水晶宮にて

つんたん

第1話・顕現

泉の乙女と呼ばれる人がいる。岩山の上に白い水が湧き出る泉があるのだ。その泉は代々女性が守っていた。仙女が顕現する泉に男性は近づくことはない。男たちは仙女の魔力により、運命が狂い、悲惨な生涯を送らねばならなくなるという。泉を管轄し、守り続けるのは女性とするようにしたのは、その言い伝えの為だ。当代の泉の乙女はスザンヌという名前だった。

「今日も泉かい」

村の女がそう声をかけてきた。

「ええ、そうよ、お役目だもの」

泉の乙女は泉管理一族から選ばれた女が務めることになっていた。

「ここしばらく仙女様は現れていないねえ」

そう呟く村の女。

「そうなのよね、曾祖母様のときも現れてないの」

「長いねえ、これじゃ聖王陛下もかなわないね」

「今日はどうかしらね」

「さあねえ…とにかく行ってらっしゃい」

「行ってきます」

期待はしていない。けれど、そろそろ現れなければ、この国の安定が脅かされる事になるだろう。掃除道具、そして女性の着物を入れたカバンを荷車に積むと、スザンヌは荷車を引きながら、歩き出した。岩山に向かうのだ。岩山に足を向けることはスザンヌしか許されていない。聖王と呼ばれる人が顕現するときは予兆がある。今の聖王は意気盛んな青年であるし、入滅の兆しはない。聖王の入滅の予兆がない限り、泉に聖王が顕現することはない。

あるいは仙女との間に跡継ぎを設ける聖王もいる。が、三代続くことはなく、聖王の地位は血筋によるものではない。先代の聖王の元に嫁いだ仙女は王宮に住んでいるが、すでに仙女と呼ばれることはない。妃の宮、きさいのみや、と呼ばれている。先々代の聖王は入滅せず、妃となった仙女が先に入滅してしまったらしい。先々代の聖王はロタの神殿で神官長として暮らしている。先々代にも先代にも子はなかった。そろそろ血の繋がった聖王がいてもいい頃だ、と国民は思っていた。この国育ちの聖王がいないのは、不安なことだと神殿のものたちも思っていた。

「みんなの気持ちはわかるけれど、こればかりは天の配剤だものね」

スザンヌはそうつぶやいた。岩山の頂上直下の小屋に荷車を留めて、荷物を取り出し、いつものように小屋に移した。掃除道具片手に泉への階段に足をかけた時だった。閃光がきらめいていた。泉そのものが光っている。彼女はしばらく鳴らすことのなかった鐘を打ち鳴らした。「仙女顕現」の合図だ。伝説の通りに白い光が満ちていた。



こんなはずじゃなかった。国民一同、そう思ったとしてもいいのではないか、とスザンヌは思う。白い泉の浅い部分に立ち尽くしているのは…女の子。妙齢の美女が顕現するという伝説は何処へ行ったんだ、オイ。そう思ってもいいのではないか、この場合。いや、伝説は伝説だ。目眩をこらえて、スザンヌは話しかけた。なるべく優しく。

「かあさまああ」

そう泣きじゃくる女の子は素っ裸だ。わかってる、仙女様は一糸まとわぬお体でこの泉に顕現するのだから、それは仕方ない。だから、上等の女物のドレス一式持参してここに毎日来ていたのだからして…。

「待てよ、あの着物じゃこの御方には大きすぎる…下着も」

頭痛がしてきた。

「いや待て待て、それより泣き止んでいただかないと話も出来はしないわ、こりゃ」

「おまえは何者だ」

女の子はそう話しかけてきた。涙と鼻水でべショベショの顔のままで。

「わ、私は…」

「母上の新しい侍女か」

およ、この子、いいところのお嬢様ではないの、もしかして。

「左様でございます、お嬢様」

「私はオナゴ…あれ」

「よその世界からおいでになられたときにお姿全て変わってしまわれます、この世界では」

ついいつもの説明文、泉の乙女が仙女に言う言葉を口にしてしまった。まずいかな、この説明。

「では、私はもう母上のおそばには戻れないのだな、ここはイングランドのフォザリンゲイではないのだな」

年の割にはお利口さん。いやいや、そこじゃない、どうして、こうも聞き分けがいいのか、不思議なものだ。フォザリンゲイなんちゅーとこはどこにあるんだろう、スザンヌは思う。

