第3話 そんなの知らないし!
ツバサが男?なんで?
「何、ぼーっとしてるの? 授業に遅れるよ」と言って、ツバサは小走りで通り過ぎて行った。
そして階段を上る手前でもう一度振り返って、私に
「遅れるよ?」と言った。
驚いている私に対して、ツバサはいつもの口調で、その仕草もいつも通りだった。
そう、何も違和感はなかった。ツバサが男だというその一点を除いては。
でも、その一点だけで世界は全く違うように思えた。例えば太陽がない世界とある世界ではきっと何もかもが違うように、例えば体の一部といっても心臓の弁のように、とにかくこの一点はとても重要なところなのだ。
人づきあいが苦手な私にとって、ツバサはいるだけで心強い存在だった。学生生活でのよりどころだった。でも、男のツバサは私にいつものような安心感を与えてくれるとは限らない。普通に考えてこの多感な時期に、異性が同性の友達の代わりにはならないだろう。そもそも私は男子に慣れていない。これは大問題だ。
女のツバサが美少女だったこともあり、男のツバサも少したれ目で、かわいい美少年と呼べそうなイケメンだった。しかし、今それはどうでもいいことだった。
私は物静かにパニックになりながら、とりあえず何とか教室に向かった。
教室はいつも通りの風景だった。でも、そこにいつもいる女のツバサがいないだけで、本当に違った場所に見えた。右と左が違う違和感どころの騒ぎじゃない。全然違うのだ。
「今日一日誰と話をしたらいいんだろう」
つぶやきながら、私は真剣に悩んだ。悩む点はそこではないだろうと言われるかもしれないが、女子高生にとって教室でどのように振る舞うかは、人生の他の全てと同じくらい重要なことだ。
私は戸惑いながら授業が始まる前の予鈴が鳴り響く教室に入り、もう一度教室の前の方に席があるツバサの方をちらっと見た。
やはり男だった。
目まいがしそうだ。
目まいがしている人のようにふらふらしながら、私は教室の中央やや左の自分の席に向かった。昨日までは中央やや右だったけど、それは全く気にはならなかった。今や右と左が逆転していることは、私にとってどうでもいいことだった。
席の上にカバンを置こうとした時に、前の席に座っていたタナベさんという女の子が私に親しげに声をかけてきた。
「ユキちゃん、おはよ」
私はまたびっくりした。
タナベさんとは、数回話をしたことがあるけれど、さほど仲がいいというわけではなく、ましてや下の名前で呼ばれたことなんて一度もなかった。…少なくとも昨日まで私がいた世界では。
「声をかけられて何も返事をしないのでは感じが悪いと思われるかもしれない」という本能的な反応だけで私は返事をした。
「おはよ、タナベさん」
その瞬間、タナベさんは「ん?」という表情で少しびっくりしていた。
「えー、なにー? タナベさんって。そんな呼び方しないじゃない? どうしたの?」
とまばたきを何度かするタナベさんに対して、何か返答しないとと思い、
「へへー。なんちゃってー」と私はとりあえずその場をごまかした。
「なーにー、それ?」と彼女が言ったのと同じくらいのタイミングで、数学のヤマノベ先生が教室に入ってきた。
彼女は「また後でね」と声を出さずにパクパクと口で言いながら、振り返って前を向いた。私は笑顔でそれを見送った。なんとかこの場はごまかせたようだ。
どうやらこの世界で、私はタナベさんと仲がいいらしい。この世界で無難に過ごすにはタナベさんと仲良くしておく方がよさそうだ。
でも、一つ大きな問題が残ってる。昨日までの私はタナベさんとそんなに仲良くなかった。だから彼女をなんと呼べばいいか分からない。
タナベさんは大人しく、クラスメイトに無関心な雰囲気で、教室では本ばかり読んでいた。だから、下の名前も他の人からの愛称も知らなかった。
教室で人とあまり話をしないのは私も同じなので人のことは言えない。でも、よりによってタナベさんとは、と私はハズレクジを引いてしまったような気になった。失礼な発想かもしれないが、それが正直な気持ちだった。
次の休み時間になったらタナベさんをなんて呼べばいいのかばかり考えていて、数字の授業内容なんて全く耳に入ってこなかった。
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