0-③

「この部屋を使ってくださいね」

ミリアからそう案内された部屋は、南に張り出された大きな出窓が特徴の日当たりの良い部屋だった。

中に合った物はシンプルにベッドとクローゼットだけ。

ユーナはさっそくベッドに腰を下ろし、荷解きに取りかかる。

ベッドに腰をおろした瞬間、ふわっとお日様の香りが立ち上った。

装飾は一切ない無骨な作りながらも清潔感にあふれ、スプリングが良く効いており、肌触りも上質なものだ。

あまりの心地よさにこのままベットに飛び込んで、頭から毛布をかぶりゴロゴロしてみたい…

ユーナは一瞬その衝動に駆られたが、ぐっとこらえて荷解きを続ける。

仕分けが済むと、衣類をしまうためにクローゼットへと向かう。

式典用の礼服、軍服、装備を数人分入れてもなお余裕のある大型のものだ。

軍の宿舎での生活と言うこともあり、女の子らしい服には縁がないと覚悟していたユーナであったが、このクローゼットであればそれらの服も存分に収納できるだろう。

もちろん、職業柄買っても着る機会は少ないであろうが、おしゃれを楽しみたいと思うのは、やはり女の子として生まれ持った性なのだ。

それくらいのことはお目こぼししてもらいたい。

そんなことを考えながら作業を進めると、あらかたの荷物を片づけることができた。

改めて部屋全景を見渡してみると、殺風景ながらもこの部屋の間取りは相当広い。

新兵である以上、たこ部屋で雑魚寝を覚悟していたユーナであったが、想像以上の待遇の良さに思わず笑顔が浮かんでしまう。


「荷解きは終わりましたか?」

ドアの向こうから、ミリアの声が聞こえる。

「はい、だいたいは!」

返事と共にユーナはドアを開ける。

そこには革袋と小さな包みを携えたミリアが立っていた。

「なかなか手際が良いですね」

ミリアは開け放されたドアから物一つ散らかってない…正確には物がなさ過ぎてがらんどうとした、未だ生活感のない部屋を眺めた。

「そうだ…先にこれを渡しておかないと…」

そう言うと持っていた革袋をユーナに手渡す。

ユーナが訝しげにそれを受け取る。袋はずっしりと重く、中からはジャラジャラと音がする。

恐る恐るユーナがその革袋を覗くと…

そこには金貨が30枚近く入っている。

一般家庭の月額平均収入に相当する量の金貨だ。

「あの…これは…?」

「いわゆる支度金ですね…ユーナ!最初の任務です。そのお金でユーナが使う当面の日用品と生活必需品をこの村で購入して来てください」

あまりに突飛な命令に、ユーナの柳眉が下がった。

「支度金って…軍からの支給品は一式持ってきてますが…」

ミリアはそれを聞くと、にこっと微笑んで言葉を紡ぐ。

「あの中に私服はないでしょう?部屋着も。鏡も。お化粧の道具も。余分なタオル布も。そう言った生活用品を買って来るのが最初のあなたのお仕事です」

ユーナは驚きのあまり目を大きく見開いた。

驚愕のあまり声もでないユーナを尻目に、ミリアは説明を続ける。

「私たちは軍人ですけど、この任務についている間はこの村で生活する村民でもあります。この兵舎の中ではその村民としての暮らしを優先しますので、軍服の着用は禁止です」

ミリアの説明を受けてもユーナの怪訝な顔色は晴れない。

ユーナにしてもこの班が特殊な班であることはわかっているが、軍の規律とあまりにかけ離れている実態に、戸惑う事しかできない。

「普段通りの生活を。それが何よりも大切なことなのです。戦いに明け暮れる毎日だからこそ、日常のありきたりな生活を忘れてはいけません。そうしなければ私たちは必ず戦いにとらわれて、鬼になってしまいます。ここは選りすぐりの死地ですから…」

そう言われてしまっては、納得せざるを得ないだろう。

ユーナは渋々ながら返事をする。

「はい…」

「この兵舎における食事当番とか掃除当番とかもありません。大体私がやりますが自発的に手伝ってくれると嬉しいです。レイもたまに手伝ってくれるんですよ!あの子の煮込み料理は最高に美味しいんですが、機嫌が良い時じゃないと作ってくれないんですよね…」

