第6話

真夏の午後の太陽が、家々の屋根に燦々と降り注いでいた。

 青く輝く空の下、ぽつりぽつりと点在する木造二階建ての日本家屋は皆、クーラーを使うことなく、家中の窓や扉を開けて涼を取っていた。半世紀も前の型の家なのでこうする方が涼しいのだ。

 鉄雄はTシャツにジーンズ姿で縁側に腰掛けていた。右手に団扇を持っていたが、近くの竹林から涼しい風が吹いていたので扇ぐ必要はなかった。風が軒に吊した風鈴に穏やかな夏の午後を奏でさせていた。

 空を見上げると真っ青な空に大きな白い雲がゆっくりと流れていた。あちらこちらでミンミンゼミやクマゼミの鳴き声が溢れ返り、風は息をするかのようにゆっくり大きく木々を揺らしていた。

「鉄雄、西瓜食べない?」

 台所の奥から母の声が聞こえてきた。

「いいねえ。食べる、食べる」鉄雄は台所に向かって叫んだ。

「奈美は食べるの?」

 再び部屋の奥から静子の声がした。

 隣の居間で黙ってテレビを見ていた奈美は「はーい」、と機械的に返事をした。

「おばさーん、採ってきたよ。キュウリもついでに採ってきちゃった」

 玄関で美香の声がした。夕飯に自分の家の家庭菜園で作ったトマトを採ってきてあげる、と一時帰宅していた美香が戻ってきたようだ。

 八年前に鉄雄の父が肺癌で他界して、静子が働きに出るようになってから、奈美の親友の美香はよくこの家に出入りして家事や洗濯を手伝うようになった。毎日のように一家と一緒に食事をしたり、奈美と遊び、また、しばしば藤井家に泊まることもあった。そんな生活が何年も続き、何時しか鉄雄も彼女と親しくなり、恋に落ちた。鉄雄が女と付き合うと、どんな女であれ、奈美は必ず嫉妬したが、美香だけは例外だった。今や、美香は家族も同然だった。

 そんな光景を鉄雄は懐かしく感じた。まるで何世紀も我が家を離れていたような気分だ。

「よく冷えてるわよ」

 静子が漆塗りの大きな丸盆に、切り分けた西瓜を載せて居間に入ってきた。

 鉄雄は敷居越しに三人が揃ったのを確認すると、ゆっくりと腰を持ち上げて近くに置いてあったバッグを拾い上げ、居間に入った。

「みんなにお土産があるんだ」鉄雄はバッグに片手を突っ込みながら言った。

「お土産?」美香が不思議そうに尋ねた。

「スペースコロニーにだって特産品ぐらいはあるさ」

 そう言うと、鉄雄はバッグから包装された長方形の箱を三つ取り出した。

「なあに、これ?」静子が手渡された箱を見つめて嬉しそうに言った。

「開けてみな」

 鉄雄がそう言うと、三人はそれぞれ包装紙を開いた。

「うわあ、綺麗」静子が恍惚の溜息を漏らした。

「すごーい。何処で手に入れたの?」美香も歓声を上げた。

 三人の手の中には七色の輝きを放つ銀色のネックレスがあった。

「サテライト・ステーションさ。それは硬化プラチニウム合金といって、軌道上のプラント・コロニーで作られたプラチナ合金だ。無重力の真空の炉でいろんな原子を混ぜ合わせて作るんだ。従来のプラチナより硬くてアルカリ性の物質にも腐食しにくいんだ」

「へーぇ」

 三人はネックレスを見つめたまま溜息のように言った。

「それから、これは奈美に」

 鉄雄はバッグの中からごつごつした石を取り出した。

「なあに、これ?」

 奈美は不思議そうに石を見つめた。

「何言ってんだよ。火星の石だよ。欲しがって多じゃないか」

「火星の石?本物の?」

「そうだよ。忘れちゃったのか?」

 しかし、奈美は何か考えるようにその石を見つめたままだった。暫くすると急に何かを思い出したようにパッと顔を輝かせた。

「ううん。嬉しい。お兄ちゃん、ありがとう」奈美は漸く満面の笑みで答えた。

 しかし、鉄雄にはどうも腑に落ちなかった。以前なら、子供のように燥いで喜んだのに、この態度は行儀が良すぎる。どうも火星の石をもらって喜んでいないような気がした。火星の石を持ってきてね、とあれ程切望していたのに石を見ても何の石か気が付かないとは、一体どういう訳だろう。

 鉄雄が奈美の顔をじっと見つめていると、静子が口を開いた。

「二年も経てば、そんな事忘れちゃうわよね」

「あたし達だって少しは大人になったのよ。火星の石を欲しがるほど子供じゃないの」

 美香が奈美を庇うように言った。

「そうだな」

 残念そうに鉄雄は言った。

 鉄雄は複雑な気分だった。妹はいつまでも子供ではないと分かっていたが、嬉しいときは鉄雄の首根っこに抱きつき、一緒に外出する時は鉄雄の腕にしがみついてくる妹が鉄雄は好きだった。たった二年地球を離れていただけで、これ程妹が大人になってしまうなんて、正直言ってショックだった。しかし、それが世間一般の兄妹の関係だ。二十歳を過ぎていつまでも兄に甘える方がおかしいのだ。

 鉄雄は悲しげな面持ちを隠し切れぬまま西瓜を一齧りした。

 四人で西瓜を食べていると、猫の鳴き声が聞こえてきた。鉄雄が声のする方を見ると、居間と台所の境に水色のリボンをした白い子猫がこちらを見ていた。

「ただいま、ルル」

 鉄雄は子猫に手招きした。

「あれはルルじゃなくてメロンよ」静子が訂正した。

 メロンが恐る恐る居間に入ってくると、その後ろから黒い子猫と白い大きな猫がついてきた。恐らく、大きな方がペットのルルだろう。小さい二匹はルルの子供だろうか。いや、ルルは去勢していたから子供は産めないはずだ。

「あの黒いのがバナナ。ルルはその隣のおっきな方よ」静子が説明した。

「また買ったの?この猫」

「そうよ」静子は駆け寄るメロンに手を差し延べながら言った。

「母さん、猫嫌いだって言ってたじゃないか」

「だって、ルル一人じゃ可哀想だ物ね」

 静子は愛しそうにメロンの背中を撫でた。

 バナナも静子に駆け寄り、メロンと競い合うように静子にじゃれついた。ルルは鉄雄が分かったのか、ゆっくりと鉄雄に歩み寄った。

「ルル、大きくなったね」鉄雄はルルの喉を撫で上げた。

 たった二年間のうちに家の中は大きく変わってしまった。家具や壁紙や近所の様子は殆ど変わっていなかったが、家の空気は以前とはまるで違っていた。鉄雄は自分が浦島太郎になったような気がした。光の速さには足下にも及ばない速度で旅行したにも拘わらず、浦島太郎になったような気分になるのも不思議な事だと鉄雄は思った。

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