ep4 羽化

4-0

「やぁ、どーもっ!ミリアちゃん!どぉ?…目合まぐわってる?」


兵舎の玄関を勢いよく開けたのは、首より上の体毛が手入れされた口髭以外全くないという中年の男。上背もあって肩幅が広く、恰幅の良い体格。その身に纏う衣装と合わせると粗野の中にもキラリと光る独特の気品が漂うのだが、如何せんその口を吐いて出た言葉からは肝心の品性が見当たらない。

ミリアは手にしていた紅茶をゆったりとした手付きで一口その口に運ぶ。優雅な所作に反してその顔は呆れ顔だが、変態的な訪いに対して慣れた様子で応じた。


「…ホーエン閣下。朝いきなりやってきて、挨拶変わりにイヤらしい質問するのヤメてくださいません?」

「フハハハハハハ!すまんすまん…なんせほら…わしとミリアちゃんの仲だからっ!」


ミリアに勧められた椅子にドカッと腰を下ろし、悪びれた様子もなく呵々大笑するこの男は、ベルサム=ホーエン。アルキメディア軍北方防衛大隊長にして少将の肩書きを持つ、歴とした軍人である。


将軍職にある彼の戦功を逐一並び立てると紙面が幾枚あっても足りないが、纏めて言ってしまえば、ベルサムと言う軍人は、戦局眼に優れ、作戦立案を得意とする知将だ。数多の希少種や起源種を撃退して来たその頭脳を買われ、少将にまで登りつめた人物である。

彼の立てる作戦は、あらゆる事態を想定する細やかさと、誰もが想定しないような大胆な着想を併せ持つ。それ故他国からは『アルキメディアのユリシーズ』と渾名され、畏れと共に一目も二目も置かれる存在である。

しかし残念な事に、自軍では『変態少将』の愛称で通っている。そして更に残念な事に、ベルサムはその変態少将と言う不名誉な渾名を殊更面白がっている。『変態少将』を正式に自身の公称にしようとして、部下に力付くで止められた過去を持つ辺り、終わっているとしか言いようがない。


そんな残念なベルサムではあるが、彼は良い意味でも悪い意味でも裏表がない。誰であっても歯に衣着せずに思っている事を口にする。

それは上官・下士官分け隔てなく皆平等に。上官にとってそれは痛烈な諫言、もしくはとろけるような讃辞。下士官にとっては激烈な叱責であり、時には感動すら覚える激励。

ベルサムは人を動かして組織を作り、必要であれば誰にでも噛みつき、褒め称える事のできる男なのだ。組織の中枢にいるべき人物でありながら、組織を冷静に客観視できるが故に成せる芸当である。

世の常でこの手の人種は味方の数だけ敵もいるものだが、この男、敵らしい敵がいない。それは、本人の底抜けの明るさと開けっ広げの性格、加えて独特の大らかなユーモラスの影響が大きいのであろう。その発言の九割が、品性を疑われかねない残念な発言である事も要因の一つなのかも知れないが…

ちなみにレイに歪んだ性教育を施し、その変態っぷりを増長させたのもこの人物であり、ある意味レイはベルサムのせいで童貞を拗らせているとも言える。


そんなベルサムはミリアがまだ大佐になる前から彼女のことを可愛がっており、密かに彼女の下にレイを付ける裏工作を手配し、ユティナ村防衛班の組織を後押しした張本人。

将官は中央司令部で役職につき、有事の際以外前線に出てこないのがアルキメディア国の通例である。しかしミリアの一件が司令部にばれて、ミリアが固辞した北方防衛大隊長という激戦地区の最前線指揮官としてベルサムはこの地に飛ばされた。

端的に言えばミリアのわがままの尻拭いをさせられた人物であるが、本人は「ミリアちゃんと一緒の部隊にいられるならば喜んでっ!」と嬉々としてこの地に飛んで来たのだから始末に負えない。

このように変態好好爺であるベルサムと87班は、切っても切れない浅からぬ関係にある。



「それにお返事ですけど、87班うちには拗らせた童貞レイしかいないから、そんな事にはなりませんわ」

「かぁ~っ!あんのバカ…こんなにも見目麗しいミリアちゃんを前にして、まだ何もできんのか…男として先が思いやられるわ!嘆かわしいっ!!覗きは根性、夜這いは度胸だと何度言わ…」

