3-⑤
大きな背中の感触に、ユーナは一瞬子供時代の父を見いだした。
心地よい揺れ、背中から伝わる人の温もり…
鎧越しに伝わるその感覚にユーナは安心感を覚える。
「…よぉ!目覚めたか?」
しかし聞こえてきた声は父のものではなかった。
まだ夢見心地のユーナには状況がわからない。
そんなユーナにレイは非情とも思える声をかけた。
「起きたなら悪いがすぐ降りてくれ」
その言葉とともにレイは膝を畳んでユーナを地に導いた。そこではじめてレイに背負われていたことに気づいたユーナは、慌てたようにレイの背からその身を離す。
レイはすぐさま傍らを足をもつれさせながら歩いていたミリアに駆け寄り、ユーナの代わりにミリアを背負いあげる。
その光景にユーナは言葉を失った。
「そんな…ミリアさんっ!?」
レイはその声を無視して先を急ぐ。
レイの背中のミリアはユーナに不器用な笑顔を見せて、呟くように答えた。
「…大丈夫よ…ちょっと疲れただけだから…」
何時にないその弱々しい笑顔にユーナの不安は加速度的に膨れ上がっていく。
「何が大丈夫なもんか…兵舎で落ち着いてから治せば良いって言ったのに…既にぶっ倒れてる奴の傷治しても、自分がぶっ倒れたら意味ないのっ!!」
レイは毒づくが、その言葉に反して背負うミリアに細心の注意を払っているのがわかる。
「だって…仕方ないじゃない…あれだけ頑張ったユーナに傷でも残したら…それこそ私の班長としての名折れよ…」
ユーナは自分の左肩を触れて確かめる。腱を傷めたはずなのに、確かに痛くない。
「だから兵舎に帰ってやれば良かっただろ!!ミリアが倒れなければ二人で交代でユーナ運べたじゃねぇか!」
「でも…」
反論しかけた言葉であったが、ミリアのその言葉が先に続くことはなかった。代わりにレイの気遣いとその暖かさへの感想が言葉となって零れ落ちた。
「…なんだか不思議な感じ…レイに背負って貰うなんて初めて…これも悪くないわね…」
彼女は翡翠色の瞳を閉じる。
「レイ…少し眠るわ…あと…よろし…く…」
「…ああ…」
そんなやりとりの後、ミリアは小さな寝息を立て始めた。本当に疲れているだけらしい。
その健やかな寝息を聞いたとき、ユーナはやっと不安を払拭する事ができた。
どうやらミリアは怪我を負っている訳ではないようだ。
「あの…レイ…私も手伝う」
ユーナは先を歩いていたレイに追いつくと言葉をかけた。
レイは立ち止まると首を振ってそれを拒絶する。
「…ミリアじゃないけど、今日の殊勲者にそんな事はさせられねーよ」
その言葉にユーナはキョトンとした表情を見せた。
「シュクンシャってなに?」
「…大手柄を立てた人って言う意味。お前さん、少し勉強したら?」
どうやら彼は褒めてくれていたらしい。褒められるなど露ほどにも思っていなかったユーナは戸惑いを覚えた。
そんなユーナを見て
「…本当はミリアがこんなんじゃなかったら、ずっと兵舎まで負ぶって行っても良かったんだ。それくらい今日のお前さんは良くやったよ」
照れ隠しなのか、顔を見られないように下を向くレイをよそに、ますます混迷を深めていくユーナ。
そんなユーナにいよいよレイから質問が飛んできた。
「ユーナ…勇気の意味わかったか?」
ユーナの顔に冷や汗が流れる。
ユーナの主観としては、ユーナはずっと怯えていた。まともに攻撃を入れる事はせず、無様に逃げ回っていただけだ。勇気を出して戦った訳ではない。そこに勇気なんて一欠片も出ていなかった。
「…わからない。私…ただただ怖かった。ただ怖くて、傷つくのがいやで…でも逃げ出せなくて…向かい合ってる振りをして、ただクイーンから逃げ回っただけだった…」
ユーナは正直に答えた。
その返答をレイはどう聞いたのか?先を見据えて歩くレイの表情を伺うことはできなかった。
「…どんなに強くなったって、死ぬのはいつでも、誰でも怖い。だから生きてる限り永遠に恐怖はなくならない」
「それは…レイでも?」
「…ああ」
