2-②

「ほんっとかわいくねぇ奴…顔はかわいいけど…」

ユティナ村から程近いメデル山の裾野にある薄暗い鍾乳洞の中…

レイは前方で一体のツチグモと戦うユーナを30分近く見守っていた。

ユーナの額は汗でびっしょりであるが、その戦う様には余裕がある。

脅しが効きすぎる位効いており、言いつけを破るほど血気盛んだった昨日とは違って全く冒険をしようとしない。

ユーナは防御技術が卓越している。その鉄壁の守備を使ってツチグモの攻撃を捌いて死角を作り、そこに潜り込むことでツチグモの連続攻撃を断ち切ってしまう。

ツチグモの攻撃が正面に集中しており、視界の外にある側面や背面が安全地帯であることをどうやら見切ったようだ。

ひらひらと身をかわすユーナにツチグモが焦れて振りが大きくなってくると、浅くカウンターを打つことで少しずつ傷を増やす。

ユーナの真骨頂、専守防衛からのカウンター。しかも深追いせずに最低限のカウンターに徹することで、ユーナは完全に戦いの主導権を握っていた。

この調子でいけば時間はかかるが遠からず一匹目のツチグモは討伐できるだろう。


その間レイは何をしているかと言うと…

ただユーナの戦う様を評価している訳ではない。常に周囲を警戒して、ユーナと戦っている個体以外のツチグモをサーチ。見つけ次第権能を使って速やかにデストロイ。

もともとツチグモは単独行動の堕神であるので、ライラプスほどの頻度で連続戦闘が起きることはない。それでも巣穴と言うこともあり、既に片手の指の数ではきかないツチグモを一人で処理している。

(けど本命はいないね…)

そう。レイがユーナにぶつけようとしている相手はまだ抱卵前の個体。

ここより深域に行けば見つかるだろうが、如何せんユーナの戦闘はまだ終わらない。

レイはやきもきしながらその動向を見守っていた。


「やぁぁぁぁぁぁぁ!!」

それから10分ほど経過した後、ユーナの気合い声が洞窟内に響き渡った。

渾身の一撃がツチグモの八つある目の中央を穿ち、レイピアの剣先はおろか鍔元までその身に埋もれている。

脳を破壊されたツチグモはそのまま痙攣すると動かなくなった。

荒い息を吐きながら、ユーナはレイを見やる。

どう?私もやるでしょ?と言わんばかりのどや顔である。昼食が喉を取らないほど脅えていたのが嘘のようだ。すっかり自信をつけたらしい。

そんなユーナにレイは呆れ顔で評する。

「80点。戦い方は100点。けど最後に大声出すな、ほかの個体に気づかれる。-20点」

そう言うとレイはつまらなそうな顔をしてスタスタと洞窟の奥へ進んでいった。


「う…」

指摘されれば「確かに」と認めざるを得ないユーナではあるが、今は自分の剣が通用した事実が素直に嬉しい。

おっかなびっくり戦って慎重過ぎる立ち回りを演じたが、これなら次はもっと大胆に立ち回ってもうまく戦えることを確信する。

レイの背中を見つめるその目は自信に満ちて強く光っていた。



それからしばらくユーナの出番はなかった。先を歩くレイが悉くツチグモを狩ってしまうからだ。

この時ユーナは初めてレイの権能を用いた戦闘を目の当たりにした。

淡く輝くダークブルーの光を纏うと、レイは一気にツチグモの間合いを食い潰す。そのまま手近な脚を一太刀傷つけ、直ちに高速で安全圏に退避。

これを2~3合繰り返しツチグモに脚を傷つけることを学習させた上で、唐突に背後に回り致死の一撃を叩き込む。

レイが実践して見せているのは超高速の一撃離脱ヒットアンドアウェイだ。

(凄い…これが少尉の力…)

最早達人技と言ってもよいレイの手並みにユーナの口から感嘆の息が漏れた。

しかしユーナの天賦の才はその見取りの鋭さにある。即ち相手の動きを読み取り分析する力。カウンター使いに最も必要とされるその能力を遺憾なく発揮し、レイの攻撃から自身に応用できる型を盗み取り、自分の動きにそのイメージを重ね合わせる。

(少尉みたいなヒットアンドアウェイは無理だけど…何回か捌いてから潜る場所を変えて背後を取れれば…)

ユーナは既にその動きを頭の中で描いている。

何度目かのイメージトレーニングの最中、前を歩くレイが突然止まり、ユーナを振り返った。

「いたぞ、ユーナ。本命だ!」


その声に弾かれたように面を上げたユーナが目にした物は…

先ほどのツチグモはツチグモの名が示す通り大地と同じダークブラウン一色の個体であったが、今目にする個体はその腹部に血を思わせるどす黒い赤がストライプに刻まれていた。

