第2話

 疑似重力の無い展望室で浮かびながら、藤井鉄雄は眼下に広がる赤茶けた大地とそこに点在する青い海を愛しそうに眺めていた。「花火」と呼ばれている惑星間ミサイルがあちこちで炸裂し、火山の噴火や嵐を引き起こしてはいるが、青い海の存在は何とか見ることが出来た。

 「花火」とは、木星の軌道上で製造した大型核融合ミサイルで、液化した酸素や水素などを搭載したテラ・フォーミング機器の一つだ。火星の地球化に必要な物質を木星で採取、精製し、地殻活性用の核弾頭と供に木星の軌道上から重力場を利用して火星に打ち込まれる。時速52万キロで火星に打ち込まれた「花火」は地中深くに食い込み、核爆発を起こして、火星の火山活動を誘発すると共に火星の大気中に地球組成物質を散布するのだ。

 鉄雄達がサテライト・ラブへ命辛々帰還してから四日たっても花火の雨は止んでいなかった。 花火の打ち上げは今回で2度目だが、前回の7発に対して、今回は532発の花火が発射される。一回目の発射は両極の氷を溶かすための物で、その時点で既に僅かながら酸素を含む大気を精製するのに成功していた。但し、気圧も低く、酸素濃度も人間が辛うじて呼吸可能な濃度にするのが精一杯だった。訓練を受け、何週間も減圧室で暮らした者なら防護服なしに外に出られたが、普通の人間では到底耐えられないものであった。

 鉄雄はフワフワ浮きながら展望窓にしがみついて火星を眺めていた。厚い雲の下で時々閃光が走る。まるで核戦争が勃発したかのようだ。

「こんなところにいたのか。テツオ」

 背後からエディー・ギブソンの声がした。

「火星にお別れを言ってたのかい?」

「最後の見納めって奴だよ」

 テツオはエディーを振り返った。エディーの黒くて引き締まった身体が健康的で眩しい。黒人特有の親しげな微笑みが真っ白な歯の間からこぼれていた。

「全く腹が立つよな。このプロジェクトはとっくに完了している筈なのに、木星基地の奴等がドジったお陰でこっちは計画が延び延びだ。仕舞にゃ、任期満了で地球へ強制送還とくらぁ。美味しいところは全部第2班に持ってかれちまう」

 エディーは大袈裟なジェスチャーでぼやいた。

 エディーが愚痴るのも無理はない。彼等『プロジェクト・グリーン・マーズ』の第1班はこの火星の質量を増やし、海と大気を造る作業を二年でやり遂げる筈だった。ところが、木星軌道上の採取船の故障でそのメインとなる『花火』に積み込む物資が採取できずに『花火』発射までにかなりの時間が掛かってしまった。そのお陰で、鉄雄は何度も火星に降り、地質調査をしたり標石採取が出来たのだが…。

 しかし、花火の到着はあまりにも遅すぎた。第1班の多くは二年しか地球を離れることが出来なかった。長期にわたる無重力環境での生活は健康を害するからだ。

 二週間前、鉄雄とエディー達三十六人のスタッフは地球本部から帰還命令がでていた。そこで鉄雄は最後の火星探査を試みたのだ。現地統括本部長は、鉄雄のわがままを渋々飲み、最後の引き揚げ班に合流するよう手配してくれた。

「地球からはこの星は何色に見えるかなあ」

 エディーがぼそりと言った。

 このサテライト・ラブの誰もが心配していることだ。この惑星が少しでもいいから青く見えて欲しい。だが、鉄雄達が実験で造った海は余りにも小さいし、数も少ない。火星の軌道上からは見えるが、地球の望遠鏡では到底見えないだろう。ましてや、『花火』のお陰で火星の至る所で巨大な嵐が巻き起こり、火山の噴煙が立ち昇っている。見える筈の海も雲の下に隠れてしまう。誰もがそれを承知していたが、誰もそれを口に出来なかった。

