1-②

森の中を1時間ほど歩き回った二人は、ついに目的の堕神を発見する。

レイはすっと身を屈め、ユーナを導くように手を招く。

そのままユーナが側に来たのを気配で察すると、木々の繁茂する一角を指差した。


いる…


茂みの奥にいるちょうど五匹のライラプスを前に、ユーナは緊張の糸がぎりぎりと張り詰めてくるのを感じる。

見た目は黒みがかった灰色の狼と大して変わらない。しかしその頭部にあるユニコーンのような鋭い角と、あばら骨に沿って浮き出た胸部の赤い稲妻のような斑文が、それが狼でないことを教えてくれる。

ユーナの鼓動が少しずつ、速く強くなっていく。


不安な気持ちからユーナは隣のレイを伺うように横目で見る。

しかしレイの視線は一団に釘付けであり、ユーナと視線を合わせようともしない。

表情も引き締まったものであり、今朝の軽薄さは微塵も感じられない。

それどころか隣にいるはずのレイの気配は希薄であり、その存在感は空気のように透明であった。

すっと存在感を薄め、森の一部として溶け入っているようなそんな印象を受ける。

(さすが…ね。こうやって真面目にやってればかっこいいのに…)

益体もないことを思うユーナであるが、レイの横顔から視線を切ると自分もレイに倣ってライラプス達に視線を移した。



そのまま動くことなく二人はライラプスを10分以上観察していたが、不意にレイの目が細められた。

ライラプス達が移動の姿勢を見せ始めたのだ。

薄れていた気配が少しずつ熱を帯び、レイの目に爛々と光が宿る。

それを見てユーナはレイの意図を察知する。

(奇襲ね…やる気だわ…)

ユーナの推測を裏付けるように、レイはハンドサインを出して、ユーナに指示を送った。

『開けた場所まで尾行。後に奇襲』

シンプルなサインではあるが、それが如何に大変な事であるか、ユーナにも朧気ながら想像ができる。

狼は犬の祖先であり、非常に嗅覚と聴覚に優れる。そして堕神は基本的に形態の近い生物に準じた能力を持つ。そのため狼型であるライラプスもこの特性を受け継いでいるはずなのだ。

気取られないよう風下から尾行し、接近する際には音一つ立ててはならない。

それでもサインを出したレイには、微塵の緊張も焦りも浮かんではいない。

(やっぱり少尉は次期エースね…変態でスケベでエロガキだけど、軍人としての少尉は尊敬できるわ)

