笑う少女と赤ザクロ

緑茶

笑う少女と赤ザクロ

 私は頼子と親友だった。


 頼子は私の知らないことをなんでも知っていて、いつも図書館で難しい本を沢山借りていた。泉なんとかっていう、漢字だらけの小説を書く人の本とか、人形の本とか。

 その本に載っている人形は関節が球体になっていたり、奇妙にネジ曲がっていたりして私には不気味に思えたけど、それを言ったら頼子は口を尖らせて「それがいいんでしょ。世界をその通りに受け取ってやるものか、っていう気概に溢れてて」とか言っていた。


 私にはよくわからなかったけど、頼子とは言葉を多く交わさなくとも思いを通じあわせていた。私たちはあえて陰気な場所を多く訪れたし、華やかさよりはカビ臭さを求めて日々をすごしていた。

 というのも、私たちはやっぱり、一つの考えを共有していたからだ。

 それは、この世界に抗う、ということだった。


 私達にとってこの世界はあまりにも嘘偽りに満ちていて、何もかもが煩わしくて、憎かった。家族も。学校の先生も。それから、私たちにおためごかしで接してくる男たち。全てが腹立たしかった。だけど、私たちに力はないし、銃なんて持ってなかった。もし手元にあれば、いつだってぶっ放していたに違いない。


 そんなわけで私達が選んだのは、私達が憎む連中が眉をひそめるような場所に、中指を突き立てながら逃避することだった。そうして二人で、埃と紙魚にまみれた世界を行き来していた。


 それはそれで、楽しいものだった。小さい頃家出をして、その時に見た星空が異常に綺麗だったことを思い出したような……そんな素敵さがあった。だから、それ自体に不満があったわけではない。


 だけど、こうも思っていた。『いつまで』? この逃避行を、いつまで続ける? おとなになるまで、もっと多くの血が、足の間から流れるようになるまで? それは馬鹿げた想像だ。私達は、どんづまりに居たのだった。何か他のことをすべきだと思っていた。


 ある時、頼子は私に言った。


「ねえ……わたし。あなたと一緒に居るのは楽しいけど。気付いたの。わたし、一回も笑ったことがないの」


 そのことに、ようやく気づいた。思えばそれが転機だったような気がした。


 そこからの日々は楽しくなかった。とにかく全てが癪に障ったけど、それから身を守る手立てがなかった。全ての空気が針のように突き刺さって、私達を通り過ぎる。そんな繰り返し。そのままじゃ、疲弊していくばかりで……在り方を捨てることでもしなければ、完全に世界に屈するのは目に見えていた。


 でも。


 ある時。午前七時五十分。

 私は、頼子と一緒にホームに立っている。登校するためだ。

 結局何も得ることの出来ないまま、日常に埋没していく……そう考えると、絶望的な気持ちになった。隣の頼子を見た。


「何か。手立てはあるはずなんだ……世界につばを吐きかける……犬の糞……ネズミの死体…………」


 呪詛は続いた。

 私はそこに声をかけることはしなかった。頼子は今、考えているんだ。世界に立ち向かうための方法を。その邪魔をしてはいけないから。

 私はただ、有象無象の灰色の群れの中で、彼女の手を握りしめた。


 そのまま、体温を伝えた。


「大丈夫。私は逃げたりしないから。そばに、居るから」


 すると頼子は――私を見た。はっとしたような。天啓を得たような表情で。瞬間全ての時が停止して、私達は世界をふたりじめした。


「……わかった」


 頼子はぽつりとこぼす。私が返事をしようとすると、彼女は続けた。


「すべてがわかった……ありがとう」


 そうして、最後に言った。


「あなたも、追いついてね」


 彼女はその時まで、決して笑わなかった。

 ――その時まで。


 世界に音が戻ると、頼子は私の手を払って、不意に走り出した。ホームには通過する特急電車が滑り込んでいる。ざわめきが私達を襲ったが、彼女はそれを振り払いながら進んだ。止める暇などありはしなかった。頼子はホームの向こう側――線路へと飛び込んだ。

 それからすぐに、特急がやって来た。警報と、線路の擦れる音。それから諸々のどよめきと悲鳴。全てが一体になって流れて、それが起きた。

 私の目の前で、何かが千切れるような音がした。それから、赤い何かの欠片が沢山視界の端をよぎった。

 間もなく、特急電車が緊急停止して、全てが顕になった。


 私の友人――樫本頼子は、線路に飛び込んで自殺した。

 高速で接近する列車に十代の少女がぶつかればどうなるかなどについては、誰にだって分かることだ。

 私は阿鼻叫喚のさなかにあった群衆どもをかきわけて、そのすべてを見た。

 私の後方で、誰もが泣き叫び、いらだち、嘔吐する。


 頼子は千千に砕けていて、線路とホームのあちらこちらに肉と血を撒き散らしていた。白い骨と内臓の鮮やかな極彩色が、真上から降り注ぐ陽光によって、鼻をつんざくような臭いを放っていた。すぐに警察らしき人達がやってきて、ホームに降りていく。集まっていた人たちはみな、その場所から退避するように命じられる。


 幸せそうな顔をしている者は、誰一人居なかった。


 そして私は見た。なにもかもが男たちによって見えなくなる瞬間に、すべてを。



 飛び散った彼女の顔は線路の端にこびりついていて、粘ついた血を延々と流し続けていた。見開かれた目は何かを見ているようで何も見ていない。しかしそれはどうでもいい。


 彼女の上顎から下は綺麗にはじけ飛んでいて、口が完全に裂け切っていた。

 それはまるで、笑っているようだった。


「……いいな。頼子」


 私は彼女が思いを遂げたということに気付き、自分が何をすべきかも理解することが出来たのである。そうなれば、もう何も怖いものなどなかったのだった。




 数日後――私も、頼子のところに行った。

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