「残念だなあ。青い火星をこの目で見たかったのに」エディーが肩を落とした。

「俺達はやるべき事は全部やったんだ。胸を張って地球に帰ってもいいんだよ」

 鉄雄はエディーの肩を叩いた。「やっと故郷に帰れるんだぜ。もっと喜べよ」鉄雄はエディーの肩を揺すって励ました。

「そうよ、帰りたくても帰れない輩も居るんだから」

 ナタリーが分厚いバインダーを抱えて展望室に入ってきた。

 珍しく、スタッフ用のつなぎを着ている。いつもは膝までのスカートにハイヒールで、決して無重力ユニットには近づかないのに…。

 鉄雄はこのフランス女が苦手だった。彼女は日本という国を誤解していて、日本人をえらく嫌っている。彼女は他のスタッフと話をするときは英語を使うのに鉄雄達日本人と話をするときは必ずフランス語を使った。しかも、Tu(あなた)を使わないでVous(あんた)を使う。

「研究熱心なあなた達はさっさと帰れて、ラブの給食が口に合わないあたし達は引継業務で居残りだなんて皮肉よね」

「俺達みたいに火星に降りたり、無重力ユニットでせっせと働いてたらお前もとっとと帰れただろうよ」エディーが親しみを込めて悪態をついた。「無重力ユニットでスカートがめくれるのが嫌だなんて我儘言ってるからだ」

「そうね、今度来るときはセンスのいいジーンズを忘れないわ」

 ナタリーはつなぎのズボンを汚らわしそうに摘んでウィンクした。

「それはそうと、後5時間で連絡船が出発するから、出発の2時間前までに艀で船に乗り込んでね。遅刻したら木星行きの連絡船に乗せるわよ」

「ラジャー。そんじゃ、荷造りしてくるよ」

 エディーは片手を挙げて挨拶すると、フワフワと浮きながら鉄雄とナタリーを残して出口に向かった。

「Est-ce que vous avez besoin de aller?(あんたは行かなくていいの?)」ナタリーは慇懃に言った。

「Tout est pret. Je n'ai pas beaucoup de bagage.(もう準備できてる。大した荷物もないし)」

 鉄雄もいつものようにフランス語で返した。思えばこの2年間、彼女のお陰でフランス語がかなり上達した。

「あんたが向こうに着く頃は八月ね」彼女は展望ガラスの向こうの黒い宇宙空間を見つめながら言った。「丁度いいじゃない。あんたの国ではその頃、ボン祭りとかいうのがあるんでしょ。みんなで故郷に帰って瓜や茄子で獣の模型を作って、僧侶に祖先の精霊を呼び戻してもらう…。太鼓叩いて、護摩を焚く。ゾッとするわね」

 彼女のお盆に対する知識は出鱈目だ。おまけにゾロアスター教かブードゥー教が混じっているようだ。鉄雄はこの2年間のうちで何度も彼女の偏見を治そうとしたが、彼女の頑固さにはかなわず、そんな努力はとっくの昔に放棄してしまっていた。

「Alors, vous oubliezle sacrifice. Nous sacrifions une baleine treé au sommet d' une montagne. ( それと、鯨の生け贄を忘れてるよ。日本人は鯨を殺して山の天辺の社に供えるんだ)」鉄雄は不敵な笑みを浮かべて展望室を後にした。これぐらいの嫌味を言っても罰は当たらないだろう。

「アン モマン!」ナタリーが叫んだが、鉄雄は黙って展望区画の外に出ていった。

 残されたナタリーは罰の悪そうな顔をして鉄雄の背中を見つめていた。

 鉄雄は彼女がなぜあんなに執拗に日本人を嫌うのかさっぱり解らなかったが、それが単なる人種差別ではないことは分かっていた。彼女は元々日本人を嫌っているというよりは、むしろ日本人を嫌いになるように努力している、と云った方が適切だと鉄雄は思っていた。だから、彼はナタリーの云うことにいちいち反論せず、その反対に彼女に嫌味を云うことに決めていた。その方が彼女のお気に召すと彼は信じていた。

 鉄雄は疑似重力のある自分の部屋に戻ると机の脇に置いてあった大きなトランクを机の上に挙げ、トランクを開いた。鉄雄の部屋は重力区画にあったのでトランクはずっしり重かった。

 トランクの中はきちんと畳まれた衣服や日用品がぎっしり詰め込まれていた。

 鉄雄は机の前に座ると机の角に置いていた写真立てと火星の石をそっとトランクの中に入れた。だが、トランクに押し込んだ後もしばらくその二つをじっと見つめ、愛しそうに石を撫で、なかなかトランクを閉めようとはしなかった。

