第4話 地獄の底へ

「シンフォニーワルツ」「仮面舞踏会」「月面うさぎ」「魔界城」・・・


受付に貼られた鍾乳洞の案内図には、洞内の簡略な地図と一貫性のないネーミングで名をつけられた三十箇所以上ものエリアが紹介されていた。


それを見た茜子が不安そうな声を出した。


「思ってたよりも随分、歩くんだ」


入場券は無事に買えたものの、受付に荷物を預かってほしいと頼むと、預かれるような場所はないと断られてしまった。


五人、それぞれが二泊の旅行用にボストンバッグや、トランク、リュックなどそれなりの荷物を手にしている。


「私が行かないで、ここで荷物番して待っていようか?」


里桜菜がそう提案すると、受付の中年女性が口を挟んだ。


「入り口はここだけど、出口は山頂付近だよ。

 出口のそばにロープウェイがあるから、それで山を降りて帰ってくるんだよ。

 お客さん達、さっき帰りのバスのことを聞いてきたけど、バス停の場所は

 ロープウェイの降り口の方だよ。

 鍾乳洞に入らないなら、ロープウェイの降り口まで、全員の荷物を持って

 歩かなきゃならなくなるよ」


それでこの受付の女性は荷物の預かりを断ったのだと、納得できたが、五人が旅行用荷物を持って山の中の曲がりくねった鍾乳洞を行かなければならないのには変わりがなかった。


大輔が期待していた「鍾乳洞ソフトクリーム」も出口近くの山頂の売店でないと買えないと言われ、なんとなく気勢をそがれたような雰囲気で、五人は鍾乳洞に足を踏み入れた。


しかし中に入ってしまうと、人の手では決して作れそうもない艶やかに濡れた突起物を無数に孕んだ神秘的な空間に、たちまち五人は魅了された。


特に、人感知センサーが作動して、歩くたびに赤や青のライトが灯ってゆく「ベガスの夜」というエリアは圧巻だった。

地下水の滴が石灰岩を溶かしだして結晶化し、地面に積もったために出来る石筍という形状の鍾乳石が様々な高さで無数に林立している。


なるほど、その様子は、ベガスでショーを踊るダンサーたちの美しい太ももや、たっぷりとしたボリュームのあるスカートのシルエットのようでもある。


「きれーい」


「すごい、やっぱり来てよかったかも」


そんなことを言いながら茜子と里桜菜がうっとりと見つめるそばで、磯は職業柄か、センサーライトの方にも興味を示して、無理に背伸びをしてライトに手を伸ばしていた。


鴻馬や大輔は「おお」とか「すごいな」と小さな声で感想を囁きあっていたが、それでもその目は、濡れて光る洞窟の壁にずっと釘づけだった。


五人が鍾乳洞に入る直前に降り出した雨のせいか、他の観光客は見当たらなかった。


ゆるい斜面の坂を長く歩いたり、急な階段を上がらなければ次のエリアに行けない造りになっているため、これは都合がよかった。

五人の好きなペースで前や後ろの人間を気にせずにゆっくり見学することができる。


「シンデレラの靴」というエリアでは、階段のような形状をしたリムストーンという種類の鍾乳石があり、そこを昇り降りできるように手すりがついていた。


「♪大人の階段、のぼーる、君はまだ、シンデレラさ~・・・」


他の四人は昇らなかったが、磯だけが一昔前のアニメソングをふざけて口ずさみながら、そこを昇り降りした。


全体の半分ほどを周り終わり、小さな滝のある「竜宮の都」というエリアに着いた時には、小柄で体力のない茜子は疲労に耐え切れず、ふにゃりとした顔をしてパンフレットを広げようとした。   

