第5話
青竜号がパーリアにドッキングすると乗客達は三々五々自分達の故郷に降りるシャトルや故郷のスペース・コロニー行きのスペースバスの発着場へと散らばっていった。鉄雄もエディー達と別れ、『東京宇宙港』行きのシャトルに乗り込んだ。出発前にシャトルの窓から地球を眺めると、地球は信じられないくらい美しく輝いて見えた。
そして、その軌道上には白く光る、三枚の羽が生えた茶筒のようなものが幾つも浮いていた。
スペース・コロニー群だ。
鉄雄のいる所からは小さく見えるが、実際は直径二キロメートル、全長十二キロメートルの永遠に落下し続ける宇宙の島だ。遠心力で疑似重力が作られ、一つのコロニーに一万人を超える人々が暮らしている。
企業や人々が宇宙に進出し、地球が過疎化することによって、皮肉にも地球は本来の姿に戻っていった。そしてそれこそが、父親が夢見た『青き空、緑の大地』だった。
三十年程前までは宇宙から地球を見ると、森林伐採で大地は赤く削れ、空気汚染と濁流河川の流出で海は濁って見えたそうだ。更に都市部はコンクリートとアスファルトに覆われ灰色の瘡蓋のように大地に張り付いているのが軌道上からでもはっきり見えたそうだ。そんな汚れた地球の過去が信じられないくらい目の前の地球は青く美しかった。
我々人間を地球から追い出すことでしか地球の緑を救えなかった父のやるせない気持ちが今はなんだか解るような気がした。
大気圏用シャトルは巨大なサテライト・ステーション・パーリアから軌道の反対側にカタパルトで投げ出される。その反作用の力が、年々少しずつ高度が落ちるステーションの推進力となり、同時にシャトルを減速させ、大気圏へ再突入る時の摩擦熱を少なくする。
鉄雄達の乗ったシャトルはエレベータからステーションの外にあるカタパルトに降ろされた。機内は照明が非常灯だけになり、安全ベルト着用のランプが不気味に灯っていた。
やがて、オレンジ色の宇宙服を着たスチュワーデスが乗客の安全ベルトを確認し終わると、英語でカウントダウンがアナウンスされた。
「3・2・1・0」
ものすごいマイナスGがかかり、鉄雄の身体は前に引っ張られた。窓から見えるパーリアの船体の一部がどんどん前に流れていく。カタパルトから投げ出されてからもシャトルは逆噴射を駆けて徹底的に減速をして徐々に大気圏に潜っていった。
暫くして、激しい震動がやわらいで漸く歯を食いしばらずにいられるようになると、眼下には大きな青い海が広がっていた。鉄雄の父親が造った世界だ。青い海、青い空、白い雲、全てが宝石のように美しい。そして、疑似重力の1Gとは、はっきり違う地球の本物の1G。懐かしさと不思議な安堵感が胸に押し寄せ、鉄雄の目に涙が滲んだ。
シャトルはなめらかに太平洋の上空を滑空した。時折、音も無く白い雲が機体に襲いかかったが、雲の切れ目から青い海を見ることが出来た。
安定滑空に入り、スチュワーデスも着ぐるみの様な宇宙服から濃紺のツーピースのタイトスカートに着替えて乗客に飲み物をサービスし始めた。
前方の大型スクリーンには機首から前方を写した映像が流れていた。今はまだ水平線しか写っていないが、暫くすると水平線の彼方に「東京宇宙港」が見えてくる筈だ。
鉄雄が各席に備え付けの小型テレビで日本のバラエティー番組を見ていると、機内放送が流れた。
「皆様、JAL昇降線1036便をご利用頂き誠に有り難うございます。当機は順調に高度を下げ、予定通り、十四時三十分に『東京宇宙港に』着陸する予定です。ごゆっくりと空の旅をお楽しみください」
スチュワーデスの綺麗な日本語だ。鉄雄にとって二年振りに聞く女性の日本語は耳に心地よかった。
スチュワーデスの配る熱い日本茶を啜り、軽い食事を終えた頃には、すっかりリラックスし、くつろぐことが出来た。やがて、ジェットエンジンが点火され、スロットルを調節する甲高い音が響きわたるとパーサーのアナウンスが流れた。
「当機はこれより着陸体勢に入りますのでシートベルトの着用をお願いいたします。尚、おタバコは禁煙ランプが消えるまでご遠慮ください」