「レイは十分頑張っていますわ!!その度に全力で叩き伏せております」

言葉をかぶせ、全てを言わせなかったミリアが拳を握り込む。ミリミリ…ミシリと言う不吉な音がレイに行われる日頃の折檻の凄まじさを物語っており、変態少将も遂には口を噤む。

代わりにその口からカラカラと乾いた笑い声が上がった。

釣られてミリアも口を抑え、オホホホホと上品に笑い声を上げている。

ベルサムと言う男、知将としては優秀であるが、厳つい見た目に反して、武将としてはからきしである。ミリアの固く握り込まれた鋼の拳を前に、冷や汗が止まらない。


そんな二人の間に漂う微妙な空気を打ち払うかのように、表から大勢の人間の声が聞こえてきた。その中で一際良く通る爽やかな声が人員達に指示を伝えている。

どうやら待ちかねていた部隊が到着したらしい。


「大佐、お久しぶりでございます。閣下、只今着きましてございます」

少しの間の後、朗々と響いていた声の持ち主が二人の前に姿を表した。

「久しぶりね、フラン…元気にしていたかしら?」

「ええ、健やかに過ごさせて頂きました。大佐もお元気そうで何より…」

フランと呼ばれた青年は、にこやかに微笑んで、ミリアに敬礼を送る。ミリアも敬礼で応え、かつての腹心の部下に笑みを送った。


「どう?最近は?閣下に虐められていない?」

「まぁ…閣下はこの通りのお方ですから。手を煩わされるのもだいぶ慣れてきました」

「はて…お主の手を煩わせた記憶などないのだがのう…」

フランは苦笑すると、ミリアに持ってきた書簡を手渡す。

「砦の修復作業の日程表になります。およそ一週間で再建できるかと思います」

手渡された日程表を眺めながら、ミリアは一つ頷く。

彼らはさきのクイーンライラプスとの決戦で決壊した砦の修復に来たのだ。ベルサムはただ単にくっ付いて来ただけだが…


「そう言えば、わしのおもちゃレイが見えんのぅ…それにミリアちゃんが全力で引き抜いていったどえらい美人っちゅう噂の娘もおらんようだが…」

ミリアはにこやかに答えた。

「二人には三日前からメデル山に籠もりっきりの調査に向かわせてますわ。お話に出てきたユーナ新人の実地訓練を兼ねて…」

ミリアはベルサム来訪の知らせを受けると早急に手を回し、二人を山に籠もらせ、ベルサムとの接触を断った。理由は聞くまでもない。ユーナに穢れが付くのを少しでも遅らせ、レイのこれ以上の腐敗を防ぐ為に…

「なんだとっ!わしは二人に会うために足を運んだのに…わしは何のためにこんな辺鄙なところまで来たんじゃぁぁぁぁ!」

「そんな事仰らずに…閣下のお話しのお相手は私が致しますから…」

流し目を送っていきり立つベルサムを宥めたミリアは内心で苦笑する。

子供のように拗ねるベルサムを見て、同じように何とも言えない表情をしていたフランと二人でため息を吐いた。


いたたまれなくなったフランが、場の空気を変えるべくミリアに問いを投げかけた。

「そう言えば…レイとその…新人の子はなんの調査に…?」

「ウェンカムイ」

普段と変わらぬミリアのその声を聞いたフランとベルサムが、腰を浮かせて驚愕を露わにする。

「熊神が出たのかっ!?」

「ええ。ここ最近一個体が付近を彷徨いています。まだまだ村には来そうにありませんが、早いうちに巣穴を見つけて狩るつもりです」

「大丈夫でしょうか…?それなら特殊殲滅班に…」

フランの申し出にミリアは笑顔で首を振った。

「この山では珍しくもないことですわ。お心遣い感謝。しかし心配は御無用です」

その剛毅な返答に、ベルサムは笑うことしか出来なかった。

「ハハハハハハ…流石はアルキメディア最強の班を束ねる班長だなぁ…ミリアちゃん…」

そんなベルサムのドン引きの笑いに対して、ミリアはいつものように微笑を浮かべるのみであった。



そんな兵舎の弛緩した空気の中に、突如玄関から破れるようなけたたましい物音が聞こえてきた。

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