前肢2本を立ち上げてキチキチキチと威嚇して来る様は変わらないが、ユーナはその威嚇に何故か嫌な予感を覚える。

レイは権能を用いて大きく背後に回り込むと、一気にこれを蹴り飛ばしてユーナに獲物を押しやった。

最初に訪れた千載一遇の必殺の好機にユーナの手が高速の反応を示す。

「ふっ!」

息を強く吐き出し、抜剣の勢いを駆って撃ち込まれたその刺突は、あろう事か振り上げられたツチグモの前肢に軽々と弾かれた。

ユーナの表情に驚愕がこびりつく。

「それが本物のツチグモだ。こっちにもいるからそいつは任せる」

その一言とともにレイはユーナの戦域から立ち去った。

しかし目の前の敵に意識を奪われていたユーナにその声は届かなかった。



「さて…と」

そう呟くとレイは目の前にいるツチグモに抜き身のナイフを向けた。

レイのナイフを赤く光る八つの目玉で追うツチグモは「シャーーーーーーーー」と威嚇の声を上げている。

その声に応えるようにレイの口から「行くぞ…」と声が漏れ、同時にダークブルーの光が左肩から漏れ始めた。


レイの言葉の意味を理解したのだろうか…

先手を取ったツチグモが一気に距離を詰め、レイに躍り掛かった。

レイはツチグモが近寄り様に前肢を振り上げたのを確認すると、躊躇なくその顔面を蹴りつけてツチグモを突き放した。

その反動を利用して、レイも後方にその身を飛ばして宙返りし大きく下がる。

両者の距離が8メートルほど開いた。


レイが着地した瞬間…動体視力に優れるツチグモの目は、霞むほど素早いレイの影を捉え、瞬間的に距離を割り出した。

その距離0。権能を全開にしたレイは人外の跳躍でツチグモの間合いを飛び越え、その首と胴を一太刀で切り離した。

「わりぃな…今日は想定外の出来事を起こすわけにはいかねぇんだ…」

その声に答える者は既にいない。

落とされたツチグモの頭部の赤い目が光を失ったのを確認すると、レイは痛みだした足を強く踏みしめ、ユーナの戦域に足を向けようとした。


その時…レイは奥に潜んでいた見てはいけないものを視界の端で捉えてしまった。

同時にそれもレイに気づく。

レイは不運を呪った。何故今なのだ。何故こいつなのだ。

昨日と違い既に痛み出した足ではユーナを抱えて逃げ切ることはできない。

戦闘が避けられないことを察したレイは即座に戦況を分析する。

ユーナを絶対に死なせるわけにはいかない。

彼は巌のような決意を固める。託された思いを踏みにじる訳には行かないのだ。

最善は自分一人での彼の堕神の撃破。次善は自分が時間を稼いでユーナを逃がし、その後自分も撤退する。

瞬時にはじき出された最適解を実行すべく、権能の光を纏う。

「ユゥゥゥゥゥゥゥゥナァァァァァァ!!逃げろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

先ほどの自分の注意を忘れるほどの大音声を上げると、レイは暁闇にその身を染め上げそれに向かって突撃した。



それは深紅の体躯を持つ巨大な蛇の堕神。

雄々しい双角を携えた牛頭、人の胴ほどもある両腕。

鉄板を思わせる堅い表皮とゴムのように弾性に富んだ分厚い脂肪、鉄条の様な筋肉、岩石を思わせる骨。

桁外れの剛力と耐久力を併せ持ち、他の生物を気の向くままに食らい、己が血肉へ変える暴食の王。

加えてその固有能力『悪食』は他の堕ち神の肉体を食し己の血肉に取り込むことで、一時的にその固有能力を手に入れると言う厄介な代物。

なにせ個体によって食性が変わるため、どんな固有能力を有しているのかわからないのだ。

メデル山の堕神の中でも十指に入るほど危険なこの堕神の名は『ヤトノカミ』。

普段はメデル山の奥深くに生息するヤトノカミが麓近くのこの洞窟にいると言うことはイレギュラー中のイレギュラーだ。

しかしここは悪魔の山と評されるメデル山。何が起きてもおかしくはない。

危険度は個体の食性によるがランクA~S。Sランクともなれば各大隊に設置されているエリート戦闘部隊『特殊殲滅班』が出動要請されるレベルだ。

こんな化け物に襲われたならユーナは一溜まりもない。

それでなくても彼女は今、レイの腹黒いお膳立てにより自分の命を脅かす難敵と闘っているのだ。



レイは全霊を賭けて跳躍する。

膂力では差がありすぎる。権能でその差を補えば、自身の力に耐えきれずレイの肉体が砕け散る。

それならば敏捷で相手を圧倒する。

相手の迎撃より速く…少しでも深く…



レイの突撃は牛頭の堕神の迎撃体勢が整う前に敢行された。

懐にたどり着き、その体躯を駆け上がり、双刃による電光石火の連撃を見舞う。

