ep3 勇気の意味
3-①
レイは周囲の警戒をしながら、ユーナの戦闘をただずっと見守っている。声すらかけず、腕を組んだまま…しかし常とは異なりユーナの戦闘を見守るレイの目が何時になく鋭く、そして険しい。
ライラプスと一対一で向かい合うユーナの表情も同様に険しい。陽光の下で銀に輝く彼女の髪が、その額に汗でべっとりと張り付いていた。
もう一時間近くもユーナはライラプスと戦闘を繰り広げている。かの狼の堕神を初日に屠ったユーナの動きは、今日は別人のように精彩を欠いていた。
ユーナは汗にまみれてはいるが、手傷は一度も負っていない。
一方のライラプスは細かい傷を無数に負っている。しかし、いずれのものも致命傷にはほど遠いかすり傷ばかり。この程度の傷では、この戦闘本能の塊のような堕神は止まらない。
こんなにもユーナが苦戦している理由は明白…
(…今!!)
ユーナはその絶妙のタイミングに渾身の一突きを放とうとする。しかし影が差すように脳裏に忌まわしい記憶が過ぎる。それは先日のツチグモとの戦闘。ライラプスにあのツチグモのような一撃はない。速度は速いが十分に対応できるレベルだ。それはわかっている…わかっているのだが…
ユーナの気持ちに反して体は硬く引き締まり、腕が硬直して絶好の好機を逸する。結果としてカウンターのタイミングをみすみす逃し、カウンターを取るはずであった両の手は防御に回り、また一から仕切り直しとなる。
これがずっと続いている。
…要するにユーナはビビって攻撃に移ることができないのだ。
(…なんで…どうしてなの!?)
ユーナは歯噛みしながらも戦闘を継続する。初日にライラプスとの戦闘は充分に経験を積んだ。遅れを取るはずはない…そんな思いとは裏腹にユーナは焦っていた。カウンターを失敗すれば、絶好の隙を相手に晒すことになる。その思いに囚われ、打てるはずのカウンターが打てない。
カウンターとは、経験から予測し、タイミングを見極め、勇気をもって死地に飛び込むことで成立する。
経験はある。見極めもできる。しかし肝心の勇気が圧倒的に足りていない。ツチグモに食らった、カウンターの失敗による自身の致命傷の記憶が脳にこびり付いて剥がれない。
ミリアと巡回に出たときから予感はあった。その動きには既に慣れたはずのライラプスを目の当たりにしたとき、ユーナの心に澱のように舞い上がったのは微かな怯えの気持ち。それを裏付けるように、身は固まり、手が出ない。しかしそれは短い合間の事…ユーナが苦戦を始める前に、ミリアが二丁の拳銃でライラプスの額を打ち抜いてしまう。
自身の獲物が額から血を流し大地に倒れ伏す様を見て、ユーナの心には安堵感と、それ以上の圧し潰されそうな不安感が広がっていた。
その不安感は今、レイと共に通常任務に戻るようになったこの時に現実化する。
ライラプスの無尽蔵のスタミナと衰えを知らぬ闘争本能は焦るユーナの集中力を削る。薄皮を剥ぐように少しずつ、緩やかに…それはやがて鉄壁を誇るユーナの守備に綻びとなって現れ始め、やがて…
荒く息を吐くユーナが、もう何度目かもわからない飛びかかりによる牙の一撃を弾き返そうとしたとき、左のバックラーが空を切った。
(!?)
突然の出来事にユーナは対応が一手遅れる。その遅れはまさに致命的な隙となって戦闘の趨勢を決する。
ライラプスも何度も同じ手を食らい、少しずつ学習したようである。飛びかかると見せかけて、ユーナの眼前に着地し、地を這うような低空から鋭い角を突き込んで来た。
ライラプスの必殺の角はギリギリ身を引いてかわしたが、続く体当たりを腹に受け、ユーナは後方に吹き飛ばされた。慌てて受け身を取り、体勢を立て直そうとするが、ライラプスにしてみればそれは千載一遇の好機。その隙を逃すはずはなく、狼の身体能力を以て横たわるユーナに覆い被さるように大きく跳んだ。
大地に背をつけたユーナの喉元に赤い眼光と鋭い牙が迫る。
(しまっ…)
咄嗟に蹴りで突き放そうと足を上げるが間に合わない。
ユーナは致命の一撃を避けるために身を丸め急所を隠す。
両者の戦闘が決着を迎えようとしたその刹那…
鈍い銀色の光が一閃、ユーナとライラプスの戦域を切り裂いた。
襲いかかるライラプスの首筋にナイフが突き立ち、狼の堕神はその衝撃で真横に吹き飛ばされた。そのまま大地に身をなげうち、口からコポコポと血を吐きながら、手足を痙攣させている。
その姿を確認すると、ユーナは呆然とナイフの発射された方向に目を向ける。その先には眼光鋭くユーナを見つめるレイの姿があった。
レイは視線を切ると真っ直ぐに仕留めたライラプスの下に向かい、自身のナイフを抜き取った。
そのまま大きくナイフを一つ振って、付着した血を弾き飛ばし、腰にナイフを落とし込む。ユーナに背を向けたまま、レイは声を投げた。
「どうだ?堕神は恐えだろ?」
ユーナは戸惑った。不甲斐ない戦闘を詰られると思っていたのに、レイの口から漏れたのは非難や叱責ではなかった。気遣うようなその声音にユーナは俯いたまま力なく答える。
「…うん」
その一言を呟いたとき、ユーナの目から一筋涙が溢れた。惨めさ、不甲斐なさ、悔しさ…自分の自信の崩壊は激流となってユーナの心を掻き毟る。
そんなユーナにレイは思いがけない一言をかけた。
「強くなったな、ユーナ」
かけられた一言の意味がわからず、ユーナは涙のにじむ顔でレイを見上げた。
「…強くなったって…あれで…!?そんなわけないじゃない!私は…弱くなったの!!怖くて動けなかっただけよっ!!」
切りつけるように鋭く叫んだユーナに対して、振り返ったレイは柔らかな笑みを浮かべて答えた。
「お前さんは恐怖を知った。ひよっこ未満からひよっこになったんだ。成長したんだよ」
「…何を言ってるのよ!!そんなわけないじゃない!」
叫んだユーナを宥めるようにレイはゆるゆると首を横に振った。
「…いいか、ユーナ。恐怖を感じるのは恥じゃない。恐怖を感じない事こそ恥だ」
「…!?」
何を言っているのだ、この男は…。今さっきユーナが恐怖に囚われて全く動けなかったのを見ていなかったのか?
