2.5-②

ひなげし商店と書かれたユティナ村で唯一の食品を扱う商店の前で、レイは一人の少女と一緒になって頬杖をついていた。

ミリアは店主であるジーナと談笑に耽っている。既にその時間は30分を優に超え、もうすぐ1時間に迫る。日は完全に傾き、既に朱が混じっている。だと言うのに目的の物はまだ購入していない。

もう何度目かわからないため息をレイは吐いた。

隣に座ってレイが与えたチョコレートをかじる少女に気怠げな声で話しかける。

「…なんで女の買い物ってこんなに長いんだろうな~…チルルわかる?」

チルルと呼ばれた少女はチョコレートをかじるのを止め、クリクリとした目でレイを覗き込んで不思議そうに呟いた。

「…良いものがほしいから?」

そんなチルルの頭をくしゃくしゃっと撫でて、再びレイは深いため息をつく。

窓から伺う店内ではジーナがようやくベーコンのブロックを持ってきた。しかしそのまままたお喋りが始まる。購入はまだ先のようだ。


する事もなく手持ち無沙汰なレイは、手近にあった小石を拾うと、それで地面に絵を描き始めた。チルルがチョコを頬張りながら黙ってそれを見ている。


チルルはジーナの一人娘にして、ひなげし商店の看板娘である。

少しくすんだブラウンの髪と母親譲りの碧眼。ユーナは整った顔立ちの美しさであるが、チルルはそれとは異なる愛らしさがあふれていた。将来は愛嬌のある美人に育つことは間違いない。

レイと彼女の出会いは、たまたま御用聞きで兵舎を訪れたチルルに、レイがお駄賃代わりにチョコレートを与えたことに始まる。チルルはそれに味を占めたようで、それ以来兵舎の御用聞きには必ず彼女が来るようになった。

ある時チルルが御用聞きに来たとき、レイが手元の紙にうんうん唸りながら何かを描いていた。チルルはそれが何かわからなかったが、当てずっぽうで「お魚?」と呟いてみた。その時レイの目がきらきらと輝き、まるで何も知らない少年が世界の理に触れたような顔になった。レイはこの時、自身の前衛的すぎるアートを理解してくれる唯一の知音を見つけたのだ。感極まり、神に祈ったレイは、いつもの倍のチョコレートをチルルに手渡した。

その一件以来、片方はチョコレート供給源として、片方は自分の趣味の得難き理解者として、二人は友情を育んできた。そしてレイのタマモノオンマエレア種討伐を経て、二人は精神的な繋がりをより強固な物にした。

今では彼らは一回りも年の離れた友人である。少なくともレイはそう信じている。一方のチルルも深い感謝と親愛をレイに抱いている。しかし彼女の心の片隅に、ちょっと絵をほめればチョコをくれるチョロい奴と言う認識があることに、レイはまだ気づいていない。


「レイの絵、わかりづらい…なんかこう…変に曲がってる…」

「いやいや…わざとだよ…っと」

出来上がったのは曲がりくねった棒。一応頭部と思しき場所に目が有ることから、蛇らしい。ご丁寧に頭部と胴の境目に鱗を描こうとしたのであろう、ぐちゃぐちゃした何かが描かれている。

チルルはほっと胸を撫で下ろす。レイの描く絵でわかりやすいものなら褒めやすい。しかしレイの絵は九割判別ができない。その場合は遠まわしにぼやかして褒めるという気遣いをせねばならないが、この絵はどうやらその心配はいらないようだ。

「蛇…?」

それを聞いたレイの目が見開かれ、その表情が凍りついた。

「…いや…うなぎ…」


(ウナギ…なんでっ!?)

