1-③
レイとユーナはその後も順調に狩りを進め、木々が拓けて数多の切り株と共に一面が草地になった場所に出る。
ここまでにユーナは10を越えるほどのライラプスを狩った。
一方のレイはすでに50に迫るライラプスを狩っている。
レイの殲滅速度は凄まじく、急襲をかけるとあっという間に手近な2頭を叩きのめし、追撃でさらに2頭ほどを狩り落とす。
その間のユーナと言えば…
レイの奇襲で浮き足立っている1匹(二回ほど2匹しとめている)の残党を更に追い討ちで仕留める…言わばおこぼれに預かる状況にあった。
連携上致し方ないのかもしれないが、それがこのスコアの差である。
バカバカしくてユーナは途中から数えるのをやめた。
何も言わずに切り株の一つに腰を下ろしたレイは一息ついて水筒の水を飲んだ。
ユーナもレイに倣って手近な切り株に座り、背嚢から水筒を探す。
気の抜けない追跡と激しい斬り合いの連続で喉がしきりに渇いていた。正直、この休憩はありがたい。
しかし…慣れた手つきで背嚢に手を伸ばし、右手の感触だけで探り当てた水筒を取り出した瞬間、ユーナは己の失策を理解した。
(ヤバ…空っぽ…)
おこぼれを預かるだけとは言え、ライラプスと幾度となく闘いを演じているユーナ。レイにとっては手慣れた戦闘であっても、新兵のユーナにとっては緊張の連続である。
その合間合間に水を飲んでいた彼女は、この日の水筒に入れた水をすでに使い果たしていたようだ。
しかし喉の渇きはユーナを激しく攻め立てる。背に腹は変えられない思いから、しぶしぶレイに声をかけた。
「…少尉…この辺に水場はありませんか?お水なくなっちゃって」
何かをかじって口をすぼめていたレイが、ぺっとかじっていた物を吐き出しながらユーナを見た。
「あるにはあるけど、ちょっと足場が悪いぞ…」
レイはそのまま思案するように顔を俯かせたが、顔を上げると「ん」といって右手を差し出した。
ユーナはレイの意図が組めず、小首を傾げた。
「出せ、水筒!俺も残り少ないから行って汲んでくる」
「それなら私が行きます!」
「説明すんのがめんどくせぇ場所なんだよ…だから俺が行く」
そう言うとレイは立ち上がり、ユーナが持っていた水筒を奪うようにその手に納める。
変わりに瓶詰めの何かをユーナに投げてよこした。
瓶の中身はなんだろうか…
しわしわしているが、赤い木の実のようだ。
「これは?」
「ウメボシとかいう塩漬けしたプラムを干した物。ミリアの手作り。水飲むときは食えってうるさいんだよ、ミリアが。めちゃくちゃすっぱ…」
ユーナはしげしげと眺めていたが、ミリアの手作りだと聞いた瞬間にふたを開け、中の木の実を一つ取り出した。
そのまま思い切って口の中に放り込む。
「あ、バカ!」
レイの静止も虚しく、ユーナの舌は激烈な酸味に犯され、その衝撃が脳髄を直撃した。
「ん~~~~~~~~~~~~~~~~~~」
声にならない声を上げながら身悶えするユーナを見て、レイは額を抑えてため息を吐いた。
しかしユーナの苦悶は長くは続かなかった。
最初こそ殺人的な酸味でびっくりしたが、恐る恐る舌で果肉を味わうと酸味の奥に広がる豊かな旨味を知覚できる。
「…意外とおいひいです」
口をすぼめたままではあるが、ユーナはわりとしっかりした口調でそう答えた。
「マジで…?俺これイヤイヤ食ってるけど。東の島国ジバングの保存食で体にいいらしい。汗かいた後に水だけ飲むとダメだからこれ食うとちょうどいいんだとさ」
そう言うとレイは踵を返して森の木々の奥を眺める。森は風に揺れる木々の歌声を届けるだけで、それ以外の物音は一つとして聞こえて来ない。
「…とりあえず近くにライラプスの気配はない。けど警戒を怠るな。こういうときはなんか起こる前触れだ。だいたい15分くらいで戻ってくる。ここにいてくれ」
レイは森へと歩み出す。
歩きながらレイは一つの忠告を投げて寄越した。
「もし真っ白な馬鹿でかいライラプスを見かけたら、絶対に戦うな。なりふり構わず兵舎に逃げろ」
そのままユーナの返事も待たずに木立の奥へ消えていった。
残されたユーナは、梅干しの種を吐き出すと、一つ大きく息を吐いた。
全身がだるく、疲労感が濃い。
彼女にとって初めての実戦。戦闘だけでなく、細心の注意を要する尾行、不慣れな地形…ありとあらゆる要素が容赦なくユーナの体力と精神力をガリガリと削っていた。
しかもこの休憩により張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れた。
それによって今まで脳が無視していた身体のサインを拾ってしまった。
(いけない…まだ続くのに…集中しないと…)
