ep2 洗礼

2-①

「では、今日もレイとよろしくね!ユーナ、頑張って!!」

トイレ掃除を終えて戻ってきたユーナの肩を叩くと、その間に武装したミリアは一足先に兵舎を出て行く。


一方ユーナの指導教官役のレイは、と言うと…


「…いよっと!」

資料室から運んできた大量の書物をテーブルにドサッと置く。

手に付いた埃をパンパンと払いながら、朝食後のブリーフィングが行われていたボードの前にそのまま陣取った。


「…?」

ユーナは訝しげにレイが運んできた書物を見るが、専門書の類なのであろう、小難しいタイトルが書かれている。

『節足動物型魔獣の一考察』、『蜘蛛型堕神の生態についての一研究』…

どう見ても論文としか思えないタイトルにユーナはその美貌を歪ませ、苦手をアピールしてレイを見た。

レイはそんなユーナを一瞥してバッサリ斬って捨てる。

「そんな顔しない!堕神の生態を知ることは明日のキミを生かすための投資です!今日の午前中はお勉強。その後早めのお昼。昼食後準備して実戦!拒否権は無し」

「…はい」

渋々返事をしたユーナであるが、昨日の事もあり、今日の彼女はどことなく表情が強ばっている。けれどもレイはそれを無視して持ってきた書物を開いて授業を開始する。



「さて…蜘蛛型の堕神は何種類もいるが、今日はツチグモについてだ。今日の午後狩りに行く相手だからしっかり覚えろよ!」

そう聞くとユーナのイヤそうな顔も少しは和らぎ、幾分真剣なものになった。その表情からは昨日と同じ失敗を繰り返したくないと言う強い気持ちが見て取れる。

「まずはっと…ツチグモは蜘蛛型の堕神だが、そもそも蜘蛛ってどんな生態だか知ってるか?」

「脚が8本で…糸で巣を作ります!」

ユーナの返答にうんうん頷きながら、レイは紙にイラスト?を描いていく。

本人は蜘蛛を描いているようだが、ユーナには足が8本あること以外何の絵であるかわからない。しかし今日は指摘するのはやめておいた。ユーナなりの気遣いである。


「ん…正解だけど、半分間違いだ」

「?」

「蜘蛛は網目状の巣を作って獲物を捕らえるタイプと、徘徊して自ら獲物を探して捕らえるタイプの2種類がいる。網を張る奴らを造網性、動き回って餌とる奴らを徘徊性って言う。ツチグモは徘徊性だ」

「じゃ、糸とかの警戒はしなくて良いんですね…」

勉強嫌いなユーナでも蜘蛛の糸が頑丈なことくらいは知っている。確か鉛筆ほどの太さがあれば人の力では引きちぎることができないくらい強かったはずだ。

蜘蛛の堕神と聞いてあの網目状の巣に登って戦うことをイメージしていたユーナであるが、どうやら勝手が違うようである。

「ん~…糸の警戒は必要。徘徊性の奴らでも糸を出す。糸で網目状の巣を作らないってだけで、獲物縛ったり、土を束ねてその中に自分の寝床を作ったりするからな。土蜘蛛もお尻から糸出すぞ」

ユーナは眉をひそめた。その顔のまま怖ず怖ずとずっと気になっていたことを尋ねた。

「あの~…少尉…ツチグモって大きさはどのくらいですか…?」

「だいたい2メートル前後。ヒトと同じくらいだな!」

うげっという女の子らしくもない声を出し、更に顔を歪ませて心底イヤそうな顔をするユーナ。

キャーキャー言うほどではないが、彼女も虫の類は苦手である。生理的に受け入れがたいおぞましさを感じるのだ。それが人と同じサイズで迫ってくるとか本当に勘弁して貰いたい。

そんなユーナの心中に気づく様子もなく、鼻歌でも歌い出しそうなほど上機嫌でレイはイラストもどきを描いていく。

どうやらレイは絵を描くことが好きらしい。前衛的すぎて余人には理解できないが…

「んで…っと。ツチグモに限らず、蜘蛛型の堕神は毒を持ってる。これは基になった蜘蛛も一緒ね。顎のところに毒腺があるから、奴らの一咬みは絶対貰わないように…」

「…はい…」

「で、こっからが本番ですが…」

口調を改め教師面したレイは書き上げたイラストをボードに貼りながらユーナを見た。

「ツチグモの攻撃方法と生態です。まず奴らの攻撃は、お尻の糸による遠隔攻撃、爪と牙による近接攻撃、糸を用いた罠による攻撃の3つに大別できます。このうち罠の攻撃は奴らの寝床近辺じゃないと起きないので、今回は省きます」

ボードに貼られた紙に描かれた3つの蜘蛛?のようなものがそれぞれの攻撃を示しているようだが、ユーナには八本の脚を持つ何かが踊っているようにしか見えない。蜘蛛より蛸の方が近い気がする。


「この中で絶対に食らっちゃダメなのが、さっきも言った毒牙による一咬みです。ツチグモに咬まれたら最後。咬まれたらそれで終わり…そう思ってくれて構いません」

「…では、咬まれたら死ぬってことですか?毒で?」

そこでレイは首を振った。同時にレイが暗い顔をしてどこか遠くを見るような目で語り出した。

「ツチグモに咬まれると全身が痺れて…力が入らなくなる。だけどな、意識はあるし、感覚もあるんだ…んで…ツチグモは麻痺った獲物を糸でぐるぐるに簀巻きにする。ここまではいいか?」