チルルは心の中でそうつっこみながら、レイを持ち上げるために目を細めて怒りの表情を押し隠す。

「…この鱗とか…良く描けてるね!」

「…そこ…ヒレ…」

チルルの頬が引きつった。レイの目は落ち窪みショックを隠しきれていない。


そんな二人の微妙な雰囲気を塗り替えたのはミリアの澄んだアルトであった。

「二人とも何してるの?」

彼女は両手に大きめの紙袋を抱えている。どうやら目的の物を仕入れたようだ。

「いや…チルルに絵を見てもらってたんだけど…」

そう言いながらレイは自身の書いた大地の力作を指差す。

「ふーん…どれどれ…」

ミリアはそれを見て、何を描いたものかさっぱりわからなかった。

「…なぁに…これ?」

落ち窪んだレイの目にうっすらと涙が浮かぶ。

「ミ…ミリアまで…」

表情を一気に曇らせたレイは暗い顔で俯いた。

「そんな落ち込まないで…私は芸術を見る目はないけど、レイの絵(?)はとっても好きよ!なんかイキイキとした躍動感を感じるもの!!」

そう言って明るく微笑むミリアに、レイの面が上がる。

「ほ…本当に!?」

「ええ!本当よ!あなたは抽象画の才能があるのよ!モデルが何なのか、全くわからないまでに落とし込む才能はなかなかあり得ないものなのよ…そう落ち込んじゃだめ」

持ち上げているのか貶めているのかわからないが、ミリアは満面の笑みでレイを褒め称える。

「ほ…本当に…!そっかぁ…そうかっ!!」

暗い顔が一変。自信を漲らせるレイに対して、ミリアは持っていた荷物をすっと差し出す。

「天才画伯レイさん…ではお約束通り、これをあなたに…兵舎まで運搬よろしく!」

「うむ!くるしゅうない!!」

すっかり調子を取り戻したレイは荷物を受け取り、確かな足取りで歩き出した。

切り替えの早さは彼の数少ない美点である。彼にとっても、他人にとっても…

ミリアとチルルは顔を見合わせる。ミリアは笑顔で片目を瞑って見せた。

チルルは、ミリアのレイの扱いの上手さに心底感動を覚えた。

(今度私もやってみよう…)

そう固く決心したチルルは黙って頷いてみせる。ミリアは後継者を着々と育て上げているようだ。

「ではチルル…また兵舎に来てね!お茶とお菓子を用意しておくから」

ミリアはチルルに手を振ってレイの後を追いかける。

「ミリアさ~ん!!レイにいちゃ~ん!!またね~!!」

チルルの元気な声に送り出されて、二人は暗くなり始めた家路を急ぐ。




兵舎に帰りドアを開けた瞬間、レイは異様な匂いを嗅ぎ取った。

「…これは…焦げた匂い…」

レイは慌てて兵舎を見上げる。しかしどこにも火の手は見当たらない。

「ユーナ!ユーナっ!!」

居るはずの留守番に声をかける。その声に小さくキッチンから反応が帰ってくる。

「…こっち…」

その声に何事かあったのかと危ぶんだレイはキッチンに直行する。

そこにはユーナが呆然とした面もちで佇んでいた。

「…なんだ、これ…どうなってるんだ…」

竃の周りは水が撒き散らかされ、火口は煤けており、その周囲は半分炭化した薪で溢れかえっていた。

「…レイ…」

乾いた笑みを浮かべてレイを見るユーナの手元には、真っ黒く炭化した魚の切り身だったものがあった。

「…お前…魚焼くのにどんだけ薪使ったんだよ…」

レイは真っ黒な炭を見るなり、一目でその惨状を理解し大きくため息をついた。

「ち…違うの…火が弱くて、薪をくべて火力を上げたら…いつの間にか真っ黒で…薪も燃えすぎちゃって…」

現代のガスコンロや電気コンロと違い、この世界の火加減は難しい。つまみ一つで火力を調整する事ができる文明の利器に対して、こちらは薪の量と火の当て方が全て。

慣れないうちはユーナのような失敗はままある。

しかし問題は彼女が常軌を逸した量の薪を使った結果、強くなりすぎた火を消すために竈に水をぶっかけたと言う事実だ。

竈は急な温度変化に弱い。従って火事になりそうでもない限り、竃に直接水をかけて火を消すなど以ての外の行為である。現にユーナに水を掛けられた竈には、見事な蜘蛛の巣状のひびが入り、これでは修復しないと使えない。

加えて薪も水浸し。こちらも天日で乾燥させねば燃料として再利用できない。


レイの後からキッチンの惨状を目の当たりにしたミリアは腰に手を当てて、ふぅと一息ついた。

「ユーナ…今後毎日私の食事の手伝いを命じます。朝と夜。必ず手伝ってください。これは命令です」

「…ミリアさん…ごめんなさい…でも私…やっぱり料理は…」

ユーナは子猫のようなか細い声で戦慄くが、ミリアは目でそれを制する。

「ユーナ…あなたも軍人なら連日墜神と戦うときがあるわ。そのとき食事はどうするの?生で食べられない物は火を通すしかないのよ。それに大規模作戦が発令されて、私たちにも召集がかかるかもしれない。その際に食事係になったらどうするの?」

「うっ…」

正論な指摘にユーナは押し黙る。それを見てミリアは威厳をただし、再度強く命じた。

「なのでユーナ!あなたに料理の基本をみっちり叩き込みます。戦えればそれで良いなんて言う甘ったれた考えは、私の班では捨ててもらいます」

班長直々の軍命である。ユーナの返事に否やはない。

自分が壊してしまった竈を見て、ユーナは肩をすくめた。

「わかりました…」

その返事とともにしょんぼりと敬礼を返し、そのままうなだれるユーナ。



そんなミリアとユーナを見て、レイはさも我関せずの口調で呟いた。

「竈は明日にでも直すとして…さしあたり今日の晩飯どうするか…だな…」

それを聞くとユーナは申し訳なさと不甲斐なさで、俯いたまま顔を上げることが出来なかった。

どうやら今日の夕餉はレイお得意のパンとチーズになりそうである。

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