第3話

惑星間の旅は以前に比べ格段と快適になった。地球〜火星間の旅も以前は三年近くかかっていたものを今では近日点で一月半で行けた。また船のエンジンは常に噴射し続け加速状態にあるので運航中の殆どの時間、地球と同じように過ごせた。つまり、船は目的地に向かって丁度1Gの加速度で噴射を続け、中間点で船を反対方向に向けて今度は目的地に向かって噴射し、マイナス1Gの加速を続ける。これで船は常に1Gの環境下にあるのだ。

 二十一世紀前半、人類が月面に基地を建設し、月の資源採掘が始まり、月面の低重力を利用して大気圏外用の宇宙船ドックが造られた。月面のルナポートからは火星や金星、木星に向けて有人宇宙船が打ち上げられた。何しろ地球の重力を気にしないで建造できたので、宇宙船はどんどん大型のものになった。また、木星や土星、その衛星から無尽蔵に資源を採掘できたので燃料や原料も安価になり、民間企業がこぞってエンジンを開発し始めた事を加え、宇宙船は飛躍的に進歩した。

 重力の呪縛に捕らわれていた前時代の宇宙船ではギリギリの燃料と装備で月まで来るのがやっとだった。他の惑星に無人船を送るにしても地球や他の惑星の重力場を借りて加速しなければならず、到着点で逆噴射をかける事なんて到底出来なかった。呪縛を振り払うだけで宇宙船本体の何十倍もの重さの燃料を必要としたからだ。今では、それは初めのワンステップであり、一度重力の呪縛のない自由落下軌道に乗ってしまうと、次は巨大な燃料タンクと大馬力エンジンにものを言わせた巨大な船に乗り換えるだけで広大な空間を自由に進めた。

 重力場を使うスウィングバイ航法は今や省エネの一つでしかなかった。

 鉄雄に用意された船は台湾船籍の『青竜号』だった。余り大きな船ではないが、一応客船だったので鉄雄は安心した。古いながらも設備は整っているし、船内料理も中華だったからだ。行きの船はギリシャ船籍の『ウラヌス号』という馬鹿でかい貨物船だったが、馬鹿でかいのは物資を運ぶタンクだけで乗組員用のスペースは非常に狭かった。おまけに食事も毎日地中海料理を出され、腹を壊すし、貨物船のクルーだと言う理由でワッチにまで立たされた。

 エディー達には悪いが、やはり同じアジアの船は居心地が良い。ほとんどのクルーは片言の日本語が話せるし、風習も似通っている。

 鉄雄がシャトルで青竜号に乗り込んだのは出発直前だった。ナタリーをなだめるのに少々時間がかかったのだ。自分は何も気にしていないからと言って彼女を慰め、地球に帰ったらまた何処かで会おうと約束し、やっと彼女は解放してくれた。

 青竜号の内部は外観よりも遥かに大きく見えた。船室も多く、自分のキャビンを見つけるまでかなり迷ってしまった。漸く自分の部屋に入り、ゆったりとトランクに詰めた荷物を備え付けの衝撃吸収パックの中に固定していると、軽い衝撃が船体に走った。窓の外を見てみると、多孔式ノズルからプラズマ推進エンジンの青い火を吹きながら二隻のタグが青竜号を曳航しているのが見えた。もうタグが青竜を曳航していたのだ。

 鉄雄は無重力の中を泳ぐようにして急いで乗客用の衝撃吸収シートがある第二ブリッジに行くと、既に全員吸収シートに固定されていた。

「おい、何してんだ。早くしろよ」

 左端の席から後ろを振り返ってエディーが手招きしていた。

 丁度、エディーの隣の席が空いていたので鉄雄は彼の席の方へフワフワ漂った。

「チコク、タメネ」

 台湾人らしいクルーが慌てて鉄雄の方に飛んできた。

「コァン キン!コァン キン!」

 台湾人のクルーは不機嫌そうに鉄雄をシートに固定すると、急いで後ろの方に飛んでいった。

 既にカウントダウンは始まっている。台湾式のカウントダウンだった。

「閣十秒着火点」

 スピーカーから台湾語が流れた。その意味がよく判らないだけ緊張が増す。

「五・四・三・二・一・着火!」

 轟音が鳴り響き、鉄雄達は吸収シートに身体を叩き突けられた。船体がガタガタと揺れ、今にも分解しそうな勢いだ。じっと歯を食いしばっていても心の透き間に恐怖が忍び込んでくる。手足を動かそうとしたが、振動と加速で思うようにいかない。正面の特殊加工された大きな硬化ガラスには、オレンジ色の小さな太陽が身じろぎもせずに佇んでいた。天井の大きなソニー製のモニターには少しだけ青みがかった火星が大きく写り、小刻みに震えながら少しずつ小さくなっていった。

 やがてエンジンの咆哮が静まり、加速の呪縛から解放されると鉄雄達にとって馴染みの深い重力に包まれた。吸収シートが回転し、今まで正面にあった硬化ガラスの窓が天井にきた。

 暫くすると、さっきのクルーがフラフラと危なげな足取りで第二デッキに現われ、入り口のどこか段差になった所で躓いた。

「幹!(くそっ)」

 そのクルーは小さな声で口汚く罵ったが、すぐに平静を取り戻し、鉄雄達をシートから解放してくれた。

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