あとどれだけ歩けば出口に着くのかという、せっかちな目になっている。


見かねた大輔が同情して言った。


「茜子ちゃん、バッグを貸しなよ、私が出口まで持っていってあげるからさ」


「ごめん、ありがとう、大輔さん。

 でもいいの、自分で持つから。

 あーあ、滝のイオン効果でほんの一瞬で疲労回復できたらいいのにね」


そう言いながらも、茜子の足はもう次のエリアに向かう階段の方に向かっていた。


既に滝を見飽きて、階段のそばまで来ていた里桜菜は


「二つ、階段があるわ」


と、ほとんど叫ぶように言った。


滝はごく小さいものなのに、洞窟という造りのために反響するのか、この「竜宮の都」では水音がひどく大きく響くのだ。


「中で繋がってんじゃないの、どっちでも一緒だろ」


滝を見ていた磯が答え、その隣にいた鴻馬も磯とともに吸い寄せられるように階段の方に近づく。


「違ったわ、二つじゃない。もう一つ道があった」


里桜菜の足元、左側の階段の一メートルほど左に、バックリと口を開(ひら)けた空間があった。

階段はなく下り坂のように滑らかな曲線を描いている。

白い苔のはえた人の舌のようでもある。


「あ、何かある」


里桜菜が注意深く覗き込もうとしたその時、誰かがドンと里桜菜の背をついた。


「危ないっ」


穴に向かって大きくぐらりと傾いた里桜菜の腕をぐっと強い力が掴んだ。

それはいつの間にかすぐそばにいた茜子の手だった。

けれど里桜菜の体にかかった重力は、小柄な茜子ごと大きく口を開けた穴に落ちていった。


ちょうどこの時、バッグを持ってやろうと、茜子の腕から半ば強引にバッグのストラップを抜こうとしていた大輔もそのまま二人の体重に引っぱられてバランスを崩した。

大輔の両足はスリップして、すぐ目の前にいた鴻馬と磯をその巨漢でなぎ倒した。


「ズルルルルッ・・・・」


蛇が生餌を飲み込むような音を立てて、将棋倒しのようになった五人の体は、鍾乳洞の横穴に消えた。


つき落とされる瞬間、里桜菜が見たのは「危険! 立ち入り禁止」と書かれた工事現場で見かけるようなハードル形の看板だった。

落ちる間中、里桜菜が腕に抱いたトランクがガガガと耳障りな音を立てていたが、五人が感じていたのはウォータースライダーを滑るような感覚だった。


やがてダンゴになってもつれる彼らにそれぞれ、ふっとトンネルを突き抜けた浮遊感が来た。


次の瞬間、茜子は三メートルほど空を舞ってから、固い鍾乳石の地面に叩きつけられた。


茜子が一番飛んだ。


里桜菜は腕のトランクの重さに引っ張られるようにして、ドドンと落ちた。

トランクの上に載る形になって、怪我らしい怪我はしなかった。


大輔はその重たい尻から落ちた。

全身をくまなく包んだ脂肪がクッションになって、尾てい骨は無傷だった。


だが、その足の上に七十五キロの鴻馬の体が叩きつけられた。

大輔の両足の骨は単純骨折の憂き目にあった。

背が高い痩せ型の鴻馬は大輔の体を緩衝材にしたおかげで、打ち身だけで済み、アルマジロのように横向きに丸まった姿勢で、ゴロゴロと濡れた地面を転がって止まった。


磯だけは冷静だった。百五十メートル強あるトンネルを滑る間に、体勢を立て直し、大輔のリュックを抱きしめ、ブレーキをかけるように両足を大きく広げ、トンネルが尽きた先は地上三メートルほどもあったが、うまくリュックでバランスを取り、足から落ちた。

さすがに濡れた地表にズルリと足を滑らせたが、尻餅まではつかなかった。


「・・・イテテ」


「イタ・・・」


あちこちでそれぞれの痛みの程度に見合った声が漏れた。


うつぶせの姿勢で下半身から落ちた茜子は気絶していた。


大輔は、


「すまない、大丈夫か?」


と、慌てて駆け寄ってきた鴻馬が足に触れると、


「うぉおっ」


と、叫ぶように呻いた。


「・・・本当にごめんなさい、あたしが不注意にあんな所を覗き込んで、みんな

 まで巻き添えにして・・・」


里桜菜は誰かにつき落とされた感覚をどうしても信じることが出来ず、茜子の体を抱きかかえて、ただ涙をこぼして謝り続けた。


歯をくいしばって骨折の激痛に耐える大輔の方が、


「こんなの大丈夫だ、気にしないでいいんだよ」


と、苦痛の声を出さぬよう歯の隙間からそんなことを言う。


やがて意識を取り戻した茜子も、


「・・・あたしも大丈夫です。本当にどこも別に痛くないんです。

 あたしデブだからお腹のお肉がクッションになったみたい」


と、里桜菜の胸の中で呟いた。


無傷の磯がドロップでも取り出すように鎮痛剤をカーゴパンツのポケットから取り出して、大輔に差し出す。


「茜子、大輔さん、飲みなよ。偏頭痛持ちの俺の常備薬。

 少しは痛みもましになるだろ」


その間に鴻馬が器用な手つきで、「立ち入り禁止」の看板の足部分の棒を副え木がわりにして、自分のスポーツバッグのストラップで大輔の足に固定して応急処置をした。


けれど茜子は、磯が掌に押しつけた鎮痛剤を


「いらない。本当にどこも痛くないから、大輔さんにあげて」


と、頑なに首を振って押し返した。


大輔の手当てが済んだのと、茜子が


「どこも痛くないけど、少し眠い」


と、横になったのをきっかけに里桜菜は涙を止めて、きっぱりとした口調で言った。


「とにかく一刻でも早く救助を呼ばなきゃ」


全員の携帯電話が電波状況が悪くて通信手段としては役に立たないことを知った磯と鴻馬、里桜菜の三人は声を張り上げ、落ちていた鍾乳石の欠片で鍾乳洞の壁をガンガンと叩き始めた。


