第4話

展望室の大型モニターには青い地球が大きく写っていた。

 その地球を眺めながら、鉄雄とエディーはラウンジのロングシートに寝そべって酒を交わしていた。

 隣のテーブルでは三十代ぐらいのサラリーマンらしきスーツの男が一人、最新のネクサスGエンジンを積んだマックブックに向かってカタカタとキーボードを鳴らせていた。

 この帰郷の旅はもうすぐ終わろうとしていた。短いようで長い旅だった。仲の良いエディーと一緒の船だったので、そう退屈はしなかったが、故郷を想う気持ちが先に立ち、一分一秒が長く感じられた。

 鉄雄は展望室のソファーに深々と座り、ウォッカを片手にソニー製の大型モニターに写る地球を眺めていた。この壮観な景色もウォッカも明日で見納めだった。明後日の朝には『青竜』は最終減速を終え、サテライト・ステーション『パーリア』にドッキングし、この船に乗った仲間は大気圏用のシャトルに乗ってそれぞれの故郷に帰ることとなる。

「いよいよ明後日だな」

 鉄雄の隣でグラスを傾けていたエディーが口を開いた。

「ああ。故郷の兄弟が懐かしいだろ」

「そういうお前も妹に会いたくで仕方ないんだろ?お前の妹かわいいもんな」

 エディーにからかわれると鉄雄はぶすっとして黙り込んでしまったが、内心、妹を誉められてうれしかった。鉄雄は四つ年下の妹が可愛くてしょうがないのだ。

 幼い頃から病弱だった妹は折れそうなほど細い身体と透けるような白い肌を持っていた。長い睫に隠れる黒く大きな瞳は彼女の聡明さと純真さを象徴しているようだった。

 彼女はいつも「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と、鉄雄の後を付いて回り、鉄雄も嫌な顔一つせず彼女につき合った。それは恐らく彼女の身体が弱かった所為もあるだろうし、彼女が中学に上がった途端父親が病気で他界してしまったため、鉄雄が父親代わりを務めようとした所為でもあるだろう。とにかく、鉄雄はいつも妹の側にいた。いつも妹と遊んであげた為に同級生の友人より、妹の同級の友達の方が多い位だった。鉄雄の今の恋人も妹の親友の美香だ。

 また、彼は妹が望むことなら何でもした。病弱な為、旅行にも行けない妹の代わりに自転車で色々なところを巡り、あちこちで沢山の写真を撮り、それを一枚一枚妹に見せて旅の話を聞かせてあげた。また、学校を休みがちな彼女に勉強の遅れを取り戻してやろうと熱心に家庭教師をしてあげた。鉄雄が一流大学をでて、ヨーロッパ宇宙開発事業団に入れたのも妹の勉強を見てあげたからであり、妹に尊敬されたいと思って毎日夜遅くまで勉強していたからだった。

 妹が月を眺めるのが好きだと知ると、アルバイトで天体望遠鏡を購入し、彼女に月やプレアデス星団や木星、土星、そして火星を見せてあげた。彼女はとても喜び、月夜の晩には月を眺め、月のない夜は惑星や星団を眺めた。飽きもせず何時間も望遠鏡にかぶりつき、クレーターが見えると言っては喜び、土星の輪が見えると言っては手を叩いて感激した。

 特に彼女が興味を抱いたのは火星だった。あんなちっぽけな星、何処がそんなにいいんだろう、と鉄雄はいつも不思議でならなかったが、火星の出る晩は妹のために天文年鑑を片手に赤道儀を操作して火星を探してあげた。

 ある日、一九九七年にマーズ・パスファインダー号が撮影した火星の写真を彼女に見せると、彼女はたいそう喜び、写真に写っている火星の石が欲しいと言い出した。勿論、彼女も戯れに言っただけだったが、鉄雄はその時から火星に行こうと考え始めていた。

 妹の奈美は夢見がちな少女だった。望遠鏡を覗いては遠い天体に思いを馳せ、お伽噺のような物語を作ってはひとりで喜んでいた。その話によると、ガニメデには原始的な水棲生物が住み、火星には目の赤い人間型の火星人が居るそうだ。火星も何億年も昔は地球のような青い星で、手足が長く、赤い目と額の真ん中に赤外線用の小さな目を持つ火星人が高度な文明を築いていたそうだ。ところが、科学の進歩が生態系のバランスを崩し、進化の暴走を始めた数々の生命体が凶暴な異種へと進化して火星の環境を破壊していった。また、その暴走進化にパニックを起こした火星人達も自らの生活環境を壊し、今のような火星の姿になったのだと言う。

 しかし、妹の話によると、火星人はまだ滅びてはおらず、火星の地中深くに逃げた僅かな動物や植物と供にひっそりと地下で暮らしているのだと言う。

 その僅かに生き残った地下火星人の中にシュシュという火星人の青年とラムダという少女がいて、二人は恋仲だったが、ある日地表近くのトンネルを歩いていたラムダは、地球からきた無人探査船に付着していたインフルエンザウイルスに感染してしまう。インフルエンザウイルスの存在しなかった火星には治療方法もワクチンもなかった。高度な火星の医療技術でも異星の伝染病には対処できず、ラムダは冷凍冬眠によって眠らされ、医療が進歩した未来のいつかに目覚めさせるということになった。シュシュは大いに悲しみ、悲しみで眠れない夜はその悲しみを歌に唱うそうだ。その歌はあまりにも悲しいのでそれを聞いたものは火星人も火星の動物も火星自身も涙するのだそうだ。望遠鏡で火星を覗いたとき、火星がチラチラと瞬いているときは火星がシュシュの歌を聴いて泣いているのだという。

 おもしろい話だったので、本にして何かのコンクール応募するよう薦めると、奈美は顔を真っ赤にさせて恥ずかしがった。

「こんなの人に見られたら恥ずかしいよ。お兄ちゃんも絶対他の人に話しちゃダメだよ」

「どうして恥ずかしいの?」

「だって、高校生にもなって、こんな、ちっちゃい子が考えるような事考えてるなんて、笑われちゃうよ」

「そうかなあ、面白いと思うけどなあ」

 結局その物語は二人だけの秘密になった。

 数年が経ち、鉄雄が火星に行くと言い出したとき、奈美は猛反対した。火星の石を採って来るんだと言うと更に猛反対した。自分のために生きるのはやめて欲しいと泣き出した。だが既に、妹のために生き、妹の笑顔を見ることが鉄雄の生き甲斐になっていた。

 泣いたり拗ねたりする奈美を一週間かけて鉄雄は説得した。結局、必ず無事に帰ってくることと火星の石を持って帰ることで、奈美は鉄雄の火星行きに納得してくれた。奈美は余程火星の石が欲しいらしく、鉄雄の火星行きを許してからは何度も石を持って帰るように念を押した。

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