「元の世界のお名を伺いたく存じます」

「リチャード」

あー元男の仙女様か。こりゃまいったな、それがスザンヌの内心。

「元男だと困るのか、そなた」

「まーそうですね、トイレから下着から言葉遣いからみな違いますからね」

「慣れるようにする」

「何故、そう思われますか」

「言うこと聞きなさいってみんな言うから」

あかん。この子、いいとこの坊っちゃんだったのか。向こうの歴史は大丈夫なのかしら、とスザンヌは思っていた。

「では、私はお召し物…申し訳ありませんが、上着しかお召になれないと存じますが…」

差し出したものは仙女に着せるために用意していた女物の和服の上に着る道中着に似た着物だった。

「下着はあとでご用意いたします」

「ん」

着せ付けるとぶかぶかなのは確かだった。裾を引きずりそうでいて引きずらず、ただし、手は袖から見えない。紐で身体に纏い付け、それからスザンヌは少女を抱き上げた。そして泉から降りていった。荷車を留めておいたところに薄物で目隠しをした男たちが輿を担いでいた。それをすっと据え置く。その輿に少女を乗り込ませた。

「おまえは」

「私は徒歩で従います。下の村まで、ご案内致します」

「わかった」

男たちは黙っていたが、動揺していた。仙女様がこんなチビ、こんなチビ…と心の中で繰り返していたのだった。



幼女の仙女が顕現しなかったわけではない。人々の記憶から消え去るほど遠い昔話だっただけだ。スザンヌもそれは知らない。彼女の名前も仙女の名前にちなんだというが、その仙女はもはや伝説の人であり、王宮の文献には名を残してはいない。文献が整ったのはいつだったのか、それも王宮にいる者ならいざ知らず、泉の乙女のような地域の人間には知る術すらなかった。仙女顕現時の泉の乙女はそのまま王宮に召し抱えられ、仙女付きの女官長になることが慣例だ。スザンヌはそうなった乙女たちは一度も里に帰ったことがないことだけは知っていた。掟により許されないのだ。結婚もほとんどしないらしい、としかスザンヌは知らない。王宮に仕える侍従と結婚する泉の乙女もいる。が、それは稀だった。

「私の代で顕現とは思わなかったわ」

村に到着するとスザンヌは村人達の手によって花嫁衣装よりも豪華な衣装に着替えさせられ、輿も用意される事になっていた。

「今度の仙女様は幼女」

そう告げられた村人達は徹夜で仙女に着せる衣装を大人用から子供用に作り変えた。村の女達総出でその仕事をやり遂げた。下着から、上着、スカート、履物、ベール、それから重すぎるアクセサリーも全て重要な宝石を残して作り変えたのだった。冠も変更。それは村の細工師が張り切るしかなかった。それを指揮するのもスザンヌの役割だ。とりあえずの衣服は村人の子供から借用した。祭りで着る一張羅を、である。下着は用意してあった新品を流用するしかなかったが、専門の衣装が出来れば、下着から着替える事になるはずだ。

「三日間の猶予をナントカもらえてよかったわ」

スザンヌはそう言う。

「できれば一週間は欲しいですよ」

「無理じゃない、王宮はそんなものよ」

「着替えなさいな、スザンヌ。あなた、もう王宮の女官なのよ」

「あーそうよね」

彼女は溜息をついた。花嫁衣装よりも豪華な衣装。絹が使われ、刺繍も細かに施され、華麗なレース、美しい装身具。

「これ、私が」

「当然でしょ」

泉の乙女として育てられてはいたものの、スザンヌは贅沢な暮らしをしたことがない。泉の掃除が終われば、通常村に住む娘達と同じ仕事が待っていた。水くみや糸紡ぎ、機織り。仙女のために泉の乙女にはハードな仕事は回されることはなかった。畑仕事は免除されていた。水くみも井戸があるので、さほど重労働ではない。たいていは絹糸を紡ぐ仕事か絨毯織りに従事していた。手荒れなどを防ぐため、洗濯も免除されていた。泉の乙女に選定されると労働基準が厳しく律せられることになる。スザンヌにはそれが不満だった。いくら村長に訴え出てもスザンヌの仕事は変更は許されなかった。