ユーナはその返答に戸惑いを隠せない。レイにはヤトノカミという難敵と向き合う時でさえ怯えの様子は見られなかった。そんなレイを目の当たりにしているユーナは、レイの言葉を信じることができない。
そんなユーナの胸中を見透かしたように、レイは言葉を続ける。
「生き物である以上、生きたいと思うのは当たり前だ。死にそうな状況に出くわしたら恐怖を感じるのは、もともと生き物に備わっている機能だよ。恐怖を感じない奴はもう病気だ。生き物として壊れてる」
「…でもそれじゃ戦えないじゃない。恐怖に囚われたら、身体が動かなくなって…」
「そりゃ違う。恐怖に囚われても、身についた防御行動は最速で起きる。事実お前さん動いてただろうが…」
それはユーナの戦闘観念を根底から覆すほどの衝撃だった。
そう…怖くて何もできなかったと言う思いが先に立つが、ユーナは必死に防衛をこなしていたのだ。そしてクイーンの攻撃を捌ききってしまった。恐怖に囚われていながらにして…
その事実をレイから指摘されると、ユーナは自分に起きた出来事に驚きを隠すことができない。
「敵を恐れて、何よりも死を恐れろ。死んだら終わりだ」
「…うん」
「恐怖は生きたいと思う意思そのものだ。だから向き合え。戦うことを諦めるな。恐怖が敵なんじゃない、諦めよう、投げ出そうとする気持ちが敵なんだ。恐怖と真っ正面から向き合って、受け入れて、剣を握れ。そうすれば恐怖はお前さんの強い味方だ」
「…わかった気がする…勇気の意味…」
「…聞こうか?」
自分の中に湧いてきた思いを言葉にするために、ユーナは俯いた。少ない語彙を総動員して、彼女は答えを言葉にする。
「ミリアさんが昨日言ってたの…恐いなら恐いまま戦えばいい…恐いままできることをしろって…」
その言葉にレイの眉がピクッと反応する。
そんなレイの小さ過ぎる変化に、ユーナは気付かない。そのまま続ける。
「そして、レイを信じろって。そうすればクイーンは狩れるって…そんなこと言われても、私ずっと脅えてた。ただ恐かった…けど…ミリアさんが言ってくれたの…ユーナならできるって。だから、一度だけやってみようって思えたの…」
レイは額に青筋を浮かべながら、背負ったミリアの顔を見る。背負われたまま眠る彼女は、そんなレイの怒りなどどこ吹く風の様子で健やかな寝息をたてるだけだ。
「…後は無我夢中。でも…戦ってる途中は、ずっとレイが何とかしてくれる…お願い、早く助けて!って思ってた…もうちょっと、もうちょっと頑張れば、絶対的レイが助けてくれる…だから、もうちょっとだけ…って…」
そこで言葉に詰まったユーナは何も言えなくなる。
しかしこれがミリアの謎掛けの答えなのだ。確信がある。それを言葉にできない自分がもどかしい。アウアウ言葉を詰まらせて押し黙ったユーナの耳に盛大なため息が聞こえた。
「ミリアが答え教えてんじゃねぇか…カンニングペーパー用意しといて正解出すんだ、早く言えよ…」
レイの呆れたような声を聞きながら、唸るユーナは己の語彙力の無さを恥じた。大嫌いだけど、この時彼女は本気で勉強しようと思った。
そんな彼女の様子を見て、答えの先を引き取ったレイが謎掛けの答えを明かす。
「勇気ってのはな、決まりきった感情じゃない。後から振り返ってみた時の結果だよ」
「…それミリアさんも言ってた」
「…後から振り返って見て、逃げ出さなかった自分、恐怖を真っ正面から捉えた自分に気付く。その時逃げ出さなかったのは何故か?武に対する自負、仲間への信頼、仲間からの期待、世間への見栄、自分への誇り、敵への怒り、職務への責任、弱い自分を許せない思い…色んな思いがあって、その思いは小さいけれど、何故か捨てることができなくて…逃げ出せないんだ。逃げ出せないならビビっていようがなんだろうが、その時できることをやるしかない」
「うん…それが…ミリアさんの恐いままできることをやるって意味でしょ?」
「お前さんは何を思って逃げ出さなかった?」
「…ミリアさんがユーナならできるって言ってくれたから…」