 写真立てには二十歳位の女の子が二人カメラに向かって笑っている写真が入っていた。二人は抱き合うように寄り添い、公園か山で撮ったのかバックは緑の木々のようなものがぼんやり写っていた。

 鉄雄は写真を眺め、思い立ったように写真立てからそれを抜き取ると、胸ポケットに入っていた身分証明書入れに差し込んだ。

「貴方の彼女の写真?」

 何時の間にかナタリーがいつものロングのワンピースに着替え、ドアの所に立っていた。しかも英語を喋っていた。

「ああ、地球にいる彼女と俺の妹だ」そう言って鉄雄は身分証明書入れを彼女に投げた。彼女はコリオリ効果で歪な弧を描く身分証入れを器用に受け取り、写真を眺めた。

「どうしたんだ、一体?」鉄雄はトランクを閉めながら言った。「さっきの鯨祭の事なら冗談だよ。日本人は律儀にワシントン条約を守ってるよ」

「貴方に謝ろうと思って…。今日が最後だし…」

「何を?」鉄雄は机の引き出しを忘れ物がないかあちこち調べながらぞんざいに言った。

「私、本当はあなた達日本人に感謝しなくちゃいけないのに、あなた達を嫌いになろうとばかりしていた」

 やっぱりそうだったのか。彼女が殊更俺を嫌っていた訳じゃ無いんだ…。そう思って鉄雄は少し安心したが、彼はナタリーに背中を向けたまま机の引き出しを調べ続けた。彼女が続きの弁解を話してくれると思ったからだ。

 しかし、何時まで経っても彼女の声は聞こえてこなかった。不思議に思って振り返ると、彼女は目に涙を溜めたまま部屋の前に突っ立っていた。

「ナタリー?」

 彼女は泣き顔に無理矢理笑顔を作ってスカートの裾をゆっくりたくし上げた。

「見て」

 彼女の白く長い脚が露になった。

 良く見ると両足の膝上十㎝位の所にうっすらと継ぎ目が浮かんでいて、その上と下では微妙に色が違っていた。

「人工肢か?」

 鉄雄はその継ぎ目を凝視した。

「そう、東京で造ってもらったの。十九の時自動車事故で両足を切断したの」

「全然、気づかなかった」

「みんなそう言うわ。そして、私の機械の脚に気が付くと、気味悪がってみんな去っていくの。友達も恋人も。騙してたんだ、って…」

 彼女の瞳の涙がこぼれた。

「何度もこの脚を壊そうと思ったわ。でも恐くて出来ないの。歩けない生活なんて嫌なの」

 ナタリーは二、三歩鉄雄の前に歩み寄ると、膝からがくんとしゃがみ込んでしまった。

「辛かったんだな」

 鉄雄は右手で彼女の白い手を握り、もう一方の手で彼女の髪を撫で上げた。

「ごめんなさい。逆恨みでしかないのにね。バカね」

 彼女はそれだけ言うと完全に泣き崩れてしまった。鉄雄の胸に顔を埋めて涙をこぼして号泣した。

「もういいんだよ」鉄雄は優しく囁いた。

 サイバーリムとは数年前に日本で開発されたロボット義肢で、動き、色、柔らかな肉質感、さらには体温まで本物そっくりに再現されており、見た目やちょっと触った位では全く見分けが付かなかった。サイバーリムの中には小型コンピューターが内蔵されていて、肉体の接合部に埋め込まれた電極から神経に流れる微弱電流を感知してコンピューターがサイバーリムを制御する。従って、触覚や痛覚は無いものの、普通の手足のように動かすことが出来た。

 これは画期的な発明だった。日本での臨床実験に成功すると、この技術は瞬く間に世界中に広がっていった。しかし、医学的見解の違いや宗教的な理由からサイバーリムの移植手術を禁止する国や移植手術を蔑視する人々も現われた。土地柄や宗教観、道徳観の違いによりかなりの差別を生む地方もあるという。ナタリーの場合、たまたま彼女の回りにそういう人間が多かったのだろう。

 ナタリーは「許して、許して」と、譫言のように言いながら泣き続けた。

 鉄雄は彼女の髪を撫でながら船窓の外を見ると、遠く火星の軌道上を巨大なオゾン噴霧船が滑っていくのが見えた。

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