこに来てこの硫黄の刺激臭。肺が激痛の悲鳴を上げた。


「ぜんぜんっ… らくしょーじゃ… ないぜッッッッ!!」


レイは涙目になりながら、走り抜ける。

それでも約束通り時は稼いだ。予定通りとは行かなかったが、苦難を乗り越え達成して見せた。

これだけ頑張ったのだから、当然自分には報酬があって然るべきだ。

だからレイは精一杯声を張り上げた。


「いっぱつやらせろぉぉぉぉぉぉミリアぁぁぁぁぁ!」


絶叫と共に大跳躍。窪地の底に溜まった泥水の中で待つミリアに向かって吼えた。


「お断りします」


その目を手元の懐中時計に釘付けにしたままのミリアは、そんなレイの嘆願をバッサリ斬り捨てる。

その傍らに豪快な水しぶきならぬ泥しぶきを上げてレイが降り立つ。

つれない態度と返事へのささやかなお返し。勢いよく炸裂した泥塊がミリアを襲い、そのマントを派手に汚した。


「きゃっ!! ちょっと! 泥が跳ねたじゃないのっ!」


ミリアの非難を無視して、レイはすぐさま背をくるりと返す。

その目に飛び込んできたのはレイの後を追って窪地に飛び込んでくる数百に上る黒い影。


「準備… は!?」


荒い息を吐き出しながら尋ねたレイに、ミリアは「はぁっ」と溜め息を一つ。

手の懐中時計を懐に納め、代わりに腿に吊したホルスターから、己の武装を取り出した。

同時にミリアの背中が淡い白色の光を纏い出す。


「終わってるわ。大きかったから時間もかかったけど、余力もあるわよ」


返答と共に背中の白光を一際強く発したミリア。その白い光はミリアの足を通ってぬかるむ大地へと吸収される。


その様子を確認したレイはすぐさまミリアを横抱きに抱えて、大地を蹴った。


迫る月兎の群れ。その赤い双眸がレイとミリアを狙い、窪地の泥水の中を飛沫を上げて迫り来る。

一羽がミリアを抱えて速度の鈍ったレイの左足にかじりつこうと飛びついた。

その瞬間、レイの耳元でつんざくような爆発音が立て続けに鳴り響く。

レイの肩越しに追跡者目掛けて発砲されたミリアの弾丸が、レイに取り付こうとする月兎の骨肉を食い破った。


その音に突き動かされるように、レイも一際強く暁闇の光を纏い、本日一番の加速を披露する。

瞬き一つの合間に、崖と見間違えるほどの窪地の壁面を駆け上がり、その頂に降り立つ。

同時にミリアを下ろすとレイはその場で腰を落とした。

その眼下では軍隊蟻の群のように崖面に取り付く月兎の姿。


「も… も~… むり」


荒い息でそれだけ告げるレイの耳を引っ張って、ミリアがレイを下がらせる。


「イダダダダダダ…」


耳の痛みと胸の痛みの板挟みに加えて、尻をすりおろされる三重苦。

かすれた悲鳴を上げながら引き摺られるレイのその尻に、痛みとは異なる感覚、大地の鳴動の感覚が生じる。


「読み通り。ばっちりね!」


ミリアはその振動を感じ取りながら、朗々とカウントダウンを開始した。

「10… 9… 8… 7…」

ミリアのカウントに合わせるように振動は大きく激しくなっていく。


「0ッ!!」


最後のカウントの瞬間、100メートルを優に越える巨大な水柱が立ち上がった。


「この間欠泉は10時間周期。直近で吹き上がったのは1時間47分前の0時38分。本当なら明るくなってからじゃないと吹き上がらないけど、これは私からのプレゼント… とびきりの熱~いシャワーを楽しんでくださいね、ウサギさん」


