第2話 大神官 エルザ

夢を見た。身を小さくして、嘆き続ける男はエルザに、元の世界では違った姿・形をしていたエルザに、詫びを入れていた。


ー私が断絶の原因を作ったのですー

ーいや、それはそなたではない。この私だー

ーもうそんなに謝らずともよい。私は断絶を嘆いてはおらぬー


そう告げた。それでも、男は言い募る。


ー私は末の生まれでございます。王族とは名ばかりの意気地なしにございますー

ーそれがどうだと言うのだー

ー覚悟のない者が王になるとは、それは国民への裏切り行為とも言えます。国民ばかりではなく、神にも、あの国土に対しても…ー

ー長男と生まれても、私は役目を果たさなかったぞー

ー殿下ー


見上げた顔には涙。あの血筋特有の顔立ち。深い青い瞳。そして褐色の髪。後世には醜いと称されたというが、それは嘘であり、簒奪したという王のための作り話だったのか。


ー王の資格のないものが王になった天罰でございます、殿下ー

ーいらぬ心配をするでない。私はもうこの世界にはおらぬのだから…そして、そなたも、なー


男は消えていた。男のうずくまっていた痕には、王冠が寂しそうに置かれていた。それに恐る恐る手を伸ばす。声が聞こえた。懐かしい父の声。


ー戴冠せよ、わが息子よー

ー父上、それは必要ございません。私にも資格はありませぬゆえ…ー


父の姿はなかった。声も聞こえなくなった。深い溜息の漏れる音が聞こえるだけだった。薔薇が咲いている。薔薇とライオンが描かれたものが揺れている。王冠を床に置く。王冠は湖の底に沈み込むように消えていった。


その後、エルザは目を覚ましていた。

「前の世界の夢か」

起き上がり、天蓋付きの豪華なベッド。女官たちはまだ寝室には来ていない。朝、必ず彼女たちはやってきて、洗顔、朝食の世話をし、そして去っていく。一人の食事がわびしいときは王宮に行ってアリサという先代の仙女と出会って食事や他愛ない話をした。今日はそんな気分にはなれなかった。そして鐘が鳴った。ただその音はエルザにしか聞こえない音であった。

「仙女顕現」

アリサが来たときもこの鐘は鳴った。音色が変わるときがある。それは聖王顕現の兆しであったが、その音色ではなかった。エルザは女官が来る前にベッドから出て、扉を開けた。

「仙女顕現、支度せよ」

大声で女官たちを呼ぶ。エルザの通る声に女官達のさざめきが聞こえた。

「大神官様」

女官長か足元に平伏する。

「祈りの塔に行く。今度の仙女様は様子がおかしい」

「は」

女官長の顔はいつもの冷静さを失っていた。この女官長は表情をあまり変えた事はない。泉の乙女の頃は違っていた。王宮から神殿、女官としての勤めが長くなり、いつの間にか冷静沈着な女官長へと変貌していった。愛らしい娘の顔のまま、老女の持つ年を経た重みを持っている。それはどの女官もそうだったが、女官長はそれが顕著だった。アリサ付きの女官長とは年齢差がかなりある。アリサには聞こえてはおるまい、エルザはそう思った。アリサの能力はエルザほど高くはない。聖王も兼任したエルザならではの能力。エルザは仙女であり、聖王でもあった特殊な存在である。そのためなのか、入滅することもなく、生きながらえ、大神官の地位を持っている。

「落ち着け。まずは鏡をここへ」

エルザはそう告げた。

「どうして…」

「前の姿を確かめたい。そうでなければ、今度の仙女様にはお会いできない、そう思っただけだ」

「かしこまりました」

不思議な素材の鏡。女官二人で全身を写すことが出来る大きな鏡が簡単に運搬出来るほど軽い。正確には木の枠のようなものを持ってきただけに過ぎない。その枠にエルザは手を伸ばす。たちまち鏡面が現れる。その鏡面に写っていたのは青年だった。全身黒尽くめの甲冑、それに紋章のついた上着を着て、重々しい剣を片手にしている。その片手には兜。パンネと呼ばれた古い時代の兜。頭頂の獅子をエルザは目を細めて見つめていた。