まるで実体験を持っているかのように語り出したレイをユーナは訝しげに見る…まさかとは思うが…

「奴らは自分の寝床に簀巻きにした獲物を運ぶ。けど獲物は殺さない。殺せば腐っちまうからな…あいつらは生きたままの獲物を食うんだ。動けない獲物に噛みついて口から消化液を流し込む。俺の場合、最初は右腕だった…すっげぇ熱くて痛くて…肉がドロンドロンに溶けて、皮の下がブヨンブヨンしてるんだよ…腕が水風船みたいになってんだ…それをあいつらがチューチュー吸っていやがった。ストローでシェイク吸うみたいに…」

ユーナの顔が引きつる。


「俺は二日で右手と両足をドロドロにされてチューチューされた。三日目に腹の中に産卵管を刺し込まれて、卵を産みつけられた。卵はそこから三日ほどで孵るんだけど、そうなって初めて体の内側から子グモに食われて獲物は死ぬ…ツチグモはそう言う風にして捉えた獲物をギリギリまで生かして有効利用するんだ。だから咬まれてもすぐに死ぬ訳じゃない。安心しろ!」

ユーナの顔が絶望に染まる。今の話を聞いてどこをどう安心すればいいのかわからない。詰まるところ捕まったら六日かけて拷問の末に殺されるという話ではないのか…?

そしてレイがその実体験を持っていて助かっている事実に驚きだ…

「あの時は卵を除去して貰っても、孵化した子グモに内臓喰われて死ぬんじゃないかって思うと一週間眠れなかった…1個でも取り残しがあったらと思うと、自分で腹かっさばきそうになるんだ…実際2回くらいやってミリアに殴られたっけ…とにかく気が狂いそうだった…」

レイは暗い顔でぼそぼそとおぞましい内容をつぶやいていたが…突如明るい声で宣言する。

「そしてユーナ!幸運なことに今ツチグモは産卵期に突入したばっかりです!俺と同じ貴重な経験ができるチャンスです!危険度はCランク(ベテラン兵数人のパーティーで対応するレベル)!!このビッグウェーブに乗るしかない!と言うわけで今日の午後はツチグモ狩りです!」

満面の笑みでレイはサムズアップした。


「ぜっっっっっっっっったいイヤっ!!」

涙目で椅子から立ち上がったユーナが兵舎を揺るがすような大音声で拒絶の意志を示す。

そんなユーナにレイは顔を寄せると、にこやかな笑みを浮かべたままで「これミリア大佐の命令ね…軍務だから拒否権はないのだよ…」と魔法の言葉を呟いた。

ユーナの頭が真っ白になった。

彼女は糸の切れた操り人形のようにストンと椅子に腰を落とすと、そのままテーブルに突っ伏して泣き出した。


「大丈夫だよ~!俺も死ななかったし、ツチグモはさっき言ったとおり直ぐには獲物を殺さないから~…生きたままチューチューされるだけだって~」

慰めにもならないことを囀って宥め賺してくるレイを、ユーナはこのとき心の底から殺したいと思った。



パンに焼いたベーコンを乗せたものと生野菜を適当に千切ったサラダと言う簡単な昼食が目の前にある。

レイが適当に作ったものだが、ユーナは一切手をつける気が起きない。彼女はずっと突っ伏したままだ。

生きたまま食われるとか、お腹の中に卵を産みつけられるとか…そんな脅しを受けて食欲も失せた。

しかし彼女が脅えている最大の理由は、「レイがその実体験を持っている」と言う一点につきる。

自分より戦力が上のレイが餌にされかけたなら、それより格下の自分は確実に餌にされるではないか…

ユーナの心配を察したのか、パンの上のベーコンを頬張りながらレイが言葉を紡いだ。

「ひゃいひょうぶひゃって~。あのひょきのひょれはいひゃのゆーにゃひょりひょわひゃっひゃから、ゆーにゃにゃらひょひゅーひゃよ」

「…口に物入れて喋らないで下さい…」

最早何を言ってるのか判別不能なレイの言葉を暗い声音で一蹴するユーナ。

レイは水と一緒に口の中の物を胃の腑に流し込むと、再び喋り出した。

「あれだけ脅したが、そう心配すんなって。当たらなければどうという事はないのだよ…ユーナくん」

そう言うレイを、やっと顔を上げたユーナが脅えの浮かんだ目で見つめてくる。

レイはその目を見て、茶化すような顔つきから一変、真面目な顔つきになる。

「わかったって…ヤバくなったら助けるから、そんな顔すんな!さっさと食っちまえ」

「絶対に…約束ですよ?」

「ああ…」

レイの言葉を信じてユーナはパンを一口かじる。しかし味は全くわからなかった。

(まぁキミに堕神の恐さを刷り込むのが目的だから、直ぐには助けないんだけどね…)

レイの心の声はユーナには聞こえない。


この時レイはある重要な事実を隠していた。

産卵期に入り卵を抱えたツチグモは本来の戦闘力を発揮できず危険度で言えばDランク(新兵数名のパーティーで討伐できるレベル)相当にまで落ちる。卵に自身のエネルギーの大半を移譲しているためだ。非凡なセンスを持つユーナであれば、油断せず全力を尽くすなら一人でも十分討伐できるだろう。

しかし今は産卵期に入り始めの頃。まだ卵を抱えていない個体が混じっている。

この個体は通常期そのままの戦闘力を有し、非常に好戦的だ。なぜなら今から栄養を蓄えて産卵に備えなければならないのだから。

そしてこいつらはその場で獲物を貪り食らう。卵を産みつけるために塒に運ぶなんて悠長なことはしない。

このツチグモは本来のCランク、個体によってはBランクに迫る強さを誇る。

彼らには絶対ユーナでは勝てない。

抱卵後の個体でユーナを油断させ、その後抱卵前の個体にぶつけ死の恐怖を存分に味わって貰う…

レイは黒い笑みを浮かべて、表情の消えた顔でもそもそと食事を取るユーナを見ていた。

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