しかしそうやって過ごした二時間あまりは、虚しい時間だった。


五人の中でただ一人だけ腕時計をつけていた鴻馬が、二時間以上経ったのを潮に


「だめだ、俺たちがいた『竜宮の都』まで、この音は届いていないみたいだな」


と、肩を落とした。


すると茜子の近くで横になっていた大輔が不意に尋ねた。


「今、何時だ?」


「六時すぎだ」


「もうじき閉館時間になる。

 鍾乳洞から出てこない人間がいれば、職員が探しに来て、きっと俺たちを

 見つけてくれるさ」


大輔の声はやけに明るかった。


「だといいけどな」


磯はボソリと呟いたが、大輔は聞こえなかったふりをして続けた。


「何しろここには昔、縄文人が住んでいたんだぞ。

 それこそ出口で入った数と合うかどうかチェックしなきゃあ、浮浪者たちの

 タダ住み天国になっちまうだろう? 

 あー、それより喉が渇いたな。みんなもそろそろ腹がすかないか? 

 そこの私のリュックを取ってくれよ。

 夜中の宴会用につまみや菓子をたんと買い込んで持ってきたんだ。

 とりあえず、みんなで腹ごしらえでもしようじゃないか」


鴻馬と里桜菜は顔を見合わせて、しばらくしてから頷いた。

グオオッと大輔の腹が激しく鳴ったのが、二人には聞こえたからだ。

茜子も、「腹ごしらえ」という単語に、ピクリと体を動かして反応した。


鴻馬たちが必死の形相で助けを求めていたり、真剣な顔つきで今後の相談をしていては、いくら怪我をしている大輔や茜子でも、それを無視してゆうゆうと物を食べることが出来ないのだ。


いずれにしても、万が一、救助が来るまでの時間が長引いた時のことも含めて、五人のこれからのことを話し合うためにも、食事をするにはいいタイミングかもしれなかった。


ライトもなく昼も夜もない暗い未開洞。


先ほどまで五人は光源としてそれぞれの携帯電話を使っていたが、磯が


「携帯はなるべく温存させたいときたいよな」


と、そう言って、みなに電源を落とすように促した。


磯がジッポライターの蓋を開閉して手の中でカチカチと鳴らすと、里桜菜が


「こんな時だから仕方ないわ、会報を燃やしましょう」


と、バッグに手をかけた。


その途端、磯はハスキーボイスで吠えた。


「やめろっ、紙は色々な使い道がある。貴重な資源になる。とっておくんだ。

 バッグからも出すな、こんな湿気の多いところで出したら、すぐにふやけて

 ダメになる」


ビクッと身をすくめた里桜菜の様子に、鴻馬がとりなすように言った。


「しかし、このまま闇の中で過ごすのはキツイよなあ。

 たいした怪我もしていない俺たちはともかく、怪我している大輔と元気がない

 茜子の状態は気をつけて見ていた方がいい。

 俺が見る限り、茜子はどこか骨折していたり、痛んだりはしていないようだが、

 どうも顔色がよくない」


「わかってるよ。

 だからさっきから、灯りになるような燃やせるものを考えているんだろうっ。

 どっちにしろ、紙じゃすぐ燃え尽きちまう。意味がない」


磯がイライラとして大声を出した。


「・・・・・」


黙りこんだ他の四人に構わず、自分の携帯電話のライトを頼りに、磯はウロウロと洞内を歩き回った。


やがて、


「うん、やっぱりコイツでいくか」


と、言ってから、里桜菜と鴻馬を呼び寄せた。

暗くて色がわからないが、鍾乳洞の床に盛り上がった岩のような泥のようなものを指差していた。


「何、これ?」


里桜菜がおそるおそる尋ねる。


「バットグアノ、コウモリの糞が長年堆積して化石化したものだ。

 これに、・・・こうするんだ」


そう言って、磯は茜子のボストンバッグの皮製の持ち手を、ソーイングセットについているような小さなハサミを取り出して切り取ると、そこに突き刺して、ライターで持ち手の先に火をつけた。


「えっ、何を・・・」


と、鴻馬と里桜菜が声を上げた。


「茜子には後で謝っておくよ。

 とりあえず、今の俺たちには灯りと炎が必要だろ? 

 バットグアノにはリン酸化合物が豊富に含まれている。

 蝋燭代わりにするにはちょうどいい」


鴻馬が感心したように言った。


「そんなこと、よく知っていたな。やけに鍾乳洞のこと、詳しいんだな」


「偶然だよ。

 今まで通ってきたルートの途中の看板にそんな説明文が書いてあった」 


「・・・そうか、 俺はそんなもの見なかったがなあ」


磯はそれには答えず


「さあ、大輔さん、茜子ちゃん。お待ちかねの食事の時間といこうぜ」


と、二人に向かって歩いていった。

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イラナイ人々 真生麻稀哉(シンノウマキヤ) @shinnknow5

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