それともう一つ。彼女があそこで膝を屈したら、愛する両親の笑顔を取り戻す機会は二度となくなる…その事への拒絶。それが彼女が屈する事を拒んだ理由。
「それが恐怖と向き合うきっかけだよ。で、向き合い続けられたのは?」
「レイが…助けてくれるって信じてたから…」
ふんと鼻を鳴らしたレイは不機嫌にユーナから視線を切った。
「恐怖を抱えたまま、やれることをやり続ける。死の恐怖と向き合い続けるにはそれしかねぇんだ、俺たち軍人は…恐怖に真っ向から向き合うのに必要なのは、勇気っていう感情じゃない。必要なのは、理由だけなんだ。その理由を胸に抱いて、屈しなかった結果を後から振り返って勇気って言うんだよ…結局後付けなんだ」
「うん…」
「…だからユーナ、お前が言った恐怖に打ち勝つだのねじ伏せるだのって言うのは幻想だ。もっと確かな理由を心の内に探せ。お前さんにはあるんだろう?ここに来た日に見せたあの目の奥に…それがお前さんだけの勇気の意味だ」
ユーナはゆっくり目を閉じた。そう、彼女の目的は、ガイゼルの奪還。そして、両親を弔うこと。
そのために剣を取り、そして今彼女は軍にいるのだ。
「それでも足りないなら、今度は俺の助けなり、ミリアの言葉なり、自分のプライドなり…それ以外の理由を作れ。それが恐怖を真っ正面から捉える方法で、勇気の正体だよ」
「うん…!」
憑き物が落ちたようにユーナの微笑に明るさが戻る。およそ一週間見ることがなかった彼女の明るい表情。そんな彼女の表情を見て、レイはユーナがひよっこから雛に変わり始めたのを自覚した。この調子なら遠からず戦う気持ちを取り戻せるだろう。
「レイ…助けてくれてありがとう!」
微やかながらも小さく笑う彼女の笑顔は朝露に濡れた小さな白い花のようであった。そんな笑顔を向けられて…レイは困ったように首を横に振った。
「今回な…ぶっちゃけると、俺助けに入れなかった。余裕なんかこれっぽっちもなかったし、鉄則破ってピンチだったし…後もう少し戦いが長引いたら、俺たち今ごろ死んでいた」
突然のレイの告白に、明るさの戻ったユーナの表情が一気に凍りついた。
「けどユーナが立ってクイーンを引きつけ続けてくれたから、クイーンがユーナに根負けして勝負を投げたから、だから俺は助けに入れた。今回は助けたんじゃなくて、お前さんが自分で途を切り拓いたんだよ…俺がフォローに入れる隙を自分の手で作り出したんだ。今回はお前さんが頑張ってくれたから…俺もミリアも生きてここにいる。だから…」
「ありがとうな…今回は助けて貰った。俺もミリアも感謝してる…」
その言葉を聞いたとき、ユーナの胸に狂おしいほどの甘い感情が湧き上がった。
今まで意識しないようにしていた、ミリアとレイに差し出す物が何もないと言う罪悪感。足を引っ張っていると言う劣等感。そしてそれ故の疎外感。
彼女は今、87班の一員として認められたのだ。
その事実が今までの彼女の負の感情を押し流し、胸いっぱいに喜びを連れてくる。
この喜びを現す言葉を彼女は知らない。この感情に付けるべき名前を彼女は知らない。
けれども言葉ではなくても思いを表現する方法はある。
溢れてくる涙を止める方法をユーナは知らなかった。
口から漏れ出る嗚咽をかみ殺すことがユーナにはできなかった。
それでも、今は、今だけは泣いてもいいんだ…
そう思えて彼女は思いっきり泣き始めた。
唐突に泣き出したユーナにレイは面食らった。
なんと声をかければいいかわからないでおたおたしていると、耳元に囁くような声が聞こえてきた。
「声かけちゃダメ…何も言わずに…ただ隣にいてあげなさい」
その声にレイは心臓が止まるほど驚いた。
「…起きてるなら降りろよ…」
ミリアは目を瞑ったまま答える。
「イヤよ…レイの背中にいられるなんて…この先何回あるかわからないもの…」
そんな通常運転の二人に見守られながら、ユーナは胸の暖かさを抱えて、子供のように泣きじゃくっていた。
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