「あきらめなよ、スザンヌ。あんたは仙女様の侍女なんだから」

「いつ出てくるかわかんないのに、いいはずないわよ」

「あんたの母も祖母もみんなそうしてきたことよ、仕方ないでしょ」

「なんか、釈然としないのよ」

「バカね、それがあんたの仕事なんだから仕方ないでしょ」

隣の家のマリーの言葉に何度溜息をついたことか。そのマリーがスザンヌの衣装を整えていた。

「ねえ、マリー」

「なあに」

「あんた、いい交わした男いるの」

「いないわよ」

「本当に」

「残念ながらね」

「ダンカンの決めた婚約者とかは」

マリーの苗字を口にして家同士の約束はないのか、と聞いてみたのだ。

「ないわよ、持参金の宛もないし、私は家に残るしかないところかな」

「ねえ」

「何よ」

「一緒に行かない」

泉の乙女の誘いは受けたら村にはもう戻れない。それも知っていてスザンヌはそう誘っていた。

「いいわよ」

マリーは実にあっさりと返事していた。そばにいた村の女たちはマリーの家に知らせに走った。そして祭の衣装一式を抱えて戻ってきた。マリーの父親も一緒にやってきていた。

「あんた、あっさり言うわね」

スザンヌがそう言う。

「うふふ、うちは兄弟姉妹多いからね、結婚の支度金がかからないだけ気楽だわよ」

「彼氏もいないしってことで」

「申込みはあったけど、支度金がないからどうにもならないわ。それに何処の誰だか私、わかってないし」

「ああ、それなら解らないでも」

そんな会話の端でマリーの父親が泣いていた。王宮にあがったらもう娘ではなくなる。そんなことに大事な娘が、と言っては泣いていた。

「父さん、あたしが嫁に行けるお金、うちにあるの」

「ないけどよ、嫁なら会えるけど、王宮いっちまったらもう会えないじゃないかっ」

「仕方ないじゃない」

「マリーっっっ」

隣家の家族達は愛情に満ちていた。そのためか、隣家の主は嘆くばかり。母親の方はどうしたことか、あっさりしていた。

「おまえは」

「悲しくないっていったら嘘になるわよ、ただ、現実を見ているだけ。ジャンに嫁さんが来ないことにはうちも困るし」

マリーのすぐ下の弟の名前をマリーの母親は口にしていた。

「六人だものねえ」

スザンヌの言葉にマリーは苦笑していた。

「だからこそ、行くのよ、父さん」

「わかってるよ、だけどなあ…」

情けないかもしれない。けれど、事実なのだ、王宮にあがった侍女たちは里帰りすることはありえないのだ。理由は王宮の侍女は年取ることもなく、死ぬこともないのではないかと言われるほど長生きするからだ。人間とは思えない存在になるから。一年の感覚で里に戻っても里では二十年以上経過していたりする。時の流れが王宮と村や街では違っているのだから仕方ない。マリーも着替えた。スザンヌは仙女の元に向かっていた。