「これが…大神官様の前のお姿なのですか」

「そうだ…戦支度だがな」

もう一度、鏡面にふれると黒髪丈長く、涼しい目元の整った顔立ちの女性に変わっていた。深い青い瞳。白い衣装をまとい、神官の杖を手にしている。

「エルザ様」

「性別だけ変わった…」

顔立ちも似通っていた。背丈も髪の色も全て。

「この世界に呼ばれる者はなにもかも変貌するというが、聖王だけは容姿が変わらない。性別は…どうなのか知らぬが」

その容姿の変わらなさ、エルザがこの世界に来て半年経っても聖王顕現がなかった。それは仙女と聖王を兼任するということだと、エルザの前の仙女が告げた。その仙女が役目を終え、消え失せてどのくらい経ったのか、エルザ自身も数える気持ちにはならなかった。鏡の中のエルザは正式の大神官の衣装を着ていたが、現実のエルザは寝間着姿だった。

「お召し替えを。エルザ様、そのなりでは」

「わかっている」

寝間着から衣を変えた。白い、着心地の良い下着、なめらかな光沢を放つ白いドレス。ドレスの前見頃の部分だけ、丈が短く、膝上五センチばかりの丈で、あとは裾を引くほど長い。膝上にはバンド状の靴下留がある。片方だけ、青く、もう片方は白い。青い靴下留は前の世界の名残。エルザにしか読めない文字が刺繍で入っていた。その意味をエルザは伝えたことはなかった。ただの一人にも。そして、これからも伝えるつもりはない。青い靴下留め以外は全身真っ白な衣服。まるで花嫁衣装のように見えるが、この衣装は大神官の衣装としては非公式なものであった。

「祈りの塔に行く。共はいらぬ。潔斎の湯浴みの支度だけ整えてくれ」

「はい、大神官様」

潔斎の水は実際には布も身体も濡らさない。清めるのは心のみと言われるが、エルザにはその実感はなかった。潔斎の水は特殊な能力者のみ、濡れる事はなかった。この神殿内の女たちはこの水に衣も身体も濡らす事はない。水というよりは、空気のようなものに近かった。が、下界の人間には水だった。下界に運び込むとそれは聖水となり、医薬品として流通することもあったが、それは重篤な悪疫が流行った時に限られていた。神殿・王宮の外には当然のように病があった。その事をエルザもアリサも現聖王も承知している。

潔斎後、エルザは一人で塔への階段を登った。それは果なく続くかのような階段だったが、エルザの能力では数歩歩いたようにしか感じられなかった。この階段は女官達は大神官の許可なくては登れない。今回は許可は降りなかった。

 階段の奥付きには小さな間がある。扉はない。階段が扉のような役割を果たしており、エルザの許可なければ、階段は消え失せたように見える。女官たちの目にはもう階段は見えていなかった。その小さな間から開け放たれた窓。丸い塔に設けられた外に通じる窓は上部はアーチ状になっている。扉はないが、外のものが入ることはない。一つだけ、あの泉の村の方向に開けられた窓がある。その装飾はひときわ見事だった。その窓から、エルザは身を踊らせた。その身体は肉体がないかのように見えた。そのまま、鳥の姿に変身する。そして、飛び立っていった、泉の村へ、と。

「伝えねは…あの子は知らない、この世界を。知らないままでは災厄がやってきてしまう…食い止めねば、それが私の役目…」

そう唱える。エルザは白い鳥に変身していた。そう、これが王宮の特殊な鳥使い。大神官その人が王宮の鳥使いそのものなのだ。



王宮では先代の仙女、アリサが何かを感じていた。

「エルザ様が動いた…お一人で…何があったのかしら」

くつろいでいたソファから立ち上がるとアリサはある扉を開いた。卵型の物体がいくつも吊り下がっている。そのうちの一つが玉虫色に輝いていた。

「仙女顕現…」

そうつぶやくと、アリサは後ろを振り向いた。女官達が控えている。

「仙女顕現、それも特別な仙女、エルザ様のお知らせが届くまで何も出来ないけれど…それなりの支度を」

「はい。聖王陛下には」

「まだいいわ。どうせ、また気に入った女官とよろしくやってるんでしょうから」

「手厳しいですね、アリサ様」

「そうかも知れないわね」

寂しい顔を一瞬する。彼女の夫だった聖王はもういない。優しくて穏やかで、どこかのほほんとした人。この世界に来る前は話によると牧童だったという。山の片隅で羊と暮らした人。口笛で牧羊犬を呼び、緑の野原を駆け回り、そして、この世界に来た。牧童に戻りたいと言い出してはみなにたしなめられていたが、とうとう小さな牧場を開くまでした。生き生きと家畜の面倒を見ていたが、ある災厄に立ち上がり、消え失せた。その消滅を見たものは誰もいなかった。アリサさえそれを見なかった。彼女が見ることを良しとしなかった聖王だった。