ユーナが口を動かしかけたとき、レイが言葉をかぶせる。
「以前言ったよな?俺とミリアは臆病に二人で戦ってきた…って。恐怖を感じず、どんな奴にも立ち向かうのは蛮勇って言うんだ。こいつはな、早い話が相手の力量をきちんと計れないアホのやることなんだよ。…初日のお前さんはこの手のアホだったな」
その指摘にユーナの表情が凍りつく。確かにクイーンライラプスの能力も知らず突っかかって行ったのは自分だ。返す言葉がなかった。
「だが、お前さんは恐怖を知って臆病さを手に入れた。そもそも恐怖って言うのは敵じゃない。生きたいっていうお前さんの意思の形だからな。だけど恐怖を受け止め続けるのは辛い。だからユーナ…お前さんに言っておくことがある」
レイは一息いれると、さらっととんでもないことを口にした。
「お前さん、このまま引退してもいいぞ?ビビって軍を抜ける奴はいっぱいいる。命あっての物種だし、それに堕神と向き合わなければ、恐怖を感じることもないからな…抜けるのが嫌なら事務方に回るって方法もある。それならこのまま87班の班員として俺とミリアのサポートをしてほしい」
その言葉を聞いてユーナの顔から一気に血の気が引いた。強く噛み締められた唇からうっすらと鉄の味がする。
堕神が恐い。死ぬのが怖い。恐怖に竦んで動けない。無鉄砲に突っ込んで行けた初日の方が動けていた。しかしツチグモに致命傷を負わされ死の危機に瀕した自身の記憶と、間近で見せつけられたレイの死に際はユーナの心に深く深く傷を刻みこんだ。
それを見てとったレイなりの
だが…ユーナには曲げられない思いがある。それは軍で武功を立てねば開かれぬ道。遠く険しいその道を行くには戦闘職としてあり続けなければならない。
できるのか?自分に…やれるのか?本当に…
自問自答しても答えはでない。それでもユーナは涙をいっぱいにためて、レイを見返した。
「…私は…このまま…レイと、ミリアさんの隣に立って戦いたい!…私にはたどり着かなきゃいけない場所がある!だから絶対に恐怖に打ち勝ってみせるっ!!恐怖をねじ伏せてみせるっ!!」
目に浮かべた涙をこぼしながら、しかしユーナの蒼い瞳はただ真っ直ぐにレイを見ていた。
強い瞳だった。
ただ真っ直ぐで、ひたむきに目標だけを追い続ける目。
「だから!!まだやりたいっっっ!!!!」
ユーナの決意の言葉を聞いたレイは…
呆れ果てた口調で吐き捨てた。
「お前さん…それ本気で言ってるのか?恐怖に打ち勝つ?恐怖をねじ伏せる?なんだそりゃ?人間辞める気かよ…そんな夢みたいな事言ってるようじゃ、お前さんすぐ死ぬぞ」
自分の決意を道端の空き缶の如く一蹴されたユーナは、顔を怒りで真っ赤に染めあげた。泣き声のまま、その怒りと悔しさが喉から溢れて叫びとなる。
「…あんたに…強すぎるあんたに何がわかるのよっ!!わた…し…は…」
突如膨れ上がったレイの殺気がその目に宿り、氷の刃の如くユーナの怒りをその怒声ごと切り刻んだ。
その目を見たとき、ユーナはこの男が単独でヤトノカミと闘える化け物であることを思い出した。レイがその気になれば、ユーナは瞬き一つの合間に死体となってこの場に転がることになる…
蛇に睨まれた蛙の如く、レイに射竦められたユーナの喉は縮み上がり、上手く声が出せない。押し黙ったユーナを見ると、レイは殺気を消してゆっくりと口を開いた。
「…一週間後、クイーンライラプスを狩る。俺とお前さんの二人で…だ。但し俺はサポート。クイーンはお前さんが狩れ」
静かにレイが告げた一言は、レイの殺気に当てられたユーナの脳にゆっくりと染み込むように広がった。ユーナに背を向けたレイが歩き出す。
「リハビリだよ。戦うためのな…俺もミリアも通った途だが、残念ながら二人ともこれしかやり方を知らない。これでクイーンが狩れなかったら…勇気の意味が掴めなかったら…大人しく事務方行け」
それ以上は何も言わずに歩調を速める。その背中はレイの静かな決意を纏い、無言の圧力を放っていた。
ユーナが理解できたのは、これはリハビリではないということ。これはリハビリを騙ったレイが出した最終試験。これに通らなければユーナの居場所はなくなる。
ライラプスに苦戦したのに、クイーンを狩れるのだろうか…今の自分で?
不安がユーナの胸中で荒れ狂う。レイの静かな決意の重さに、そしてレイに課された課題の重さにユーナの心は圧し潰されそうだった。
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