しかし武器の相性は如何ともし難い。

刃渡りが短いナイフでは表皮を傷つけ血を流させることは出来ても、その奥にある骨には届かない。

それでもレイはひたすらに宙を舞い、牛頭の表皮を傷つける。

全てはユーナを生かすために。



ヤトノカミは羽虫のごとく己にたかり、チクチクと薄く傷を作るレイに業を煮やしていた。

この獲物は速く、そして小さい。

フルスイングで己の腕を振り回しても、その場から掻き消えるように姿を消し、別の場所を傷つけていく。

その傷はそれこそ虫に刺されたようなものだ。疼痛こそ感じこそすれ、そんなものは無きに等しい。

しかしヤトノカミは羽虫の攻撃の中でけして看過できない攻撃が混ざっていることに気がついた。

それは胸への攻撃。

少しずつ、少しずつではあるが、同じ場所を斬りつけることにより、その刃は表皮を裂き、真皮を断ち割り、皮下組織を抜け、今やその下の脂肪の層にまで到達している。

この胸の傷だけは疼痛とはもはや縁遠い苦痛の領域に達している。

それでもヤトノカミは焦らない。

羽虫の攻撃は一見ランダムに見えるが、その攻撃の中に必ず胸を狙う攻撃が紛れ込んでいると言うことだ。

狙う場所が分かれば、あとはそこに網を張る。

追いきれない羽虫の攻撃を一身に受けながらひたすらその時を狙う。

ヤトノカミの目が怪しく光っていた。



レイは権能の力を全開にして、ひたすらにナイフを振るう。

既に足は限界に近い。

それでもレイは跳躍をやめない。

遠い遠い目標。それは牛頭の心臓。

もう何回その胸にナイフを走らせ、何回肉を抉ったか数え切れない。

それでもまだその刃先は胸骨に至っていない。

だんだんレイの狙いを察してきているのか、明らかに胸に飛び込むレイを待ち受けるような牛頭の動きが増えてきた。

(こんだけやってりゃ気づくよな…)

そう内心でぼやいてみても、レイのやることは変わらない。

これが通常の足を持つ堕神であれば足の腱を絶つなど別の方法も取れた。

しかし蛇の胴体をくねらせて移動するこの堕神にその手の足止めは通用しない。


レイは痛む足を大地に叩きつけ更に高く跳ぶ。

待っていたと言わんばかりに横殴りの豪腕が襲いかかる。

大気を引きちぎるような風切り音がレイのすぐ真下で起きるが、レイは動じずにそのまま胸への攻撃を敢行する。

この牛頭の迎撃は両腕を振り回すだけだ。

つまりは連撃は二連まで。一撃目を外し、二撃目をかわせばレイを迎撃する手段がない。

再び振るわれる一撃目の豪腕までの僅かな隙にナイフを叩き込む。

レイは陽動フェイントを織り交ぜながら、愚直にそれを繰り返して牛頭とここまで渡り合ってきた。

そのレイの執念がようやく実を結ぶ。

剣先に触れた岩のように硬い物体の感覚。

それは胸骨。この奥にレイの目指す心臓はある。

それを裏付けるかのように牛頭の口から痛みをこらえる呻吟が漏れ聞こえてきた。



(次で、決める!)

レイはもう痛み以外何も感じなくなってきた足を踏みしめ、鋭く跳ねた。

豪腕から繰り出された右フックがレイのすぐ足元を暴風のごとく駆け抜ける。

間髪入れずに繰り出されるのはレイを叩き落とすかのような打ち下ろしの左ストレート。これをすぐ間近に迫った胸の傷口に足をかけて更に上空に跳ねることでかわす。

牛頭の最大の迎撃回数、二連。全ての猛威を捌ききり、落下運動に入ったレイは決着の一撃をたたき込むべく、権能を全開にしてナイフを突き込もうとした。

そのとき…牛頭の胸部が大きく膨らんで、その頭が仰け反った。

「!?」

突然の行動にレイは攻撃を中断し、手近な鎖骨の窪みに足をかけ、また上空に距離を取った。

瞬間、レイがまさに今居た場所めがけて、牛頭が叩きつけるように火球を吐き出した。

(ブレスだと!?)

どうやら相手も悪食の能力で手に入れた切り札を切ってきたようだ。

しかしその切り札もレイの研ぎ澄まされた危機回避能力で事前に察知され、不発に終わった。


レイは勝利を確信した。

だがレイには誤算があった。

ブレスは外れても広大な範囲に影響力を持つ。

レイの誤算とはその爆風。

爆ぜたブレスの爆風が高熱の上昇気流を伴って空中のレイを襲う。

その想定外の風の流れにより、落下の速度を相殺されたレイの体が一瞬空中に縫い止められた。

その隙を堕神が見逃す筈はない。

(しま…)

思いっきり振り切られた横薙ぎの一撃に全身を強打され、レイは弾丸のごとく吹き飛んだ。

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