そう思ってレイを見つめていた矢先、一団が動いた。

レイは素早く腰を浮かして、尾行の姿勢に入る。


その刹那…


レイがユーナに突然襲いかかった。

そのまま仰向けに押し倒される。

突然の出来事にユーナは対応できない。

「え…なっ…」

ユーナは訳が分からず頭が真っ白になる。唯一わかったのはこのままだと自身の純潔がレイに汚されると言うこと…

「い…いや…やめて…」

彼女の目尻に涙が浮かんだ。

ユーナを胸の中に抱きすくめるレイの腕の力は荒々しく、ユーナの全力をもっても解くことは出来そうにない。

狭い視界から見上げる空は、ユーナの絶望を肯定するように一瞬にして黒く染まった。

その瞬間彼女の拘束は突如として解かれた。

そのままレイはユーナの身から離れて素早く反転し、地面に背をつけると、その黒い空に向かってナイフを突きこんだ。

魂切るような獣の断末魔が轟いた。真っ黒な空からは真っ赤な血の雨が降り注ぎ、レイの顔を紅に染め上げる。

「…え…?」

レイはそのまま黒い塊を蹴り上げ、その勢いを利用して素早く立ち上がると、未だ起きあがれないユーナを後目に突如後方に駆け出した。

呆気にとられたまま上体を起こしたユーナの目に飛び込んできたのは先ほどの群れとは別のライラプスの一団。数は3頭。

狭い樹幹を潜るように走り抜け、それに殺到したレイは落ち葉を舞上げながら大地を蹴り、ナイフを振るう。

1頭が斬り伏せられ、血が煙のように舞った。


突如として幕が上がった戦いの舞台に正面から監視対象であった一団が参入してくる。

「グゥォォォォォォン」

一頭が高い位置に駆け上り、全体を把握して指揮をとるように遠吠えをあげた。

残りの四頭はそれに呼応するかのように、レイに肉迫した。

「来るぞユーナ!お前が本命だ!」

レイは後方の一団と切り結びながらそう叫んだ。

今まで戦っていた一頭を斬り伏せ、残っていた一頭の頭を蹴り飛ばす。

そのまま素早く反転すると、新たに襲いかかってきた一団の先頭の一頭に迎撃のナイフを向け、地を舐めるかのような低空で駆け抜けていく。

両者が接触した刹那、細い銀の糸が幾条か表れては消えた。

次の瞬間、ぱっと血の華が咲き、解体され3つのパーツに分解されたライラプスが大地に転がる。

レイはそのまま駆け抜け、続く後続の2頭に両手のナイフを叩きつけ、後方に弾き飛ばした。

レイの怒号が響く。

「こいつらは足止めだ!お前のとこに本命がくる!さっさと武器を取れ!!」

思わず一瞬身をすくめたユーナであったが、その声に反応して、咄嗟に立ち上がった。

そのユーナに飛びかかる一つの影。

レイの言葉通り、先ほど遠吠えをあげた群れのリーダーはレイには向かわず、頭上からユーナに襲いかかった。


「グゥゥオアァァァ」

獣特有の生臭い息を捲き散らしながら、鋭い牙を剥き出しにしてユーナの首もとへ迫り来る。

(落ち…落ち着いて…)

混乱を沈めるために一つ短く息を吐き、そのまま一瞬だけ息を止める。

早鐘のような心音は静まらないが、ユーナの脳内温度は一気に下がる。

刹那でユーナはレイピアを抜剣する。

しかし飛びかかったライラプスの牙はすぐ目の前。

剣を構える時間もスペースもない。

しかし…ユーナはただまっすぐ、レイピアのフィンガーガードでライラプスの顎を下から突き上げた。

「ガフッ…」

ユーナの予想外の反撃を受け、吹き飛ばされたライラプスは素早く着地するとユーナに距離を取って対峙し、低くうなり声をあげる。

その姿を見てユーナも右手のレイピアを突き出すように構え、バックラーを構えた左手を自身の顎の下に置いた。

(集中…)

息をつめ、相手に合わせて息を吐き、そして吸う。

集中力の支配する無音の世界にはユーナと一匹のライラプス。

ライラプスはユーナを伺うように二度左右にステップを刻んだ後、瞬間、最短距離で飛びかかった。

初撃の鋭い爪の一撃を身を沈み込ませてかわす。

そのまま左手のバックラーを下からかち上げた。

カウンターの一撃を鼻先に叩きつけられたライラプスは大きくのけ反る。

そこに刺し込まれたのは静かで流れるような一撃…即ち右手のレイピアでの刺突。

ずぶっと言う肉に刃先がめり込む感触が剣を通して自身の右手に伝わる。

鼻先を打たれ、顎が上がって晒された喉という急所を、必殺のレイピアが貫いた。

ユーナがレイピアを引き抜くと、ライラプスはそのまま倒れ込み、口から血の泡を吹きながら、ぜひゅぅぜひゅぅと荒い息を漏らしていた。

ユーナはバックステップで十分距離をとり、ライラプスから目を離さない。

致命傷を負ったはずのライラプスの目からも凶暴な光は消えていない。

戦いはまだ終わっていない。

ユーナは再びレイピアを構えた。

呼応するかのように手負いのライラプスも震える足を叱咤し、立ち上がる。

しかし、その終焉は唐突に訪れた。

幾度か耳障りな息を吐いた後、ライラプスの目から光が消え、一度その身を大きく痙攣させた。

そしてそのまま崩れ落ちると、狼の堕神は全く動かなくなった。



(ははーん…典型的なカウンタータイプなのね…かわいい顔してかわいくない手際だこと…)