シャトルは減速してどんどん高度を落としていった。大型モニターには既に「東京宇宙港」が写っていた。相模湾に浮かぶ巨大な宇宙港だ。その上に数機のシャトルが見えるほど近付くと、椅子の下でギアが降りる感触がした。大型モニターに写る滑走路がどんどん近付いてきた。機体を微妙に左右に揺すって姿勢を整えながらシャトルは滑走路に引き付けられていった。
やがて、いきなり画面が消えたかと思うと、小さな衝撃があった。車輪のゴムが摩擦で軽い悲鳴をあげ、乗客からは小さな歓声が上がった。他の乗客も永いこと地球を離れていたにちがいない。
シャトルが滑走路からエプロンに向かってゆっくりと牽引車に曳かれ、シートベルトの脱着許可が出ると、スチュワーデスが鉄雄の席に着て、ヨーロッパ宇宙開発事業団がチャーターした送迎用のヘリが宇宙港の隅で待機しているからみんなとは別のタラップから降りてヘリポートに向かうように伝えた。
タラップから降りると、鉄雄は思いきり深呼吸した。液体燃料やオイルの匂いが少々混ざっていたが、それでも鉄雄には充分すぎる程新鮮な空気が鉄雄の肺に満たされた。八月の眩しい太陽、青く晴れた空、水平線には遠く積乱雲が背伸びしていた。
「あの、EU宇宙開発事業団の藤井鉄雄様ですか?」
宇宙港内移動用の作業車に乗った男が鉄雄に話しかけてきた。
「そうですが」鉄雄はその男に答えた。
「わたくし、東邦航空の者です」男は作業車に乗ったまま立ち上がり、頭を下げた。「貴社より貴方をご実家まで送迎するよう承りました」
「ありがとう。その車でヘリポートまで送ってもらえるんですか?」
「勿論です」
男は右手を差し出し、鉄雄に握手すると、そのまま鉄雄を作業車に引っ張りあげた。
宇宙港のはずれにあるヘリポートには見慣れた三人の女が鉄雄の帰りを待っていた。母親の静子と恋人の美香、そして妹の奈美だった。
最初に鉄雄に向かって駆け寄ってきたのは美香だった。
「てっちゃん!」
美香は鉄雄の胸に飛び込み、鉄雄も彼女の身体をきつく抱きしめた。
「寂しかったよぉ」
「ご免な。俺もずっと会いたかったよ」
鉄雄は人差し指の背で彼女の瞳から沸き上がる涙を拭った。
「随分、髪の毛が伸びたな。顔も前より綺麗になってる」
そう言って鉄雄が美香の顔を覗き込むと美香は照れ笑いをして俯いた。
「鉄雄、良く無事に帰ってきたわね」母の静子が近付いてきた。「向こうではちゃんと食べてた?宇宙食ばかりじゃ味気なかったでしょう」
「母さん、アポロ時代の宇宙旅行じゃないんだから。今ではちゃんとした料理が出るよ」
「でも、日本料理なんて滅多に出ないんでしょ?今日は美味しい和食のご飯を作ってあげるから」
静子は嬉しそうに言った。
「ほら、お兄ちゃんが帰ってきたわよ」
静子の声に促されて、奈美がそろそろと鉄雄の前に歩み寄った。
「お帰りなさい、お兄ちゃん」
奈美は力無く微笑んだ。いつもなら、真っ先に駆け寄ってくる奈美なのに今日に限って妙に大人しく、口数も少ない。よく見ると少し青褪めているような気がする。また、具合でも悪いのだろうか。
「ただいま、奈美。元気ないな。気分でも悪いのか?」
「この子、また体調崩してるのよ。でも、お兄ちゃんに会えたからもう大丈夫よね?」静子は奈美の身体を抱き寄せた。
「本当に大丈夫か?」鉄雄は屈んで奈美の目を覗き込んだ。
奈美は黙ったままにっこりと頷いた。
「さあ、早くお家に帰りましょ。こんな所にいたんじゃ、健康な人でも日射病に罹っちゃうわ」
美香が左手で眉毛の上に庇を作って眩しそうに言った。
静子もそれに小さく頷いた。
格納庫の前では一機のヘリがローターを回し始めていた。鉄雄は両手に荷物を持ち、三人の女達を促してエンジン音の高鳴るヘリに向かって歩き出した。
ヘリは海岸沿いの住宅街を抜け、緑の生い茂った関東平野の奥地まで飛ぶと、高度を下げてNOEもどきの低空飛行を始めた。この辺りは民家や建物が殆ど無かったので曲芸まがいの飛行が可能だったのだ。
「どうです。緑がいっぱいでしょう?」
パイロットは自分の腕と地球の美しさを誇るように言った。
確かに美しい眺めだった。足の下を緑の大地が物凄い早さで前から後ろへ流れていく。風になったような気分だ。
キラキラ輝く川を越え、山の尾根を嘗めるように飛び、ヘリは鉄雄達の故郷に向かって飛んでいった。
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