「いかがですか」

「悪くはない」

男たちはいない。仙女の魔力のため、男たちは近寄れないのだ。村の女たちが世話をしていた。客用のベッドも整えられていた。

「ここでおやすみください」

「お前は」

「私のものは別に用意されてあります。ご心配なく」

「その衣装はどうした、前は言っては何だが、貧相だったではないか」

「あなたの侍女になりましたので、衣服整えました。それからこちらはマリー・ダンカン、同じく侍女となります」

マリーもうやうやしく片足引いて腰をかがめ、挨拶をした。

「そうか、よろしくな」

「はい、仙女様」

「今日はもう遅いので、お休みくださいませ。マリーともども、同じ部屋でお世話させていただきます」

スザンヌの挨拶にその幼女はうなずいた。そしてベッドへと潜り込んだ。光の加減によって金髪見える髪。幼女の肩を越え、背中の中程へ伸びた髪。瞳の色は深い青だった。

「もう私は戻れないのだな」

その言葉にスザンヌは何も言えなかった。親元に帰りたいと泣いていた事を思い出す。

「スザンヌと言うたな、そなた」

「はい」

「頼りにしてよいか。私は一人だ。そなたのその目なら、信用してもよいのではないかと思い始めた。迷惑にはならないか」

「そんなご心配は及びません。私は仙女様のために泉の乙女として生きてまいったものでございます」

「役目ではない、心底信用するが、お前には迷惑にはならないかと聞いている」

「ございません。お優しいのですね、仙女様」

「そんな事はない。私は…なんでもない、あとで話す。今は休もうと思う」

仙女はそう言うとベッドに潜り込み、即座に寝息を立てた。

「おつかれだったのね…」

スザンヌはそうつぶやいた。そして、同じ部屋に用意されたベッドに入り込んだ。マリーも同じようにしていた。スザンヌの家の、離れに用意された一角はそれこそ何十年も使われた事がなかった。仙女のために用意された部屋で、三日もすれば、元の空き部屋になる。ベッドも家具も運び出され、村長の屋敷内にある倉庫にしまい込まれる事になっている。今、この部屋にある一式は村長の倉庫から運び込まれたもので、スザンヌの家で管理しているものではなかった。管理人は村長夫妻であって、スザンヌの家族ではなかった。一族の人間ではあるが、血縁はかろうじてある、という程度のものだった。そんな事も実はスザンヌには疑問だった。顕現しないかも知れない仙女を待つなんて無駄と思うことさえあった。それなのに、彼女の代で顕現。納得は出来ない。でも、退屈な暮らしは終わるのだ、そう考えるしかなかった。

「だって、他にどう考えればいいのよ…」

泉の乙女と呼ばれ、仙女顕現を経験した者ははるか昔の人物で、王宮に向かったきり、消息は知れなかった。生きているのかさえ不明だ。王宮と外界の時の流れは違いすぎるから。だから、口の中で、小さく小さく呟くしかないのだ。マリーを引きずり込んだのは、正直言って一人では不安だったから。泉の乙女の誘いを受け、王宮に向かった村娘は何世代も前にいたことは知っていた。大抵は村では貧しい方の家庭の娘か、子沢山のため、結婚資金に困窮している家の娘が多かった。スザンヌの一族は裕福な方であり、村長や行政を担う者も多く輩出していた。泉の乙女がいるとは言え、山村の、そう裕福とは言えない地域だった。都会に泉がないわけではない。ただ聖なる泉という事になると人工過多な地域にあっても、いつの間にか穢れが満ち、自然に枯渇することが多かった。そのため、穢れの少ない山間部にある泉が古代の大神官によって選ばれたという伝説が残されていた。スザンヌたちには伝説だったが、それは史実でもあった。


村は寒村で羊の放牧と特産品のチーズで成り立っていた。他に村内に植えられた木に天蚕の繭が他の村より多く見受けられるため、その天蚕の絹も特産品になっていた。その絹で織られた柔らかな衣装を仙女は纏う。下着からスカート、上着、ベルト、そして履く靴もその天蚕の絹から作られる。が、その豪華な贅沢な衣装も伝説では王宮のものと着替えさせられるという。王宮の衣服の素材は想像もつかぬものが原材料だと言う。が、それは外界の人々は知ることはなかった。


朝になり、スザンヌはベッドの仙女を伺っていた。健やかな寝息が聞こえていた。幼いけれど、成長すればさぞや美しくなるであろう、とスザンヌは思う。顔立ちは整っていた。スザンヌは自分の髪を見ていた。黒みがかった茶色の髪、茶色の瞳、そして鼻の頭に微かにソバカスがある。美人じゃない、とスザンヌは思っているが、村娘の中ではなかなか美人の部類に入っていた。都会の町娘よりは絶対に劣っていると本人は信じている。マリーは少し天然気味のスザンヌが気に入っていた。

「美人なのにもったいないわあ」

よくスザンヌには言ったが、通じていなかった。マリーの髪は亜麻色で、瞳の色は青だった。母親が隣の部族から嫁いできた関係もあって、村娘たちとは変わっていた。が、背格好や仕草は村娘達と変わらない。泉の一族と呼ばれるこの村の人々は茶色の髪に茶色の瞳のものが多かった。黒髪もなかにはいるが、金髪はいないし、亜麻色もマリーの一家以外はいなかった。マリーの父は行商をしていた関係で、他の部族の娘とめぐりあい、結婚した。一悶着あったかどうかはダンカン一家は語らない。そんなマリーも目覚めていた。ベッドの中で天井を眺めていた。村の、素朴な梁が見える組格子の天井が見えるだけだが。