「そんな…まさか…」

ユーナは耳を疑った。

大佐に食事を作らせる少尉…軍の階級制度とはなんであろうか…

「あ、あと任務以外拘束もしません。門限もないから連絡さえ取れるならどこに出かけても良いですよ。素敵なボーイフレンド見つけていらっしゃい!」

常在戦場の過酷な環境をイメージしていたユーナに取って、それは度肝を抜かれるほどの衝撃だった。

ユーナは口を開けたまま目が点になり、言葉を発する余裕もない。

「ここでは私たちは一緒に生活します。言わば一つの家族です。そう言う風にして私とレイは今までやってきました」

そう言うとミリアは少し照れくさそうに顔を俯いた。

「だからユーナにも素直に受け入れて貰えると嬉しいのですが…」


突然、向かいのドアが開き、レイが顔を出す。

「俺もミリアの方針に賛成!」

どうやら向かいはレイの部屋らしい。

「俺らはさ、班として活動する訳じゃん?だからさ、同じ釜の飯を食ったなんて生温い、それよりもっと強い絆が大事なわけよ…言葉通り命を預けるんだからさ…けどさ、軍の規則に縛られた関係だとそんな絆は生まれるわけないと思うわけよ」

なるほど…

言われてみれば確かにその通りかもしれない。

そして、もしかしたらこれこそが最強の班の秘密なのかもしれない。

「あら…あなたが賛同してくれるのは珍しい。雨でも降るのかしら…」

そう言って、ミリアは窓から空を見上げる。

空は相変わらず雲一つない晴天だ。

ミリアの皮肉をスルーし、レイは「それに…」と続ける。

「軍服ってさ、嫌いじゃないけど、ワンパターンじゃん?せっかくユーナみたいなかわいい子がいるんだから、そういう子の普段の格好見てみたいじゃん?そうすればほら…」

話の急激な転換について行けず、ユーナの目が白黒する。

レイはそんなユーナにお構いなしで、天井を向き、指をワキワキさせながら恍惚の表情を浮かべる。

「…色んな格好をしてくれた方が…も…妄想が…広がリング!!…グフ…グフフ…コフゥ…こふぉ……」

だんだんレイの鼻息が荒くなり、ゆっくりとユーナに視線が戻る。

その目に宿る怪しい光はもはや獣欲に取り付かれた雄のものだ。

「あ…あぅ…」

気持ち悪さと恐怖からユーナが一歩後ろに下がり、どん引きの表情を見せると…

「…全くこの子は…本当にもう…」

ミリアが手を額に添えてため息を一つ。

しかし次の瞬間、ユーナはミリアの稀代の軍人としての一面を見せつけられた。

ミリアはレイの股間を叩き潰すかのように電光石火の右の鉄槌を打ち込んだ。

「ぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

レイの哀しい断末魔が木霊する中、ミリアの舞うような流れる体術は止まらない。

反射的に股間を抑えたレイの顎を鉄槌からの掌底で掬い上げ、その重心を後ろに反らし、そのまま横蹴りでレイの部屋に蹴り込んだ。

「だにゅぅ!!」

一連のコンボを綺麗に貰い、意味不明な呟きを漏らしながら吹き飛ばされ、ゴロゴロと自室の床を転がり、反対の壁にぶつかって止まったレイ。

未だに股間を抑えて、悶え苦しむ彼をミリアは憐れむように一瞥。

「全くもう…しょうがない子なんだから…」

そう残念そうに呟いて、ミリアは後ろ手にドアをパタンと閉めた。


一方、ミリアのギャップの凄まじさに思考が追いつかないユーナはフリーズしていた。

「…ごめんなさいね…本当は優しい子なんだけれど…」

申しわけなさそうなミリアの言葉にユーナの思考が再起動する。

「い…いえ…ちょっと驚いたって言うか…その…なんというか…」

「あの子もあの子で、まだユーナにどう接して良いかわからないのよ…大目に見て欲しいとまでは言わないけれど、少しだけ思いやってくれると嬉しいわ…」

そうは言っても着任早々セクハラ発言を受け、今まさに獣欲の対象として認識されたのだ。

年頃の女の子としては不安だろう。

「はい…」

しょんぼりと返事をした少女を慰めるように、ミリアは努めて優しく声をかける。

「レイがあなたを手込めにするようなことは絶対にないわ。それはわかってるのだけれど…」

そう言うとミリアは小首を傾げて思案する。

「いいわ。ユーナ…あの子のあらゆる毒牙からあなたを守りましょう。それをユーナに誓います」

厳かな誓いの言葉とともに、白魚のような自身の右手の親指を噛み、血を滲ませた。

そのまま自分の首筋に赤く線を引く。

それは母性的な彼女には似つかわしくない雄々しい戦場でのしきたり、『戦士の誓い』。

誓いが破れたときは、相手に首を差し出すことを約すもの。