「あなたはとても、立派だった。けれど…私はどうしたら良かったの」

卵型の物体は数知れない。その正体は…卵だ。しかし、中身は空で、外の殻しかない。アリサは中身のある卵を産むことが出来なかった。次代の聖王はまた異世界の者がなった。極稀に生まれる聖王はアリサの卵から生まれなかった。夫である聖王がいなくなってもアリサは卵を生み続けている。何故そんなことになるのか、アリサは知らない。そしてその卵が、王宮の建材となり、衣服となり、室度品になる。専門の匠がそれぞれいるが、アリサはその職人に会ったことはなかった。女官達が職人の求めにしたがって卵を渡す事になっていた。大抵の仙女は職人に渡されるところを監視したりしたが、アリサは一度もそれをしなかった。

「何故なさらないのですか」

一度聞かれたことがある。

「見たら、手放したくなくなるからよ」

そう返事し、それ以来見たことがない。


「アリサ…あなたも感じたのね」

空に羽ばたく鳥になったエルザはそう呟いた。

「用意はあの子に任せましょう」

エルザの心の言葉はアリサに伝わっていた。女官達を呼ぶ。

「アリサ様」

「職人達を呼んで。私から話があります」

「お会いになるのですか」

一度も会ったことのない職人達と対面するとアリサが言い出した。女官達が驚くのも無理はない。アリサの女官長、キャシーが顔色を変えていた。

「そんなに青ざめないで、キャシー。新しい仙女様のためよ、調度品が整ったらもう会わないわ」

「アリサ様」

「個人的な感情で動けないのよ、仙女様に何かあったら大変だわ」

「かしこまりました」

職人頭はすぐにやってきた。彼は仙女の魔力に耐えられる特殊な男であった。

「仙女顕現よ、頭。童女の模様。成長に合わせて調度品を整える事になるけれど…今は…子供用のものにして。サイズはあとからだから…シーツと下着類、衣服の布は作成だけにして。仕立ては連絡するまで待機。他の家具などは…そうね、いつもどおりでいいわ」

「はい…アリサ様」

「初めて会うのにごめんなさいね、急ぐの。大神官様からの連絡があったの。それしか伝えられないけれど…」

「いいえ、いつかお会いできると思ってました。職人冥利につきます、アリサ様」

ちょっと違う言い方だとアリサは思った。

「どうして…」

「職人としては原材料の事を知りたいだけですよ、アリサ様」

「そういう意味なのね…」

職人は会釈一つすると退室していった。エルザからの声なき語らいはアリサの耳に届いている。




スザンヌ・リカルディア


泉の乙女。山の寒村に住む選ばれた少女。彼女の一族には名字はない。仙女に仕えた時点で名字が授けられるため。村長になった一族の男には「リード」の名字が村長の期間にだけ名乗ることができる。通称、泉の一族は「名無しの一族」と呼ばれている。


マリー・ダンカン・リカルディア


ダンカンは旧姓になる。仙女の名前リカルディアは仙女の女官たちにつけられる。マリーはスザンヌの誘いを受

け兄弟たちのために女官となった。


仙女・シルヴィア・リカルディア


異世界から来た幼女。主人公。成長するに従って色んな能力を使って異世界で生きていくことになった。


先代仙女・アリサ・ゲオルギウス


先代聖王入滅のため、仙女の位から降りたが、特殊能力は持ち続けている。かなりの楽天家。


大神官・エルザ・アンジュリーゼ


先々代の仙女にして聖王。神殿で暮らしているが、たまに王宮に来る。仙女にこの世界の名前を与える役目を担っている。


聖王


仙女の夫。ただし、成人男性で、幼女と聞いて、頭痛を・・・

名前は考えなかったあああ。というところです





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水晶宮にて つんたん @tsuntan2

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