そう思っても一度切れた集中を意図的に取り戻すのは難しい。疲れが溜まっていれば尚更だ。
そのため彼女は気づけなかった。
その背後に音もなく忍び寄る堕神の影があることを…
レイは周囲を警戒しながらも、沢までの急坂…いや、絶壁と呼んで構わないような山肌を降りていく。
僅かに存在する足を置くことができる平坦なスペースには水とともに落ち葉が堆積し、山肌の大半を占める傾斜と呼ぶには躊躇われる断崖の表面には、沢から舞い上がる微細な水滴をたっぷり浴びた草と苔が茂る。
そう。全てが滑る。最悪なほどに。
なるほど、たかが水汲みとは言え、本日はじめてメデル山に足を踏み入れたユーナには荷が重いのは間違いない。
レイの判断は至極当然と言える。
レイは慣れた足取りでカモシカのように跳ね、あるいはスキーヤーのように滑り落ちながら、谷底へ降り立った。
レイの目の前に広がるその沢は最早渓流と呼ぶにふさわしい。遠くには豊富な水量を示すゴーゴーという滝の水音が聞こえてくる。
レイはこの渓流を気に入っていた。いや、メデル山自体を気に入っていた。
メデル山は悪魔の山と呼ばれるが、決してそれだけの山ではない。
この活火山の豊かな自然に触れていると、山の恵みを自分たちがどれだけ頂いているのかが理解できる。
数多の堕神を抱え込むことができるほど豊かな動植物は、同時に人間達をも飢えから救った。そして掘ればすぐに温泉が湧き、通年山からもたらされる清水によって簡単に水を手に入れられる。鉱物資源も多い。
そして人を拒み続けてきた山だからこそ、未だ数知れない絶景を訪れた者だけに見せてくれる。そんな絶景はいかに人間がちっぽけな存在であるかを思い知らしめてもくれる。
恐怖の山ではあるが、畏敬の山でもあるのだ。
そんな感情がユティナ村で暮らすようになってからレイにも芽生え、いつしかここに残りたいと切望した村人たちの思いを、その村人の気持ちを汲んだミリアの慈愛を理解できるようになっていた。
レイは屈み込んで渓流の水を一口手に掬って飲む。水は冷たく、動いて火照った身体を胃の中から冷やしてくれる。
ついで背嚢から水筒を二本取り出して軽くすすぎ、中に清廉な水を詰めた。
作業を終え、ふと対岸を見ると、何かを引き摺ったような跡に目が止まる。
大型の獣を仕留めた堕神が塒に獲物を運び込んだものであろうか…
レイは目を凝らした。注意深く観察するとその引きづった跡のすぐ傍に足跡があることに気づく。
(…なんの足跡だ…?)
浅瀬に顔を出す石を飛び跳ねながら対岸に移動したレイは、片膝を折って注意深くその足跡を観測した。
鋭い爪を擁する指は4本、その根本には足底球。
犬やオオカミの物に近い。ここがライラプスのテリトリーであることを考えると、恐らく彼の堕神のものだろう。
歩幅から察するに全長はおよそ4~5メートル。そして群れで生活するライラプスと違い、この個体は単独生活している。
(…やっぱり居やがったか…)
レイの表情が険しくなる。
彼の脳内に浮かんでいるのはライラプスの親玉と言うべき純白のクイーンライラプス。今まで狩ってきたライラプスを産み落とした個体である。
通常のライラプスよりも大きな体、そしてその巨体に見合わない俊敏性。
そして自分が産み落としたライラプス全てを操る指揮系統の頂点。
彼女を狩るとなると相応の準備、そして戦術が必須だ。
何より彼女の狩りは自分と決定的に相性が悪い。
戦闘慣れしていないユーナを抱えたレイでは間違っても立ち回ることが不可能だ。
レイは面をあげると、目線で足跡の続く先を追う。
その線は浅瀬から流れを渡り、今まさに自分がいる反対側…つまりレイが元いた岸に続いていた。
「おいおい…まさか…」
レイは必死にその導線を追う。その続く先は先ほどレイが降りてきた断崖絶壁。
「マジか!マズい!!」
レイの左肩が淡く光り出す。暁闇の光を全身に纏ったレイは駆け出した。まさに疾風の如く。
その加速を跳躍力に変換し、一気に崖を駆け上がる。
「静かすぎるとは思っていたのに…クソっ」
ライラプス達は孤独を好む彼女のテリトリーを侵すことを嫌って一帯から身を引いたらしい。あろう事か、鳥たちまでも。
クイーンライラプスの狩りはBランク。軍の通常の班の基本構成人員は二十名だが、その班員全てを使って狩るのが妥当とされるものだ。ライラプスの群れを狩るのとは訳が違う。
ユーナがクイーンと戦う前に戦域から彼女を連れ出さねばならない。
クイーンが勅命を発する前に…
胸中に膨らんだ嫌な予感を打ち消すように足を駆り、レイは全力で元来た道を駆け戻った。
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