「王宮はどうなってるのかしら」

そう呟く。スザンヌは苦笑していた。

「そうね」

知らない世界。誰も聞いたことがない世界。泉の乙女は王宮に行ったきり戻ったことがない。戻ったことがあったとしても、世代が代わっていて顔見知りは誰一人いないのだ。親も親戚も、一番若い知り合いもみな死んでしまった後なのだ。だから泉の乙女はほとんどが戻ることを拒否していた。

「王宮に行ったら戻らないって聞いたわ」

マリーが言う。

「戻っても誰もいないのよ、従兄弟とか妹の曾孫の世代になっちゃうのよ」

スザンヌがそう告げた。

「それじゃ戻っても仕方ないわね」

マリーはその言葉の後、身を起こした。仙女はまだ眠っているらしい。着替え始めるマリーを見て、スザンヌも身支度を整えた。

「後二日、かしら」

「そうね…」

王宮の使者は間もなく着くだろう。その知らせは届いていた。鳥使いの伝言者から村長に届いていたのだ。村にも鳥使いの伝言者がいる。使われる鳥は種類が豊富で、どれとは言えない。速達を届ける鳥は猛禽類だった。通常のものは鳩のような鳥。特殊な知らせは鳥なのか、妖精なのかわからないもので、特別の能力者でなくてはその手に止まらせる事さえ出来なかった。王宮にはそんな鳥使いもいるという。村にいるのは、猛禽類の鳥使いだ。鳥使いには伝言者と狩猟者がいるが、猛禽類の鳥使いは両方を兼ねていた。猛禽類の鳥使いは鳥使いの中でも上等の部類になる。特殊な鳥使い、妖精のようなものを使う鳥使いはおそらくは仙女か、大神官か、とスザンヌは思っていた。けれど、仙女はここにいる。王宮の中のことは何も知らない。特殊な鳥使いは今も動いている。

「仙女様は一人じゃない…」

「スザンヌ、何、それ」

「特殊な鳥使いよ、今もいるのよ」

「ああ、妖精さん…それ、仙女様のって、話よね」

「来たのよ、ここに」

「あら…でも仙女様の事だもの、当然じゃないの」

「ここで、わからないことはわからない。王宮は王宮だもの」

割り切ろう、スザンヌはそう思った。仙女が目を覚ましたらしい。スザンヌはベッドに近づいた。ぱっちりと開けた目。

「お目覚めですか」

「うん。戻れるかと思ったけど、やはり無駄だったな」

伸ばされた手。スザンヌはそれをそっと握る。

「お前は温かいな」

「寒かったのでは」

「いや、寝床は快適だった。母上の温もりが恋しかっただけだ」

その言葉にスザンヌはかける言葉にまごついた。

「気にするな、ここには母上はいない。お前のそんな顔は見たくはない」

きゅっと抱きついてきた仙女。スザンヌは黙って抱きしめた。母が自分にしてくれたように。

「おまえはそれでいい」

「はい、仙女様」

その様子を見ていたマリーが声をかけた。

「朝の支度しましょうね」

「そうね、マリー」

着替えさせて、朝食をとる。それは変わりない事。幼い仙女は着替えると祈ろうとしていた。

「仙女様」

「何か」

「言い伝えでは仙女様の祈りは王宮でしかしてはならないそうです」

「そうなのか…」

「貴方様自身が神そのものなのです」

困惑した表情を浮かべた仙女。

「なら、私は…」

「何もしなくてもいいのです、ここでは」

スザンヌはそう言い切った。知らないけれど、仕方ない。王宮のことはいつでも言い伝えでしかない。けれど、伝えておくしかないとスザンヌは思う。

「わかった、ここでは何も知らないからな、私は」

「お気遣いありがとうございます、仙女様」

マリーが声をかけてきた。朝食の支度が出来たと言ってきた。

「今、行くわ、さ、仙女様」

「うん」

ベッドから降り、仙女と共に隣の部屋へ行く。朝食が並べられていた。パンケーキとジュース、サラダと言ったものだ。ナイフとフォークに仙女が驚く。

「使い方はこうですわ」

スザンヌとマリーが手本を示す。

「わかった」

ぎこちないながらも、使って食事をとる仙女の顔が輝いた。

「美味しい、なんだ、これは」

何を食べても、そう彼女は言った。元の世界ではこんな食事はなかったのか、そう思われた。







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