壁面に付いた月兎を汚れのように洗い流し、あるいはその衝撃で吹き飛ばし、自然の猛威が牙を剥く。

あるものは上空高く吹き上げられた衝撃で即死し、吹き上げられてなお即死できなかったものは大地に叩きつけられ即死した。

幸運にも熱湯に吹き上げられなかった連中は、湧き上がった煮え湯で全身を茹で上げられ、火傷に苛まれながら死を迎えた。


「ぜんぶ… やれた… か…?」


ひゅーひゅーと笛のように気管を鳴らしてレイが訪ねる。


「粗方は」


「全部… じゃ… なくて… いいのか?」


「問題ないわ。月兎は数が問題なの。少数の月兎は正しく『食われる側』よ。なんせここには天敵が…」


「選り取り… 見取り…」


「そう言うことよ」


ミリアがニコッと微笑む。


その笑顔を見て、レイは遂に寝転んで大きく肩で息をした。

顔に降りかかるまだ若干熱い飛沫が妙に心地よかった。


「じゃぁ… 今日は… これで… 終わり… だな…」


「ええ。 お疲れさま」


レイを労うと、ミリアは白光を纏ってその肩に手を差し伸べる。

次第に荒い息が治まってくると、レイはミリアを見上げて、再び問う。


「今日の昼前でいいんだよな?」


「そうよ」


「…美人か?」


「会ってからのお楽しみ」


「美人だろうなっ!?」


「会ってからのお楽しみ~」


「美人であってくださいっ!!」


「そんなことお願いされても…」


「じゃぁ… ミリアの前に俺が会っていい? 俺今回… ちょ~… ちょーッッッ!! 超ガンバった。ご褒美が欲しいです…」


ミリアは腰に手を当てしばらく考えたが、んーっと唸ると念を入れて確認をする。


「エッチなことしようとしたら叩き潰すから。それでも良いなら良いわよ」


「何を?」


「ナニを!」


その返事を聞いたレイはぴょんと跳ね起きた。


「語るに落ちたな、ミリア… 俺の美女センサーナニが反応するってことは、そいつは美人で間違いないッッッ!!」


んぐっと息を詰まらせたミリアは視線を泳がせて、村の方へと目を向ける。

中天からやや傾いた月から降る柔らかな光が、ミリアの整った横顔に映った動揺をはっきりと照らし出していた。


「まぁいいわ…」


一言で気持ちの整理をつけたミリアは、レイに向き直るといつもの端正な微笑を浮かべた。


。あなたなら」


謎かけめいた言い回しに、ドヤ顔でいたレイの表情が崩れる。


「あん? どういうこと?」


「会ってからのお楽しみ~」


「勿体ぶらずに教えろよ~」


「イヤよ。 それより、早く降りましょう。 私、レイに汚されたこの身を清めたいわ…」


「なんだよ、それ。 マントに泥くっつけただけじゃねぇか…」


「女の子を汚しておいてその言い草。 レイをそんな風に育てた覚えはないのに…」


「そんなこと言うならやらせろよ!」


「はいはい、女心がちょっとでもわかるようになったら考えてあげるわ」


歯牙にも掛けない物言いにレイはふくれっ面。その顔が可笑しくてはミリアはふっと息を洩らした。

そんなミリアを見てレイは何かを思い出した。


「そう言えばさ…」


レイの問いかけにミリアが首を傾げて続きを促す。


「なぁに? どうかした? 何か気になることでもあるの?」


「ミリアさ、太った? 抱えて走り出したとき、前より重かったから力配分間違えちゃってさ… まぁフォローしてくれたから助かったけど… あんがと!」


何気ないレイのお礼を聞いたミリアの笑顔が、ピキッと音を立てて凍りついた。

連動するようにこの場の空気も凍りつき、二人がお互い見合うこと数瞬。

この瞬間、レイは己が地雷を踏み抜いたことを悟った。


薄く閉じられていたミリアの瞳が露わになる。

微笑を顔に張り付けたまま、その目に地獄の底から沸き立つ殺意を宿したミリアがレイに迫る。

レイは全身から吹き出した冷たい汗を感じながら、後退りした。

レイの首元にミリアの白い指がかけられた。


「レイ… 世の中には言ってはいけないことってあるの。その中にはね、言ってしまえば、死で報いるしかないこともあるのよ」


「ミリア… 目が怖い… ほら… スマイルスマイル~」


首に伸びたミリアの手をゆっくり払いのけ、レイが慄きながら引きつった笑顔を浮かべて取り繕う。

しかしそれは逆効果。事態の悪化を加速させる。

レイの卑屈な笑顔を見た瞬間、ミリアの顔が修羅へと変貌した。


「女の秘密を暴いた者は死刑に処する。私の秘密を知ったからには… レイ。死んで貰うわ」


淡々と紡がれたその言葉にミリアの本気を見たレイは、大きくバックステップして距離を取った。

すぐさまその場で反転。


「そんな法律聞いたことねぇぇぇぇぇぇ」


叫び声を上げながら急勾配を転がるように走り出す。

その背を追うように般若と化したミリアが駆け出した。




二人の下山は…


いや、下山という名の逃走劇もしくは追走劇が、今、こうして始まった。

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