その誓いの意味と重さを知るユーナは、驚愕のあまり大きな目を見開き、そして心の底から安堵の表情を見せた。

「よ…よろしくお願いします!!」

その表情を見てミリアはほっと一息つく。

「さぁここの昼間は短いわ。ぼーっとしてるとすぐ日が沈んでしまいます。直ぐにお行きなさい」

「はい!」

「夕暮れまでには戻ること。今夜はあなたの着任を祝って私とレイが夕飯を作りますから。ささやかだけどお祝いしましょう」

「わかりました!」

「それと…これはレイには内緒よ?」

そう小声で囁くとずっと左手に持っていた小さな紙の小包をユーナに手渡す。

その中に入っていたのはサンドイッチ。

具材はハムと生野菜であり至って平凡だが、レイに昼食抜きを言いつけられたユーナを思ってミリアが即席で用意してくれたものだろう。

ユーナの顔が驚きに包まれると、ミリアは黙って片目を瞑って見せた。

そのウインクを見てユーナに大輪の花が咲いたような笑顔が戻る。

「買い物は村の方々との顔合わせも兼ねてるから、失礼のないように…ね。きちんと挨拶するのよ」

その声を最後にユーナの背をゆっくりと押して、優しく送り出すミリア。

ミリアの暖かい送り出しを受け、ユーナは階段を駆け下りた勢いのまま外に飛び出すと、明るい日差しの中を駆けだしていった。

「行ってきます!」

「行ってらっしゃい!」

ミリアはドアが閉まるまでその姿を見送ると…




レイの部屋をノックする。

「んぐぅぅぅ…ぐすん…」

中からはレイの情けない声が聞こえてくる。

「レイ、入るわよ…」

数秒待ってからミリアはゆっくりとドアを開けた。

その視線の先には、先ほどと同じ姿勢のまま痛みを堪えるレイの姿があった。

「全くもう…あなたって子は…あれじゃユーナが怯えちゃうじゃない!」

「そ…それよりさ…ミリア酷すぎ…ほ…んぐ…本気でやるとか…マジないわ…」

「仕方ないじゃない。自業自得です!」

「そ…そうだけどさ…俺まで女の子になったら…い…痛…どうするの?」

「それはそれで楽しそうね!女子三人、仲良く暮らすのもきっと楽しいわ!」

「自分はもう…女子って…年齢じゃ…ないくせに…」

瞬間ミリアの額に青筋が浮き上がった。

空気が一気に張り詰め、その場の温度が急激に下がる。

顔色を青から白に変えたレイが、ミリアはまだ若い!全然美しい乙女ですぅぅぅなど白々しくもさんざんに喚き倒す。

その言葉を聞いてため息を一つ吐いたミリアは、未だ苦悶に呻くレイの肩に優しく手をのせた。

突如彼女の背中が光を纏い、同時にレイの肩に置かれたその手が柔らかな光のベールに包まれた。

その光を受けて、次第にレイの額に浮いた脂汗が引いていき、レイの苦悶の声も翳りを見せる。

「はい、おしまい」

レイの肩から手を離すと、ミリアは優しくレイに警告を告げる。

「聞いてたと思うけど、ユーナにエッチな悪戯はしちゃダメよ?そんな事したら、今度は治してあげないから…」

そのままミリアは顔を上げて首筋を晒し、一本の赤い線を見せつける。

「…お前…俺の他愛もない趣味の妨害に何マジで命賭けてるんだよ…」

レイは顔を引き釣らせた。しかし、それでもレイは気丈に言い放つ。

「しかし…約束はできないな…何故ならこれは種の保存を賭けた雄の性だからだ!我々は女体の神秘を解き明かさねばならないっ!!そうでないならば人類の発展は有り得ないのだ!!」

レイは声高に宣言して立ち上がると、口の端を釣り上げて胸を張る。

「…だからあなたは何時までもどうt…ごめんなさいレイ。何でもないわ…」

呟かれかけたその一言によって、レイの自信に満ちた笑みが哀しく凍りついた。

報復に成功したことを悟ったミリアはそれ以上の追い討ちを控える。

変わりに穏やかな微笑を浮かべると、

「兎に角…今日はユーナのために美味しいものを作ります。レイも何か作ってちょうだい。私あれがいいなぁ…キノコとお肉のブラウンシチュー!」

「えぇぇぇ…あれ時間かかるからやだよぉぉぉ…」

ミリアの追い討ちを、持ち前の切り替えの早さで無かったことにしたレイが本気で嫌そうな声をあげた。

そんなレイにミリアは片目を瞑り、両手を合わせてお願いのポーズ。

その仕草を見て、レイは盛大に息を吐く。

「仕方ないなぁ~…材料あるの?」

それを見たミリアは軽く手を合わせ嬉しげに答える。

「もちろん!ちゃんと揃えてあるわよ!」

そのままレイの背中を押して部屋から連れ出し、キッチンへと誘うのであった。

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