残りの足止めを始末し、顔の返り血を拭いながらユーナの戦闘の一部始終を見ていたレイは、まじまじとユーナを見る。


眼前に敵が迫り来るまで戦闘態勢を取れなかったのは、ユーナがまだひよっこ未満である証拠だ。

しかしその後の動きにレイは感嘆の息を漏らした。

息を使って気付けを行い乱れた精神をコントロールしたこと。

距離のない状態でも慌てずに、フィンガーガードを使って冷静にカウンターをとって自身の距離を確保したこと。

その後相手にあわせて呼吸を読み、飛びかかるライラプスをいなしてその喉を晒したこと。

レイの評価でもほぼ満点と言って良い動きである。


特筆すべきは最後に放ったユーナの刺突。

力むことなく最速で最短距離を走ったその一手。

その速度と威力もさることながら、動く小さな的を正確に射抜いたその集中力。

なるほど、レイピアと言う武器をきちんと理解し、使いこなしている。

相当の修練の賜物であった。

(ありゃ軍入隊以前から剣を振ってなきゃできねぇな。本物の一手だ)


腕組みしながらレイはユーナを観察し続けているとユーナと目が合った。

まだ彼女は肩で息をしている。

しかし、その目は若干の興奮はあれど落ち着いている…と思いきや、彼女は顔を赤らめて、さっとレイから目をそらした。


「…あの…ありがとうございました…」

顔を赤らめたまま、ばつが悪そうにもぞもぞとユーナが礼を言う。

「…どったの?頭でも打った?さっきまでと違っていやにしおらしいんですけど…?」

てっきり抱きしめたことを詰られると思っていたレイからすると、彼女の敵意のないその言葉が薄気味悪い。

「その…庇ってくれたから…」

「ああ…あれは後方警戒を怠った俺のミスだ。気にするな。それに…」

そう言うとレイは何かを思い出すように目を閉じた。

「瑞々しい柔肌を充分堪能できたんだ。役得と言うものだよ!鎧が邪魔だったが、なかなか良きお胸であった…」

殊勝なユーナの態度をよそに、目を開け爽やかな笑みを浮かべてサムズアップするレイ。

ユーナは羞恥と怒りで茹で蛸のように耳まで真っ赤に染まる。

「このへんたいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ」

ばちーーーーーーんという乾いた音が、森中に響き渡った。



ユーナのビンタで頬に紅葉の跡をくっきりとつけられたレイは、ユーナに怒りの声を上げた。

「てめぇ…また打ちやがったな!ミリアに言いつけてやるっ!」

「子どもですか、あなたはっ!!良いです、私の言い分もミリアさんに聞いてもらいます!」

チッと舌打ちするレイ。

レイを睨むユーナも一歩も退かない。

「それはそうと、さっきの奴!俺8匹、お前1匹な!便所掃除覚悟しろよ!」

「群れのリーダーなんだから1匹以上の価値があります!どういう頭してるんですか!?」

「へへーん!そんなの知りませ~ん。討伐数のみが対象ですぅ~」

「…もう良いですっ!次行きますよ!」


怒りに燃えるユーナの後をレイはとぼとぼと追う。

しかし先ほどのやり取りとは打って変わり、レイの紅葉付きの頬は緩んでいた。

思わぬユーナの才能を目の当たりにし、彼女の狩人としてのこれからを想像すると、期待感がこみ上げてくる。

(こりゃ本腰入れて磨き上げなきゃな…あの人のためにも…彼女自身のためにも…)

「手取り足取りナニ取りね…あれ?ナニは取って貰うのか…?」

不意に口走ったレイの独り言を捉え、ユーナが振り返りキツい視線を送ってくる。

「何か?」

レイは首を竦めると、別に…と呟いて、浮かんだ笑みを噛み殺し、不機嫌を装ってみせた。

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